事件報告書File.14「銀抗強盗」
――七月二十一日 午前十一時五十五分。
聖マクシマン学院。
それは東京都区内某所にあり、広大な敷地を誇る小・中・高一貫のキリスト教系私立の女子学校だ。周囲を赤いレンガの高い壁に囲まれた、乙女たちの聖域。
敷地内には、同じくレンガ造りの建物が建ち並んでいる。大正期のモダンな建築様式の三階建ての校舎は、最近になって大規模な耐震工事が施された。古い外観の中に、最新設備の並ぶアンバランスな建造物に変容してしまった。卒業生の中には、嘆く者も多いと聞く。
木々が生い茂る奥まった場所には、学院創設者の旧邸宅がある。屋根に葺かれた銅板が緑青を帯び、深い緑色に変色している。
学院創設者、エルメンヒルデ・フォン・ハノーファー・カレンベルクが晩年を暮らした家は、国の重要文化財にも指定されている。
その手前にあるのが、中・高の大勢の女子生徒が寄宿する女子寮。上空から見ると横に倒した十字架の形になっている。校舎と同時期に造られた由緒ある建物。
東一階の部分は大食堂と娯楽室になっている。西一階は大浴場とボイラー室があるが、ボイラー室は使われなくなって久しい。以前は各部屋に蒸気の配管を引き込み、暖房として利用していたが、今はエアコンが取り付けられて不要となっていた。
温水の供給も、五年前に電気給湯設備が導入され、二十四時間の使用が可能になった。これにより、各階の洗面所で温水が使えるようになった。早朝や深夜にもシャワーが使えるようになったのだ。
革新的な進歩! 老シスターが給湯器を前に、顔を上気して寮の生徒たち一人一人に自慢していたのは、今でも語りぐさになっている。
他には、北一階には礼拝堂があり、日曜日の朝にはミサが行われている。南一階は職員の住まう場所と学生の集会場がある。
女子寮、西三階の一部屋。
「栗林 桃花!」
園城寺 晶は思わず相手の名前を叫んでいた。
「ハイィ!」
名前を呼ばれて、桃花は何故か嬉しそうな表情を浮かべる。飼い主に甘えるときの猫のよう――晶の彼女に対する感想だ。ノドをさすればゴロゴロと鳴らしてしまいそう。
この部屋に音もなく侵入をした彼女は、既に学園の制服を身につけていた。変装のつもりなのか、昨日とは違い黒縁の眼鏡を掛けている。
「そうじゃない! 何をしているの、あなたが!」
晶は、胸に貼り付く桃花を引き剥がそうと試みる。しかし、強い力でしがみついていて全く動かない。自分の胸には、一体何ガウスの強力磁石が仕込まれているのだ――小さな体なのに、その原動力は何処に隠されているのだろうか――秘密を探る晶だった。
「園城寺さんの護衛デス!」
ハッキリとした声で、しかも笑顔だった。あまり豊かではない晶の胸の感触を味わっている。
「護衛?」
晶には理解が出来なかった。
昨日は自分の機転で、どうにか逃げ出すことが出来た。パーティー終了後も母に寄り添い、伯母の車で寮にまで送ってもらう始末だ。
いつもは娘から邪険に扱われている母が、妙にベタベタしてくる晶の様子に当惑していたのを思い出す。
自分でも失敗した――そう反省する晶だった。久しぶりに母に甘えていた。でも、嬉しそうだったパトリシアの顔が忘れられない。
翌日の早朝、すなわち今朝。
寮に届けられた朝刊を全紙確認した。テレビは娯楽室でしか見られない。それも夜の七時から九時までの二時間だけだ。
パソコンを持たない晶には、娯楽室にある新聞だけが唯一の情報源となる。晶の携帯電話でもインターネットの閲覧が可能だが、通話とメール機能しか使いこなせていない。そのくせ、銃器の種類はシルエットでも見分けが付く。知識の偏食ぶりには自分でも呆れていた。
新聞には大石 亮介衆議院議員の動向は載っていなかった。極めて平和な記事の数々。少なくとも、殺されてはいないことが確認出来てホッとする。これだけが気がかりだったのだ。
「ソウ、護衛です。園城寺さんの身を僕が守ルンです!」
晶の胸から顔を離した桃花は、目を爛々と輝かせてそう言った。
てっきり、自分を口封じに来たと思っていた。それ以外に理由は見当たらないのだ。
「あなたは、未来から来たメイド型ロボットなの?」
「へ?」
晶の問いかけの意味が分からない桃花だった。少し抜けた顔で聞き返してくる。
「あなたの目的が理解出来ないわ。昨日は、私を殺そうとまでしたのに……。今日になったら、今度は護衛の任務なの? それとも、他の殺し屋メイドロボの魔の手から守るために、私の子孫が未来から同タイプのロボットを派遣してきたの? ねぇ、答えて! 教えて!」
