第6話「獣人少女の優しさ」
エリシアのアジトで過ごして五日が経った。
体の傷は、順調に回復している。
肋骨の痛みも和らぎ、歩くのも楽になってきた。
包帯の巻き替えも、毎日エリシアがやってくれる。
その手つきは丁寧で、慣れている。
優しく、でも確実に。
何度も、誰かの傷を手当てしてきたのだろう。
「順調ね」
エリシアが包帯を巻き直しながら言う。
その指先が、優しく傷口を確かめる。
そして——
「ヒール」
小さく呟く。
手のひらから、淡い光が溢れる。
ほんのりと温かい。
回復魔法だ。
光が、傷口に染み込んでいく。
痛みが、少しだけ和らぐ。
「あと二日くらいで完治するわ」
「早いな。エリシアのおかげだ」
「回復魔法の効果もあるのよ」
「たいした効果じゃないけど」
エリシアが微笑む。
でも、すぐに表情が真剣になる。
「完治したら、すぐに出発するわ」
「出発…」
その言葉に、緊張が走る。
ザワッと。
いよいよ、この国を出る時が来るのか。
「ええ」
エリシアが窓の外を見る。
その横顔が、少し険しい。
眉をひそめている。
「町の状況が悪化してるの」
「悪化…?」
嫌な予感がする。
胸が、ざわつく。
「住民たちの間で、あなたを処刑すべきだという声が日に日に増えてるわ」
エリシアの声が低くなる。
拳が、小さく握りしめられている。
ギュッと。
「勇者に成り代わろうとしたその行為自体が、アウロラ様の意に反するって」
「アウロラ様…?」
「大地の神よ。この国の信仰の中心」
エリシアが説明する。
「みんな、あなたはアウロラ様の使者でも何でもないって」
「だから、処刑してもアウロラ様の怒りを買う事はないだろうって」
「むしろ、偽勇者をこのまま放っておくとアウロラ様の怒りを買い、災いがくるんじゃないか、なんて話も出始めてるわ」
「そんな…」
背筋が凍る。
体が震える。
また、理屈を変えて。
また、俺を殺そうとしている。
「しかも、一部の貴族があなたに報酬金をかけたらしいわ」
「報酬金…?」
「ええ。あなたを捕らえて、引き渡した者には銀貨百枚だって」
エリシアが冷たく笑う。
その笑みには、怒りが滲んでいる。
「銀貨百枚は、一般人の半年分の収入よ」
「金に困ってる人なら、飛びつくわ」
「そんな…」
立ち上がる。
でも、足がふらつく。
まだ、体が完全じゃない。
「そう言う話が増えてきてる」
「長居はできない」
「あなたが動けるようになったら、すぐに出発する」
「分かった」
俺は頷いた。
声が震えるのを、必死に抑える。
一刻も早く、この国を出なければ。
生き延びるために。
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その日の午後。
コンコン。
控えめに扉をノックする音が響く。
瞬間、部屋の空気が凍りつく。
シンと。
エリシアが俺を見て、小声で言う。
「タクミ、ベッドの下に隠れて」
(見つかったのか?)
(誰かに、居場所を…?)
心臓が早鐘を打つ。
ドキドキドキドキ。
怪我の痛みを堪えながら這いずってベッドの下に身を隠す。
ズリズリと。
息を殺す。
ハァハァという息が、うるさく聞こえる気がする。
それを確認すると、エリシアがドアに視線を移す。
手が、腰の剣に伸びる。
ガチャリと。
いつでも抜刀できる構えだ。
「誰?」
エリシアが低い声で聞く。
警戒している。
「あの…エリシアさん…?」
幼い、明るい声が聞こえる。
女の子の声だ。
でも、エリシアは警戒を解かない。
エリシアが、慎重に扉を開ける。
わずかな隙間から。
「メル…?」
エリシアの声に、わずかな安堵が混じる。
でも、まだ警戒している。
「エリシアさん、こんにちは!」
明るい声。
子供の声だ。
元気な声だ。
「あのね、お母さんから預かり物があって」
「…そう。入って」
エリシアが扉を開ける。
小さな足音が部屋に入ってくる。
パタパタと。
俺は、ベッドの下でじっとしている。
息を殺して。
動かないように。
「薬草です!」
「ああ、いつも助かるわ。ありがとう」
布の袋を受け取る音。
カサカサと。
薬草の匂いが、かすかに漂う。
(誰だ?)
(子供…?)
