幻と頼み
最初雪斗が放った斬撃は柔らかい剣筋の横薙ぎ。同時、黒い魔力の粒子が大気に散らばり、一瞬のうちに消えた。続けざまに放たれたのは縦の一閃。先ほどよりも速いが、それでも全力とはほど遠いと翠芭は直感する。
最初は緩やかに、次第に速くなっていくのかと翠芭が推測した瞬間、じわりと胸の奥で何かがうずいた。
それはもしかすると、聖剣に眠っていた記憶が呼び起こされたのかもしれない。翠芭は目の前の剣舞をどこかで見たことがあるような錯覚に陥る。聖剣に込められていた記憶が、翠芭の頭に働きかけている。
緩やかに剣が一閃された直後、その勢いが増した。続けざまに剣が斜めに放たれたと同時、黒い粒子が再び湧き上がりそれと共に雪斗は踏み込む。
彼の姿は研ぎ澄まされた冷厳な刃でありながら、どこか舞っているような優雅さを持っている。もしかすると彼が習得した剣術の型には儀礼的な意味合いのものも含まれているのかもしれない。
そこから先は、一挙に動きが速くなる。本来ならば――高校生として日々生活していた翠芭なら、知覚するどころか何が起きているかもわからない状況だっただろう。しかし聖剣を手にした今、理解できる。剣の一筋一筋に込められた魔力とその威力。そして何より、彼が何を見据えているのか。
この鍛錬は翠芭達を元の世界に、誰も犠牲なく戻すためのもの。ただ、その考えには彼の心情以外にもう一つ、彼が前回この世界で戦ったことも起因している。
彼は――この世界に同じように召喚されてしまったクラスメイトのことを考え、彼らもこうするだろうと断じ剣を振っている。ただどこか追い立てられるように見えるのは、翠芭の錯覚だろうか。
雪斗の舞踏が続き、次第にその魔力が肌に触れるような感覚に陥る。徐々に高まっていく力を目の当たりにして、多数の魔物相手でも平然と応じるその強さの一端を理解したような気がして――それと同時に、彼の姿がとても艶やかで、また勇ましいように感じられた。
彼自身はきっと、ただ無心に剣を振っているだけなのだろう。けれどその姿勢が、動きが、一時翠芭の思考全てを支配する。
もしかすると聖剣の魔力が、翠芭に語りかけているのかもしれない。この光景を目に焼き付けておけと。
それと同時に先日の戦いを思い出し、思わず体に力が入り聖剣を抱える腕の力も強くなる。
また彼の姿を見てどこか安心するような気持ちにもなっている。それはとりもなおさず雪斗という存在に対し絶対的な信頼を置いている――聖剣の記憶が、そんな風にさせているのかもしれない。
無論、全てが聖剣のせいだとは思わない。けれど雪斗の姿を見て――強く興味を抱いたのは、確かだった。
(私にできることは……彼の助言を聞いて、少しでも戦える状態にすること、かな)
もし彼に協力するのなら、それが一番――そんな結論を導き出した時、変化が起きる。
ふいに、翠芭の目の前に男性の後ろ姿が映った。
「え……」
小さく呟く間にその人物が半透明で、幻のようなものであると理解する。聖剣に眠っていた記憶が干渉しているのか、それとも単なる幻視か。
その人物には見覚えがあった。レーネに見せてもらった写真の中央にいた――白の勇者。
彼はまずじっと雪斗を見据えた。次いでゆっくりと翠芭へ振り向き、
『――頼む』
声が、聞こえた。
『彼を――救ってくれ』
それは、一体どういう意味でもたらされた言葉なのか。
なぜ彼を救うという言葉なのか。加えてどうしてこんな言葉が漏れるのか。疑問ばかりが膨れあがったが結局解決されることはないまま、その姿がかき消えた。
それと同時に雪斗の剣が止まる。終わったのだと認識すると同時、彼が翠芭へ振り向き、
「……どうした?」