晶は桃花の頬をつまんで横に伸ばす。餅のように柔らかくて感触の良い顔面だった。強い力でしがみついていた彼女が身体を離し、部屋の床に正座する。
「事情を説明しマス。昨日、大石亮介衆議院議員はアノ後、警察署に直接逃げ込みマシタ。保護を求めるト同時に、受託収賄の罪を全面的に認めたのデス。ソレに昨日の夜の段階と、現在とでは背後の力関係が微妙に変化してイマス。総理は自身ノ保身の為に、大石議員の殺害を命じマシタ。コレは我々との契約には無い許されざる行為デス。私利私欲による命令には、我々の『組織』も抗わざるを得ナイ」
一気に喋る桃花の顔を見つめる晶だった。話が突飛すぎて理解出来ない。もっと、かみ砕いて説明を願いたい――晶も膝から座り、桃花の手を取る。
「ハヒィ! ボ、僕の手を握って何をされるのデスカ!」
何やら盛大に勘違いをしている。彼女の手を晶の服の下にでも、潜り込ませると思っているのか。
「ごめんなさい。あなたの話は、私には俄に信じられない事ばかりなの……そもそも『組織』ってなあに? あなたは、そこに所属している殺し屋だと理解していいのね?」
晶は可哀相な幼子を、慰めるような口調で言った。哀れむ目で見つめていた。
「ナンカ、ムカツク態度ですね。でも、愛する園城寺さんの言葉なら、ムシロご褒美です。コンナ僕にもっと酷い言葉を投げかけて下さい! イエ、汚い言葉でなじって下さい!」
桃花のコロコロと猫の目のように変わる態度に、晶は困惑していた。妙に芝居じみている――未来のロボットでも感情表現は難しいのかしら――反乱軍の使わした護衛ロボットを見つめての感想だった。
「先ほどのあなたの言葉を正直に受け取るならば、大石議員の殺害を命じた倉田総理の立場が危うくなったと云うことなのね。そこで権力の委譲が行われた。すると近々、総理の交代がありえるのね?」
晶は自分の解釈を述べると、桃花は黙って頷いた。
「ならば、どうして私に護衛が必要なの? 収賄事件の事は新聞で知っている。総理が疑惑の中心に居たのに、罪を大石議員が被ってその件は全て解決したんじゃないの?」
目を真っ直ぐに見据えられて、桃花は身体を震わせていた。気持ち悪い子だわ――晶の偽らざる所感。
暫く思案をする護衛ロボ。
「メンツなんデス……」
唐突に桃花が口を開いた。彼女の組織でも見解はまとまっていないのかもしれない。
「面子?」
「ソウ……。総理が利用していた『組織』は我々ダケではありません。僕たちの場合は、総理の更に上位に位置する権力機構の意思が介在しマス。ソコは園城寺サンの身辺が危ないと判断して、年代の近い僕を派遣したのデス」
「そう云う物なの?」
晶の言葉にニッコリと微笑む桃花だった。そして、笑顔のまま残酷な言葉を吐く。
「園城寺サンは夏休みの間ハ、寮に留まっていてクダさい。護衛任務の妨げになりマス。アナタには選択の余地はナイ。コレハ、オ願いではナク命令デス」
「え?」
晶は真顔で聞き返す。夏休みにも寮に滞在するのは息が詰まりすぎる。生徒会長に、学年代表に、寮生代表。優等生を演じ続けるのは流石に疲れる。自宅に戻って、チョットは自堕落な生活に浸りたいのに……晶は不満を口にしようとした。
「でも一旦、自宅に戻るのデショウ? 僕は園城寺さんのゴ家族にお会いしタイ! 会って僕を紹介してくだサイ!」
桃花は再び晶の手を取ってお願いしてくる。
その時だった。
「ここにいらしたの……晶様ぁ~! 昼食に向かいませんかぁ~?」
ドアが勢いよく開き、入ってきたのは一年生の倉田 真優と云う生徒だった。確かこの子は……。
それよりも、部屋の中で晶と桃花が仲良く手を取り合っている姿を認めて、真優の銀縁の眼鏡の奥が光るのを、晶は見逃さなかった。
その真優は、姿形も優等生の見本である先輩の晶を真似ているのだ。本来は栗色で天然パーマの髪の毛を、黒く染めて縮毛矯正している。
自分の肩口までの髪の毛の先を一つまみ摘んで、目の前に持ってきていた。彼女が考え込むときのクセなのだろう。頭の中では、晶と桃花の関係性を探っている。
「倉田さん。こちらは、今日より寮に入られることになった栗林桃花さんです。引っ越しされた田村さんの部屋に、住まわれます。えーと、学院では二年生でしたか? 私が栗林さんを指導するようにと、シスターに依願されています」
