救いを願う人物
次に視界に入った光景は、石造りの無骨な部屋だった。気付けば生徒達は全員立ち尽くす格好であり、あまりに唐突な変化に雪斗を除く面々は呆然となっている。
そうした中で雪斗だけは冷静になり――まずは周囲を見回した。
形としては真四角の部屋で、広さは教室の倍くらいだろうか。壁には電気のような光が存在しているが、雪斗は知っている。あれは電気などとは違う――魔法だ。
「……よくぞ、来ていただきました」
声が聞こえた。生徒達が視線を向けた先には、広間から出られる唯一の上り階段――その手前に、一人の男性が立っていた。
年齢は五十から六十くらいだろうか。白髪と深い皺を持ち、白い法衣のような物を着た人物で、雪斗は「大臣」という単語が頭の中に浮かんだ。
「突然のことで、驚いていらっしゃるかと思います。申し訳なく思いますが……どうか、我らの願いを聞いてください」
丁寧な言葉遣いで大臣が話す。この時点で生徒達はなおも絶句し、彼の言葉を聞き続けている。
「この世界に、災厄が迫っております……この国の存亡の危機に、我らは必死に祈りを捧げ、とうとう見つけ出すことができた……この国を、世界を救う存在を」
それはこの場にいる全員なのか、それともこの中にいる誰なのか――生徒達の中にはそんなことを思った者がいるかもしれないが、質問が発せられることはなく大臣の言葉は続く。
「国の崩壊が迫っておりますが、まだ一時の余裕があります。その間に事情を説明させていただき、どうか――どうか、私達をお救いください」
生徒達は、完全に口を閉ざす。理解が追いついていない――常識外れの出来事を前にして、ただ絶句し棒立ちとなるしかない。
そうした中で、唯一――雪斗だけはひどく冷静だった。けれど声を発さず、頭を下げ周囲の生徒達の様子を窺う。
この場に強制的に移動させられたのは、どうやら雪斗のクラスにいる面々だけの様子。次の授業の先生がやってこなかったのは幸運だったか――もっとも、ここに先生がいれば『大臣』との折衝役とかになったかもしれない。
そして少しの間、相手から言葉が途切れた。もしかするとこちら側の反応を待っているのか――
「……あ、あの」
沈黙の後、ようやく口を開いたのは――八戸翠芭だった。
「わ、私達は……その……」
戦うような力はない――そんな意味合いのことを告げたいのだろうと雪斗は推測した。自分達は単なる学生であり、とてもじゃないが国など、救うことはできない――
「何を質問しようとしているのか、私には理解できます」
翠芭の言葉に大臣は笑みを伴い返答する。
「国の存亡……それを救う力があなたがたに備わっているか否か、でしょう? 無論です。あなた方にはその力がある……それをあなた方が自覚していないにすぎない」
――その口ぶりを聞いて、雪斗は慣れているなと感じた。こういう状況でどういう説明をすれば納得してもらえるか。それを大臣は熟知している。
なおかつ、主導権を握ろうとしていることも理解できた。混乱している生徒達に対し優しく対応し、首を横に振ることができないよう上手く話を持って行く――そうして混乱する中で、自分達の意見に従わせようとする。
「混乱しているのは山々です……しかし我々も必死なのだと、理解してください」
笑みを一度崩し、深刻な表情で大臣は語る。その態度に声を発した彼女は押し黙った。それは反論できなくなったからか、あるいは物々しい雰囲気に気圧されてしまったか。
ここで、彼女を援護するように別の人物が声を上げた。
「……すぐに帰ることは、できないんですか?」
生徒会役員の陣馬貴臣だった。すると大臣は申し訳なさそうな顔をして、
「送還は――この危機が去れば、可能となりましょう」
そういった答え――少なくともその危機が終わるまでは、帰れないということを意味しているのか。
それがわかった途端、生徒達にどよめきが生まれた。叫び出すような人物がいてもおかしくなかったはずだが、頭の整理が追いついていないためか、感情を露わにするような事態には至っていない。
もしかすると中にはこれが夢だと思っている人物だっているかもしれない――いや、それはないと雪斗は心の中で断じた。全員認識している――いや、認識させられているとでも言うべきか。これが現実であると、相手側から魔法か何かで理解するよう思考を誘導されている。
そういった策略を、雪斗は如実に理解できた――
(……どうする?)
雪斗はどうすべきなのか頭の中で思案する。この場で前に出るか、それともあえて静観するのか。
沈黙を維持していると、やがて大臣が声を発した。
「……まずは暖かいお茶でも用意致しましょう。そしてご説明します、あなた方の力について……そして、この世界の危機を」
――雪斗は直感する。流れとして次に説明を行い、次に誰がこの世界を危機を救う『主人公』なのかを伝える。
そう、雪斗は知っている。この世界を救える大きな資質を持つ人間は一人――生徒達の中で、たった一人。
しかし大臣は十中八九そうした事実を伏せ、全員で行動するように告げるだろう――おそらくそれが、目的達成のための近道だろうから。
雪斗はそこまで推測して、足を前に出す。黙ったまま生徒達を迂回し大臣の所へ近寄っていく。
移動に対しクラスの面々は視線を向けてくるが、何も発することはない。もしかすると憶えがない人物で当惑したかもしれない――雪斗はそんな自虐的な考えを抱いた時、大臣と対峙する翠芭と貴臣の二人が見えた。
両者は雪斗の足音には反応せず、大臣を見返すばかり。翠芭の方は何か訴えかけるような視線を相手へ送っているが、声は出さない。というより、出せないのかもしれない。
貴臣については両拳を握り締めやや頭を下げていた。どう応じればいいか悩んでいるのか――
そんな二人も、雪斗が近づいたことでようやく硬直が解け首を向けた。それと共に大臣の方もまた、雪斗へ視線を送り、
「――っ」
短い声を大臣が発するのを、雪斗は聞き逃さなかった。
同時にそれまでの柔和な表情が一変し、驚愕により顔を引きつらせる――なぜこんな表情をするのか。それは相手が雪斗のことを知っているから。
雪斗もまた知っている。相手の名前、この部屋がどういう所なのか。今から訪れるはずの場所。あてがわれるはずの部屋。その全てを知っている。
なぜなら雪斗は過去に一度、同じようにここへ召喚された経験があるからだ。
そして雪斗は畳み掛けるように、告げた。
「――久しぶりだな、グリーク大臣」
翠芭達の前に立ち、雪斗は相手――グリークへそう言う。結果、今度は相手が絶句した。