風鈴が鳴れば
「じゃあお留守番お願いね。行ってくるから」
母がそう私に言った。
「ふふん、お姉ちゃん。
じゃあね、行ってくるから」
妹はわざと母の口真似をして、勝ち誇ったような顔をした。
呆れるほど、優越感が滲み出ている。
妹という生き物は、なぜ姉に対してこう敵愾心を持つのか。
「バイバーイ」
癪に障る笑顔で妹はしゃいだ声を上げ、私に手を振った。
もちろん、クソ生意気なほど口角を吊り上げて。
不貞腐れるように私は「はいはい」と手を振り返し、ため息をつく。
さっさと行ってくれないかな。
親戚も含め、みんながプールの支度をして出ていく。
玄関の引き戸が閉まった後、外から車の扉を開けしめする大きな音が響く。
大きな浮き輪を抱えて、新しい水着を携えて、子どもたちは後部座席に座る。
そんな楽しそうな光景が目に浮かぶ。
私は恨めしく思いながら、居間に戻る。
どうしてこのタイミングで生理が来るかなぁ。
ズドンと重く、チクチク痛むお腹をさする。
亡くなった祖父母の家には、今時珍しく縁側があった。
――チリン。
澄んだ綺麗な音。
一瞬、その音が何か分からなかった。
けど、ぱっと思いついた。
風鈴だ。
あれ? おかしい。この家に風鈴なんてあったっけ?
この家でそんな風鈴という風流なものを見たことがない。
私が実際に住んでいるマンションは、近所迷惑になるからと風鈴は禁止されている。
えてして、ああいうのは屋根の軒先などにつけると聞く。
外を見ると、庭に植えてあるサルスベリの濃いピンクの花が目に入る。
背景には輪郭の濃い入道雲が、夏の濃い青空にくっきりと浮かんでいる。
私はなんとなく風鈴を探す。
縁側まで出てキョロキョロする。
けど、見当たらない。
気のせいだったのかな。
しんと静まり返った家。
——チリン。
見つけた。
ガラス製とかでなく、ちょっと珍しい鋳物の風鈴だ。
軒の端っこの引っ込んだところに、目立たないようにぶら下がっている。
雨戸をすぐしまうところの隣。全然目立たない場所。
もう少し真ん中の方にあっても良い気がするのに。
本当に端っこにある。
ズキ
突如、下腹部に重い痛みを覚えた。
いわゆる、生理痛というものだろう。
(あぁん、もう。最悪)
私は地団駄を踏んで、私は、油と味噌汁の湯気の匂いが残っていそうなキッチンへ行って、天井からぶら下がっている紐を引っ張った。
この家の電気のスイッチはすべてこういう紐だ。
この家の構造は、簡単に言えばサザエさんのお家みたいな感じだ。
それをかなりコンパクトにキュッとした、そんな古めかしい日本家屋で、とにかくこの家全体が暗い。
キッチンだって「台所」という単語のほうがピッタリで、昼間でも灯りがないと薄暗い。
私は水を用意してポケットから母が用意した生理痛の鎮痛剤を取り出した。
忌々しい気分でそれをごくりと飲み込んだ。
あぁ、暑い。体温も気温も。
そのくせ、下腹部にはひんやりとした鈍い重みと熱がこもっている。
すでに初潮を迎えた友達が生理のとき、真夏の教室でこっそりお腹に貼るカイロを貼ってあったのを思い出す。
なるほど、あれはそういう意味があったのか。
カイロでお腹を温めたい。
今度お母さんに言って買ってもらおう。
それから、風鈴のことなんかすっかり忘れて、扇風機をつけた。
カラカラと半分壊れたような音がした。
この家にはクーラーがない。
だから、こんなにも体調がよくないんだ。
このご時世クーラーがないのはキツい。
けれど、母たちは山の麓にある家だから、私たちが住んでいる都会よりは断然涼しいと言う。
まあ、確かに蝉の鳴き声だって控えめだ。
こっちはアブラゼミだけど、あっちはクマゼミ。
ひとたび泣けば騒々しく喧しい。
短い生命を必死で謳歌しようと、存在感を露わにする。
(承認欲求デカすぎだよ)