晶はシスターから告げられた、桃花の紹介文を忘れてしまっていた。真優には一応の状況説明をする。ただの隣室の住人であることを、一言添えておく。
「ソウです。二年生デス」
桃花は晶に向けて表情を変えずに言って、その後真優を睨みつけていた。しかし一年生の真優の方も、一歩も引かないたくましさを発揮する。
「ねぇ~晶お姉様ぁ。食堂ではぁ~地方に帰省される方々に向けて、カレーパーティーが開催されていますよぅ~。私もぉ~夏休みからは公邸に引っ越すのでぇ~、晶様にはぁ~お別れの挨拶を兼ねてぇ~いるのですぅ~。行きましょう。行きましょう」
真優は、座る晶の右手を引っ張る。
そうだ、この倉田真優は倉田源一郎総理の孫なのだ。国家公務員である晶の父の最高決定機関の長であるのは違いない。だが、政治家の孫である事実を何かと自慢された過去がある。基本はよい子なのだが、所々が鼻につく。寮生代表であり生徒会長の自分に近づき、今では生徒会の書記に収まっていた。油断ならない計算高い娘。でも、有能であり人心の掌握力に長けている――真優に対する晶の正確な分析だった。
「園城寺さん。ムカツク話し方をスル一年坊主ですネ」
桃花は真優に向けていた厳つい顔を戻して、晶を見つめる。本人が目の前でも遠慮がない。
晶は真優の顔を見る。見る見ると真っ赤になっていく顔と耳。恥ずかしさではなく、怒りの感情だ。早く切り上げねば――晶は思う。
「では、三人で仲良く食堂に参りましょう」
晶はこの場を収めるために、仕方無くそう言った。桃花の手を払い、真優の手を取って立ち上がる。
◆◇◆
――午後零時五十分。
聖マクシマン学院 校門。
「離れなさい! 栗林桃花! 何度同じ事を言わせるのですか!」
「ヤです……」
園城寺晶は、先ほどから自分の腕に捕まっている少女に向けて同じ命令を繰り返していた。しかし、一向に言うことを聞かない。
学院の生徒たちが遠巻きに二人を見つめている。晶と桃花のただならぬただれた関係を目撃して、やきもきしているのだ。
二人して学院の校門をくぐっていた。レンガ製の門柱に「私立聖マクシマン学院」と彫られた大理石製の表示が掲げられている。アーチ状の鉄門が開き、今の時間は少女たちを外界にいざなっている。
寮の大食堂では、厨房食材の在庫一掃カレーパーティが開催された。夏休みの間にも、少数の生徒は寮に留まるので食堂も開いている。しかし、大勢の生徒に対応した食材を使い切るために、毎年同時期に開催されるのだ。
ビーフに、ポークに、チキンに、シーフード……各種のカレーライスが食べ放題だ。
メニューに並ぶのはカレーライスだけではない。生野菜をふんだんに使ったサラダに、厨房シェフが腕を奮うデザートも堪能できるのだ。
この日は寮生以外にも解放される。女子生徒だけとは云っても食べ盛りの年頃だ。夏休みを前にパワー充電に張り切る女子一群の熱気に、当てられた晶だった。
ちなみに、倉田真優は大食いしていた。ヤケ食いと言っても良いレベルの食べっぷりを披露していた。食べるだけ食べて、一人で先に帰ってしまった。
「イイエ、護衛の為です。ピッタリとくっつかナイと……」
桃花は、ここぞとばかりに晶へ寄り添う。学院の敷地からは既に遠く離れていた。それでも、学院内からの歓声なのか悲鳴なのか、高い声が響いていた。
面倒くさいから、晶は振り向くことはしなかった。
「本当に、私の自宅までついてくるの?」
晶は、夏休み中は寮に滞在すると母親に断らなければならなかった。最初は電話を考えたが、電話先で卒倒されるのも――帰宅した父の迷惑になると諦めて、自宅に戻り説得を試みる。
「エエ、ソウですぅ~お姉様ぁ~」
桃花は真優の口調を真似して、ケラケラと高らかに笑っていた。
初対面時から、馬が合わない同士なのだ。真優が引っ越して寮を出ると聞かされて、安心する。
そうだ、その真優だ。
「あなたが小馬鹿にしている倉田真優は、総理のお孫さんよ……」
だが、桃花は表情を変えない。
「知ってマス。倉田総理は孫の真優の周囲に危害が加わるのを案ジ、首相官邸と同じ敷地内の公邸に招き入れたのデス。学院前に停まってイル黒塗りの車と黒づくめの男タチ。総理が私費で雇った、ボディーガードですネ」
桃花は一気に言った。彼女の組織は全てを把握しているのだろう。多分、自分の両親の事も裏の裏まで知っている。娘も知らない刑事の父と音楽家の母の馴れ初めも、情報を入手しているに違いない。
