二人の訓練
翠芭は雪斗と向かい合って、剣を構える。動作自体は聖剣に眠る技術によって流れるように行われるのだが、それがどうにも自分の意思とは違う、操られているような感覚に陥る。
(剣に眠る技術を体得するというのは、こうした違和感を取り払うってことかな)
心の中でつぶやきながら翠芭は雪斗を見据えるが――対峙して克明に理解できる。自然体で抜き身の剣を下に向けているにも関わらず、発する気配は踏み込むことを臆するほどだった。
これは――世界の存亡を食い止めるために戦い続けた勇者の戦歴から発せられるものだというのか。
(私はレーネさんから事情を聞いた程度しか知らない。けれど、あの説明になかった、文字通りの死闘を、彼はくぐり抜けてきた)
「どうぞ」
雪斗が言う。どのタイミングでも構わないということか。
正直、翠芭は聖剣を得たことによる感覚で絶対に勝てないとわかるが――まず一歩踏み込んだ。距離も近かったため剣の間合いに到達し、次いで剣を横へ薙いだ。
それを雪斗は剣をかざして防ぐ。途端、金属音が訓練場に響き翠芭の剣は弾かれる。
即座に剣を引き戻し連撃。無意識のうちに剣に魔力を注ぎ打ち込んでいるのを自覚するが、雪斗の剣はその量などを正確に読んでいるのか全て冷静に叩き落とす。
その時、唐突に反撃が来た。翠芭の体は反応して剣を戻すと防御の構えを取ったが、思考が追いついていない。気付けば彼の放った剣を弾き、反撃しようとする。
戦いが続けば続くほど、体の制御が効かなくなるようだった。手足が動いている自覚はあるし、なおかつどうすればいいのか感覚的に理解できる。けれど雪斗が放った剣を見てどうすればいいかはわかるが、体が勝手に動くような案配となっている。
そのズレは、間違いなく致命的なものになる――そう気付いたのはさらなる反撃が来たときだった。
差し込まれた刃は鋭く、翠芭はそれが自身の首筋に来る剣戟だとわかった。
けれど、攻撃に転じようとしていた翠芭は軌道を捉えても防御する暇がなかった――
「俺の勝ちだな」
剣はピタリと翠芭の首筋に届く前に止まる。翠芭の剣は攻撃するか防御するかで迷い、中途半端な位置で止まっていた。
「戦いが進むごとに、体が自分のものではないように感じただろ? 剣に眠っている技術だけで戦えばどうしてもそうなってしまう。それを解消するのが訓練だ」
「つまり、体に技術を覚え込ませて自分の意思で動かそうってこと?」
「そうだ。最後の一撃、翠芭には見えていたし来るとわかっていただろ?」
問い掛けに翠芭は頷く。
「聖剣だけじゃなく、城の宝物庫に眠る霊具は思考の鋭敏化をもたらすから、さっきの俺の剣くらいだったら余裕で捉えることができる。けれど避けられるかは別の話。これを防げるようにするためには、自分の体を自在に使いこなす訓練が必要なんだ」
「……なるほど、わかった」
生真面目に返事をする翠芭。それに雪斗は嘆息し、
「翠芭は聖剣を得てしまったから、大なり小なり苦労すると思う。けれど、俺やジークやレーネがカバーするからさ」
「ありがとう……私も、できる限り協力するよ」
その言葉に雪斗は困った顔をした。やはり彼は、
「……俺としては、できることなら戦って欲しくないと思ってる」
「それはどうして?」
「今回の戦いが何かしら裏があるってことに加え、迷宮攻略は熾烈を極める。前回は邪竜を倒せばみんなが生き返るってこともあったから、大胆になれた節もあった。けれど、今回は違う。全員生還した上で、戦いを終えなければならない」
「だから、できるだけ戦わせたくない?」
「自衛の手段を得ることは良いと思う。この城が襲撃される確率は低いけど、何が起こるかわからない以上は備えておくのも大切だ。けど、積極的に戦いに参加するのはあまり……」