私は、せんべいのように薄い座布団を二つ折りにして、それを枕にふて寝し始めた。
ねっとりとした湿度を含んだ人工的な扇風機の風が私の頬を撫でる。
うわぁ、駄目だ。
中途半端にぬるくて、余計に気分まで悪くなる。
何もかもが最低最悪。
ついていない。
祖父母が亡くなって十年。
相続税とか遺産とか檀家とか、色々煩わしい大人たちの事情により、この家はもうすぐ引き払うことになっているらしい。
それなら最後にと夏休み親戚一同集まったのだが――。
いかんせんイトコたちはまだ小学生以下。
wifiなんていうものも、ましてやインターネットも繋がらないこの家は最近の小学生たちにとって、退屈でしかたがない。
暇を持て余し、真面目に宿題に取り組んでいる私の邪魔ばかりする。
中学生は小学生よりもやることが一杯あるんだからね。
算数から数学という小難しい名前になった途端、一学期の終わり頃から難しくなってきたし、部活に塾。煩わしい閉鎖された友達付き合いに、急に色気づいた女の子たちの腹のさぐりあい。
大人の階段を登ったのね、おめでとう。
不意に叔母たちはそう祝福する声が蘇る。
なにが、大人の階段よ。私には大人の怪談だよ。
私は毒づく。
目を離すとすぐ喧嘩をする子どもたちに、渋々大人たちは最終日だからと巨大プールのあるテーマパークに出かけることにした。
私もプールを楽しみにしていたんだよ。
TVとかYoutubeのCMでも流れるくらい人気で他県からもわざわざ遊びに来るプール。
それなのに――タイミング悪く、初潮を迎えてしまった。
体調は悪化の一途を辿るだけだし、父親たち男性陣からのなんともいえない視線を注がれ、
小学高学年のイトコたちも微妙な顔で、それでいて妹はニヤニヤと勝ち誇ったような顔で見てくる。
居心地が悪いったらありゃしない。
全然めでたくない!
重たい体。
イライラしていると、だんだんと気怠くて暑くて喉の奥に熱い塊を感じるようになってきた。
ますます最悪だ、吐き気まで感じるなんて。
瞼を閉じて襲ってくる初めての不快感と一人戦った。
大人になんてなるもんじゃない。
――チリーン。
また風鈴の音。
いつの間にか扇風機が止まる。
そして、気づく。
静寂。
夏の田舎は賑やかだ。
鳥や蝉の声がうるさいくらいで、風の音も、遠くから農作業をしている機械音とか、いろんな音に満ちている。
――チリーン。
今度は長く尾を引いて――
風がないのに、どうして鳴るの?
奇妙な不気味さを覚え、私は風鈴に視線を飛ばした。
風鈴は揺れていなかった――。
舌についている短冊も、まっすぐ垂れたまま。
また訪れた静寂。
今度は、しんとして蝉の鳴き声すら聞こえない。
もやもやとした気持ちを抱えたまま、私はとにかく気にしないようにした。
だって、私は初めての生理を迎えて、かなり体調が良くないんだ。
体調が悪い時ほど、悪い方向に考えるというし。
悪い方向――
静まり返る周囲。
気にしないようにしていても、つい耳を澄ましてしまう。
ねっとりとした暑さ。
悪化する体調。
湿った夏草の匂い。
無音。
そっと庭を見た。
天気はいいのに、陽射しもなく、影もない。
どうしてだろう、やけに風景が人工的な舞台装置のように見え始めた。
嘘くさい、ハリボテの――
何かがおかしい。
まるでこの世に一人取り残されたように、あたりは静まり返り、生き物の息遣いが感じられない。
――チリーン。
やけに鮮明に風鈴の音が響いた。
いや、違う。
これは風鈴じゃない。
それに近い音。
なんだろう。
ぞわぞわと全身が鳥肌が立つ。
ざっざっ
突如聞こえたそれは、まるで足音のようだった。
統率の取れている行進。
遠くから何かがこっちにやってくる気配がした。
そう、この人工的な装置の庭に自分以外の生き物がいる――それも大勢!