晶は校門を出るときに、豪華なリムジンの内部を横目で観察していた。中に居た人物は警察関係者でないことが一目で分かる。その筋の者たちだ。刑事の娘には簡単に見分けることが出来る。
だから桃花は、自分にピタリとくっついているのか――得心をする。
「……ありがとね」
晶は小声で、おかしな護衛に感謝の言葉を述べていた。しかし桃花は反応しない。
「尾行されてマス」
「え?」
思わず後ろを振り返りそうになって、桃花に頭頂部の髪の毛を掴まれた。
「え!」
そのまま桃花に唇を奪われる。流れるように自然な動作だった。手慣れているわ! コヤツ――晶は驚かされる。
チョット待って! ここは、学院から少し離れてはいるが公道上だ。往来も多い。平日の真っ昼間から女生徒同士のキスを見せつけられて、通行人の男性が、立ち止まってドギマギしている。これでは、学院の悪い噂が周辺に広まってしまう。昼の日中から女の子同士がキスしていると――何とかせねば――晶は考えるが、割とテクニシャンの桃花の絶妙な舌技に翻弄されてしまった。
どうにか首をそらして唇を逃がす。桃花の口が追いかけて来たが、後ろを向いてひらりとかわす。
後ろを歩く黒ずくめの厳つい男と、目が合った。真新しいスーツは着こなされていない感が満載だ。男はバツが悪いと思ったのか目を背け、回れ右して車の方向に戻っていった。
その先、数人の学院の生徒がこちらを指差してキャーキャー叫んでいた。
二学期になって、大勢の生徒の前に晒されるのがおっくうだと思ってしまった。
そして、寮に戻るのが恐いと感じていた。
◆◇◆
――午後一時十五分
都内某所 雑居ビル二階。
「邪魔するよー!!」
店の自動ドアが開くなり、一人の男が明るい店内に大股で勢いよく入ってきた。
茶色いベレー帽を被った店主の佐島 和博は、椅子に座ったまま、訝しげに男の身なりを観察する。いかにも怪しい格好だった。上下黒のジャージ姿で、銀のネックレスやブレスレットをぶら下げている。
「佐島銃砲火薬店」のあるこの場所は、ビル街の奥まった場所にあり、派手な看板も出していない。雑居ビルの二階全てが店舗になっている。エレベーター内部に店名が申し訳程度に出ているだけだ。この店に入ってくる人物には、一定の目的があるのは明白だ。
だが、客である以上は無下には出来ない。
「いらっしゃい。何をお探しでしょうか?」
立ち上がった佐島は努めて笑顔を作り、揉み手で尋ねる。しかし、用心は怠らない。店主は、銀色の鉄格子に囲まれた事務所内に留まったままだ。訪問客は、ガラスケースに収められている散弾銃やエアーライフル銃に向かう事となる。
佐島の足元には、周囲に異変を知らせるフットスイッチがある。押せば、大音量で警報音が鳴り、契約している警備会社が五分以内に急行する。更には、この場所と通りを挟んだ反対側の位置に警察署があると云う、恵まれた立地だ。
「狩猟用とクレー射撃用とは、銃が違うのかね?」
男はそう言って、店主の控える事務所に歩み寄る。
「散弾銃なら基本的には一緒です。取り回しや装填する弾の違いがあるだけですね。狩猟用には水平二連が――クレー射撃用には上下二連が適していますね。今回はどういった目的ですか? お値段の手頃な中古の銃も、当店では取りそろえておりますよ」
店主は笑顔を変えずに対応をする。そもそも、所轄の都道府県公安委員会の発行する猟銃・空気銃所持許可証を持っているのかさえ怪しいのだ。
「弾も一緒なの?」
黒ジャージの男は面倒くさそうに質問してくる。
「クレー射撃や鳥撃ちには、球形の小さな弾が入ったショットシェル弾を使いますね。熊などの大物を仕留めるには、スラッグ弾と言って一発しか充填されていない強力な弾丸もあります」
店主の丁寧な説明に、男は興味深そうな顔を始めて向ける。
「スラッグ弾で人間を撃ったらどうなるの? ねえ?」
そんな質問をされて店主は返答に窮する。至近距離から人間に向けて撃てば、上半身とか下半身がお別れの状態になる。
「ねえ、スラッグ弾の実包はないの?」
男に聞かれ佐島店主は、奧に引っ込み紙箱に入った弾丸を持ってくる。
木製のカウンターの上に少しだけ開いた隙間から、散弾を一つ男に手渡す。
プラスチックのケース内に一粒だけ充填された弾丸であった。
佐島は自分の手元の弾を持って説明をする。