――彼の言葉は間違いなく、前回召喚された経験によるものだろう。
生き返らせることができないという点もあるし、悲惨な戦いを経験させたくないという思いもある。ただ、翠芭としてはそれだけではないようにも見える。
「……その、一ついい?」
「ああ」
「前回召喚された時、世界を救い、クラスメイトを生き返らせるために必死に戦った……でも、今回は――」
「クラスメイトと仲が良くないから、救わないなんて選択肢はない」
きっぱりと、雪斗はそう断じた。
「それにもし、この場にカイがいたら……どんな立場でも同じことをしたはずだ。絶対に元の世界に戻すと」
――その言葉の瞬間、翠芭は一瞬レーネの説明の時に見た写真を思い出した。
苦しい戦いの中で、笑いながら撮った一枚。あの写真の中にはクラスメイト同士が強い絆で結ばれていることがはっきりとわかった。
けれど、今は彼らがいる場所を離れて自分達の学校にいる――そういえば、レーネと最初に出会った時、彼は「全員無事」だと語っていた。写真の中で強い絆が結ばれているのなら、もっと言及があってもおかしくない。一体何があったのか。
ただ、この世界に来てようやく会話をし始めた手前、その辺りのことを追及するような資格はない――そう翠芭は思い、言及はしなかった。
「さて」
雪斗は一つ呟くと、翠芭へ優しく告げた。
「頭の整理はできた? もし何か不安があるのなら、アドバイスするけど」
「ううん、大丈夫。話をしてくれてありがとう……雪斗も寝るの?」
「いや、もう少しだけ剣を振る……ディル」
そう言って彼は魔剣の名を呼ぶ。次の瞬間彼の体に黒い魔力が生まれ、一瞬のうちに戦闘の衣装へ切り替わった。
「戦って勘を取り戻したはいいけど、まだ完全じゃないからな」
ここで改めて体を動かすということか――その時翠芭は、
「……あの、見ていては駄目?」
「え? それって俺の訓練を?」
コクリと頷く翠芭。断られるのを覚悟で訊いたので、拒否されればおとなしく部屋へ戻るつもりだったのだが、
「ああ、いいよ。ただし少し離れていること」
あっさりと承諾。翠芭は距離を置いて雪斗の訓練を眺めることに。
なぜ見ようとしたのか。ただなんとなく思ったのだ――彼の剣を目に焼き付けておきたいと。
それは聖剣が発する力がそうさせたのか、それとも先日の戦いが頭の中から離れないからか。ただ、とにかく彼の姿をしっかりと目にしておこうと思ったのだ。
ゆっくりとした動作で雪斗は剣を構える。横に所作を眺める翠芭がいるわけだが、意に介していない――というより、意識の外になっているのかもしれない。
視線は真っ直ぐ、虚空を見つめていながらまるで目の前に最大の脅威が迫っているような鋭いもの。集中力を高め今からでも敵に応じるという気概を含んだ気配は、少なからず翠芭の体を緊張させる。
単なる鍛錬のはずだ。しかしそれを感じさせない硬質な空気。これもまた、戦歴に裏打ちされた貫禄というものだろうか。
レーネの話では雪斗達が戦ったのは一年。たった一年――そこは常に人の生死が錯綜する修羅場だった。翠芭にはまるでその一年で戦い続けた面々を背負っているようにも思える。
いや――今回の相手は邪竜の一派。だとしたら、まだ戦いは終わっていないと認識しているのか。
翠芭がそう推測した瞬間、雪斗は静かに魔力を発した。見た目に変化はない。けれど聖剣を持つ翠芭はわかる。内なる魔力が体の中を回り始め、それらが全身を巡っていくのを。
じっと翠芭は立ち尽くし、事の推移を見守る。やがて、雪斗が最初の一歩を踏み出した。




