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「虫愛づる毒婦」と婚約破棄された薬師令嬢ですが、冷徹王太子の『専属解毒係』に転職したら、溺愛ご褒美が過剰すぎます

作者: 夢見叶
掲載日:2026/01/03

「ヴィオラ、君との婚約を破棄する。今すぐこの屋敷から出ていってくれ」


 王都の屋敷、その煌びやかなサロンに、シリル様の冷ややかな声が響いた。

 私の前に突きつけられたのは、婚約破棄の書類と、絶縁状。

 隣には、私の義妹であるリナが、シリル様の腕にしがみついて怯えたふりをしている。


「……理由を、お伺いしても?」

「とぼけるな! リナの腕を見ろ。君が飼っている不気味な蟲に刺されたそうだ」


 シリル様がリナの腕を捲り上げる。そこには確かに、赤い発疹が広がっていた。

 私は眼鏡の位置を直し、冷静にその患部を観察する。

 ――ああ、これは。


「それは『ベニカミキリ』の分泌液による炎症ですね。私の研究室に勝手に入り、標本の瓶を割ったのではありませんか?」

「言い訳をするな! 君がリナを妬んでけしかけたのだろう! 『虫愛づる毒婦』と呼ばれる君ならやりかねない!」


 毒婦。

 薬師の名門である我が家において、毒の研究は必須だというのに。

 地味で研究ばかりしている私は、いつしかそう呼ばれ、社交界でも浮いた存在になっていた。


「シリル様、お姉様を責めないで……。私が、お姉様の邪魔をしたのがいけないの」

「リナ、なんて健気なんだ……。君のような心優しい女性こそ、次期伯爵夫人にふさわしい」


 二人の世界が出来上がっている。

 私は小さく溜息をついた。

 この屋敷の庭にある特殊な薬草園も、地下の保管庫も、全て私が管理していた。私が居なくなれば、誰が毒草の暴走を止めるのだろう。

 けれど、もう忠告は届かないだろう。


「わかりました。婚約破棄、並びに絶縁、謹んでお受けいたします」

「ふん、潔いことだ。手切れ金代わりだ、北の森にある狩猟小屋をやろう。二度と私の前に顔を見せるな」


 私は書類にサインをし、最低限の荷物――研究日誌と、いくつかの種子が入った鞄――を抱えて、屋敷を後にした。

 背後で、重い扉が閉まる音がした。


 振り返らなかった。

 だって、顔がにやけそうだったから。


(やった……! これで自由だわ!)


 あんな管理の杜撰な屋敷よりも、希少な薬草が自生する北の森のほうが、私にとっては遥かに魅力的だったのだから。


 ◇


 追放から十日。

 私は「北の森」の古びた小屋を拠点に、夢のような生活を送っていた。

 朝は朝露を採取し、昼は森を散策して新種のキノコを探す。夜は誰にも邪魔されず、抽出実験に没頭できる。


「ここは天国ね……」


 今日も収穫がいっぱいだ。籠いっぱいの「月の雫草」を抱え、鼻歌交じりに小屋へ戻る道中だった。

 森の奥、巨大な樹の根元に、異質なものが転がっていた。


「――っ」


 それは、豪奢な騎士服に身を包んだ男だった。

 銀色の髪は泥に汚れ、整った顔立ちは土気色に染まっている。

 何より異常なのは、彼の身体から立ち上る黒いもやだ。


(瘴気? いいえ、これは呪毒……!)


