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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

巻き込まれる非日常


その日は夏休みの二ヶ月前から計画されていた家族旅行で、中学二年生の鈴木亜梨沙もなんだかんだ文句を言いつつも親についていった。


弟の翼ははしゃいでいたけど、亜梨沙は斜に構えたクールな表情だ。ずっとスマホを弄っていた。


「ねえちゃん、なんでそんなつまんなそうなの?」

「どうせ行くなら山より海がよかったの」


助手席の母親が振り返る。


「最終日の帰りに海にも寄ったげるわよ。ところで喉乾かない?あなた、ちょっとそこのコンビニ寄って」


長時間のドライブに飽きた母さんは、いつも何か口に入れたがる。

母に甘い父は言われるがままに車をコンビニの駐車場に停車させた。


「っしゃ!俺アイス食いたい!」

「亜梨沙、降りないの?」


私は丁度アプリのゲームに夢中になっていたから、タイミングが悪かった。


「なんか冷たいもの買っといて」

「はいはい」


母は仕方ないわね、と肩を竦めて、父を連れてコンビニに吸い込まれていく。翼はとっくに店の中だ。


暑いからって鍵をさしたまま、エンジンはかけっぱなし。無用心?そんなこと私は知らなかったよ、田舎っ子だもん。


「お待たせ」


やけに涼やかな声が鼓膜を揺らした。父さんじゃない。顔を上げると、運転席に見知らぬ細身の男が座っていた。


「えっ?誰?」


その誰かさんは巧みな技術でバックすると、瞬く間に車を車道に滑り込ませてしまった。

ぐん、と速度が上がり、私の体は座席に押さえつけられる。

何?なんなの!?こいつ誰!?


私はパニックになり、頭の中では盛大に悲鳴をあげつつも、実際には固まっていた。

みるみるうちに元いたコンビニが見えなくなり、危機感が私の口を開かせた。


「ちょっと!誰だか知らないけど、戻って!乗る車を間違えてるよ!!」

「間違えてないよ、鈴木亜梨沙ちゃん」

「えっ!?なんで……」


私の名前を知ってるなんて、こいつほんと何?ストーカー?

こんな家から三時間も車を走らせた先でカージャックをするストーカーなんて、聞いたこともないけれど。


じっと男を観察する。黒い襟付きのシャツの袖を七分丈に捲った、色の褪せた黒いジーンズ姿だ。


少し癖毛の髪の毛先がぴょこぴょこ跳ねているけど、それが不思議と寝癖ではなくてファッションに見えた。


「俺は本間宗佑(そうすけ)。これから亜梨沙ちゃんを面白いゲームに参加させてあげる」


すこしくたびれた様子の甘い顔立ちの青年は、その黒い目を細めて亜梨沙に一瞬視線を絡めると、すぐまた運転に戻ってしまう。


どうしよう、話が通じそうにないや。全然知らない町で、全然知らない人に、一体どこに連れて行かれるのだろう。怖い。


ぎゅ、と縋るようにスマホを握りしめて、気づいた。そうだ、電話すればいいんだ。

震える手でラインを起動し、母の連絡先を探していると。


「あっ!」


信号待ちになっていた車の運転席から手が伸びてきて、スマホを掠め取られてしまった。


「せっかく楽しいゲームに招待してあげたのに、こんな無粋なものを持ち出すなんて…亜梨沙ちゃんは悪い子だね」

「悪いのはどう考えてもあんたでしょ!?」


叫んでしまってからハッと口を押さえた。逆上して襲いかかられるかもしれない!

本間は呑気にクックッと笑い声を噛み殺していた。


「悪いかどうかなんてそれぞれの主観でしかないよ。勝った方が正しいのさ、それが世の常だ」


何が可笑しいわけ?やっぱこの本間ってやつ、おかしいよ!

衝動的に車のドアを開けて外に飛び出そうとしたけれど、チャイルドロックがかかっていた。


「もう着くから、大人しくしてな」


目の前に液体を含ませた布が迫ってきて、仰け反って逃げようとしたけど間に合わない。変に甘ったるい臭いがする。


鼻も口も塞がれてしまって、もがいているうちに私の意識は強制的にシャットダウンした。





頭がずきずきする。手で頭を押さえて呻いた。


「ったあ……なんなの」


重たい体を無理に起こす。濃い赤のベルベットみたいな布が体の下に敷かれていた。どうやら二人用のベッドの上に寝ていたようだった。


眠る前のことを思い出し慌てて辺りを見渡す。あの男はいなかった。

ドキドキとうるさい心臓を宥めながら、部屋の中を観察する。


薄暗い室内は様々なピンクでゴテゴテと飾り付けられていた。でもそのどれもが安っぽくて、ハリボテのようで、色合いばかりがやけにファンシーだった。何ここ?