緊張で、手が震える。
その時だった。
ガタ。
ズキリと怪我が痛み、思わず俺の足がベッドの脚に当たってしまった。
小さな音。
でも、静寂の中では大きく響く。
「あれ…?なにかいる?」
子供の声が、好奇心に満ちる。
足音が近づいてくる。
パタパタパタ。
(まずい…)
ベッドから垂れたシーツが捲られる。
小さな顔が覗き込んだ。
犬の耳と尻尾を持った少女。
茶色の髪。
大きな瞳。
キラキラと輝いている。
アニメで見たような獣人の姿だった。
「わぁっ!」
メルが驚いて声を上げる。
そして、尻餅をついた。
ドスンと。
「エ、エリシアさん。大変です!ベッドの下に人が隠れてます」
慌てるメルの声。
「大丈夫、私の友人よ」
「そうですか。びっくりしました。でも、なんでベッドの下に……」
また垂れたシーツが捲られ、メルが覗きこむ。
その目が、大きく見開かれる。
「あ、あれ、エリシアさん。この人って、もしかして……」
少女——メルの目が、俺を捉える。
エリシアが小さくため息をつく。
ハァ。
「そうよ。偽勇者。町ではそう呼ばれているわね」
エリシアが頭に手を当てて言う。
その仕草は、バレちゃったか、という感じだ。
メルが、じっと俺を見る。
その目は、好奇心に満ちている。
でも、恐怖はない。
むしろ、興味津々だ。
メルが首を傾げる。
犬耳が、ぴょこんと動く。
「偽勇者さんって、悪い人だって聞いたけど…」
その言葉に、胸が痛む。
やはり、子供の耳にも入っているのか。
「メル、この人はタクミ」
ベッドから這い出てきた俺をエリシアが紹介する。
「初めまして。山本拓海です。タクミと呼んでください」
できるだけ優しく言う。
子供を怖がらせたくない。
「初めまして!メルです!」
メルが元気よく挨拶する。
その無邪気な笑顔に、少し緊張が解ける。
ホッと。
メルは、好奇心旺盛に俺を観察している。
尻尾が、左右に揺れている。
パタパタと。
まるで、本物の犬のように。
俺は、思い切って聞いてみた。
「メル…俺のこと、怖くない?」
「え?」
「町では、俺は悪い人間だって言われてる。偽勇者だって」
メルがしばらく考え込む。
犬耳が、ぴょこぴょこ動く。
ピクピクと。
「うーん…」
メルが口を開く。
「タクミさんが本物の勇者なのか、偽勇者なのか、メルには分からないです」
「でも、今は考えても仕方ないって思います」
その言葉に、少し驚く。
「それに」
メルが笑顔で言う。
満面の笑みで。
「エリシアさんがタクミさんを受け入れてるってことは、タクミさんは悪い人じゃないと思います」
「エリシアさんは、悪い人と友達になったりしないもん」
その純粋な言葉に、胸が熱くなった。
ジーンと。
「ありがとう、メル」
「えへへ」
メルが照れくさそうに笑う。
尻尾が、嬉しそうに大きく揺れる。
ブンブンと。
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それから、メルと話し始めた。
最初は警戒していたが、メルの無邪気さに、だんだんと心が開いていく。
凍りついていた心が、少しずつ溶けていく。
温かい。
「タクミさんって、どこから来たんですか?」
「遠い…とても遠い場所だ」
「どんな場所なんですか?」
メルが目を輝かせる。
キラキラと。
俺は、元の世界のことを話した。
高いビル。
電車。
車。
コンビニ。
スマホ。
メルは、目を丸くして聞いていた。
「すごい!魔法みたい!」
「魔法じゃないんだけどな」
苦笑する。
でも、この世界の人から見れば、魔法のようなものかもしれない。
「メルは、どんな生活をしてるんだ?」
今度は、俺が聞く。
メルは、獣人居住区のことを話してくれた。
家族のこと。
お父さんとお母さん。
友達のこと。
学校のこと。
好きな食べ物のこと。
獣人族は、人間よりも嗅覚が鋭く、身体能力も高い。
でも、人間から差別されることもあるらしい。
「でも、あたしたちは負けません!」
メルが胸を張る。
犬耳が、ピーンと立つ。
「獣人族は強いんです!」
その姿が、とても頼もしい。
小さな体なのに。
幼いのに。
(この子は…強いな)
差別されても、負けない。
前を向いている。
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それから、メルは毎日来るようになった。