 私は籠を放り出し、駆け寄った。

 男の胸元に手を当てる。冷たい。まるで氷の彫像のようだ。心臓の鼓動も弱々しい。


「……う、ぐ……」


 男が苦しげに呻く。

 放っておけば、あと一時間も持たないだろう。

 私は迷わず、腰のポーチから小刀を取り出した。


「少し痛みますよ」


 男の腕を捲り、ナイフの先で静脈の上に小さな傷をつける。黒い血が滲む。

 私は自分の指を噛み切り、血を滲ませると、それを男の傷口へと押し当てた。

 私の家系に伝わる秘術。『生体中和』。

 私の血には、あらゆる毒を分解する抗体がある。


「ん……っ!」


 傷口が触れ合った瞬間、男が大きく目を見開いた。

 焦点の合わない黄金の瞳が、私を捉える。


「あ……つ、い……」

「じっとしていてください。毒を中和しています」


 常人なら耐えられないほどの激痛が走るはずだ。だが、男は私の腕を掴んだ。

 振り払うためではない。

 逃がさないとでも言うように、強く、強く。


「もっと……くれ……」

「えっ?」


 男は私の手首を引き寄せると、あろうことか、私の指先に唇を這わせた。

 血を舐め取っているのではない。

 まるで、渇ききった喉を潤すように、私の肌から熱を奪おうとしている。


(な、なによこれ! こんな治療法、知らない!)


