慟哭
「懐かしいな」
人の気配のない廃墟と化したランタンの街と、無残にも枯れた鈴樹を見た。
そして思いも寄らなかったダウナの荒廃した様子を見て愕然とした後、ライアはいつもの丘へと足を運んでいた。
鈴樹の無残な変わりように、ライアは恐れ慄いた。
確かにそれは、生命そのものと言ってもいい、そんな神のごとき存在だったのに。
太く立派だった幹は、所々でその樹皮をめくり上がらせ、葉はすっかり枯れ上がって、一枚も残ってはいなかった。
枝も地面へと向かって垂れ下がり、その湾曲した様は、人でいう老婆のような姿を晒している。
いたる所を不気味な苔が覆い尽くし、幹の半分は黒く腐って、中は虫に食われたのだろう、所々に空洞ができて、ぼそぼそになっている。
お前たちの命などに構っている場合ではない、そう叫んでいるようだった。
そんな光景を思い出しながら、ライアは丘で、ランタンにあるオリエの屋敷を望む、緩やかだが見通しの良い場所に立った。
最初に足を踏み入れた故郷ダウナの街も、人々が去った後だった。
ライアはもう、その時点で酷く打ちのめされた。
自分が大陸をふらふらとしている間に、こんな歴史が塗り替えられるような、この眼で見ても信じられないような、そんな世界がここにあって、三人で遊んだあの頃の街の面影がどこにもなく、その世界がもうずっとずっと遠くになってしまったように感じる。
ライアは力の入らない足を引きずりながら、いつもの丘を登った。
夕暮れの空の色は、あの頃と変わらず、ライアの心へと染み込んでくる。
雲が間延びした様子で、その形を変化させながら広がっていく。
変わらないのは、この景色だけだった。
「本当に、懐かしい」
緩やかに続く緑の絨毯は、三人が滑って遊ぶのには恰好の場所だ。
木の板やぶ厚い紙を何重にも敷いて、何度もここから滑り降りて遊んだ。
繰り返し滑っているうちに競争になり、誰が一番に滑り降りるかを争って、尻の下に敷くものをいろいろと改良するようになった。
オリエは家から大きな鍋を持ち出したが転がった拍子にそれを壊し、三人で謝りに行ったことを覚えている。
オリエの父、サンダンに叱られて、やはり三人で、泣きながらこの丘に戻ってきた。
不意に、涙が溢れた。
「オリエ、オリエ、」
何度も口にする。
「死んでいない、オリエは死んでいない」
その場に崩れ落ちるようにして座り込み、ライアは声を上げて慟哭した。
「ルキアで暮らしている。セナと一緒に、幸せに生きているはずだ」
どんどんと湧き上がる涙は、止めることはできない。
涙を拭くのも忘れて、ライアは泣き続けた。
✳︎✳︎✳︎
「誰、」
薄暗闇の中、手放していた意識。
「誰?」
声がして、覚醒する。
じゃりじゃりと砂を踏む音が近づいてきて、しかしそれは途中で止まってしまった。
ライアは重い身体を起こし、涙で濁って見にくい眼を凝らして、その方向を見た。
薄っすらと姿が見える。
「誰だ、」
ライアが少しだけ強い威嚇を含めた声で言うと、途端に足音が早足のものへと変わる。
「ライアっ‼︎」
その声が、息遣いが、足音が、覚えのあるものへと変化していく。
「お、オリエ、」
ライアはよろよろと立ち上がり、薄暗がりの中、足音と共にその姿を現してくるのをスローモーションのように見ていた。
「オリエっ‼︎」
倒れ込むようにして、二人は抱き合った。
その拍子にオリエの髪に顔を寄せると、懐かしい匂いがして、ライアは眩暈を覚えた。
「……本物、本物なのか?」
腕に力を入れると、ライア痛い、と小さく声がする。
愛しさがこみ上げてきて、腕をずらしてもう一度、抱き締めた。
「帰ってきてくれたのね、ライア」
身体を離すと、顔を包み込むようにして、両手で頬を撫でる。
何度も思い浮かべたオリエの顔。
「オリエ、夢じゃない」
「うん」
「生きている、」
涙が溢れる。
頬を包むライアの手にも涙で濡れる感触がある。
「生きてるよ、生きてる。生きているの」
そして二人は、もう一度、震えながら抱き合った。
✳︎✳︎✳︎
「オリエ、今何て、言った?」
幼い頃、三人で遊び場を作って走り回った森の入り口の、待ち合わせの目印にしていた大木の根元で、ライアとオリエは二人身を寄せていた。
夜露が肌をしっとりと包み込み、少しだけ肌寒い。
ライアはオリエの隣で、まさかこんなにも穏やかな気持ちを持てるとは思いも寄らず、そんな平穏に少しだけ戸惑った。
セナの妻であるオリエに会う時は、遠慮からの躊躇が少なくともあるはずだと、思っていたからだった。
いや、それもあるが、並んだ二人の姿を見て、湧き上がってくる嫉妬や妬みなどの感情が自分を苦しめるのではないか、そうも思っていた。
(セナが不在なことが、良かったのかもしれないな)
けれど、その思いをなぞらえるようにして、オリエの言葉は重なった。
「セナは、亡くなったの」
「…………」
そんなはずはないと、ともすると、それがオリエのタチの悪い冗談だと思える。
けれどそれも直ぐに否定されるのだ。
オリエが、そんな冗談を決して言うはずはない、と。
けれど、聞き間違いか。
ライアはもう一度、呟くように言った。
「そんな、はずはない」
隣を見ると、オリエが膝を抱えて、顔をその膝へと埋めている。
ビクビクと小刻みに動く背中。
夜の帳が下りてくる、まるで目がきかない暗闇の中でも、その空気の振動と声の震えで分かる。
それが真実だと物語っている。
「……鈴果が効かなかったのか?」
空を見上げると、チカチカと星が煌めいている。
その夜空も、あの頃のままなのに。
そして、唐突に気がついた。
「……食べなかったのかっ!」
胸の中にせり上がってくる、何かがある。
「セナは鈴果を、た、食べなかったんだな」
その何かは、この闇夜を味方につけて、勢いを増してライアに襲いかかってくる。
頭に浮かんだのは、一つの鈴果をめぐって、クジを引いた時の、
セナの顔、
その眼。
「そうか、オリエ、君に食べさせようと……」
ズドンと身体に、稲妻のような衝撃が落ちた。
それは一直線に貫いていった。
違う、
その時は、鈴果を口にするべき時は、セナはオリエの考えを知ってはいなかった。
だから、
「俺だ」
だから、
「俺を、助けようと……」
この時ほど自分の歳を、再確認させられたことはなかった。
そうだ、自分はもう、ダウナ人の寿命である二十歳という年齢を、とっくに超えてしまっている。
鈴果を食べなかった者の寿命は、終わっているのだ。
愕然とした。
愕然とし、そして我に返った。
叫びたかった。
狂ったように、叫んでしまいたかった。
けれど、その声は、ランタンとダウナの地に虚しく響くだけ。
誰も居ない、この地に。
いつまでも、変わることのないこの空に。
この丘に。
ライアは隣にいるはずのオリエをも忘れ、その場に立ち尽くすしかなかった。




