第4話「石礫の洗礼」
城門が閉まった。
重い音が、心に響く。
呆然と立ち尽くす。
(追放された…)
(本当に、追放されたんだ…)
振り返る。閉ざされた城門。もう、二度と戻れない。いや、戻りたくもない。
でも——
(早く…この街を出なければ…)
焦りが胸を駆け巡る。一刻も早く、この国を離れたい。
足が震える。立っているだけで精一杯だ。視界が揺れる。体が重い。まるで、鉛を背負っているみたいだ。
(まずい…)
仕事の過労。召喚の儀式。魔導士たちの死。リオルの暴力。すべてが、体に積み重なっている。精神的にも肉体的にも、限界を超えている。
(このまま…街を出ても…倒れる…)
冷静に考えよう。この世界には魔物がいるかもしれない。まだ体が完全じゃない。無理に出れば、途中で死ぬ。
(まずは、休まないと…)
(体力を回復させないと…)
辺りを見渡す。城下町——グランディアの大通り。石畳の道に、店が並んでいる。
「新鮮な魚だよ!」
「焼きたてのパン、いかがですか!」
魚屋とパン屋の呼び込みが響く。人々が行き交っている。主婦が買い物袋を提げて歩く。子供が走り回っている。日常の風景。平和な光景。
でも——
視線を感じる。
すれ違う人々が、俺を見る。西洋の顔立ち。俺の黒い髪と日本人の顔立ちはここでは珍しいみたいだ。
足を引きずるように歩く。フラフラと。宿屋を見つけた。『旅人の休息亭』。看板が出ている。
文字は知らないものだ。でも、読める。なぜか、読める。召喚の影響だろうか。
入ろうとして——気づく。
(金がない…)
途方に暮れる。
そして、自分の服装を見る。黒いスーツ。白いシャツ。ネクタイ。社畜時代の制服だ。血と埃で汚れている。
(これを…売るしかない)
周囲を見渡す。パン屋、肉屋、雑貨屋。そして——古着屋。
『グレゴリーの古着店』
看板が出ている。迷っている余裕はない。
店に入る。カラン。扉の鈴が鳴る。軽やかな音。
「いらっしゃい」
カウンターにいた男性が顔を上げる。中年。太った体格。無精髭。エプロンが汚れている。油染みと、布の染料。
「あの…この服、買い取ってもらえますか?」
「服?」
男が俺の服を見る。その目が、少し鋭くなる。値踏みする目だ。
「珍しい服だな」
立ち上がる。近づいてくる。俺の服に触れる。生地を確かめるように、指で撫でる。プロの手つきだ。
「上質だな。縫製も丁寧だ」
グレゴリーが頷く。
「どこの仕立てだ?」
「え、えっと…遠い国の…」
嘘をつくしかない。
「ふむ」
グレゴリーが腕を組む。考え込んでいる。
「汚れてるのが残念だな」
確かに。城で殴られた時の血痕がある。埃もついている。
「それでも…買い取ってもらえますか?」
「ああ」
グレゴリーが頷いた。
「銀貨五枚だ」
「銀貨五枚…」
この世界の通貨価値が分からない。でも、選択肢はない。
「お願いします」
「じゃあ、今すぐ脱いでくれ。代わりの服も用意する」
店の奥に案内される。簡易的な更衣室だ。カーテン一枚で仕切られている。
スーツを脱ぐ。シャツを脱ぐ。下着姿になる。冷たい空気が肌に触れる。
「ちょっと待ってろ」
グレゴリーが服を持ってくる。茶色のシャツと黒いズボン。この世界の一般的な服装だろうか。質素だが、清潔だ。
「これでいいか?」
「はい」
服を着る。サイズは少し大きい。でも、問題ない。異国の服より、ずっと目立たない。
「じゃあ、これが銀貨五枚だ」
小さな革袋を渡される。ずっしりと重い。中を確認する。銀色の硬貨が五枚。
「ありがとうございます」
店を出る。
(とりあえず、金はできた)
(次は…宿だ)
『旅人の休息亭』に戻る。扉を開ける。重い。腕に力が入らない。体が悲鳴を上げている。
「いらっしゃいませ」
受付にいた若い女性。笑顔で迎える。その笑顔が、まぶしい。こんな風に笑えるんだ、この街の人も。
「一晩、泊まりたいんですが…」
声が掠れている。喉が渇いている。砂漠のように。
「かしこまりました。お一人様ですね?」
「はい」
「一泊、銀貨三枚になります」
銀貨三枚。五枚のうち三枚。残りは二枚。
(思ったより高い…)
でも、仕方ない。
「お願いします」
銀貨を渡す。手が震える。疲労で、指先まで力が入らない。
女性が鍵を差し出す。
「二階の三号室です。ごゆっくり」
「ありがとうございます」
階段を上る。足が重い。一段、一段が、山を登るように辛い。手すりに掴まる。息が上がる。