 私の体温が、魔力と共に吸い取られていく感覚。

 全身の力が抜けそうになった時、ようやく男の顔色に赤みが戻ってきた。


「……ふぅ。助かった、のか」


 男は荒い息を吐きながら、けれど私を掴んだ手だけは緩めなかった。

 至近距離で見るその顔は、見覚えがある。

 王宮主催の夜会で、遠くから見たことのある高貴な方。


「あなたは……ラシード王太子殿下?」

「……そうだ。名を何という」

「ヴィオラ……今はただのヴィオと申します」


 ラシード殿下は、私の名前を反芻するように呟くと、妖艶な笑みを浮かべた。

 先ほどまでの死相が嘘のように、その瞳には強い光――独占欲に似た熱が宿っている。


「ヴィオ。お前を見つけた」

「は、はい?」

「王宮中の医師も、魔導師も、誰も私の毒を消せなかった。だが、お前に触れている時だけ、苦痛が消える」


 殿下は私の指先に、恭しく口づけを落とした。

 それは感謝の儀礼というより、所有の刻印を押すような重さだった。


「私と共に王宮へ来い。拒否権はない」

「ええっ!? 困ります、私はここで静かに研究を……」

「研究? ああ、構わない。王宮の地下に、国一番の設備を用意しよう。希少な素材も、私の権限で全て取り寄せさせる」


 ――国一番の設備。希少な素材。

 私の眼鏡がキラリと光った。


「……その条件、本当ですか?」

「王太子の名にかけて。その代わり、条件がある」


 ラシード殿下は立ち上がり、私を逃げ場のない樹の幹へと追い詰める。

 冷徹と噂されるその顔が、今は熱っぽく私を見下ろしていた。


「私の毒が完治するまで、片時も離れるな。私の許可なく、他の男に触れることも許さん」


 それは、求婚よりも重く、契約よりも甘い、逃れられない命令だった。


 ◇


 王宮に来てから一ヶ月。

 私の生活は激変していた。


「ヴィオ、そろそろ『補充』の時間だ」


 王宮の地下、最新鋭の設備が整えられた特別研究室。

 私が顕微鏡を覗いていると、背後から大きな影が覆いかぶさってきた。

 ラシード殿下だ。


「殿下、まだお昼の分から三時間しか経っていませんよ?」

「公務で貴族たちの相手をしていたら、また毒が疼き出した。……早く」


 殿下は私の返事も待たずに、後ろから抱きしめるようにして、私の首筋に顔を埋めた。

 ひやりとした唇が肌に触れる。


「っ……冷たいです」

「ああ、生き返る……。ヴィオの香りを吸うと、体内の毒が浄化されていくのがわかる」


 殿下の奇病――『呪毒』の治療法は、私の抗体を持つ体液、あるいは肌の接触による直接中和しかなかった。

 最初は指先だけだったのに、最近の殿下はこうして全身で「接触」してくる。

 まるで甘える大型犬だ。でも、その腕の力は逃げられないほど強い。


「あ、あの、殿下。そろそろ離れていただかないと、実験の手元が狂います」

「ならん。このまま続けろ。私は君の『解毒係』として、職務を全うしているだけだ」


 どこがですか。完全に抱き枕にされています。

 けれど、私も悪い気はしていなかった。

 追放された私を、殿下はただの「解毒剤」としてではなく、一人の研究者として尊重してくれたからだ。


「君が改良した『中和ポーション』のおかげで、騎士団の遠征被害が半減したそうだ。父上も感謝していたぞ」

「本当ですか? あれは毒草の配合を少し変えただけですが……」

「無自覚な才女だな。……そういうところも、好ましい」


 耳元で囁かれる甘い声に、心臓が跳ねる。

 最近、殿下の毒はほとんど抜けているはずなのに、接触時間は増える一方だ。

 もしかして、これは治療以外の意味があるのではないか。

 そんな期待を抱きそうになる自分を、私は必死で戒めた。


(だめよ。私は契約上の解毒係。毒が完全に消えれば、用済みになる身なんだから)


 ◇


 その頃、シリル様の屋敷では異変が起きていた。

 美しい庭園の花々が次々と枯れ、代わりに不気味な黒い蟲が這い出し始めていたのだ。


「きゃあああ! シリル様、何これ! 気持ち悪い!」

「くそっ、庭師は何をしているんだ! 早く駆除しろ!」


 使用人たちが慌てふためくが、蟲たちは減るどころか増える一方だ。

 彼らはまだ知らない。

 その庭が、ヴィオラの調合した特殊な忌避香によって、かろうじて保たれていたということを。

 そして、その香の効果が切れるのが、ちょうど今日だったということを。


「ヴィオラ……あの女、まさかこれを予期していたのか……?」

「そうよ! きっとあのお姉様が、出て行く時に呪いをかけたに違いないわ!」


 リナがヒステリックに叫ぶ。

 シリル様は血走った目で、一通の招待状を握りしめていた。

 それは、ラシード殿下の快気祝いを兼ねた、王宮での夜会への招待状。


「……王宮だ。王宮の夜会に、あの女が薬師として出入りしているという噂を聞いた」

「じゃあ、そこに乗り込めばいいのね?」

「ああ。衆人環視の中で、あの女の悪事を暴いてやる。呪いを解かせ、屋敷に戻って掃除をさせるんだ!」


 自分たちの管理不足を棚に上げ、彼らは最後の賭けに出ようとしていた。


 ◇


 そして迎えた夜会当日。

 私は、ラシード殿下のパートナーとして会場にいた。


「どうだヴィオ。今日の君は、毒草の花よりも美しい」

「……殿下、その口説き文句、薬師以外には通じませんよ」


 特注のドレスは、深い紺碧色。殿下の瞳の色と同じだ。

 私は慣れないヒールにふらつきながらも、殿下のエスコートでホールを進む。

 周囲からは「あれが殿下を救った聖女か?」「なんと美しい」という囁きが聞こえる。


 その時だった。


「見つけたぞ、ヴィオラ! この毒婦め!」


 優雅な空気を切り裂くような怒号。

 入り口から、ボロボロの礼服を着たシリル様とリナが、衛兵を振り切って乱入してきたのだ。


「シリル様……?」

「よくも抜け抜けと! 皆様、騙されてはいけません! この女は、実家に呪いの蟲をけしかけた稀代の悪女です!」


 会場がざわめく。

 シリル様は私の前に進み出ると、勝ち誇ったように指を突きつけた。


「君が出て行ってから、屋敷は毒蟲だらけだ! 君が管理していた場所から蟲が湧いているのが何よりの証拠! さあ、今すぐ呪いを解くと誓え! そうすれば、再び婚約者として迎えてやってもいい!」