オモチャみたいなシャンデリアの電球は殆どが割れていたけど、かろうじて一つ残った生き残りが頼りなく部屋を照らしている。


床は埃っぽくて、まるで長い間使われていないみたい。

元はパステルカラーだったけど、長い年月の間に変色してしまったような、どんよりとしたピンク色をしていた。


「……なんか、気分悪い」


圧迫感のある壁と、どす黒く見える赤いベッドはくすんだピンクの床と合わさって、気味の悪い生き物の腹の中にでも飲み込まれたような気分にさせた。


室内の装飾に埋もれるようにしてあった、塗装の剥げかかった扉を見つけた。ドアノブを回してみる。

ざらついた冷たい金属はギチギチと音を立てて回り、ギイイィ…と空間に蝶番の軋む音を響かせた。

扉の外は真っ暗だ。


「なんなのよ、ここ…」


踏み出す勇気が持てなくて視線を泳がせていると、扉の上の方にメモが貼ってあるのを見つけた。手を伸ばして引っぺがし、紙片を広げる。

紙面には、癖のある男っぽい字が一面に書かれていた。


『やあ、亜梨沙ちゃん。この部屋は気に入ってもらえたかな?

これから俺とゲームをしよう。このお城の中に宝物を隠したんだ。

それを見つけられたら君の勝ち。

間に合わなかったら俺の勝ち。負けた方が勝った方の願い事を一つ叶えるんだ。どう?面白そうでしょ?

それじゃ、鐘が3回なるまでに俺のところに宝物を持って来てね。

P.S 役に立つものを部屋の中に隠しておいたから、探してみて。

本間宗佑』


「……」


薄暗がりの中3回くらい文書を読み直して、やっと理解できた。理解すると同時に怒りが湧いてくる。


こいつ自分勝手にも程があるわ!勝手に私をゲームに巻き込まないでよ!!