最初は薬草の届け物という名目だったが、だんだんと俺に会うのが目的になっていった。
コンコン。
ノックの音が響くと、エリシアが扉を開ける。
「メル、来たわよ」
「メル!」
俺も立ち上がる。
メルの訪問が、日課になっていた。
楽しみになっていた。
メルは、色々な話をしてくれた。
学校であったこと。
友達と遊んだこと。
お母さんの料理のこと。
俺も、元の世界のことを話した。
ゲームのこと。
アニメのこと。
好きだった食べ物のこと。
メルは、兄を慕う妹のように、俺に懐いてくれた。
俺も、メルを妹のように思うようになった。
守ってあげたい。
そう思った。
「タクミさん、今日はこれ持ってきました!」
メルが嬉しそうに包みを差し出す。
尻尾が、ぶんぶん揺れている。
ブンブンブン。
「何だ?」
「お弁当です!」
包みを開けると、サンドイッチが入っていた。
挟んであるのは卵にハムにチーズ。
ふんわりとした香りが漂う。
「メルの特製サンドイッチなのです」
「すごいな。お前が作ったのか?」
「うん!頑張ったんです!」
メルが得意げに胸を張る。
犬耳が、ぴんと立っている。
サンドイッチを一口食べる。
ハムが、卵が、チーズが、口の中でほどける。
「…うまい」
思わず声が出た。
ほんのり甘くて、ふわふわで。
パンの柔らかさが、口の中に広がる。
「本当ですか!?」
メルが目を輝かせる。
キラキラと。
尻尾が、さらに激しく揺れる。
ブンブンブンブン。
「ああ。すごくうまい」
「えへへ、よかった!」
メルが満面の笑みを浮かべる。
その笑顔が、部屋を明るくする。
温かい。
誰かが作ってくれた食事。
その温もりが、心に染みる。
社畜時代は、コンビニ弁当か、カップ麺だった。
手作りの食事なんて、何年も食べていない。
冷たい弁当を、一人でデスクで食べる。
味なんて、感じなかった。
ただ、腹を満たすだけ。
でも、今は——
温かい。
「タクミさん?」
メルが不思議そうに覗き込む。
「ん?どうした?」
「なんか、嬉しそうな顔してるなって」
「そうか?」
「うん!」
メルが笑う。
「あたし、もっと作ってきますね!」
「ああ。楽しみにしてる」
本心から、そう答える。
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ある日、メルがこう言った。
「タクミさんって、優しいんですね」
「そうか?」
「うん。あたしの話、ちゃんと聞いてくれるもん」
メルが笑顔で言う。
「大人って、子供の話をあんまり聞いてくれないんです」
「『忙しい』とか『後で』とか言って」
「でも、タクミさんは違う」
「ちゃんと聞いてくれます」
「なんか……。タクミさんって、お兄ちゃんみたい、です」
その言葉に、胸が詰まった。
ギュッと。
「お兄ちゃん…か」
「うん!メル、お兄ちゃんが欲しかったんです!」
メルが嬉しそうに言う。
尻尾が大きく揺れる。
「タクミさん、あたしのお兄ちゃんになってくれますか?」
その純粋な問いに、俺は微笑んだ。
「ああ。喜んで」
「やった!」
メルが飛び跳ねる。
ピョンピョン。
尻尾が、激しく揺れる。
ブンブンブン。
(妹…か)
俺には、兄弟がいない。
一人っ子だった。
寂しかった。
兄弟が欲しかった。
でも、今は——
メルという妹ができた。
温かい。
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それから数日後。
メルが、いつもと違う表情で来た。
真剣な顔だ。
尻尾も、揺れていない。
「タクミさん」
「ん?どうした?」
「あたし、思うんです」
メルが俺を見る。
その目が、真剣だ。
「タクミさんが、本物の勇者だったらいいなって」
「でもね、メルは本当にそうだと思ってるんです」
「え…?」
突然の言葉に、驚く。
「なぜかは分からないんです。でも、そんな気がするんです」
メルが続ける。
「獣人族の勘、って言うのかな」
「だから、タクミさんは本物の勇者だって、メルは信じてます」
メルの目が、真っ直ぐだ。
嘘がない。
純粋な目だ。
「メルは獣人族だけど、タクミさんは優しくしてくれました」
「お兄ちゃんにもなってくれました」
「タクミさんは、メルの勇者なんです」
その言葉に、胸が熱くなった。