「ここに、小さな鉄球がいっぱい入っているのがショットシェル弾です。狙う獲物別に鉄球の大きさが変わってくるのですよ。鳥から猿、鹿、イノシシになるにつれて球が段々と大きくなるのです。イノシシでも大きくなると、このスラッグ弾でないと仕留めるのが難しい」
「へー」
男は一つの薬莢を受け取ると、珍しそうにのぞき込んでいた。本来なら弾丸一つも触らせる事は出来ないのだが、冷やかしだけの客ならこれで満足して帰るだろうと考えた。
「よいしょと……」
そう言った男は、ジャージの背中部分に手を突っ込んでいた。
「?」
何を始めるのかと、店主は男を注視する。黒ジャージの襟元から取り出したのは鉄パイプだった。店主は非常ベルのスイッチに足を伸ばそうとして考え直す。
鉄パイプも、長さは80センチメートルぐらいだった。振り回しても、突き入れても厳重な鉄格子で囲まれている自分には、危害は及ばないと考える。
パイプも太さがあった。男はパイプの先から散弾の弾丸を中に入れる。
「!」
店主が男の目的に気が付いたときには手遅れだった。
鉄パイプの片側の終端部は厳重に閉じられてあった。その横には、針金とバネで作られた簡単な機構が取り付けてある。
「カチリ」
機構の作動する軽い音。
その後は、店主には意識がなかった。いや、生体反応が無くなっていた。
轟音と同時に、鉄パイプの反対側から散弾が射出されて、近距離から腹部に食らった佐島和博の上半身はズルリと床に崩れ落ちた。
「おーい! おーい!」
役目を終えた鉄パイプを床に投げ捨てた男は、ジャージズボンのポケットからスマートフォンを取り出し、通話アプリを起動する。
複数人と同時に通話していた。
直ぐに、仲間と思われる三人が到着する。三人とも似たような身なりだった。極めてゆったりしたカジュアルな服装を、だらしなく着込んでいる。
「早くしろよ!」
黒ジャージが仲間を即す。
「よっしゃ! 任せときな!」
グレーのパーカー姿の男は叫ぶ。それと同時に、佐島銃砲火薬店の内部に派手な発動機の音が響く。混合ガソリンのオイルの焼ける臭いが漂い始めた。
エンジンカッターは派手な火花と音を立てて、店主の居た場所の鉄格子をスパスパと切り裂いていく。
残った白いTシャツの二人は、大きなハンマーを振り回し、散弾銃が収めてあるガラスのショーケースを次々と破壊していく。
黒ジャージの男は木製カウンターを飛び越えて店の奥に侵入した。
「入るだけ、入れとけ!」
黒い革袋をパーカーの男に手渡して、散弾銃の弾が入った箱を詰めさせる。
「よいしょと……」
黒ジャージは店主の死体をまたいで、店の奧にある厳重に鍵が掛けられたロッカーの前に立つ。今度は彼がエンジンカッターを駆動させ、鍵の部分に刃を入れていた。火花が散る。
「こんぐらいでいいかあ?」
ガラスケースからの散弾銃を、根こそぎ大きなカバンに詰める白いTシャツの男たちだった。
「二連銃だけにしとけ、後は捨ててイイ!」
リーダー格と思われる黒ジャージは、ロッカーの中から外装が黒いプラスチックで作られたオートマチックの散弾銃を一丁取り出した。
『MPS AA―12』は、八連装のマガジンが装填できるフルオートの銃だ。
黒ジャージは、予備のマガジンも取り出して自分のバッグに放り込む。
そして、銃に装着してあるマガジンを外し、八発の散弾を詰めていた。
コレに倣い他の仲間も、気に入った銃を一人ずつが選び出し弾を装填する。
――午後一時三十一分。
「店長……お昼から戻りました」
店の入り口前のエレベーターが開き、男性が一人降りてきた。カラフルなニットの帽子を被っているのは、この店の店員だ。しかし、店内の異様な雰囲気を感じて自動ドアの前で立ち止まる。
「俺が殺る」
黒ジャージは、カウンターを飛び越えて店の入り口に立つ。自動ドアが開き、固まっている店員にフルオート散弾銃の銃口を向ける。
ゆっくりと引き金を引いた。
◆◇◆
――午後一時四十五分。
都内某所 警視庁官舎二十四階 園城寺家。
「うふふ、うふふ、うふふふふ」
先ほどから気持ち悪い笑い方をしているのは、晶の母親の園城寺パトリシアだった。
「何よ、お母さん!」
自分の客人として栗林桃花を紹介してから、万事この調子だった。一方、娘が夏休みに寮に留まると言っても、さほどショックを受けて無かったのは幸いだった。少し寂しかったりもする。
生徒会の……二学期の文化祭の準備の……寮生代表として……言い訳を幾つも用意していたが、それらは無駄になってしまった。