怒りに任せてメモをくしゃくしゃに丸めて投げる。軽い紙は大して飛ばなかった。


肩を怒らせながらごちゃごちゃした部屋の中を捜索する。あいつの言う通りにするのもシャクだけど、何の装備も無しに部屋から出る勇気もなかった。


歩くたびに舞い散る埃に顔をしかめながら探すと、部屋の隅に化粧台を見つけた。三段棚があったので、一段目から開けてみる。


ペンが二本とA6サイズのノートが一冊入っていた。パラパラとノートをめくると、さっきと同じ字で短い文章が書かれていた。


『薄くて軽いもの』


「? どういうこと?」


これだけじゃ意味がわからない。でもこの先紙とペンがあれば何か役に立つこともありそうだから、持って行くことにした。


ペンは、普通のボールペンと、なんともう一本はペンライトだった。ラッキーなことに明かりがつく。


「やった」


これで少しは見えるようになるだろう。続いて二段目を開けてみる。


「ん…?」


白くて細長い、20センチくらいの棒と、小さなパーツが入っていた。一番大きな棒を手にとってみる。

それは軽くて、少しざらついていて、端に行くほど幅が広がっていて…そう、人の腕の骨にそっくりだ。


他のパーツを見比べてみる。ああ、あの小さいのはきっと指先の骨で、少し大き目なのは手の甲の…


「ひっ」


びくりと手放すと、骨はカランと空虚な音を立てて床の上に転がった。


「本物?…な、訳ないよね…?」


人の骨なんて見たことがないからわからない。わからないけど、なんとなく嫌な感じがして肩を抱いて自分を落ち着かせた。


「も、もう……驚かせないでよね」


深呼吸して気持ちを整えてから、三段目を開けてみた。一見何もないように見えたけど、よく見ると奥のほうに一本のナイフが鎮座していた。


手にとってみる。ナイフは刃先が錆びていて、どす黒く染まっていた。まるで、そう……血でも吸ったかのような、どす黒い赤に。


「……やだ」


このナイフは、誰かの肌を引き裂いたのだろうか。恐ろしい想像にナイフを手放しそうになったけど、我慢して持ち直す。何があるかわからないから、武器はあった方がいい。


しばらく深呼吸を繰り返して、やっと外へと出てみた。ペンライトで照らしても部屋の外は暗い。

右へ左へ通路は広がっていた。左側をライトで照らすと、何か反射して光る物があった。恐る恐る歩を進める。


「なに……?」


反射していたのは割れた鏡の破片だった。壁には割れて殆ど用をなさなくなった鏡がかかっている。鏡に写る自分の顔は蒼褪めていて、お世辞にも可愛くない。


鏡の端に白い影が横切った。はっと振り向くと、通路の端に白い布がはためいて、あっという間に見えなくなってしまった。


「誰!?」


返事はない。足音も聞こえない。


「……本間、さん?」


ここに連れてきた青年の名前を呼んでみたが、彼の衣服は全体的に黒かったことを思い出した。

彼ではない、第三者が、この城にはいるようだ。


「誰、なの?」


ふらふらと足を踏み出し、白い影のいた方向へと移動する。足元を照らしながら歩いていると、赤黒い液体が床に染み跡を残しているのを見つけてしまった……血痕だ。


「……っ」


挫けそうになりながらも一歩一歩慎重に歩いていく。通路を右に曲がると、自分の背丈と同じ人に出くわした。


「ひっ!?」


とっさに目を瞑るけど、何も起こらない。そろそろと目を見開きペンライトで照らすと、それはよく見慣れた姿だった。どうやら鏡に写った自分の姿に驚いただけのようだ。


「……はあ」


一つ溜息を漏らして呼吸を整える。先に続く通路の壁は鏡になっていた。


「……よし」


怖がる気持ちを叱咤して、ゆっくりと鏡の通路へ踏み出す。縦横無尽に広がる通路は、何処までも奥へ奥へと広がっているように思えて、永遠に抜け出せないような錯覚に陥ってしまう。


「大丈夫……きっと出口がある、大丈夫」


そう自分に言い聞かせながら通路を進んでいく。何回曲がったか忘れた頃に、また白い影が走り去っていくのが見えた。


「! 待って!」


はためく布は鏡のせいでどのくらい遠くにあるのか、上手く距離感が掴めない。とにかく追いつかなきゃ、その一心で走り出すと、床にあった障害物に足を引っ掛けて転んでしまった。


「……っいた!」


上手く受け身が取れずに膝をすりむいてしまった。何に転んだのかと視線を走らせ、見つけてしまったのは、人の骨。さっきより小さい。もしかして、子どもの骨だろうか。


……ここから一生出られなかった

らどうしよう。私もこの骨みたいになってしまうのかな。


「…….ひっく」


堪え切れない涙が嗚咽と共に溢れ出た。怖かった。ここまでの道のりはずっと怖くて、どうにかなりそうだった。どうしてこんな非日常に巻き込まれているのだろう。私が何をしたって言うの?


