魔神の力
「退避!」
グリークの異変に対し、レーネが絶叫寸前の指示を飛ばす。途端、騎士達は動揺しながらも後退を始めた。
「ユキト、私は――」
「結界の外まで退避してくれ。レーネも含めて全員。そして物理的な攻撃を防ぐ結界を構築し、レーネの結界と合わせ二重の防御壁でこの場を隔離」
彼女は即座に従った。騎士に号令を発し、速やかに退避する。また結界の外に出た騎士達がさらなる結界を構築し、この場を封鎖した。
そこで雪斗は頭上を見る。噴き上がった火のような漆黒。それは結界に当たると霧散して消えていく。
「魔法だと結界に認識されて消えている、か。ひとまず外部にこの魔力が漏れてはいないみたいだな」
雪斗は漆黒に染まるグリークを見据える。渦巻く魔力は異常の一言であり、とても大臣が生み出せるような規模ではない。
「……ディル、確認だが馬車に乗っている間、あのペンダントに魔力は無かったな?」
『うん、それは保証する』
「となれば、外部から干渉があって魔力を石に供給した……しかもレーネの結界をすり抜けて、だ。魔力そのものを阻害するはずの結界を通過したのは、おそらくレーネの霊具では対応できない質の力だった、てことだろう」
『大臣が発している魔力は、間違いなく――』
「そうだ。邪竜の魔力……これならレーネの結界をすり抜けることもあり得る」
ここで雪斗は剣を薙ぐ。刃先から生まれたのは黒い刃。デーモンリッチを倒した剣戟ほどではないが、力を入れたその技は魔物ならば瞬殺されるほどの威力を持つ。
だが、雪斗の一振りは黒い火柱に直撃すると霧散して消え失せた。
「気合いを入れないとまずそうだな……ディル」
『わかった』
指示に応えると同時、雪斗がまとう魔力が一層増す。大気が軋むほどの濃い魔力が結界内に生じ、また同時にグリークが発する魔力を押し戻す。
通常と比べ魔力さらにまとう、言わば第二形態とも呼べる技法。とはいえ普段からこれを使わないのには理由がある。通常雪斗は長い時間戦い続けることができるように身体能力の維持や集中力が途切れないような処置――疲労の蓄積などをしないような補助能力を加えている。けれど第二形態発動はそうした魔力も全て攻撃に転化する。つまり短時間しか運用できない手法だ。
それと同時に雪斗は頭の中で一つ推測を行う。それは先ほどのグリークの変化。
外部から魔力を供給された――仮にそういうことが可能であったとしても、それを行うには大なり小なり魔力をどこかから放出しなければならない。その時点で雪斗達にバレるはず。
しかし、グリークはそうならなかった。突然異変が生じ、変化を始めた。今までの手法とは別物。
(ペンダントを介し誰かが魔力を注いだのは間違いない……それを気付かれないように、というのは――)
役立つかどうかわからなかったが、前回召喚された際にそういう技術について調べていたことがある。それは元の世界の電波などをイメージして人の見えない形で魔力を飛ばす。雪斗達が開発し、理論的には可能であった技術。
おそらくこれはそうした技術。そしてこんなことをやっている以上、相手は――
『……ああ、清々しい気分だ』
グリークの声がした。途端、闇がはがれその姿を現す。
雪斗と相対するように、漆黒の鎧が体を包んでいる。しかも装備は禍々しく、まるで生物であるかのように脈打っていた。
『この力……これが邪竜の力……確かにあやつの言うことが理解できる。この力があれば、私は――』
「あやつ、というのはあんたと手を組んでいる主君とやらか?」
雪斗が問う。それにグリークはピタリと呟きを止め、
『ああ、そうだ。このような力を持っているのならば、この力で世界を染め上げようとする意図も理解できる』
「……ずいぶんとご満悦のようだが、あんたは今まで積み上げてきたものを全て破壊したんだぞ?」
雪斗の言葉に、グリークはせせら笑った。
『破壊、とは?』
「人間として権力を得て、それこそ国の支配者になれたかもしれない……だがそんな力を得てしまったあんたは人を捨てたも同然。実際、その力によりあんたは人間よりも魔物に性質が近くなる……もう誰もあんたのことを大臣だと見なさなくなる」
『ああ、なるほどな。確かにそうだ』
グリークはあっさりと肯定してみせた。
『しかしこの力を用いて世界そのものを変えれば、話は別だろう』
「つまり人間ではなく、魔物を中心とする世の中にすればいいと」
『そういうことだ』
――果たして、力を持たなかった時のグリークはこれを良しとするのか。
魔神の魔力に侵されれば思考が大きく変化する。身に受けてしまっても天神の力を用いれば浄化することはできるが、それはあくまで魔神の魔力に抵抗できるだけの力――ある程度魔力を制御できる場合に限る。戦闘能力を持たないような人間が一気に力を注ぎ込まれれば、もう元には戻せない。
やはり敵の計略により、狂気を宿していた――おそらく敵は最初からこうするつもりだったのだ。
現在グリークの体の中では人間から魔物へ転身しようと構造が変わっているはず。笑みを絶やさず殺気を向ける相手に対し、雪斗はどこかあきらめた様子で息をつく。
「こういった結末を迎えるとは予想外だったな」
呟きと同時に推測する――当初はグリークが赴く会議で多数の要人を殺すことが目的だったのだろう。しかし雪斗が現れたことにより方針を変更した。雪斗を倒せるだけの力を持つ存在を、旅の道中で当てる――
「……要人暗殺の際に仕掛けた方が効率が良かったような気もするが……いや、会議の席上ではたぶん強力な霊具で魔力なども遮断されるはずで、今回のような手法はとれない、ってところか」
雪斗はグリークを見据える。ビキビキと大気を震わせる勢いでグリークから魔力が発せられる――雪斗が仕掛けようと前に足を出そうとするが、相手もまた身じろぎを示し、反応する。
隙がない、というより雪斗が動いてどう反応するのかが問題だった。レーネが周囲で叫び騎士達と動いている。よって、被害が拡散しないような状況を確立するまで、待つ。
ただしそれは相手にも時間を与えることを意味する。グリークの魔力が次第に高まり続け、結界内に充満し始めた。
だが雪斗はまだ動かない。準備が整うまではこの状況を維持したい――
「ユキト!」
レーネの声だった。雪斗はそれにより剣を強く握り直し、
「こっちも準備はできた。始めようかグリーク」
『死ぬのはお前だぞ、勇者ユキト』
「いや、あんただ……まさか政争じゃなくてこんな形で決着をつけることになるとは思わなかったが、な――!!」
叫ぶと同時に雪斗の魔力がさらに高まる。それは結界内に存在していたグリークの魔力を相殺し、逆に魔力で満たそうとする勢いがあった。
だがグリークもそれに応じる。気付けば双方の魔力がせめぎ合い、一触即発の状況になる。
――誰もが息を呑む中で、雪斗は呼吸を整える。あとはグリークをこのような姿にした存在だが、
(ともかく、まずは目の前の敵を滅する……!)
心の中で叫び、雪斗はグリークへ足を踏み出した。




