第2話「血塗られた召喚」
「では、測定の前に」
国王アルヴァネスが厳かに言う。低く、重い声。玉座の間に響く。
「儀式を完遂した魔導士たちに、感謝を述べねばならぬ」
国王が手を挙げると、玉座の間の端から十二人のローブを着た男女が進み出てきた。コツコツと足音が響く。年齢はバラバラだ。二十代と思われる若い男性。三十代くらいの女性。白髪混じりの中年男性。全員が、深い青色のローブを纏っている。胸には、王国の紋章が刺繍されている。金色に輝く紋章。
魔導士たち、だろうか。
しかし——
「あれ…?」
違和感を覚える。何かがおかしい。彼らの顔色が、異様に悪い。青白く、まるで病人のようだ。いや、病人以上だ。死人のような顔色。額に大量の汗をかいている。汗が、ローブに染みを作っている。濡れたように。呼吸も荒い。ハァハァという息遣いが、ここまで聞こえてくる。苦しそうだ。肩で息をしている者もいる。
「魔導士たちよ、ご苦労であった」
国王の言葉に、魔導士たちは膝をつく。ドサッ、ドサッという重い音。まるで、糸の切れた人形のように。その動きさえ、ぎこちない。体が言うことを聞かないかのようだ。一人、バランスを崩して倒れかける。グラリと。隣の魔導士が慌てて支える。
「陛下…」
その中の一人、中年の男性魔導士が震える声で言う。声が掠れている。ガラガラと。
「儀式は…無事…成功いたしました…」
言葉を絞り出すように、一語一語を発する。途切れ途切れだ。
「うむ、見事であった」
国王が満足げに頷く。しかし、魔導士たちの様子は明らかにおかしい。まるで、今にも倒れそうなほど衰弱している。
「あの…彼ら、大丈夫なんですか?」
思わず聞いてしまう。心配になる。国王が俺を見る。その目は、無表情だ。感情が読めない。
「案ずるな。儀式の疲労だ」
国王が淡々と答える。まるで、天気の話をしているかのように。
「大規模な召喚魔法を行えば、このような症状が出る。すぐに回復する」
「でも…」
言いかけた時だった。
「ぐっ…!」
魔導士の一人が、突然喉を押さえた。若い男性の魔導士だ。二十代前半くらいだろうか。顔が紅潮している。いや、違う。紫色に変色している。まるで、窒息しているかのように。
「ど、どうした、クレイグ!」
隣にいた女性魔導士が慌てて支える。
「だ、大丈夫か!」
しかし、クレイグと呼ばれた魔導士の苦しみは増していく。見る見るうちに悪化する。
「が…ああああ…!」
喉を掻きむしる。まるで、何かが喉に詰まっているかのように。必死に。爪が、自分の首筋に食い込む。ザクザクと。血が滲む。赤い筋が、首を伝う。
「魔導士クレイグ!しっかりしろ!」
周囲の魔導士たちが駆け寄る。バタバタと。貴族たちも、ざわざわと騒ぎ始める。不安の声。
「何が起きている?」
「魔導士が苦しんでいるぞ」
「医師を呼べ!」
クレイグの体が、激しく震え始めた。全身が痙攣している。ガタガタガタという音を立てて。まるで、電気が走っているかのように。
「う…ああああああっ!」
悲鳴のような声。その声には、苦痛と恐怖が混ざり合っている。人間が発する声とは思えない。獣のような、絞り出すような声。断末魔の叫び。
そして——
「ひっ…!」
誰かが悲鳴を上げた。女性の声。クレイグの右手が、崩れ始めたのだ。
「え…?」
俺の目が、その光景を捉える。信じられない光景。指先から、黒い粉のようなものが零れ落ちている。まるで、砂のように。パラパラと。いや、違う。灰だ。黒い灰になって、指が崩壊していく。
皮膚が黒ずみ、ひび割れ、そして細かい粒子となって崩れ落ちる。まるで、焼け焦げた紙が風に吹かれて砕けるように。ボロボロと。音を立てて。