泣きながらしゃくりあげていると、突如、ゴーン…ゴーンと重苦しい鐘の音が鳴り響く。

びくりと肩を跳ねさせた亜梨沙は、顔を上げてしばらく放心していたが、鐘が鳴り終わる頃には再び立ち上がっていた。


「……行かなきゃ」


立ち止まってる場合じゃない。本間さんは時間制限があるって言ってた。あと2回鐘が鳴り終わるまでに、宝物と本間さんを探し出さなきゃならないんだ。


溢れて出た涙を拭い、前を見据えて歩き始める。時折ひゅうひゅうと吹く風の音に身を竦ませながら、懸命に歩いた。


吸い込まれそうな鏡の奥を見つめないようにしながらしばらく進むと、また白い布が見えた。

いや、今度は布だけじゃない。姿形を捉えることが出来た。


それは白いワンピースを着た子どもだった。薄汚れた通路の奥へを、場違いなほど真白いワンピースを身につけ、楽しそうに駆けていく。

5歳くらいの子どもに見えた。


「待ってよ、置いてかないで!」


足元に気をつけながら白い姿を追うと、やがて鏡の通路から抜け出たようだ。白い無機質な壁が出迎え、通路の真ん中にちょこんと女の子が立っていた。

可愛らしい顔立ちで、癖のある黒髪を背の半ばまで伸ばしている。

くりんとした黒目がちな目が、亜梨沙の顔を覗き込んだ。


「こんにちは、お姉ちゃんは新しい人だね? 空と一緒に遊ぼ!」


空と名乗る子どもは無邪気に近づいてきて、ほんのりと冷えた亜梨沙の手を取った。

その感覚が変だった。頼りなく、触っているのかいないかわからない程度の接触。


薄気味の悪さを覚えながらも、亜梨沙は手を振りほどかなかった。やっと一人じゃなくなった、その安心感に感覚が麻痺していたからだ。


「えっと……よろしくね。空ちゃん?」

「うん!お姉ちゃんが来てくれて、空嬉しいな!前の子はもう動かなくなっちゃったから、空つまんなかったの」

「前の、子?」

「うん。ほら、そこにいるでしょ?」


通路の端に顔を向けると、途端に悪臭が鼻を掠めた。何かが腐ったような、夏の生ごみの臭いを色濃くしたような……亜梨沙はペンライトを向けてしまった。そして見てしまった。

半分虫に喰われた、骨と皮ばかりに痩せ衰えた子どもの死体を。


「……ぐっ、うぇ……!」


亜梨沙はえづいた。吐瀉物が胃の中から迫り上がり、消化しかけの朝食が口の外へと流れていく。漂う死臭に鼻を摘んでも、こびりついた臭いは脳の端に容赦なく残って消えてくれない。


「……っ、うっ」

「やだー、お姉ちゃん汚ーい!」


きゃははは、と無邪気に笑う幼女に戸惑いを隠せない。なんでこの子は笑っているの?人が死んでるんだよ?


女の子の手を勢いよく振り払う。空はきょとんと目を瞬かせて、また笑った。


「ねえ、何して遊ぼうか?鬼ごっこ?隠れんぼ?空はねえ、パパと違って鬼ごっこの方が好き!」


何処までも無邪気な様子に狂気を感じ、慄いた亜梨沙は口を拭い一目散に駆け出す。空は惚けたように口をぽかんと開けてから、ああ、と納得したように微笑んだ。


「鬼ごっこするの?空が鬼なのね、うふふ、待って待って!」


きゃはは、とはしゃぐ声が後ろから追いかけて来る。それは一定の距離を保って、着かず離れず追いかけて来ているように思えた。そう、まるで獲物をいたぶる様に、弄んでいるかのように。


ふらふらしながらも亜梨沙は必死で走った。あはは、うふふ…と幼女の笑い声が耳にリフレインする。近くにあった扉の中に駆け込んで、バタンと扉を閉めた。


「お姉ちゃーん?空開けられないよ、開けてよー!」


ドン、ドン、と扉を叩く振動がドア越しに伝わってくる。ドアノブを握って耐えていると、やがて空は諦めたのか静かになった。しん、と耳の奥が痛くなるような静寂が場を支配する。


「.……ふぅ」


一息ついた亜梨沙は、念の為内扉にあった鍵をかけてから部屋の中を見渡した。そこは最初に目覚めた部屋よりは常識的な家具が置いてあって、一見普通の部屋のように見えた。


棚には本が埃を被っていて、机の上には紙きれが落ちている。亜梨沙は紙きれを拾ってそこに書いてある文字を読んでみた。


『思い出を切り取る』


「……もしかして、宝物のヒント?」


亜梨沙は最初の部屋から持ち出したノートをもう一度確認した。


「薄くて軽いもので、思い出を切り取ったもの……あ」


写真、かな?思い当たった亜梨沙は部屋の中を探し回る。写真立てやアルバムがないかと辺りを見回すも、それらしきものは無かった。


一体どこに……と、そこで更に一枚の扉を見つけた。入って来た側と反対に位置するそれは木製の上品な扉で、埃に塗れた城の中で唯一丁寧に手入れされているように思えた。


冷たい金属で出来たドアノブを回そうとしたが、何かに阻まれて上手くいかない。どうやら鍵がかかっているようだ。


「どうしよ……」


もう一度部屋の中を探し回ってみる。机の引き出しの中、椅子の裏、本の一冊一冊を時間をかけて探していくと、本棚の一番上の奥に鈍色の鍵を見つけることが出来た。


「これ、合うかな」


祈るような気持ちで鍵穴に鍵を通す。鍵はしっかりと差し込まれ、ガチャリ、と硬質な音がして静かに扉が開いた。


「……わあ」


開いた先は書斎のようだった。本棚には難しそうな本が並んでいて、立派な書物机が部屋の中央に配置してある。右側の壁はカーテンで覆われていて、仄かに太陽光が差し込んでいた。