ようやく二階に着く。三号室。鍵を開ける。手が震えて、鍵穴になかなか入らない。何度も外れる。
(くそ…)
ようやく開いた。
部屋は狭い。ベッドと小さな机、椅子だけ。窓が一つ。でも、十分だ。それ以上のことを考える余裕もない。
ベッドに倒れ込む。柔らかい。こんなに柔らかいベッド、久しぶりだ。
(ああ…)
意識が遠のいていく。
(やっと…休める…)
目を閉じる。暗闇が、俺を包み込む。優しく。温かく。
深い眠りに落ちていった。
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コンコン。
ドアを叩く音で目が覚めた。
「ん…?」
体を起こす。頭が痛い。鈍痛が、こめかみを締め付ける。体中が痛い。でも、先ほどよりはマシだ。少しだけ、疲労が回復している。
窓の外を見る。空が薄暗い。夕方だろうか。どれくらい眠っていたんだろう。
コンコン。
また、ドアを叩く音。
「はい…」
声が出る。さっきよりも、しっかりしている。
「お客様、少しよろしいでしょうか」
女性の声。受付の人だろうか。
ベッドから降りる。足がふらつく。でも、なんとか立てる。ドアを開ける。
「はい…?」
受付の女性が立っている。しかし、その隣には——年配の男性もいる。宿屋の主人だろうか。
その表情が、険しい。
「あの…何か?」
「お客様」
主人が一歩前に出る。その目が、俺を見ている。疑いの目だ。鋭い視線が、突き刺さる。
「城で、何かあったと聞きましたが」
「え…?」
心臓が跳ねる。嫌な予感が、全身を駆け巡る。背筋が凍る。
「偽勇者が追放されたという噂が広まっています」
主人が続ける。腕を組んでいる。完全に、疑っている。
「お客様、もしかして…」
「違います!」
咄嗟に否定する。声が上ずる。焦りが、声に出てしまう。
「俺は…ただの旅人で…」
「本当に?」
主人の目が、さらに鋭くなる。一歩、近づく。圧迫感がある。逃げ場がない。
「召喚の儀式は今日の昼に行われました」
「そして、その直後に偽勇者が追放された」
「お客様がこの宿に来たのは、その後すぐ」
主人が腕を組む。完全に、確信している。
「タイミングが、あまりにも一致しすぎていますね」
「それは…偶然で…」
「そして、お客様が着ていた服」
主人が指摘する。鋭く。的確に。
「グレゴリーの店で、珍しい服を売った者がいると聞きました」
「遠い国の、上質な仕立ての服」
「黒い髪に、異国風の顔立ち」
(まずい…)
完全に、特定されている。
「城から追放された直後、見慣れない服を売り、すぐに宿に駆け込む」
主人が一歩近づく。その目が、冷たい。氷のように。
「その黒い髪と異国風の顔立ちは、よく目立つんですよ」
「お客様、正直に言ってください」
主人が腕を組んだまま、俺を見下ろす。
「あなたが、偽勇者ですね?」
沈黙。
何も言えない。嘘をつき通せるほど、俺は器用じゃない。社畜時代、嘘は苦手だった。すぐバレた。
視線を逸らす。
それが、答えだった。
「…そうです」
観念した。もう、隠しきれない。
「やはり…」
主人の顔が、一気に険しくなる。眉間に深い皺が寄る。嫌悪感が、顔全体に表れている。
「申し訳ありませんが、出て行ってください」
「え…?」
「偽勇者を泊めるわけにはいきません」
主人がきっぱりと言う。その声に、一片の迷いもない。鉄のような、硬い声。
「荷物をまとめて、すぐに出て行ってください」
「待って…!せめて今夜だけ…!」
懇願する。他に行く場所がない。このままでは、路頭に迷う。
「お断りです」
主人は聞く耳を持たない。腕を組んだまま、微動だにしない。
「さもなくば、衛兵を呼びます」
(終わった…)
仕方なく、部屋を出る。荷物なんて、何もない。ただ、廊下を歩く。階段を降りる。
受付の女性が、露骨に嫌な顔をしている。視線が、刺さる。まるで、汚物を見るような目だ。
宿を出る。
外は——もう夕暮れだった。
空が赤く染まっている。日が、沈みかけている。オレンジ色の光が、建物を照らしている。美しい夕焼けだ。でも、俺の心は、真っ暗だ。
大通りは、まだ人がいる。でも、店じまいを始めている店もある。
「今日はこれで終わりだよ!」
露店の商人が、商品を片付けている。シャッターを下ろす音。ガラガラガラ。重い音が響く。一軒、また一軒。店が閉まっていく。
(どうする…)
(このまま町を出る?)