来客者をもてなすために、晶は帰りしなに買ってきたケーキをお皿に取り分ける。母親にはコーヒーメーカーの作った液体をカップに注ぎ分ける作業を任せた。これぐらいの簡単な仕事は出来るだろうと、甘く見積もったのだが失敗だった。
「ガッシャン!」
カップがキッチンの床に落ちて、派手な音がしていた。
「お母さん! 危ないから触らない!」
慌てて素手で破片を拾おうとする母親を、叱りつける。
「ハイ!」
直立不動の姿勢を取って、娘の指示に従うパトリシアだった。
「お母さんは音楽家なのですよ! もし、指でも怪我したらどうするのですか!」
「ハイ……反省してます……」
そう、しおらしい態度をとるが、娘から見えない方の口の端から小さく舌を出す。しかし、その方向には食器棚のガラスがあって、晶からは丸わかりであった。
全く反省の色が見えない。晶は憤慨し、再び叱る。
「お母さん!」
「でもね、お母さんは嬉しいの……晶ちゃんは、今まで一度もお友達を家に連れてきてこなかったでしょ……お母さんは心配していたの、晶ちゃんは友達一人も居ないんじゃないかとねぇ……」
わざとらしく首を傾ける仕草が憎らしかった。晶はキッチンに常備してあるホウキとチリトリとを持って来て、コーヒーカップの破片を片付ける。よくあることなので慣れきった作業だった。
「園城寺サン! 眺めが良いデスね!」
リビングの開け放たれた窓の先。ベランダに立つ桃花が大声で叫んでいた。
「そうなのよ~。もうすぐ花火大会が見られるのよ~。その時、来る~?」
母はリビングを突っ切って、ベランダに出る。サンダルを履いて二十四階からの見晴らしの良い外を指差していた。下には運河の水路が広がっている。
晶は三人分のケーキとコーヒーカップの載ったお盆を持って運ぶ。リビング端のテーブルに並べる。
「お母さん、桃花。早いけどお茶にしましょう」
「ハーイ!」
元気の良い返事が二つ並んだ。
「そうなの……お父さんとお母さんを亡くされたの……」
母は今にも泣き出しそうな勢いで、桃花の身の上話を聞いていた。そうだった。彼女は両親を失ってしまったのだ。そこに自分たちの母娘の関係を見せつけてしまった――反省しそうになって晶は考えを改める。彼女の家族の話が真実とは限らないのだ。危うく騙されそうになったと、自分を諫めていた。
「ハイ。でも、パトリシアさんのようナ素敵な方とお知り合いにナレて嬉しいです」
「うんうん。わたしをお母さんだと思っても良いのよ。ウチの晶ちゃんは、わたしの事を散々バカにするの。お母さんだって意地があります! 晶ちゃんの替わりに桃花ちゃんをウチの子にしようかしら……」
パトリシアは晶をチラチラ見ながら、モンブランのマロングラッセを口に放り込む。そうだ、この人はいつも大好物の品から先に口にする――母の生態を思い出す晶だった。
「パトリシアさん。このケーキ美味しイです」
桃花はイチゴのミルフィーユを食べることに夢中になっている。生クリームが鼻の頭に付いていた。
晶は人差し指で桃花の顔のクリームを取り、深く考えずに舐めていた。
桃花はポカンとその様子を眺めている――失敗した。桃花にはご褒美だったと、晶は思い出す。
しかし、生クリームは上等な品だった。何時も美味しい。
官舎であるタワーマンションの前、個人経営のケーキショップでケーキを購入した。母に来客がある時の、晶の役目だった。今度は、自分の初めての来客者だった。
ガラスのショーケースに並ぶ、たくさんの小さな可愛らしいケーキ。それを選ぶときの桃花の顔が、嬉しさで弾ける様を思い出す。彼女には、そういう経験は少なかったのだろう。
「晶ちゃんはレアチーズケーキ? 牛乳嫌いなのに、チーズや生クリームが好きだなんて変なの!」
パトリシアは、晶のケーキをフォークで刺してつまみ食いをする。
「牛乳とクリームチーズは違う食べ物です!」
「違わないわ。どっちも牛さんのお乳でしょ……」
自分の偏食にはとっくに気が付いている。母とはいつも子供のような言い争いが始まってしまう。
「お母さんは、ピーマンとニンジンが食べられないでしょ!」
「うーん! また、晶ちゃんてば!」
パトリシアは両手で、娘の肩をポカポカと殴っていた。
「ウフフ……ウフフフ……」
桃花はその様子を見て笑っていた。笑うとこんなにも魅力的なのに――晶は桃花の顔を見つめていた。
