第12話 last night
「いたか」
灰色のスーツの男は、モニターの輪の中心の椅子で、マガ●ンを読み飽きたらしく、下でばらばらとめくりながら自分はそれを見ずに、モニターを見ながら、監視している一人に尋ねる。
「依然として見つかりません」
その人が答えると、灰色のスーツの男は、「そうか……」と、失望の声を上げて頭を下げる。
「なあ、次のマガジンはまたか」
男が独り言のようにぼやく。
「明日でございます」
その部屋のドアが静かに開き、一人の女の人が部屋に入ってドアを静かに閉める。
「そうか」
男はそう返すと、腕時計を見る。
「今日はここまでだ」
男が言うと周りの、モニターを監視している人たちはうなずく。
「今日はもう帰っていい」
「あの」
一人が立ち上がる。
「何だ?」
「すみませんが……」
立ち上がった人は、戦々恐々としていた。
「ためらわないで早く言え」
「そ、その、今日、報酬の日でしたね」
「報酬?……そうか、そうだな、明日用意する」
「そ…うでございますか、ありがとうございます」
人は、ぎこちなく礼をする。男は、かん高い声を張り上げる。
「まぁ……、報酬を受け取る代わり、私に体当たりしたにもかかわらず謝ってくれないあの無礼な女を、見つけるのだ……!」
その男の顔は、年配の感じがした。
ハルスは、おぼんにご飯とお茶とたくあん、梅干し、お味噌汁を乗せて、階段を上る。部屋のドアをひじで開ける。
「隸」
部屋で仰向けに横たわっている治は、返事をしなかった。
「隸、返事をしなさい」
ハルスは、治を見下ろして言う。
「あ……んだよ……」
かすれかすれの声で、治は答える。
「晩ご飯よ」
ハルスはそう言い、しゃがんでおぼんを床の、治の頭の横に置く。
「痛い?」
「だ……れのせいだよ」
「隸の」
治の返事を待たずにハルスは、はしでご飯をつまんで治の口元まで持って行く。
「口、開けて」
治がゆっくりと口を開けると、ハルスははしをその口の中に入れる。
「おいしい……?」
ハルスは心配そうな顔をする。治の口からはしを抜き、改めて尋ねる。
「おいしい?」
「あ……あい」
「そう」
ハルスはそう言い、ご飯をもう一回はしでつまむ。
「実は、明日行かなければいけない事になって」
ハルスがそう言うが、治は何も言わない。ハルスは、そんな治を見守る。
「なぁ……」
1分くらいたって、治はやっと口を開く。
「ご飯」
「あっ、ごめん」
ハルスはそう言い、はしを治の口に近付ける。
「ねえ……、明日の朝、早起きできる?」
「でき……るかよ」
「後で治す」
「今…」
「もう、めんどくさいのに」
治が口を開ける。はしを入れて、との心算だったのだが、ハルスははしを、自分の口の中に入れる。
「おい……!?」
びっくりした治が何か言うが、ハルスははしをおぼんに置いて立ち上がる。わきから杖を取り出し、治を見下ろし、治に向ける。
檸檬は、着物を着て、自宅の椅子に座っていた。
右には大きな窓から、月が部屋を照らしている。その部屋の明かりは、ついていなかった。
檸檬は、左にひじをかけているテーブルの上の、茶碗を右手に取る。
「月の光って、きれいねぇ……」
檸檬はそうつぶやき、茶碗の茶を飲む。
「いつかしらね、人が夜を白くして洋服を着るようになったのは」
檸檬がそうつぶやく矢先に、携帯電話がなる。檸檬は、茶碗をひじをかけているテーブルに置くと、その横の携帯電話を手に取る。
「もしもし、岡田です」
「ああ、社長!」
電話からは、救済を求めるような、そんな感じの声がした。
「どうしたの、廣本」
「実は、今会社の株が下がっておりまして」
「どれくらい?」
「3000円くらいです」
「……もうちょっと静観して」
「はい」
向こうから電話を切ってきた。檸檬は携帯電話を閉じると、椅子から立ち上がって窓の外を眺める。窓の下からは、広葉樹にも等しい植木がたくさん見えた。
と、その部屋のノックの音がする。
「入って」
檸檬が言うと、一人の中年の、スーツを着た女が部屋に入る。
「また部屋の電気をお切りになられて……」