背中に冷たい汗が流れた。
気づいたら体がガタガタと震えていた。
私は慌てて枕代わりにしていた座布団を頭の上にヘルメットを被るようにして被せた。
ざっざっ
ふと、運動会の入場のために何度も練習した行進を思い出す。
いちに、いちに、ぜんたーい、とまれ。いちに。
そんな感じに、みんなが塊で揃って歩いているような音だ。
――チリーン。
場違いな可憐な高い音が響いた。と思ったら、突然連続して鳴り始める。
リンリンリンリン、リン、リン、リンリン……
規則的と思いきや不規則な音の連続。
不意に、昨日テレビで見た終戦ドラマ、空襲シーンを思い出す。
空襲警報は、都市部ではサイレンばかりらしいが、こういう山間の田舎の地位では寺の鐘や太鼓を鳴らして住民に知らせることがあったという。
どうして、こんなときにそんなものを思い出すのか。
そのうち、さっきの行進みたいな大勢の足音と混ざり合う。
それが徐々に大きくなって、こっちに近づいてくるのだ。
奇妙な音たちはどんどんとその存在感を増す。
無音だからこそ、やけに響く。
音は確実に大きくなり、私に迫りくる。
やだ。怖い。
底知れぬ恐怖。
異様な圧迫感。
頭が割れそうなほどに音は大きくなって、耳に鳴り響く。
ざっ、ざっ、ざっ
こっちへ向かってくる。
鼓動が速まり、統一された足音に自分の心臓の音まで重なる。
背筋に冷たい汗が流れ、下腹部までもがぐっと熱を帯びる。
チクチクする。
私は堪らなくなってお腹を押さえた。
体中に熱いものが駆け巡り、おぞましい何かが身体の底からどっと溢れ出し出す。
身体が倍に膨らんだような気がする。
私は恐怖で身体を縮こまらせると同時に、ねっとりとした不快感が込み上げてきた。
口の中が妙に鉄臭い味がしてきた。
喉が渇いた。
そう思った瞬間、目の前が暗くなり、明るくなり、真っ赤になった。
たちまち汗が噴き出した。
頭がクラクラする。
――チリーン
静寂が不意に訪れた。
「?」
うっすらと目を開けると、そこにはたくさんの足があった。
ぎょっとした。
泥だらけの編み上げ黒の革ブーツ。
軍服であろうカーキ色のズボンの裾はきっちりとブーツに差し込まれ、ところどころ、赤黒い染みが見える。
なんとも底知れぬ不気味なものを感じた。
私は金縛りにあったみたいに全く動かなくて何もできない。
鼻水も垂れてきた。
いや、これは汗?
時が止まったようにたくさんのカーキ色の足もまったく微動だにしない。
そんなカーキ色の彼らに囲まれてしまっている自分。
全身にざわっと突き刺さる視線。
どうしよう、どうしよう。
すごいこっちを見ているよ。
私は涙を浮かべた。
無音。
――ぴちゃん。
水が床に落ちた音。
やけに周囲に反響して、空気を震わせた。
まるで水道の蛇口を止めたのに、しっかり止めきれず、一滴だけ、水を張ったタライに落ちた、そんな音。
――ぴちゃん。
まただ。
——ちゃっぷん、ちゃぷん、ごぼ、ごぼ、ごぼ。
泡立つような音。
「え?」
その時、右足首が何かに触れ、私はゾクッと震えた。
ぬるりとした粘着質な気持ち悪い何か。
そして、やけに鼻につく生臭い匂い。
カーキ色の足元を背景に、ゆらりと赤黒い塊が動いた。
恐る恐る私は足首を見た。
「ひいっ!」
恐怖のあまり、喉から引き攣った声が出た。
私の足首に付着したもの。
いいえ、掴まれている。
自分が見ているものが信じられなかった。
指だ。
血塗られた人の手首。
赤黒くまだら模様になった顔――血まみれの顔の小さな女の子。
床が真っ赤な水たまりのようになっていて、無惨に焼け爛れたように溶けた上半身だけが出ている。
私は声にならない悲鳴を上げた。
目が合った。
その瞬間、背筋が凍った。
眼窩に眼球がない。
真っ暗な闇がそこには広がっている。
暗くて吸い込まれそうな、深淵の闇。
子どもは、にっと口が裂けるほど吊り上げて、歯を見せて嗤った。
思わず悲鳴を呑み込んだ。
歯はほぼ抜け落ち、真っ赤に染まり、唇から赤い糸にに似たものがぶら下がっている。