「そうよお姉様! 土下座して謝れば、メイドとして置いてあげるわ!」


 あまりの言い草に、私は呆れて言葉も出ない。

 けれど、周囲の貴族たちは、半信半疑の視線を私に向けている。

 私は溜息をつき、一歩前へ出た。


「……シリル様。呪いなどではありません。それは『自然の摂理』です」

「な、なに?」

「我が家の庭園には、希少な薬草と共に、強力な毒草も植えられていました。私はそれらが暴走しないよう、特殊な調合肥料と『結界草』でバランスを保っていたのです」


 私は冷静に、淡々と事実を告げる。


「私が去った後、あなた方はその手入れを怠った。あるいは、雑草だと思って結界草を引き抜いたのではありませんか? 管理者がいなくなれば、庭が荒れるのは当然です」

「う……そ、それは……リナが雑草抜きをしたと……」

「原因はそれですね。自業自得です」


 私の言葉に、シリル様は顔を真っ赤にして激昂した。


「黙れ黙れ! 口答えするな! とにかく君は僕のものだ、王太子殿下だろうと、僕の婚約者を奪う権利は……」


 シリル様が私の腕を掴もうとした、その瞬間。


「――不愉快だ」


 氷点下の声と共に、強烈な威圧感がホールを支配した。

 ラシード殿下が、私を背に庇い、シリル様を見下ろしていた。

 その黄金の瞳は、激しい怒りに燃えている。


「殿下、こ、この女は私の……」

「貴様、私の『心臓』に触れるつもりか?」


 殿下の体から、かつてないほどの魔力が溢れ出す。

 シリル様とリナは、腰を抜かしてその場にへたり込んだ。


「彼女は毒婦ではない。私を死の淵から救い出した、この国で唯一無二の『解毒の聖女』だ。そして――」


 殿下は私の腰を抱き寄せ、宣言した。


「私の、最愛の婚約者だ」


「「は……?」」


 シリル様たちの口がぽかんと開く。

 私も驚いて殿下を見上げた。


「それに引き換え、貴様らはなんだ。伯爵家の管理もできず、国宝級の人材を追放し、あまつさえ公の場で虚偽の告発を行うとは」

「ひ、ひぃっ!」

「伯爵家の爵位は剥奪。領地は没収とする。その身一つで、蟲の湧く屋敷から出て行くがいい」


 冷徹な宣告。

 衛兵たちが駆け寄り、蒼白になった二人を引きずっていく。

 会場からは、割れんばかりの拍手が巻き起こった。


 ◇


 騒動が去った後。

 私は王宮のバルコニーで、殿下と二人きりになっていた。


「あの……殿下。さっきの『婚約者』発言、勢いで仰ったんですよね? 私、身分も釣り合いませんし……」


 恐る恐る尋ねると、殿下はふっと笑って、私の手を取った。


「ヴィオ。私の体を見てくれ」

「え?」


 言われて気づく。殿下の肌艶は良く、以前のような黒い靄は一切見えない。


「毒は、とっくに完治しているんだ」

「えっ!? じゃ、じゃあ、最近の接触は……」

「必要なかった。だが、欲しかった」


 殿下は私の眼鏡をそっと外し、素顔の私を真剣な眼差しで見つめた。


「毒が消えても、君への渇きが消えないんだ。君がいないと、世界が色褪せて見える。……これは、どんな毒よりも厄介な病だと思わないか?」


 それは、不器用で、けれど情熱的な愛の告白だった。

 胸の奥が熱くなる。

 研究ばかりしていた私が、こんなにも誰かに必要とされるなんて。


「……その病、私が一生かけて診てあげます」

「ああ。頼む、私の主治医」


 重なる唇。

 それは苦い薬の味ではなく、とろけるように甘い、幸せの味がした。

毒草オタクの令嬢が、自分を捨てた元婚約者を見返し、冷徹王太子に溺愛されるお話でした。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


「ざまぁスッキリした!」「二人が幸せになってよかった!」と思って頂けたら、ページ下の【☆☆☆☆☆】で評価を入れて応援してもらえると、作者が小躍りして喜びます!

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理不尽な婚約破棄を突きつけられながらも自分の知識と技術を信じて前向きに生きるヴィオラの姿がとても格好良かったですが、北の森でラシード殿下を救い出し自らの抗体を用いて治療を行う場面は彼女の専門家としての…
2026/01/03 17:10 退会済み
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