その時、開いた窓から涼やかな風が吹いて来た。制服姿の二人の少女のスカートが揺れる。今日は珍しく黒デニムのホットパンツとタンクトップだけの母の、長い金色の髪の毛が揺れる。ついでに胸も揺れる。その姿を見つめている桃花は鼻の下が伸びていた。
「オ母さん。大きな胸ですネ……触ってもイイですカ?」
晶は桃花のよこしまな願望を感じ取って、彼女を睨む。
「いいわよ……大きすぎて困っているの……肩が凝って凝って……」
母はそう言いながら晶の顔をチラ見する。完全に勝ったとのドヤ顔だ。
「ウワ~気持ちイイ……」
桃花はイヤらしい笑みを湛えたまま、パトリシアの胸の感触を楽しんでいる。赤いタンクトップから突き出した二つの高まりの重さを確かめるように、両手で下から持ち上げていた。タンクトップには白抜きの文字で『MILK』と書いてある。
「ケッ!」
晶は悪態を吐きたい思いだった。
「あ、そうそう晶ちゃん。お願いがあるの……銀行さんに行って、お金を降ろして来てくれないかしら?」
母からの突然の申し出だった。
「え?」
先ほどの件もあって、キツイ表情で母親を睨んでしまった。
「ご、ご免なさいね。お母さんがカードを入れると何故か戻って来ちゃうの……。それに、通帳も記帳しなさいと銀行さんからお手紙が来たのよ。今はお金が無くてピンチなの! 夏休みに入って晶ちゃんが戻ってきたら、全部やってもらおうと思ったけど、直ぐに女子寮に帰っちゃうんでしょ。お金が無いと、月末には何も食べられなくなってしまうの。でも、お父さんには内緒よ……」
嗚呼、母はそう云う人間だった――晶は思い返す。公共料金などは全て銀行引き落としにしてある。母には任せられないので、父が全てを管理しているのだ。
そして、母に一度クレジットカードを持たせたら、直ぐに限度額一杯まで使ってしまった過去がある。
「お母さん! お父さんが、先月に渡したお金が残っていないの? 一体何に使ったのよ! また、無駄遣いしたんでしょ! 今度こそは、お父さんに言ってキツク叱ってもらうから!」
母親を思いきり責め立てる。パトリシアは涙目になっていた。この図を他人から見たら、義理の娘が、若い継母を虐めているようにしか受け取れないだろうな――晶は客観的にこの状況を、俯瞰的な第三者の目で眺める。
残念ながら、れっきとした血の繋がった実の母親なのだ。
「晶ちゃん! お父さんにだけは言わないで! お願い……この通り……」
パトリシアは椅子から飛び降りて、板張りのリビングに土下座する。額を床に擦りつけていた。前屈みに低い姿勢となって、胸が潰されて横からはみ出している。
何もかもが憎らしい――椅子から降りた晶はタンクトップからのぞいている剥き出しの脇腹を思い切りつね上げる。
「イタイイタイ! 晶ちゃんイタイよ!」
「お母さん言いなさい。キャッシュカードの暗証番号は何番ですか?」
冷たい声での突き放した言い草だった。母は身体を起こす。
「○○○○……よね……。ATMさんが、お母さんに意地悪してるの?」
パトリシアは、自信無さそうに四桁の数字を言った。父と母の結婚記念の日だ。番号は合っている。
「数字は合ってます。じゃあ、カードを見せなさい!」
「ハイ! 待ってて……えっと……」
母は立ち上がり、夫婦の寝室へと向かった。彼女の財布の中にキャッシュカードが入れてある。
「お姉様ァ~。お母サマに厳しすぎるのではアリませんの?」
一連の母娘の模様を見ての桃花の感想だった。
「そうよねぇ~。桃花ちゃんもそう思うよねぇ~」
早足で戻って来たパトリシアは、派手な赤色の長財布を差し出して来た。彼女の持つバッグと同じ有名ブランドだ。ほんの少し前には、こんな高級財布は持っていなかった。
「お母さん! この財布はいつ買ったの?」
母は途端にシュンとなる。
「一週間前よ……。でも、とてもカワイイでしょ。この色は限定品だって、今しか買えないって、お店の人が言ってたの……」
晶は何も言わず、母親をキツイ目で睨んでいた。嗚呼、これで目付きが悪くなってしまうんだわ――晶は自分の右手を頭にやる。
そして、無言で母の財布の中身をチェックする。現金は千円札が二枚と、僅かな小銭だけだった。高校生の自分の方がまだたくさん持っている。領収書とレシートとポイントカードで財布が膨らんでいた。カード入れのキャッシュカードを取り出す。
「あ……」
晶は思わず言葉を漏らしていた。銀行のこの種のカードには、クレジット機能が付いたタイプもあるが、母の持つのはキャッシュカード機能のみだった。銀行の採用した可愛らしいキャラクターが描かれていたが、所々に亀裂が入っている。