ジーンと。
涙が出そうになる。
「ありがとう、メル」
声が震える。
涙を、必死に堪える。
「えへへ」
メルが照れくさそうに笑う。
でも、その表情が、すぐに曇る。
尻尾が、下がる。
「でも…」
「どうした?」
「町の人たちは、そう思ってないみたいです」
メルが俯く。
耳が、しょんぼりと垂れる。
「タクミさんの悪口を言ってる人がいっぱいいるんです」
「それは…仕方ないよ」
「でも!」
メルが顔を上げる。
その目には、涙が浮かんでいる。
ポロポロと。
「タクミさんは悪い人じゃないのに!」
その純粋な怒りに、胸が詰まる。
ギュッと。
「メル…」
「メルは悔しくて、言い返しちゃいました」
「え…?」
嫌な予感がする。
ザワッと。
「『タクミさんは悪い人じゃありません!』って」
「『偽勇者なんかじゃありません!』って」
メルが涙を拭う。
ゴシゴシと。
(まずいな…)
(これは、まずい…)
メルを心配させまいと、俺は笑顔を作った。
「大丈夫だよ、メル」
「でも…」
「お前の気持ちは嬉しいよ。ありがとう」
メルの頭を撫でる。
その髪が、柔らかい。
耳も、ふわふわだ。
「お兄ちゃん…」
「さあ、もう遅いから帰った方がいい」
「…はい」
メルは少し不安そうだったが、頷いた。
「また来ますね」
「ああ。気をつけて帰れよ」
メルが部屋を出ていく。
パタパタと足音が遠ざかる。
扉が閉まる。
バタン。
その瞬間、笑顔が消えた。
-----
「エリシア」
俺はすぐにエリシアを呼んだ。
「何?」
「メルが、町で俺のことを擁護したらしい」
「俺の事を悪く言われて、我慢できなかったらしい」
「え?」
エリシアの表情が、一気に険しくなる。
眉間に深い皺が寄る。
「それは…まずいわね」
「やっぱり…」
「獣人族とあなたの繋がりを疑われる可能性があるわ」
エリシアが立ち上がる。
スッと。
「そんな…」
胸が、ざわつく。
「出発を早めるわ」
エリシアが断言する。
きっぱりと。
「幸い、あなたの怪我もだいぶ良くなってる」
「動けるでしょ?」
「ああ。大丈夫だ」
確かに、体はだいぶ回復している。
長距離移動も、何とかなりそうだ。
「明日の朝、馬を買って、すぐに町を出る」
エリシアが続ける。
「もう時間がないわ」
「分かった」
俺は頷いた。
「でも…メルには?」
「秘密よ」
エリシアが真剣な顔で言う。
その目が、鋭い。
「これはメルのためでもあるの」
「こうなった以上、もう会わない方がいいと思う」
その言葉に、胸が痛む。
ズキンと。
「もう…メルに会えないのか」
声が震える。
「いつか必ずまた会えるわ」
エリシアが優しく言う。
「そうだな」
俺は呟いた。
小さな妹のような存在。
温かい笑顔。
信じてくれた瞳。
寂しさが、胸を満たす。
ジワリと。
「大丈夫よ」
エリシアが肩に手を置く。
その手が、温かい。
窓の外を見る。
夕暮れの空。
オレンジ色に染まっている。
(メル…ありがとう)
(元気でいてくれ)
心の中で、何度も繰り返す。
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翌朝。
まだ暗い。
空が、うっすらと明るくなり始めている。
「タクミ、起きて」
エリシアの声で目が覚める。
「…もう朝か」
「早朝よ。町が目覚める前に出る」
体を起こす。
肋骨がまだ少し痛むが、だいぶ良くなっている。
ズキリと。
でも、耐えられる。
「これを着て」
エリシアが外套を差し出す。
黒い外套。
フード付き。
俺が露店で買った物だ。
「顔を隠すのよ」
「ああ」
外套を羽織る。
フードを深く被る。
「準備はいい?」
「ああ」
今日、この町を出る。
新しい旅の始まりだ。
でも——
(メル…)
小さな妹のような存在。
もう、会えない。
寂しさが、胸を締め付ける。
ギュッと。
「じゃあ、行きましょう」
二人は、エリシアのアジトを後にした。
扉が閉まる。
バタンと。
静かに。
朝の冷たい空気が、顔に触れる。
ヒヤリと。
町が、まだ眠っている。
静かだ。
シンと。
足音だけが響く。
コツコツと。
(メル…元気でいてくれ)
心の中で祈りながら、俺たちは町を出る準備を始めた。
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