でも、危険だ。もうすぐ日も落ちる。魔物だっているかもしれない。それに、まだ体が完全に回復していない。
(別の宿を…探すしかない)
焦りが募る。
別の宿を見つける。『安らぎの宿』。扉を開ける。
「すみません、一晩…」
「申し訳ございません」
受付の男性が即座に言う。俺の顔を見た瞬間、表情が変わった。明らかに、警戒している。
「本日は満室でして」
「え…でも…」
奥を見る。鍵がたくさん掛かっている。明らかに空室がある。十個以上の鍵が、無造作に並んでいる。
「部屋、空いてますよね?」
「いえ、予約が入っておりまして」
男性が目を逸らす。嘘だ。あからさまな嘘だ。視線が泳いでいる。
「そうですか…」
宿を出る。
(完全に…バレてる…)
次の宿を探す。『星降る夜亭』。扉を開ける。
「いらっしゃい…あ」
受付にいた中年の女性。俺を見て言葉を止める。その目が、一瞬で冷たくなる。
「すみません、一晩泊まりたいんですが…」
「あの…申し訳ないんですけど」
女性が困ったような顔をする。でも、その目は冷たい。演技だ。
「今日は、もう受付を終了しちゃって…」
窓の外を見る。まだ、日は完全に沈んでいない。受付終了には早すぎる。
「まだ、日が…」
「ええ、でも、今日は、その、特別で、ね」
女性が愛想笑いを浮かべる。その笑顔が、嘘だと分かる。皮肉な笑い。
「そうですか…」
宿を出る。
全部、嘘だ。全て、俺を拒絶している。
(くそ…)
どうすればいい。もう、日が暮れる。空が、どんどん暗くなっていく。紫色に染まり始めている。
通りの人が、減っている。帰宅する人々。一日の終わり。
「ただいまー」
二階の窓が開く。子供の声。無邪気な声。
「おかえりー。ご飯できてるよー」
母親の声が、窓から聞こえる。優しい声。洗濯物を取り込む音。夕食を作る匂い。煙突から、煙が上がる。
生活の匂いが、町中に漂う。温かい匂い。家族の匂い。
でも、俺には関係ない。
ふと、露店を見つける。服や雑貨を売っている店だ。店主が、片付けを始めている。老人だ。腰が曲がっている。
「すみません」
「ん?」
店主が顔を上げる。疲れた目。でも、優しそうだ。
「外套、ありますか?」
「外套?ああ、あるよ」
店主が黒い外套を取り出す。フード付きだ。厚手の布。
「これでいいか?」
「はい。いくらですか?」
「銀貨一枚だ」
銀貨を渡す。残り一枚。外套を受け取る。すぐに羽織る。フードを深く被る。
(これなら…黒い髪と顔が隠せる)
別の宿を探す。『夜明けの宿』。最後の望みだ。
扉を開ける。
「いらっしゃい…」
受付にいた老人。俺を見て言葉を止める。その目が、怪訝そうだ。
「あの…一晩、泊まりたいんですが…」
「…お客さん、その格好は?」
「え?」
「フードを深く被って…」
老人の目が疑わしげだ。完全に、怪しまれている。
「いえ、これは…」
老人が顔を覗き込もうとする。俺は咄嗟に顔を逸らした。
老人が腕を組んで、ため息を吐いた。深い、長いため息。
「身分証明できるものは?」
「身分証明…?」
「ギルドカードとか、ほら、旅券とか、何かあるだろ」
「持ってません…」
「じゃあ、泊められないな」
老人がきっぱりと言う。
「怪しい者を泊めるわけにはいかん。トラブルはごめんだ」
「待って…!俺は怪しい者じゃ…!」
その時だった。
「おう、じいさん!部屋はまだ空いてるか?」
扉が開く。ドンと勢いよく。
二人の男が入ってくる。革の鎧を着ている。剣を腰に帯びている。冒険者だ。
一人は赤髪で、体格が良い。筋肉質の腕。顔に傷がある。戦士タイプだろうか。もう一人は痩せ型で、鋭い目をしている。弓を背負っている。射手だ。
二人とも、顔が赤い。酔っているようだ。足取りがふらついている。酒の匂いがする。きつい匂い。
「ああ、空いてるよ」
老人が答える。そして、俺を指さす。
「お前ら、丁度いいところに来た。ちょっと来てくれ」