「な、何だこれ…!」
「魔導士が…崩れている…!」
貴族たちが悲鳴を上げ始める。恐怖の声。何人かは、顔を背ける。見ていられない。女性貴族の一人は、気絶して倒れた。ドサッという音。
「た、助けて…!助けて…!」
クレイグが必死に叫ぶ。目が見開かれている。白目が剥き出しになるほど。恐怖に歪んだ顔。しかし、崩壊は止まらない。容赦なく進む。
指先から始まった崩壊は、手のひらへ、手首へ、肘へと広がっていく。皮膚が黒ずみ、まるで炭のように変色する。そこに無数のひび割れが走る。蜘蛛の巣のようなひび割れ。パキパキという音。そして、崩れる。黒い灰となって、床に降り注ぐ。
「いやだ…!死にたくない…!死にたくない…!」
クレイグの絶望的な叫び。その声は、玉座の間に響き渡る。天井に反響して、何度も何度も繰り返される。エコーのように。
俺は、ただ呆然とその光景を見ていた。動けない。
人の体が、灰になっている。目の前で。リアルタイムで。信じられない。信じたくない。でも、確かに起きている。この目で見ている。
「助けて…神よ…!誰か…!」
クレイグが左手を伸ばす。その手も、もう黒ずんでいる。指が、一本、また一本と灰になっていく。ポロポロと落ちる。
「俺は…俺はまだ…やりたいことが…!」
クレイグの声が途切れる。首から顔へ、崩壊が広がっていく。頬が黒ずみ、崩れる。目が、灰となって零れ落ちる。グチャリという音。
「あ…あ…」
最後の言葉すら発せず——
クレイグの全身が、完全に黒い灰となった。
ドサッという音と共に、灰の山が床に崩れ落ちる。人の形を残したまま。まるで、火葬された遺体のように。でも、これは火葬じゃない。生きたまま、崩壊したのだ。
少し前まで、そこには生きた人間がいた。若い魔導士が、確かに生きていた。呼吸をして、話をして、苦しんで。でも今は——ただの灰だ。人の形をした、黒い灰の山。
「そんな…」
呆然とする。声が出ない。体が動かない。
(人が、灰になった)
(目の前で)
(生きたまま)
吐き気がする。胃の中のものが、逆流してくる。必死に堪える。手が震える。止まらない。足が震える。立っていられない。膝をつく。ドスンと。
「ぐ…うっ…!」
今度は別の声だ。振り向くと、女性の魔導士が胸を押さえて倒れている。三十代くらいの女性だ。長い茶色の髪。
「エレナ!」
「いや…いやああああ!」
女性魔導士——エレナの体にも、同じ現象が起きている。首筋から黒いひび割れが広がっていく。血管に沿って、黒い線が這っていく。まるで、黒いインクが血管を通って広がっているかのように。ジワジワと。
皮膚が黒ずみ、硬直し、そして崩れていく。パラパラと。
「助けて…誰か…!お願い…!」
エレナが泣き叫ぶ。涙が頬を伝う。その涙すら、黒く濁っている。
「まだ…まだ死にたくない…!母が…母が待ってるの…!」
しかし、誰も助けられない。魔導士たちは、ただ呆然とその光景を見ている。自分たちも、同じ運命が待っているのだろうか。そんな恐怖が、顔に浮かんでいる。青ざめた顔。貴族たちも、恐怖に怯えている。何人かは、既に退室しようとしている。
「エレナああああ!」
仲間の悲痛な叫び。しかし、どうすることもできない。無力だ。
エレナの顔が黒ずむ。髪が灰となって崩れ落ちる。まるで、燃え尽きた木の枝のように。パラパラと。
「お母…さ…」
最後の言葉を残して——エレナもまた、完全に灰となった。ドサッと。
二人目。
「く…そ…!」
三人目の魔導士が倒れる。中年の男性だ。
「まだ…死にたく…ない…!」
四人目。若い女性の魔導士。