目を丸くしているため、質問が飛んできた。
「あ、ううん。何でもない」
誤魔化すように述べる。追及してくるかと一瞬考えたが、雪斗は「そうか」と答えただけで訊かなかった。
「さて、ひとまずこっちも終わった……今日のところは寝て明日に備えよう」
雪斗はそう言いながら剣を消す。翠芭はただ頷き、彼と共に自室へ戻ることとなった。
部屋に戻り、先ほどの光景がまぶたの裏に焼き付いてしまった結果、翠芭としては余計眠れなくなった。よって少しの間、窓の外の景色を眺め、心を落ち着かせる。
月明かりが綺麗な夜だった。空気が澄んでいるのか迷宮がある山の輪郭も見え、また同時に寝静まった王都の中でいくらか魔法の明かりが見える。けれど元の世界のように眠らない町というわけではない。静謐が世界を支配し、夜が王都を包み込んでいた。
そうして少しずつ高ぶっていた心も落ち着き始めた時、突然コンコンとノックの音が鳴った。こんな時間に来訪者――敵なのかと一瞬警戒したりもしたが、聖剣を通じて感じたノックの主は、意外なものだった。
翠芭は黙って扉を開ける。そこには、雪斗と共にいるはずのディルがいた。
「やあ」
「……どう、したの?」
「ちょっと話がしたくてさ」
半ば強引に部屋の中へ入ってくる。戸惑いながらも翠芭は扉を閉め、ディルはテーブルに備え付けられた椅子に座った。
「頼みがあるの」
「……頼み?」
眉をひそめながら翠芭は椅子に座り、顔を突き合わせる形で話をする。
「雪斗はさ……いずれ話をするとは思うけど、元の世界で色々あったんだよ。それによって今いるクラスの中で孤立して、結果的にみんなに忘れ去られた……そんな感じがする」
「それを、是正して欲しいと?」
「雪斗はお節介だと言うと思うけどさ……こうやって言うのもあれだけど、邪竜と戦い戦友と一緒にいる時が、一番輝いていたからさ。それを取り戻すとはいかないけど、せめてもうちょっと笑って欲しいなって」
「輝いていた……」
「戦いが好きだったってわけじゃないよ。大切な友人に囲まれていたから……雪斗は輝いていた」
「元の世界に戻って、そうではなくなったの?」
「そこは雪斗が言うまで待って欲しいの。わがままばっかりだけど……」
――ディルは少なくとも、雪斗のことを心配してこうして話を持ちかけてきた。きっとこうやって訪れたのも独断だろう。
「……どうして、私にそれを?」
「この世界のことを一番多く知って、なおかつ聖剣を手にした人だから」
先ほどの幻も、同じようなことを言っていた。彼を救ってくれと。
つまりそれは、聖剣を手にしたことで彼の支えになれるということを意味しているのか。
「元の世界でも一緒に行動していた身からすると、雪斗はこの世界のことで縛られているように見えるんだよ」
そしてディルはさらに続ける。
「写真って見たよね?」
「集合写真のこと? うん、見たよ」
「あの写真の中で雪斗は満面の笑みだけど……元の世界に帰ってから、あんな風に笑わなくなったの」
そこでディルは小さく息をつく。
「詳細は雪斗の口から聞いてもらうとして……雪斗は絶対みんなと一緒に元の世界へ戻ろうとするだろうから、元の世界でもきちんと雪斗と話せる相手が欲しいなーとか思ったわけ」
「それを、私が?」
「聖剣を得たから話をしたわけだけど……嫌だったら――」
「ううん、そんなことはない」
彼を救うという言葉の意味はわからないが、全力で自分達のことを元の世界へ帰そうとしている彼に、何かしら報いたいと翠芭は思っている。
「わかった。私に何ができるかわからないけど……頑張ってみる」
「ありがとう」
ニカッと笑うディル。それに翠芭も笑みで応じ――夜は更けていった。