ICカードの金色のチップ部分がパックリと割れていた。コリャダメだな――晶は再び頭を抱える。
「お母さん通帳は? まだ銀行の窓口が開いているから、カードを新しく作り直してもらいましょう。同時にお金を降ろしてきます。印鑑は? それとも私の、家族用の代理人カードで降ろして来ようか?」
晶は時計を確認してそう言った。
――午後二時五分。
口座のある銀行の支店は、警視庁の官舎から歩いて五分の距離にある。十分に間に合う時間だと判断する。
「桃花、銀行まで付き合ってくれる?」
「ハヒィ!」
晶の問いに桃花は緊張して答えていた。ただ、銀行の窓口に向かうだけなのに……。
「お母さん! お金は幾ら必要なの?」
パトリシアは聞かれてビクリとなる。
「じゅ……、ご、五万円……」
最初は十万円と言おうとしたな――晶は母の目を見る。そらしていた。
「二万円でいいわね」
「えー……」
不満そうな声を出したので、右手でゲンコツを作って振り上げて見せた。
咄嗟に避ける動作をする。母、パトリシア四十歳だった。
◆◇◆
――午後二時五十五分。
○○銀行○○支店。
「そうですか、委任状が必要ですか……」
窓口で長時間待たされてしまった。この無駄な時間は何なのだ――園城寺晶は憤慨する。
家族ではあっても、通帳での引き出しやカードの再発行には、通帳とカードの名義人の記入した書類が必要なのだ。名義人は父の園城寺司。彼の直筆の委任状が必須となる。
更には家族で有ることを証明する身分証が必要だった。学生の晶には、写真付きの学生証と健康保険証が必須だった。場合によっては戸籍謄本まで要求されると説明された。
嗚呼、何もかもが面倒くさい――晶は全てが鬱陶しくなってしまった。
だが、気を取り直す。
「桃花、カードで現金を下ろしてくるから……」
「ウン」
窓口前のベンチに座り、猫の写真集に夢中になっている桃花に声を掛けた。上の空で返事をしている。
晶が銀行内を見渡すと、この時間には窓口客は少なくなっていた。それとは対照的に入り口方向のATMには、長い行列が出来ている。
こちらでも待たされるのか――自宅に帰ったら、母に説教しよう――そう考えた晶だったが、寮の門限が午後五時であることを思い出し自重することを決定した。
「しばらく待って……」
告げようとした――その時。
桃花の鋭い視線が銀行の入り口に向かうのを確認した。晶もそちらを見やる。
全身黒ずくめの四人の大男が、大きな黒いカバンを、それぞれが抱えて大股で入ってきた。真っ直ぐに、こちらに向かってきている。
桃花の黒縁眼鏡の下の目が険しくなる。
「『銀行強盗』です。二階へのエスカレーターに向かって、走って……」
桃花は立ち上がり、晶に小声で耳打ちした。
「え?」
晶が驚いたのは桃花の口調の方だった。ホテルと出会った時と同じ、低くて早かった。これが彼女本来のしゃべり方なのだ――他人の前では演技をしている! 晶は全てを悟る。
『銀行強盗』?
「早く、逃げて」
桃花の言葉を受けても、晶は逡巡する。彼女はどうするのだ? それに、エスカレーター? 晶は振り返り、一階総合窓口の最後部を見る。二階へと向かうエスカレーターが設置してあった。確か二階には、外貨の両替窓口があると記憶する。透明なアクリル板に表示が出ていた。
駆け出そう――思った、その時だった。
「ドン!!」
激しい音が銀行内に響く。黒いキャップを斜めに被った男が、散弾銃と思しき黒い物を持ち、天井に向けて発砲した。
空薬莢が自動で排出される。晶は瞬時に、フルオートの『MPS AA―12』だと認識する。
「シャッターを降ろせ!」
鼻に銀製のピアスをした他の一人が、窓口の女性銀行員に向けて銃口を向ける。
上下二連の散弾銃だ。『ベレッタS686』だと判ってしまう。
ダメダメダメ――ミリタリーオタクの自分を恥じる。
そして――。
銀行支店内にけたたましく響く非常ベルの音。窓口のある一画とATMの並ぶ境界の上から、シャッターがゆっくりと降りてきた。
晶は振り返ってエスカレーターを見た、こちらもシャッターが下まで降りている。僅かばかりの隙間も閉じられてしまった。逃げ道が無くなる。
強盗犯に、銀行員、そして窓口に取り残された客。
晶と桃花も、その仲間入りだ。
二人は巻き上げ式の鎧戸で、外界と完全に遮断されていた。