第11話 by kiss
「当然の事とは思いますが、校内での暴力は、厳禁です」
玄関の隅で、一人の少年、一人の少女は、一人の先生に声をかけられる。
「四月一日先生」
治が声を上げる。治はハルスにぼこぼこにされていた。
「そうなの」
ハルスはつんと言い、その場から去ろうとする。
「待ちなさい」
四月一日先生がハルスに言う。
「零時君に謝りなさい」
「何でですか」
ハルスがつんと返すと、四月一日先生はいらっとする。
「当然でしょう。生徒を虐げたら、陳謝して然るべきものなのです」
その四月一日先生の使っている言葉の意味が分からず、ハルスは首をかしげる。それを、四月一日先生は、なぜ謝らなければいけないのか考えているのか、と思った。
「道徳で習ったでしょう、公正信義に信頼する行動を、みなする義務を有するのです」
四月一日先生が補足するが、ハルスはさらに首をかしげる。
「訳のわからない事をおっしゃらないでください」
「訳が分からない!?」
四月一日先生は眼を丸くする。ハルスは、文章の意味が分からないと言ったつもりなのだが、四月一日先生には、公正信義というものの存在意義が分からない、と聞こえた。
四月一日先生はしばらく考えていたが、やがてぼやく。
「問題児ですね」
その言葉がぎんと、ハルスの耳に刺さる。
「も…問題児ですか?わたし、問題児ですか?羽美ちゃんみたいな問題児ですか?」
ハルスは泣きそうな顔をする。
「とりあえず、今は謝りなさい」
四月一日先生がそううながす。ハルスは、治の方を向く。しばらく口の方がむすむすしていた。何よ。下の者に謝るの?こいつなんかに謝るの?
「謝りなさい」
ハルスは、ぐっと手を握る。問題児ですね。問題児ですね。問題児ですね。ぐっと目をつぶり、大きな声で治に言う。
「ごめん」
ハルスは、空を見上げていた。
問題児なのかな。わたしって、問題児なのかな。
ハルスの後ろには、自分のものに加え、ハルスのランドセルを手に抱えている治が追従していた。二人は、夕方、住宅街の道を、家に向かうところであった。
ハルスは後ろを振り向く。
「ねえ、治」
「何だよ」
「敬語」
「あっ……」
治は、昨日、今朝を思い出す。
「そ…そうでしたね」
ハルスの専制によりやむを得ない。ハルスは続ける。
「わたし、問題児なの?」
「はい?」
治は目を点にする。いや、びっくりしたのではなく、回答に詰まったのである。問題児に「問題児ですか?」と聞かれ、はいと答えたら暴力を受けるに決まっている。でも、いいえと答えたら……。今後の横暴を考えると、背中がぞくっとした。でも、今受けるよりはまじか。治はそう考え、答える。
「いいえ」
ハルスは立ち止まる。
「ご主人様に、嘘をついてはいけません」
「え?」
夕日を背に立ち止まった治に、ハルスは杖を向ける。ハルスは、治をにらんでいた。
「ひぃ!」
治は真っ青になる。
問題児ですね。問題児ですね。問題児ですね。ふと、ハルスの頭に四月一日先生の言葉がよぎる。目の前の治はおびえている。自分におびえている。…………。
「怖いの?」
ハルスは表情を変え、心配そうな顔をする。
いかん。これは罠だ。俺にむりやりはいと言わせるつもりなんだな。俺を殺す理由を作ろうとしているんだな。すっかりの被害妄想で、治は震えながら後へ一歩すさる。
「い……いいえ、いいえ、いいえ!!」
「そう」
怖くない。相手は怖くない。しかし相手はおびえた顔をしている。ハルスは、治は、よほどの負けず嫌いだと感じた。怖いんだ。相手は怖いんだ。問題児。自分は、問題児。
「そう……」
ハルスは杖をわきに収め、うつむく。
「ど……どうしたんですか」
「何でもない」
ハルスはそう言い、うつむいたまま、方向を戻し、歩を進める。
問題児ですね。問題児ですね。問題児ですね。
「ねえ、わたしにして欲しい事って、ある?」
治の部屋で、いきなりハルスにそう尋ねられ、治はびっくりする。あのハルスがこのセリフをしゃべるなどありえない。昨日と一変している。いつから?いつから?