ここに来てから初めて見た光に、亜梨沙は駆け寄ってカーテンを開く。……窓の外には廃墟が広がっていた。


朽ち果てた、という表現がしっくりくるような荒れ具合だった。柱の壊れたジェットコースター、枯れた庭園に塗装の剥げたキャラクター、遠くの方には錆びた観覧車も見える。


ここは廃園になった遊園地なんだ。


物悲しい景色にしばらくの間見呆けていた亜梨沙だったが、ハッと思い当たり窓の開閉が可能か確認をした。


残念ながら窓ははめ殺しになっていて、しかも窓の中に針金が走っている。頑張って割っても外に出ることは叶わなそうだ。


「.……はあ」


気を取り直して部屋の中を捜索する。本棚にはパッと見たところ、外国の書物や難しそうな分厚い本しかなかったので、先に立派な書物机を調べてみることにした。


いや、調べるまでもなく、とても存在感のある物が机の上に置いてあった。

随分古めかしい分厚い表紙のそれを手に取りページをめくると、写真が貼ってあった。どうやらアルバムのようだ。


中はかつての新しく美しかった遊園地の風景や、そこで楽しげに遊ぶ親子連れの写真で一杯だった。


最早見る影もなく寂れてしまった廃園地に、寂しい気分を募らせながらページをめくっていく。


「あ」


見知った顔がそこに写し出されていた。本間宗佑と綺麗な女の人が、空と手を繋いで笑っていた。


家族写真、なのかな。端に日付が印字してある。10年も前の物らしい。

後のページを見比べてみると、空は時々写っていたが、本間と奥さんと思しき人の写真はさっきの一枚きりしかなかった。


一番最後のページには、また紙が挟まっていた。


『欲しいのは一つだけ』


「欲しいのは一つだけ……」


書いてある通りに呟いてみる。このアルバム自体が宝物じゃなくて、一枚だけ選べってこと?それとも写ってる人物も一人だけじゃないとダメなのかな?


考えあぐねていると、くぐもったような鐘の音が聞こえた。ゴーン……ゴーンと低いそれはビリビリと窓ガラスを振動させる。


迷っている場合じゃない。本間さんの居場所も見つけなきゃいけないんだから。

亜梨沙は一番印象に残った家族写真をノートに挟んでポケットに押し込むと、1枚目の扉を通り過ぎて2枚目の扉の鍵を開けた。


ガチャリと音が鳴り扉が開くと同時に、小さな白い手が伸びてくる。ドアノブにかかっていた亜梨沙の手は簡単に捕らえられてしまった。


「お姉ちゃん、つーかまーえたーぁ」


ニタリ、と空が嗤う。触れた場所から冷たさが染み込むような感覚がして、手を振り解こうとするもがっちりと捕らえられている。


「つーかまえた、捕まえた!お姉ちゃんの負けだね!」


負け。その言葉に何か、とてつもなく恐ろしい意味合いがこめられていると直感的に感じた亜梨沙は、がむしゃらに手を振る。


「離して!!」

「えへへぇ、ダメだよ、無駄だよ、無理だよ。もうお姉ちゃんは帰れないんだから。ずっと空とこのお城で暮らすの。ずっと、ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずうーっと!!!」


焦点の合わない眼、壊れた人形のように笑う空は亜梨沙の腕を音がなる程ギチギチと締め付け、亜梨沙は食いちぎられそうな錯覚を与えた。

恐怖の限界値を超えた亜梨沙は、細い腕目掛けてナイフを振りかざした。


ナイフはまるで果物でも切るかのように抵抗なく手首を裂き、骨を露出させた。不思議なことに血は一滴も出ていなかったが、力は弱まった。

それを腕づくで振り解くと、亜梨沙は小さな体を押し退け一目散に走り出す。


「あー!お姉ちゃん、ズルはいけないんだよー!?お姉ちゃんは負けたの!負けたの、負けたから空の好きにするのおおお!!!」


空はおよそ幼女ではあり得ないスピードで追いかけて来た。半分取れた手を左右に振りながら、宙を滑るように移動する様は人間離れしている。


誰か、誰か助けて!どこに逃げればいいの!?とにかく来た方向とは反対側に駆けながら、亜梨沙は闇雲に通路を進んでいく。


きらり、と光が見えた気がした。また鏡の反射かもしれないと思いつつも、とにかくその方向へと走っていく。

その光は大きな両開きの扉から漏れ出ていた。外だ!