ぐちゃぐちゃの髪の毛がからまった頭が、ぎくしゃくと揺れていた。
私は動けなかった。
戦慄が全身を駆け巡る。
「あーそーぼー」
唐突に、子どもは喋った。
どこか調子っぱずれな小さい子ども独特の声。
それでも悪意はない幼い子どもらしい無邪気さがある。
「あーそーぼー」
子どもは繰り返す。そして、咳き込む。
ごぼっという音がして喉の奥から何かが飛び出した。
私のすぐ足元に落ちたもの。
目が吸い寄せられた。
ピンク色と鮮血に染まった金糸が織り込まれた御守りだ。
「あーそーぼー」
ぽたぽたとその子の腕から、水と血の混じったものが滴り落ちる。
私はいやいやと首を必死で何度も振った。
――チリーン。
そこに、清い風鈴の音。
子どもがごぼごぼと、静かに赤い水たまりにたちまち吸い込まれていく。
けれど、じっと最後まで私を、その真っ黒な深淵のような闇で見続ける。
恨んでいるのか、悲しんでいるのか。まったく感情の読み取れない闇のような目。
足たちもその音を皮切りに、私に興味を失ったのか一斉に回れ右をして、去っていく。
さっ、さっ、さっ
あの統一された足音で。
庭を通り過ぎていく――。
ブーン
ふいに扇風機が動き出した。
また生暖かい風が私の頬を撫ぜる。
私は汗だくで荒い呼吸をしていた。
元に戻った。
私はよろよろしながら起き上がる。
目の前の庭の風景に、ざわざわといつもの山の賑わいが広がっている。
ひぐらしの鳴く声が聞こえた。
同時に自分の心臓の音がやけにリアルに聴こえてきた。
目の前の景色に、薄らと全体的に黄色い紗が掛かってて、陽は傾いていた。
夏の匂い。
土の匂い。
遠くで犬の鳴き声が聞こえた。
忙しくなく蝉に混じって鳥の鳴き声も聴こえる。
そうか、私はいつの間にか寝ていたのか。
ようやく普通に呼吸ができるようになった。
一体何だったのか?
夢だったのかしら。それにしてはやけにリアルで……。
私の初めて見た生理の血のように、赤黒いと子ども顔。
カーキ色の不気味な男の足。
深く脳裏に刻み込まれた強烈な映像。
再び動悸が激しくなった。
じっとりと冷や汗を掻く。
その時、外から心地良い風が吹き込んで来た。
気持ちいい……。
夢からようやく醒めたような気分になった。
そう、あれは夢。
ちょっとリアルすぎただけよ。
それにしても、汗をぐっしょりかいたせいか、ベタベタしてすごく気持ち悪い。それから、不自然な姿勢で寝ていたせいか、身体もあちこちが痛い。
私は首筋に手を当てて、左右に首を振る。
――チリン。
体がびくんとなった。
それから、さっと自分の周囲を見廻した。
なんとなく生臭い気がしたからだ。
「なにこれ……っ!」
私は息を呑んだ。
自分の周りには赤黒い土を踏みしめた無数の足跡があった。大半が大人の男の人のサイズの足跡だったけれど、その中には子どもの裸足の跡も紛れ込んでいる
私は子どもの笑顔を思い出した。
漆黒な闇を思わせる、ぽっかりあいた眼窩のない目の奥――
おぞましい、ゾッとするような笑顔。
あの子は一体……。
私はそっと触られた足首を触る。
そこで目を疑った。
掴まれた足首には、そこだけ皮膚の色が違う。
薄っすらと青黒い、指の形に。
「ただいま!」
その直後、母たちがぞろぞろと帰って来た。
それからは大騒ぎだった。
なにせ、無数の足跡が室内にあるのだから。
私は困惑した。
結局、誰にも話すことができなかった。あれを説明しようとするとあまりにも信じがたい話だし、みんなに奇異な目で見られるのではないかと思うと、どうしても言い出せなかったのだ。
さっきから大人たちは深刻な顔つきで話し合いをし、事態をかなり重く見ている。
あれだけ五月蝿かったイトコたちも大人同様、血の混じった足跡に恐れを覚えたのか、顔を青ざめ、静かに黙っている。
けれど、妹だけは違った。
「ねえ、お姉ちゃん。何があったの?」
興味津々で私に尋ねた。
無邪気な好奇心を覗かせるキラキラとした瞳。
私は苛立ちを覚えた。
こんなに怖い目に遭った私をこの子は馬鹿にしている――!
