記憶を保有する者
レーネが案内した霊具は杖――のように見えるもの。曖昧な表現になっているのは、それはずいぶんと短いものであるためだ。
例えるなら、指揮棒が表現としては適切だろうか。そのくらいの短さであり、どういう効果を持つ霊具なのか、一見してもわからない。
「触れてみてくれ」
レーネが指示する。翠芭は少しばかり躊躇いながらも霊具に手を伸ばし――触れた。
最初、じんわりと霊具から漂う魔力が翠芭の手を包む。刹那、異変が生じた。突然目の前が真っ白に染まり、意識がまるで体から離れるように――
「おや、自分達と同じような人間、か」
声がした。見れば真正面には、青いローブを着た男性が一人。年齢はおそらく同じくらい。そして顔立ちは、間違いなく日本人。
「名はトシヤ……と、そのくらいはさすがに聞いているか」
「あの……私……」
「んー、ちょっと待ってくれ」
彼は手をかざす。次いで何やらブツブツと呟き出す。
何事かと翠芭が戸惑う間に、トシヤは何か思いついたように顔を向け、
「そうだな……君からは聖剣の魔力を感じる。今は所持していないけど、カイと同じ気配……ということは、この世界にまた異変が生じて、君達が召喚されたというわけか」
「は、はい。そうです」
「なるほど……しかし、参ったな。また邪竜みたいな存在が現われたのだとしたら、カイ達の努力は無駄だったってことか? いや、もしくはカイ達が倒せなかった――」
「邪竜は、倒しました」
その言葉にトシヤは目を瞬かせる。
「……倒した?」
「はい。まずは、その辺りから説明が必要ですね」
翠芭は語り始める。突然白い空間に放り出されたわけだが、カイとのことも経験しているので、さして驚くことはない。
説明そのものは手短に済んだ。そしてトシヤはなるほどと腕を組み何度も頷き、
「脅威は去っているわけか……残る懸念はユキトのこと」
「はい。とはいえ、それを絶対に解決しなければならないというわけではないですし、その、当人は怒るかもしれないですが」
「俺は大丈夫だ、と告げるだけで終わるだろうな。まあなんというか、アイツはなかなかに強情なヤツだからな」
そこまで語ってトシヤは笑う。
「俺達はこの世界に来るまでユキトのことをほとんど知らなかった。結果的にアイツはこの世界で勇者となり、クラスメイト達からも絶大な信頼を得ることができた……そして、元の世界に戻ったことで、何もかも戻ってしまった。アイツと俺達の関係は、この世界の中で完結してしまっているわけだ」
「そのギャップに苦しんでいるわけですよね?」
「そうだな。加え、アイツ自身がやらかした出来事……うーん、この世界に残されたもので解決できるのかはわからない。けれど、少なからず事態を進展させることはできるかもしれない」
「進展……具体的にどのような?」
「本来、カイもこんな使われ方は想定していなかっただろうな。ま、平和な世界に必要なものではないし、ここでパーッと使うのも手か」
何を――問い掛けるより先に、トシヤは発言する。
「ユキトについてはディルという喋る剣を持っていたからできなかったんだが、他の連中は全員、霊具に記憶を仕込んだ。これはカイの提案で俺が処置したんだが、それは邪竜との決戦で役立った」
「はい。記憶がなければ私達は負けていた」
「アイツの策が機能したわけだ……本当、カイは二手も三手も読んでいるな……と、アイツのことは置いておいて、だ。実を言うと霊具に直接、以外にも記憶を封じた場所がある」
「記憶、を?」
「ああ。この策を実行したのは邪竜との戦いが結構進んだ時だったから、さすがに全員分とはいかなかったが……それは霊具に存在していた記憶よりも、ずいぶんと魔力がある。だから、この世界で生きた俺達の分身と呼んでも過言じゃない」
「……それをなぜ、カイはユキトに知らせなかったの?」
もし知っていたなら、彼はいち早くそこに赴き邪竜との戦いで活用していたはず。
「あー、理由については……実を言うと、内密にやっていたんだ。こうした策のことを知っているのは、俺とカイだけだ。武具に入れた記憶については、カイがユキト以外に直接言及したからだな。で、ユキトにそれを話していなかったのは、たぶん忘れていただけだろ。別にアイツをないがしろにしていたわけじゃない。普段完璧超人だが、たまーにカイはやらかすんだよな。そのカバーを、ユキトはやっていたこともあったんだぞ」
「そうなんですか……」
「今回は伝えていなかったのが裏目に出たのかもな……ま、いいや。それで、今回用意した場所というのは、言ってみれば保険のようなものだ。カイは俺に内密に、気取られないようにやってくれと告げ、俺は強化魔法とかの能力を向上させるべく、魔力の質を解析したいとか理由を告げて、みんなから魔力と記憶をもらった。それは、もし邪竜が再度暴れた際に、俺達がもう一度戦えるように、だ」
「もう一度、戦う……!?」
「カイはもらった魔力を、魔力だけで動けるように調整してくれと依頼した。たぶん、邪竜に負けた際、最後の切り札として用意していた策だ。自分がやられても、まだ聖剣を使える者を用意した……ただまあ、肉体を失った魔力だけでは役に立たないから、リュシールさんの力とかを利用して器を用意しようとしていたはずだけど」
「だから、保険ですか」
「そう。カイがこの策を仲間に伝えなかったのは、自分達がやられることを前提にしているというので、士気が下がるのを懸念したことと、後は話を広めて面倒事に陥るのを避けるためだ」
翠芭は眉をひそめる。面倒事というのは――
「グリーク大臣だよ。器さえ用意すれば霊具を扱える……というのは、いかにも大臣が悪用しそうだろ?」
「……確かに」
翠芭はそれほど大臣と関わっていなかったのだが、それでもなんとなく理解できる。
なるほど、政治的な理由もあって秘密にされていた――と、ここで翠芭は気付く。
「……待ってください。ということは、この世界には聖剣の担い手が、魔力という形で存在していることになりませんか?」
「ん、ああ……見方によってはそういう解釈もできるな」
それはもしかすると、この世界に聖剣の担い手を生み出す方法を生み出せるのではないか――翠芭はこの話が、もしかすると色々と問題を解決できるものになるかもしれない、という予感を抱くこととなった。