勢いを殺さず体当たりしながら扉をこじ開けようとする。重い扉を必死に押す最中、猛スピードで白い影が迫る。


「逃がさないよーーぉ!!!」


開いて!お願い開いて!!!

渾身の力で扉を押すと、光が広がり外の世界へ足を踏み出せた。空の手が伸びる。亜梨沙は構わず扉を閉めた。


「開けてー!開けてよーぉ!!」


まるで痛みなんて感じていないかのように、ただ開けてと繰り返す空の腕は半ば程で扉に挟まれていた。


切れた手首から先を出鱈目な方向に折り曲げながらうごめいていた腕は、やがてパタリと動きを止めた。


「あれ?動かなくなっちゃった。お姉ちゃん、空の手動かないよー、ここを開けてー?」


残った手で扉を叩く音がする。亜梨沙は恐る恐る扉から身体を離すが、空の手が動く様子はない。


痛む手首を摩ると、そこには小さな手形がついて変色している。

内出血でも起こしていそうに真っ赤に腫れ上がっていて、もう少しナイフを振り下ろすのが遅ければ骨を折られていたかもしれなかった。


心の冷える想像を頭を振って振り払うと、気を取り直して扉の外の世界を確認する。


鈍色の空、色褪せた灰色の景色の中、温かみのある電球を灯すメリーゴーランドが、オルゴールの小箱のような音を鳴らしながらくるくると稼働していた。


「……」


そのメリーゴーランドは綺麗だった。使い込まれた気配はするものの、よく手入れされている。他の園具との余りの違いに、違和感が拭えない。


馬の模型が上下しながら旋回していく。一体誰が動かしているのだろう。亜梨沙はゆっくりと近づいて駆動板の上に飛び乗り、辺りを見回した。


「あ」


ゴンドラのような箱の中に、見覚えのある癖っ毛が見えた。駆け寄ってみると、そこには悪戯っぽく笑う本間がいた。


「やあ。宝物は見つけられたかな?」


狭い空間に精一杯身体を折りたたんできた本間は、亜梨沙に見つかるとゴンドラを降りて一つ伸びをした。その余裕な態度がムカつく。


「あったよ、これのことじゃないの」


ノートの間から取り出した写真を手渡すと、本間は懐かしそうに目を眇めた。


「…由良……」


本間は聞こえないくらい小さな声で呟くと、私に視線を合わせた。


「君の勝ちだよ、亜梨沙ちゃん。あの広いお城の中から、よく僕の宝物が見つけられたね」


完敗だよ、と両手を上げてみせる本間は自嘲的な笑みを浮かべていたけど、私にはそんなことはどうでもよかった。

怖い思いをさせられて、一刻も早くここから立ち去りたかったから。


「私が勝ったのなら言うこと聞いてよね!家族のところに返して!」


「いいよ、それが約束だからね。ただ、その前に一つだけ」


本間が何かするのかと身構えたが、彼はただ立って私を見つめるだけだった。


「ねえ亜梨沙ちゃん。永遠に変わらないものってあると思う?」


永遠に、変わらないもの……


「そんなものは、ないよ」


母さんが大事にしてた宝石だって無くなっちゃうし、地球だって温暖化がヤバイし、一生親友だって思ってた子は転校しちゃうし。


本間さんから考えれば大したことない人生経験かもだけど、永遠に変わらないものなんてないから、だから今あるものを大切にしなきゃいけないと思うんだよね。


本間は亜梨沙の言い分を聞いて、少し沈黙した後に写真を胸ポケットにしまい手を押し当てた。


「そうか。そうだね……その通りだ。きっと僕が間違っていた。そしてその事を、どうしても認められなかっただけなんだ」


本間は何がおかしいのか優しげに笑う。


「亜梨沙ちゃんなら、そう言ってくれるかなって思ってたんだ」


やっぱりこいつ、私の事を知ってるんだ。もしかしたらどこかであった事がある?