そう思ったら、身体がカッと熱くなった。
私は一呼吸おいて、わざと静かに低い声で言った。
「あのね、風鈴が鳴るの」
「ふういん……?」
「違う。風鈴」
妹は、風鈴を知らない。
きょとんとした。
私はそのことに優越感を抱き、話を進める。
「あれがね、鳴るとね、怖い人たちが来るのよ。
そうして連れて行かれそうになったの」
「怖い人……」
妹は鸚鵡返しのように呟き、視線を落とした。
しばらくすると、妹がぼそっと尋ねる。
「鳴るって、その、ちりん、って鈴みたいな音?」
「え? そう」
私は驚いた。妹は風鈴の存在を知らない低学年だし、そもそも音が鳴るものだなんて知らないはずだ。
「あたしも聞いたことある。この家で――」
いつも悪ふざけをする妹の顔がやけに真剣だった。
声もどことなく震えている。
「顔が真っ赤な子ども……」
突然、妹がぽつりと言った。
私は飛び上がるように驚いた。
「あの子――まひるちゃんが夜、夢に出てくるの。遊ぼうって」
「まひるちゃん?」
私は聞き返した。
「うん。この前、死んじゃった子。仲良かったの」
どきっとした。
そうだ。この前、生活科の授業の一環で、この子達は近くの川へ生き物を採りに行った。
そのときに、浅瀬で溺れることがないような川なのに、そこで同級生が亡くなった。
「ねえ、お姉ちゃん。これ見て」
妹が大事そうにポケットから何かを取り出して、こっそり私に見せた。
「ひっ!」
喉の奥から引き攣った悲鳴を上げた。
「どうしたの?」
母がすかさず私に尋ねた。
妹はそっとそれを隠す。
「ううん、なんでもないよ。お姉ちゃんとあたしの内緒話」
妹が屈託のない笑顔を浮かべて否定した。
末っ子の妹に甘い母は、「そう」と次には興味をなくしたように大人の会話に再び加わる。
妹はそっと御守りを見つめた。
「あんた、それどうしたの?」
私は震え上がりながら、妹に声をひそめて尋ねた。
「学校帰りに落ちていたんだ。
だから拾ったんだ。
たぶん、まひるちゃんのだよ」
無邪気に答える妹。
大切そうにそれを見る妹。
おぞましさに私は顔を青ざめた。
なにせ、妹の手には、あの血塗れの子が吐き出した御守りとまったく同一のものだった。
私はパニックに陥っていた。
――ぴちゃん。
不意に、私の耳に水音が広がる音が蘇った。
血の気が一気に引いた。
先日亡くなったまひるちゃん。
あーそーぼー。無邪気に誘う声。
妹が拾った御守り。
確かあの川は戦争のとき、爆弾を投下され、衣類などに火がついた人々がそこに身を投げたと聞く。
前日に雨が降ったせいで、川は増水。濁流が渦を巻いてごうごうと流れていたため、そこでも多くの人が足を取られて亡くなった。
「あそこはもともといるっていうじゃない。
ほら、戦争の時大勢が亡くなった霊っていうの?」
「そうそう。
――この付近、軍部の駐屯地だったんだって。
空襲があったとき兵隊さんも亡くなったとか」
「そういえば、お年寄りは、昔からあの川は浅瀬だけど遊ぶと連れて行かれるから近寄るなって言っていたね」
大人たちがボソボソ囁く噂話。
陰鬱な空気感。
実際、不気味だなと思ったけど、妹に何も被害がなかったから、私はどこか他人事だった。
けれど、考え始めるとまた動悸が速くなる。
ひょっとして、この子がこの御守りを持って、一緒に霊を連れてきてしまった?
まさか。
いくらあんな強烈な夢を見たからって、妹が夢に出た血塗られた御守りを持っていたからって――
こんな突拍子のないことを考えるなんて私らしくない。
そうだ、きっといわゆる、アニメとか漫画の読み過ぎで厨二病になってしまったんだ。
友達から借りた異世界系のファンタジー漫画を読みすぎたせいに違いない。
うん、きっとそうだ。
私は恐ろしい気持ちで、妹の手元に視線を投げた。
でも、妹の手にあの御守りがある――
冷たい汗が背中に流れた。
いや、考えるのはやめよう。
「警察を呼ぼう。これはおかしい」
父がそう言った。
どうやら大人たちは、この無数の足跡は、私が眠っている間に泥棒に入られたのではないかと推測し、結論づけたらしい。
気づけば警察が来ていた。
私は念のため乱暴されていないか、変なクスリを与えられていないか、地元の病院で検査をした。
それから両親は、妹と私を近くのお寺へ祈祷に連れて行った。
もちろん妹の拾った御守りも持って。
そして、風鈴の存在は、誰も知らなかった。
あの夢も、すべて幻だったのか――。
本当、今となってみては、あれが一体なんだったのか分からない。
風のない静寂。
そこに鳴り響く、冷たい鋳物の、あの不規則な音。
チリン――