「こいつ、怪しいんだ」
「ん?」
赤髪の男が、俺を見る。値踏みするように。
「なんだ、お前」
「フードを深く被って…」
痩せ型の男が近づいてくる。鋭い目が、俺を見る。
「身分証明もできないって言うんだ」
老人が説明する。
「フードを被って、顔を隠して、怪しいったらありゃしねぇ」
「へえ…」
面倒な事になりそうだ。
「他をあたります。失礼しました」
宿屋を出ようとする。
俺の腕を赤髪の男がつかむ。力強い。逃げられない。
酒の匂いが、さらに強くなる。
「おっと。お前、何隠してんだ?」
「ち、ちょっと…」
「いいから、見せろよ」
赤髪の男が、俺のフードに手をかける。
「やめ…!」
強引に、フードが剥ぎ取られる。
顔が露わになる。
一瞬、静寂が訪れる。時間が止まったような。
「あ…」
終わった。
「これは…」
老人が目を見開く。
「お前…」
痩せ型の男が、俺の顔をじっと見る。値踏みするように。確認するように。
「王国の人間じゃねえな」
老人が息を呑む。
「まさか…お前…」
「偽勇者か!」
赤髪の男が叫ぶ。その声が、宿屋中に響く。
「偽勇者!?」
老人が驚愕する。顔が青ざめる。
「こいつだ」
痩せ型の男が言う。冷たい声で。
「勇者召喚失敗の原因」
「勇者召喚を妨害して、勇者に成り代わろうとした偽勇者だ」
「違う…!俺は…!」
「なんだと!」
赤髪の男が怒鳴る。その声に、怒りが満ちている。激しい怒り。憎悪。
「勇者は、俺たちの希望なんだ!」
「魔王から王国を守ってくれる、唯一の存在だ!」
痩せ型の男が続ける。その声も、怒りに震えている。
「その勇者の召喚を邪魔して」
「勇者になりすまして」
「召喚を失敗させた、だって?」
赤髪の男が、俺の胸倉を掴む。強く。痛い。
「おい、どうしてくれんだよ」
「お前のせいで、真の勇者が来なかったんだ!」
「お前のせいで、王国が危険にさらされてるんだ!」
痩せ型の男も、俺の腕を掴む。二人に挟まれる。逃げ場がない。
「いつ、魔王が復活するか分からない」
「勇者がいなければ、俺たちは殺されるかもしれねぇ」
「家族も、友人も、みんな死ぬ」
痩せ型の男の目が、恐怖に満ちている。本気で、怖がっている。
「お前のせいでな!」
赤髪の男の目が、憎悪に燃えている。殺意すら感じる。
「お前…!」
「待って…!話を聞いて…!」
「聞く耳なんて持たねぇよ!」
赤髪の男が、俺を引きずる。強引に。乱暴に。
「こんなクズ野郎」
「このまま見逃すわけにはいかない」
痩せ型の男が扉を開ける。
「正義の制裁が必要だ」
「やめ…!」
引きずられる。抵抗しても、力で敵わない。外に出される。
路地裏に連れて行かれる。
暗い。人通りがない。月明かりだけが、かすかに地面を照らしている。壁に挟まれた、狭い道。ゴミが散乱している。腐敗臭がする。生ゴミの匂い。
「さあ」
赤髪の男が拳を構える。月明かりに、その顔が浮かぶ。怒りに歪んでいる。鬼のような顔。
「覚悟しろ」
「待っ…!」
拳が飛んでくる。視界いっぱいに拳が迫る。大きく見える。避けられない。
頬に当たる。鈍い音。ゴツンという音。
「がっ…!」
痛い。熱い。頬が焼けるように痛い。骨に響く痛み。
地面に倒れる。石畳が硬い。冷たい。手のひらに砂利が食い込む。痛い。
「おら、立てよ」
赤髪の男が俺の襟首を掴む。無理やり立たせる。首が絞まる。息ができない。苦しい。
「次は俺だ」
痩せ型の男が腹を殴る。拳が、みぞおちに沈む。深く。
「ごふっ…!」
息が、全部出ていく。肺が、空っぽになる。空気がない。苦しい。
膝をつく。地面に手をつく。咳き込む。
(俺が一体、何をしたって言うんだ)
「まだまだだ」
赤髪の男が俺の背中を蹴る。革のブーツが、背骨に当たる。硬い。痛い。
「がはっ…!」
(勝手に召喚されて、勝手に悪者にされて)