疑問を掘り下げる暇もなく、本間は亜梨沙から取り上げたスマートフォンを彼女の手のひらの中に戻した。


「このまま真っ直ぐ行くと園の外に出られる。しばらく道なりに歩くと、電波が入るようになるからね。そこまでは脇目も振らずに走るんだ。決して振り向いてはいけないよ」

「え?どういう……」

「さあ、行って」


とん、と肩を押されてメリーゴーランドから降りるように促される。思わず本間を見上げると、ライターで煙草に火をつけて、煙を肺いっぱいに吸い込んでいた。


「聞いてたよね?行かないと燃やしちゃうよ?」


本間は煙を私に吹きかけた。ゴホゴホとむせている間に彼は足で煙草の火をもみ消すと、背を向けて歩き出してしまった。


「なんなの!あいつ……もう知らないっ」


亜梨沙はそっけない本間に悪態をついて、本間の向かった廃墟の城を見上げる。元は白亜だったであろう城は灰色に変色し、装飾が欠けたり柱が折れたりしている。


亜梨沙が閉めた扉の隙間に、まだ子どもの手が挟まっているのが見えた。


ぞっと背筋が震えて、さっき教えられた通りの方向に駆けて行く。一刻も早くあの奇妙な生き物から離れたかった。


メリーゴーランドから遠ざかり、壊れたゴーカート広場を抜けようかというところで。


「パパ!」


嬉しそうな子どもの声が聞こえて、ハッと振り向く。本間は扉を開けて空を抱き上げていた。


「あ……」


二人はお互いを見あって笑い合う。空に抱きつかれた本間の片腕がダラリと垂れ下がるのが見えた。空は嬉しそうに本間に話しかけていたが、やがて全身を弛緩させて動かなくなる。


本間は壊された片腕をそのままに、空を抱えて城の中へと入って行った。


「……」


このまま二人を行かせてはならない、そんな気がした。けれど亜梨沙は、なんとも形容できない悪い予感からその場から動けない。


ドン!!と大きな音がして、ビクリと肩を竦める。ゴォ、と城の奥から火の手が上がり、窓ガラスの奥に炎が舞い踊るのが見えた。


「……っ!」


亜梨沙は走り出した。城の方へ向かって。


扉を押し開けようと体重をかけるがビクともしない。内側に引いてみても同じだった。


「本間さん!返事をして!」


扉を力任せに叩く。先ほど掴まれた腕が痛くなるくらいに叩いても、扉は沈黙を保ったままだった。


「きゃあ!」


バリン!と勢いよく隣の窓ガラスが割れた。そこから中を覗くと、もう城の中は一面火の海だった。


「…もう、バカ、バカ、バカッ!!」


亜梨沙は最後にもう一度扉を叩いてから、メリーゴーランドを抜けて、ゴーカート広場を通り過ぎ、割れたモニュメントの脇を走って園の外へたどり着く。


城は燃えていた。塔の天辺まで火が燃え広がり、ガラガラと崩れては火の粉が隣の建物にも燃え移って行く。


亜梨沙はもう振り返らずに、道を辿った。




スマホで連絡を取った私は、あの後家族と合流できた。


父さんの車は無事だったみたいだけど、旅行は取りやめて帰ることになった。翼は不満気だったけど、しょうがないよね。


警察からは簡単な事情聴取の後解放され、念の為にと私は病院に連れて行かれた。

戻ってきた車の中、母さんが心配そうに私を見てくる。


「それにしても、あの遊園地に行ってたなんて想像もできなかったわ。亜梨沙は小さい頃あそこで遊んだことがあって、覚えてる?迷子になって当時の園長に保護して頂いたのよ。随分お世話になったんだけど…なんて名前だったかしら」


母さんは心配したときとにかく話したがるので、好きにさせていると気になる話をし出した。


「私、小さい頃あそこで遊んだの?」

「そうよ、やっぱり覚えてないのねえ。あの後すぐ廃園になっちゃって、二回目に行く約束をしたけど果たせなくなっちゃったのよ。園長さん、優しそうな人だったけど奥さんと娘さんがお亡くなりになったとかで、その話があってすぐ園を閉めちゃったらしいわ、気の毒な話よね」


その後別の話題に移っちゃったけれど、私はずっと窓の外を見ながら思い浮かべていた。優しそうで、哀しそうな彼の笑顔を。



お読み頂きありがとうございました!少しでも涼しくなれますように。

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