「夫が…子供が…待ってるのに…!」
五人目。老齢の男性魔導士。
次々と、魔導士たちが崩壊していく。一人、また一人。黒い灰となって、床に崩れ落ちていく。
「やめろ…!やめてくれ…!」
「神よ…!お助けを…!」
「まだ…まだやり残したことが…!」
祈りも、叫びも、何も届かない。一人、また一人。黒い灰となって、床に崩れ落ちていく。
俺は、その光景を見ることしかできなかった。手が震える。止まらない。足が震える。立っているのも辛い。
吐き気がする。胃が痙攣している。でも、目を逸らせない。まるで、悪夢を見ているかのような。でも、これは現実だ。確かに、目の前で起きている現実だ。
六人目。七人目。八人目。
崩壊は止まらない。魔導士たちの悲鳴が、玉座の間に響き渡る。苦痛の叫び。絶望の叫び。人間が死ぬ間際に発する、最後の声。
「陛下…!陛下、お助けを…!」
一人の魔導士が、国王に向かって手を伸ばす。這いずりながら、必死に手を伸ばす。その手は既に黒ずんでいる。指が、一本、また一本と灰になっていく。ポロポロと。
しかし、国王は——
ただ、黙って見ている。表情一つ変えず。玉座に座ったまま。まるで、虫が死んでいくのを観察しているかのように。無関心だ。
「陛下…!なぜ…なぜです…!」
魔導士の声に、怒りが混じる。
「我らは…忠実に…仕えてきた…のに…!」
「なぜ…こんな…目に…!」
魔導士の手が、届く前に完全に灰となって崩れ落ちる。腕が、肩が、胴体が。すべてが灰になる。ボロボロと。
九人目。十人目。十一人目。
そして——
最後の一人、白髪の老魔導士が膝をつく。六十代くらいだろうか。深い皺が刻まれた顔。
「陛下…これが…我らの…運命…」
老魔導士の声は、諦めに満ちていた。もう、抵抗する気力もないのだろう。
「せめて…勇者様が…真に…」
言葉が途切れる。老魔導士の体が黒ずみ、崩れ始める。全身から、黒い灰が零れ落ちる。パラパラと。
「魔王を…倒して…くださる…ことを…」
最後まで言い切ることなく、老魔導士も灰となった。ドサッと。
十二人目。全員だ。
召喚の儀式に参加した魔導士、十二人全員が——黒い灰となって、床に崩れ落ちた。
静寂。
重苦しい、耳が痛くなるような静寂が、玉座の間を支配する。シンと。床には、十二の灰の山。人の形を残したまま。
少し前まで、そこには生きた人間がいた。話し、笑い、泣き、怒り、苦しみ、そして死んでいった。
吐き気が込み上げる。もう堪えきれない。胃の中のものが、口から溢れそうになる。必死に飲み込む。手が震える。止まらない。足が震える。立っていられない。膝をつく。ドスンと。
目の前で、十二人が死んだ。
いや、「死んだ」という表現すら生ぬるい。消滅した。存在が消えた。灰になった。生きたまま、崩壊した。
「陛下…これは…」
貴族の一人が震える声で言う。顔面蒼白だ。真っ青だ。
「メガマナ汚染による崩壊死…やはり避けられませんでしたか…」
「うむ」
国王の声は、驚くほど冷静だった。まるで、天気の話をしているかのような口調。感情の欠片もない。
「予想通りだ」
「予想…通り…?」
思わず声が出る。
国王が俺を見る。その目には、一片の感情も見えない。まるで、ガラス玉のような目。冷たく、無機質な目。
「勇者よ。召喚の儀式には、必ず犠牲が伴う」
「犠牲…?」
「メガマナ——地脈の原初エネルギーは、人体には猛毒だ」
国王が淡々と説明する。まるで、教科書を読んでいるかのように。
「それを直接扱う魔導士たちは、必ず汚染される」
「メガマナは強大な力ゆえ、人の肉体では耐えられぬ」
リオルが補足する。冷たい声で。