顔から地面に倒れる。鼻を打つ。鈍い痛み。生暖かいものが流れる。血だ。鼻血が出ている。口の中も、血の味がする。鉄の味。
「勇者の召喚を邪魔した罪」
痩せ型の男が俺の脇腹を蹴る。肋骨に衝撃。骨が軋む音がする。メキメキという音。
「ぐっ…!」
(あまりにも理不尽だ)
「王国を裏切った罪」
赤髪の男が俺の足を蹴る。太ももに激痛。筋肉が、内出血している。
「あっ…!」
「俺たちの希望を奪った罪」
痩せ型の男が、また腹を蹴る。何度も。何度も。
「全部、返してやる」
二人が、次々と俺を殴る。蹴る。
頭に。背中に。腹に。足に。
全身に、痛みが走る。もう、どこが痛いのか分からない。全部、痛い。
地面に倒れたまま、ただ耐える。抵抗する力もない。
「これが正義だ」
赤髪の男が言う。その声に、一片の迷いもない。確信に満ちている。
「お前みたいなクズには、こうするしかないんだ」
痩せ型の男が俺の髪を掴む。顔を上げさせる。無理やり。痛い。
「分かるか?」
「お前のせいで、どれだけの人が苦しむと思ってる?」
「魔王が復活したら、何千人、何万人が死ぬんだぞ」
赤髪の男が、俺の顔を殴る。拳が、頬に当たる。
「それを…お前が…!」
視界が揺れる。目がかすむ。ぼやける。
(痛い…)
(助けて…)
(誰か…)
意識が遠のいていく。視界が暗くなる。耳が遠くなる。音が、だんだん小さくなる。
二人の声が、遠くに聞こえる。
(ああ…)
(もう…)
(終わりか…)
「よし、このくらいにしておくか」
赤髪の男が言う。遠くで。
「ああ。もう動けないだろう」
痩せ型の男が俺を見下ろす。冷たい目で。
「クズ野郎が」
赤髪の男が唾を吐く。ペッという音。
「覚えておけよ」
二人の足音が遠ざかっていく。だんだんと。
静寂が訪れる。
月明かりだけが、路地裏を照らしている。冷たい光。
(終わった…)
(俺は…ここで…)
その時だった。
「ひどいことするわね」
声が聞こえた。
女性の声。
可愛らしいが、凛とした強い声。芯がある声。
足音が近づいてくる。革靴が、石畳を叩く音。コツ、コツ。規則正しい音。
誰かが、俺の隣に膝をつく気配がする。
「大丈夫?」
視界がぼやけている。涙と血で、よく見えない。
でも、髪の色が見える。
銀色。
きれいな銀色の髪。月明かりに照らされて、輝いている。
ゆっくりと目を開ける。
女性が、俺を覗き込んでいる。
銀色の髪。肩まで伸びた、艶やかな銀髪。
顔が近い。
鋭い目。でも——その目には、優しさが宿っている。温かい光。
年齢は、十九歳くらいか。肌は白い。少し日焼けしているが、きれいだ。健康的な肌。
革の鎧を着ている。動きやすそうだ。腰には、剣。剣士、だろうか。
「酷い怪我ね…」
女性が、俺の傷を確認している。優しい手つきで。額に手を当てる。その手が、優しい。冷たくて、気持ちいい。
「動ける?」
「分から…ない…」
声が、かすれる。喉が血で詰まっている。
女性が、少し考える。俺の顔を見ている。黒い髪。異国風の顔立ち。血まみれ。
(ああ…この人も…)
(偽勇者だって気づいて…)
(去っていくんだ…)
そう思った。
でも——
「仕方ないわね」
女性が、俺の腕を支える。
え…?
「私のアジトに連れて行くわ」
優しい声。温かい声。
「え…でも…」
「いいから。動けないんでしょ?」
女性が、俺を抱え上げる。小柄な体なのに、力がある。剣士だからだろうか。
「私の名前はエリシア」
女性が言う。月明かりに、その顔が浮かぶ。美しい顔。
「剣士よ」
「俺は…山本拓海…」
「タクミね」
エリシアが微笑む。月明かりに、その笑顔が浮かぶ。優しい笑顔だ。初めて見る、本当の笑顔。
「よろしくね、タクミ」
意識が、遠のいていく。
でも、不思議と安心感がある。温かい。エリシアの腕が、温かい。
(助かった…)
(助けてくれた…)
エリシアの腕の中で、俺は意識を失った。




