選ばれし者
レーネですら抑えられない状況かつ、暴走する信人の槍が向けられている以上、翠芭は怯え震えてもおかしくなかった。けれど不思議と恐怖はない。
なぜか――それはきっと、抱きかかえている剣のせいだと翠芭は思った。
(あの槍から発せられる空気……身をすくませるほどの圧力だけど、それをこの剣が緩和している……)
剣からも槍と同様に力が発せられている――そう翠芭は確信する。
また同時に、剣が呼び掛けているように思える。即ち、
剣を、抜けと。
信人が少しずつ近づいてくる。暴走状態にある以上、すぐにでも槍に突かれて倒れ伏すかもしれない。けれどそんな想像をしても、恐怖はない。
「……よせ」
レーネから声が聞こえた。それは最初、信人に発せられたものだと思っていた。しかし、
「駄目だ……スイハ、その剣を抜くな!」
なぜか――それを理解した直後、信人が大きく前進した。狙いは間違いなく翠芭。もう時間がない。
刹那、翠芭は柄を握り、剣を――抜いた。
それと同時、刀身が光り輝くのを視界に捉え、さらに手先から、沸騰してしまうかのような熱が襲い掛かってきた。
だが翠芭は剣を握ることを止めない。すると次に襲い掛かってきたのは、風――いや、現実には風など生じていなかったはず。しかし彼女は体感した。風に乗って、何かが駆け抜けていくのを。
それは――紛れもなく、この剣を握っていた者達の記憶。剣に染みこんでいた記憶が、熱と風に乗って翠芭の頭の中へと流れ込んでいく。
ただ、それは文字通り翠芭に当たり飛んでいくような感覚だった。映像が断片的に流れる様は、まるでシーンを切り取った写真を見せられているかのよう。
けれど、その中で一つ、明確に頭の中で再生されたシーンがある。目の前にはぽっかりと広がる暗い空間。場所はどうやら外であり、男性が一人、仲間と思しき人物達に顔を向けていた。
その人物は翠芭が抜き放った剣を腰に差し、仲間達へ告げる。
「行こう、最後の戦いへ」
彼が先頭で、目の前の黒い空間へと歩んでいく。それに追随する仲間達。その中には、黒い剣を携える雪斗の姿もあった。
(ああ、そうか――)
全てを理解した直後、意識が浮上。見れば今まさに信人の槍が迫ろうとしていた。そこで翠芭は察する。何をすればいいか、頭の中で理解できる。
この剣が、教えてくれている――そう想った直後、翠芭は動き始めた。握り締める剣の力を利用した動き。翠芭自身、自分でも驚くほどの俊敏さと、反応。
気付けば翠芭は信人の懐へと潜り込んでいた。彼が瞠目する中で翠芭はレーネと同様、槍を弾き飛ばすべく狙いを武器に定め、一閃する。
手に力を加えた瞬間に剣が光り輝き、意思に応えてくれるようだった。これが魔力を注ぐ行為なのだと頭で理解すると共に、翠芭の剣が、槍に触れた。
乾いた音を上げる。次の瞬間には信人の手から槍が離れ、彼はその場に崩れ落ちる。
全てが一瞬の出来事。翠芭はこれが自分でやったことだと頭では認識したが――とても、信じられなかった。
「……大丈夫?」
半ば呆然としている中で、信人へ声を掛ける翠芭。彼は小さく頷くと、槍を握っていた右手を振り、
「ごめん……触った瞬間、突然体が思い通りにならなくなって」
「君のせいではない」
レーネだった。翠芭が見ると剣を鞘に収めながら近寄ってくる姿が。
「この城の中にも色々な考えを持つ者がいてな……君達の行動に介入しようとする人間もいるんだ」
翠芭や貴臣にしか説明をしていないので、レーネはそんな風に口にした。
「おそらく槍を握った瞬間、暴走するよう魔法が掛けられていたんだろう。これはフォローできなかった私の失態だ。本当に申し訳ない」
謝罪された当の信人は戸惑っている――その間に翠芭は自らが握る剣を見た。
真っ白な剣。そして先ほどの記憶。改めて認識する。これは、
「レーネさん」
「……ああ、そうだ」
主語のない言葉だったが、明瞭な返答だった。
即ち、今翠芭が握る剣こそが聖剣であると。
そう認識した直後、体が一度震えた。自分が――自分こそが、この世界に誘われたきっかけを作り、そして戦う運命を背負った人間。なおかつクラスメイト達は自分のせいで――
「スイハは何も悪くない」
そこでレーネが翠芭の心を読むように告げた。
「前回召喚された白の勇者も同じ考えに至っていたが……決してスイハのせいではない。全ての過失は、こちらにある」
「でも、私は……」
「これからのことは、ユキトが戻ってきてから考えるとしよう」
告げた直後、レーネはあさっての方向に目を移した。
「気配を感じる……私にもわかるように魔力を発したか……丁度ユキトが帰ってきた」
「あ、それなら……」
「私は事態の収拾を行う。ユキトには後で部屋を訪ねると伝言を頼む。それと、クラスメイトの面々には部屋に入り、安全が確保されるまで出ないよう……誰かが来ても私を通すように伝えてくれ」
「……わかりました」
そしてレーネはこの場を去る。彼女の姿が見えなくなってから、改めて翠芭は聖剣を見据えた。
「八戸さん……」
貴臣が近づいてくる。全てを知る者として彼女が握っている剣の意味を克明に理解している。
けれどその呼び掛けに翠芭は応えられなかった。
(私は……)
雪斗が語るように戦わなくていいのか、それとも自分もまた先ほどの記憶のように、戦うのか――答えが出ないまま、翠芭は一度思考を振り払い、ひとまずクラスメイトを落ち着かせるべく行動を開始した。
* * *
雪斗が戻ってきたのは全てが終わった後、部屋に戻ると翠芭と貴臣が待っていた。
「おかえり……セガミ君」
「名前、レーネ辺りから聞いたのか?」
翠芭の言葉に尋ね返すと、当の彼女は苦笑した。
「ごめん……なんというか、その……」
「召喚されたことで、俺も無意識に人と関わろうとしなかったのかもしれないし、気に病む必要はないさ……で、ここにいるのは――」
「レーネさんが事態の収拾を行ったらここに来るって」
「そうか……困惑しているみたいだな」
雪斗の指摘に翠芭は頷く。また貴臣もそんな彼女を見て、どうすればいいのかわからない様子だった。
「とにかく、セガミ君から話を聞こうと思って」
「……状況から考えて、今回八戸さんが関わる必要性はあまりないと思うけど、な。ジークに頼んで、八戸さんのことは色々と話をしてみるよ。聖剣を手にしたことについてはそう悪く解釈しなくてもいいとは思う……ただ」
雪斗は小さく息をつく。
「この事実はすぐに広まるだろうな……グリーク大臣がこんなことまでして聖剣の所持者を得たかったのは、おそらく迷宮攻略のためだ。八戸さんをどうにかして戦わせようとするだろう」
「どうするかは別にしても……城の中にいる人達の目の色が変わるのは間違いないよね」
「おそらくな」
「わかった」
翠芭は決意を秘めた表情で応じる。
「どこまでやれるかわからないけど……できる限りのことは、したいと思う」
その言葉を聞き、雪斗は推測する。召喚され混乱する中でレーネが前回召喚された面々のことを話した結果、何かしら感じ入ったのだろう。
部屋の中にしばし静寂が訪れる。翠芭も貴臣は言葉を待ち――雪斗は頭の中で言葉を選び、彼女へ向け助言をするべく口を開いた。