「体内から崩壊し、灰となって消える。それが、メガマナ汚染の末路だ」
「そして、汚染が進めば…ああなる」
国王が床の灰を見る。まるで、ゴミを見るかのような目で。
「そんな…じゃあ、彼らは…」
「最初から死ぬことが分かっていた、ということだ」
リオルが冷たく言う。
「なっ…!」
怒りが込み上げる。全身が熱くなる。
「知っていて…!?知っていて、儀式をやらせたのか!?」
「当然だ」
リオルが答える。あっさりと。
「勇者召喚は、王国の存亡をかけた儀式。多少の犠牲はやむを得ん」
多少の犠牲。十二人の命が。
「ふざけるな…!」
拳を握りしめる。爪が手のひらに食い込む。痛い。
「勇者よ」
国王が手を挙げる。
「彼らは名誉ある死を遂げた」
「そなたを召喚するという、崇高な儀式のためにな」
崇高。名誉。そんな言葉で片付けられる光景じゃない。
「崇高…?人の命を何だと思ってるんですか!」
怒りが爆発する。声が大きくなる。
「勇者よ、これ以上の無礼は許さぬぞ」
国王の声が、低くなる。威圧感が増す。ズシンと。周囲の貴族たちも、俺を睨みつけている。冷たい目。
「彼らは王国のために尽くした」
国王が続ける。
「その犠牲を侮辱するのか?」
「侮辱?違う!」
俺は叫ぶ。
「侮辱してるのは、あなたたちだ!」
「彼らを死なせたのは、あなたたちだ!」
「黙れ」
リオルが一歩前に出る。その目が、鋭く光る。
「貴様、身の程を知れ」
「勇者として召喚されたからといって、王に無礼を働くことは許されぬ」
「でも…!」
「彼らは自ら志願した」
リオルが断言する。
嘘だ。その目が、そう言っている。
「王国のために、命を捧げることを選んだのだ」
「志願…?本当に?」
「無論だ」
リオルの目が、俺を射抜く。
しかし、その目は嘘をついている。直感で分かる。社畜時代、上司の嘘を何度も見てきた。これは、嘘だ。
魔導士たちは、強制されたのだ。死ぬと分かっていて、儀式に参加させられたのだ。拒否すれば、どうなる?処刑?家族への報復?選択肢なんて、最初からなかったのだろう。
「さて」
国王が手を挙げる。
「片付けよ」
「はっ」
扉の向こうから、十人ほどの使用人が入ってくる。全員、無表情だ。顔色一つ変えない。箒と塵取り、そして大きな麻袋を持っている。
そして——魔導士たちの灰を、掃き始めた。サッサッという音。
「やめろ!」
叫ぶ。
「何をしてるんだ!彼らは人間だぞ!」
「もう人ではない。灰だ」
リオルが冷たく言う。
「片付けねば、儀式の続きができぬ」
使用人たちは、何の感情も見せずに灰を掃き集める。まるで、落ち葉を掃除するように。床に散らばった灰を、箒で集める。サッサッと。人の形が崩れていく。塵取りに入れる。袋に詰める。
一つの袋に、複数人分の灰が入れられる。もう、誰が誰だか分からない。十二人分の人間が、ただの灰として処理されていく。
五分もかからず、床は綺麗になった。何事もなかったかのように。
「これを納骨堂へ」
国王の命令で、三つの麻袋が運び出されていく。十二人の魔導士が、たった三つの袋に収まった。
使用人たちは、無言で退室する。扉が閉まる。ガチャンと。
「そんな…」
膝から力が抜ける。ガクッと。
ここは、狂っている。この国は、完全に狂っている。
人の命を、虫のように扱っている。死を予想していて、それでも儀式を強行した。そして、死体を——いや、灰を——ゴミのように片付けた。何の感慨もなく。何の哀悼もなく。ただ、邪魔なゴミを処理するように。
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