「ねえ!」
ハルスは治の顔に近付く。あと少しで唇が接触しそうな近さで、哀愁満ちた顔でそう言われ、治は顔を真っ赤にする。
「ど……どうなったんですか、一体」
何が起こったか分からない治に、ハルスはさらに尋ねる。
「ねえ!」
何か言わないと、まだ機嫌が戻ってしまう。いや、今のままの機嫌をずっと維持してほしい。ということは、今すぐ答えないと……。
「ねえ!」
ハルスのあたたかい息が、治の口にかかり、治はどきっとする。答えないと。答えないと。答えないと。
「そ……それじゃ、おとなしくしてもらおうかな」
治はそう言ってすぐ、後悔した。殴られる。いや、ハルスがやるには殴られるの域を超越している。治は、自分の頭を手で覆う。目をぐっとつぶる。顔は、真っ青になっていた。覚悟。
「わかった」
ハルスは治から離れ、とぼとぼと、そばのベッドに座る。
「え?え?」
治はそんなハルスを見て、何がなんだか分からなかった。
「と……とりあえず、俺はちょっと下へ」
「待って」
ハルスは立ち上がる。
「ご飯の手伝いでしょ?わたしが代わりにする」
「え?」
治はためらう。そんな治の一連の態度をまとめて、ハルスは再び治を壁に迫る。
「わたし、怖いの?怖いんでしょ?」
性格は非常に悪いのだが、顔はとってもかわいい。ピンク色の瞳。ぶにっと突き出ている鼻。薄いピンクの唇。ピンクにてらっているほっぺた。治はどきどきする。
「怖いんでしょ?」
「あ……、はい」
心臓が止まらない治は、考える事もままならず、ぼんやりとした意識の中で答える。
「私、嫌いになっちゃった?」
「はひ……はい」
「そ、そんなぁ……」
ハルスはうつむく。
「ねえ……、わたしのこと、どう思っているの?」
「ええと……」
頭の血が多すぎで考える事もままならぬ治は、言葉を選んだりせずに、答えなきゃ、という一心に任せて、言う。
「暴れん坊……、怖い、そばに行きたくない、早く死んでほしい……でも……」
「そうなの」
ハルスの顔は、急ににっこりとする。
「正直に答えてくれてありがと」
問題児ですね、という記憶は、一時にして海馬につまみ出される。
「えっ……」
一変したハルスを見て、治は顔を真っ青にする。
「死んでほしい?私に死んでほしいの?死んでほしいんだ」
ハルスは、杖を取り出す。
「じゃ、あんたが先に死ねば」
ハルスは、杖を治に向ける。
「死ね」
一変したハルスの顔を見て、ああ……今夜も楽しい夜になりそうだ、と治は思った。
先ほどの「でも……」の続きに「とってもかわいいし……」が続くなんで思わずに、ハルスは容赦なく、治を楽園へ案内する。
その部屋。血。瀕死の重体に陥った治を、ハルスは見下ろす。
"ねえ、ハルちゃん?檸檬よ"
ハルスの頭に、別に考えもしていないのに突如文章が浮かぶ。テレパシー。
"なに?"
ハルスは、横になった治をまたいて、治の机の椅子に座る。
"ハルちゃん、そろそろうちに引っ越したら?"
"えっ?"
"ハルちゃんがこの世界に戻った事が、敵に知られたみたい"
"えっ!?"
"だから、少なくとも居場所を知られないために、結界を張った私の家へ"
"そ、そう……"
ハルスは、後ろで横たわっている治を眺める。
"明日にでも"
「ねえ、ごはんよ」
今度は頭からではなく、耳から言葉が来た。母。
"わかった"
ハルスは檸檬にそれだけ返すと、立ち上がる。
「はーい」
ハルスはそう答え、そして5月の夜空を眺める。
"ねえ、ハルちゃん、ちょっと、ついてに明日、あれを消してくれる?"
"えっ?なんで?"
"だって、ちょっと悪いけど、治君はもともと知る必要がないから"
"えっ……?"
"それと、小学校に通うのも間違いだったみたい、敵に知られてしまったから、ごめん、今すぐにでも手続きをとるから"
"えっ!?"
「えっ!?」
その非情な言葉に対し、ハルスは、頭で念ずると同時に、声も出てしまった。ハルスは椅子に再び、座りこんでしまう。
「明日……」
ハルスは再び、後ろの治を眺める。