女はそう言い、黙って電気のスイッチに手をかける。その部屋は、白くなった。
「蚊虻がたかりますので、カーテンをお閉めに……」
「分かった」
檸檬はそう言い、窓のカーテンを閉める。
「あ、いえ、社長様がなさらなくでも……」
「ねえ」
檸檬は、窓の外を眺めて、言う。
「あなた、秘書をやって何年?」
「5年でございます」
「5年もあって、私の会社もすいぶん成長して……」
「はっ、左様でございます」
秘書が答えると、檸檬は一呼吸おいて続ける。
「しかし、わたしはその代価を失いつつあるのかもしれない」
「はぁ……?」
「明日……、失いつつあるものが、家に来るから、用意をして」
「それは何でございましょうか」
檸檬は、ゆっくりと、後ろの、秘書のいるほうを振り返り、秘書の目を見つめる。
「真の友達」
「起きてよ」
治は、ハルスに体を揺らされる。
「あ、おはよう、ございます」
治はあくびをしながら上半身を起こす。かたわらにはハルスが座っていた。
「隸」
ハルスが言うと、治はざっと立ち上がる。
「な……何ですか」
「今、何時」
「何時って…、ええと、5時45分です」
部屋のかけ時計を見ながら、治は答える。
「着替えて」
「あ、はい」
見るとハルスは、もうすでにパジャマから着替えていた。しかし、それは。
「その格好で、学校に行くつもりですか?」
ハルスは、黒いマントに、白いカッターシャツ、茶色のスカート。おとつい会った時と同じ姿であった。昨日は一日中パジャマか母のお下がりの普段着だったので、昨日は全く見ていないことになるのだが、やっぱり一日でも欠けると、初めて見たような気分になる。
「さっさと着替えて」
「は、はい」
治は慌てて、たんすの方へ行く。服と下着を取り出し、それからぴたりと止まる。
「どうしたのよ」
「あっ、あの、恥ずかしいので……」
「あっ、ら、そう、ごめん」
ハルスは恥ずかしそうに頬を赤らめて、部屋から出る。
「早く着替えてよ」
「はっ、はい」
治はさっさと着替えを終える。
「着替えました」
「そう」
ハルスは再び、部屋のドアを開けて入る。
「じゃ、行くわよ」
ハルスはそう言い、手ぶらのままで部屋を出る。
「あっ、ちょ……」
「ランドセルはいい」
ハルスがそう言うと、治も、おずおずと手ぶらで部屋を出て、ドアを閉める。
「ねえ、一番近くの公園はどこ」
家を出てから、治はハルスにそう尋ねられる。
「あっちです」
治があすこを指差す。
「案内して」
「はい」
治は、歩き出す。
もうすぐ6時なのだが、5月、もうすぐ夏至の6月である事もあり、空は明るかった。
公園に着いた二人は、ハルスのうながしで、公園の入口から見て左のペンチに座る。向かいにもペンチがあり、こっちにも向こうにもペンチの後ろに藤が植えてあって、時計台は向こうだけに立っている。ペンチは2つ、公園あわせて4つあり、二人は、入り口に近い方のペンチに座っていた。入り口の向かいには川が流れている。入り口の方の道路を、白い車が一台通った後は、閑静としていた。
「ねえ、治」
ハルスに名前を言われる。
「何ですか」
治が答えると、ハルスは重々しく言う。
「ねえ、会ったのって、いつだっけ?」
「はぁ……、おとといです」
「おととい」
ハルスはそう言い、上を眺める。雲が浮かんでいた。
「雲は、自由ね」
「はい」
「……実はわたし、魔法使いなの」
「知ってますよ、そんな事」
「それで……、わたしには、倒さなければいけない組織がある」
「えっ?」
「その組織の名は、壁虎……」
「はい」
ハルスは、今度はうつむく。
「……わたしは、あの日の復讐のために、この世界にやってきた」
「えっ?」
驚く治を横目に、ハルスは続ける。
「でも、あなたの家は駄目。存在がやつらに知られてしまった」
「と、ということは……」
治の顔が、ばああっと輝く。ハルスは、そんな治の顔を向く。治は慌てて、表情を戻す。ハルスはしばらく口を閉じていたが、やがて重々しく言う。
「忘れてもらうの」
「えっ?」
無理にまじめな顔をしていた治の顔は、今度は自然に、疑問の顔になる。