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9.飽食の都へ


 飽食の都というのは俗称だ。

 とかく物が多く、あふれんばかりある。抱えきれないほどの、飽きるほどの食の数々。それを驚嘆した人々によって呼ばれたのが始まりらしい。

 ロミールが話していたように、一歩都の中へと踏み出すとあちらこちらから食欲をくすぐる香りがする。あれはなんの匂いだろう。

 ミオを牽引しなければと思うが、ついつい惹かれて歩いていきそうになる。まるで見えない糸に引っかかって、そのままくるくると巻き取られていくみたいだ。


「まずは、足りないものの補充。油と水と、食材に」


 誘惑を振り切ってビェナは指折りながら必要なものを数える。上げれば上げるほど指が足りなくなりそうだ。道に並ぶ多くの店を見るたびにいるかもしれないと思う物が増えていく。


「新しいカバンもいるンじゃない?」

「お古のカバンじゃ、荷物を分けるのにはちょっと足りないね」


 背負う荷物袋のなかからネリダとロミールが言う。隣を歩いていたミオが、自分の持っている肩掛けカバンを少し持ち上げた。


「確かに、私が持つ荷物は少ない」

「その分、私よりも重たい荷物ですからね。持ってくれて助かります」

「そう、か」


 ミオはカバンを下ろして、大事そうに開け口を撫でた。


「大事な品だ。気を付けて守ろう」

「はい。お願いしますね」


 ミオに持ってもらっているのは、ビェナたちの旅資金だ。貨幣はそれぞれ銅貨や銀貨で、持ち運ぶには量が増えると重すぎるという欠点がある。だから、こうして分けて持ってもらえると助かる。


(それに今のミオさんなら、持っていても大丈夫だもの)


 前の街での朝市騒動から、ミオの貨幣価値についての再確認と注意すべきことをみんなで話し合った。知識がないだけで、ビェナたちから説明をすると理解できたらしい。決して愚かな人ではなかった。

 口調も以前よりは柔らかになってきている。旅の最中でミオができることを見つけるのは、そう難しいことではなかった。


(読み書きも、文字も私より上手だし。ミオさんが帳簿をまとめてくれるから、荷造りも楽になったし)


 資金繰りの計算もビェナよりもよほど早くて正確だった。拍手して褒めると、驚いたようにローブを深く被ってうろたえていたのが印象に残っている。


(あの時は、損を取り戻そうとミオさんなりに頑張ったってことだから……そこまで気負わずにいてほしいけど)


 しっかりと肩掛け鞄を庇いながら歩いている様子を見るに、今すぐには難しそうだ。

 しかし、それくらいがちょうどいいのかもしれない。何せ、人が多い。旅途中で通りがかった町のどこよりも賑わっている。

 どこから来たのかわからない人も歩いている。服装も容姿も見たことのないタイプの人が行き交い、喧騒の一部となっていた。本当に大きな都だと思わずにはいられない。

 それでもミオの美貌がひとたび顕わになれば、前回以上の騒ぎになるのはきっと間違いない。ビェナのように旅を共にして側にいても動揺することがあるのだ。

 ビェナがそろりとミオをうかがうと、ミオもわかっているとばかりにローブに片手をあててしっかり被った。


「ええと、油、水……」


 もう一度言いながら、ビェナは買い物を再開した。ところどころ囁くネリダやロミールの助言を聞き入れながら、良いものを選び、ミオと分けて荷物に入れた。


 一通りの買い物が終わると、人混みの流れに沿って宿を探す。

 どこも盛況で呼びこみが飛び交っている。向かう先では宿の自慢を宣伝する声が張り上げている。

 ビェナにはどの宿も良さそうに見えたが、意外にもミオが一つの宿を示した。

 曰く、客層が一番良さそうだと言う。確かに、品良く着飾った婦人や裕福そうな商人が出入りしている。


「でも、高そうな宿に見えるよ」

「うーん……相場よりちょっと高いだろうけど、予算は間に合いそうじゃないかな」

「あたしはいい宿に賛成。いいンじゃない」


 ビェナとは反対に、ロミールやネリダの反応は良さそうだ。さらには、ネリダが若干ビェナの声に似せてその宿へ向けて高らかに注文をつけた。


「すみませぇーん! 二名で三日! 部屋は同じでもかまいませーん!」

「はいはい、ようこそ」


 宿の入り口で掃除をしている恰幅のいい婦人が、反応を返した。にこやかに迎える。


「おやま、旅の方? どうぞどうぞ、うちの宿は評判がいいんですよ。さあ、記帳はこちらです。お代は先払いでお願いしますね」

「一泊いくらですか」

「そうねえ。一部屋、男女二人ね……このくらいかしら」

「なるほど……」


 あれよあれよと宿のカウンターまで案内されて、ミオが受付で話を聞いている。婦人がふくよかな指先を開いてもう片手の指を二つ添えた。


「銅で七?」

「ええ、七銅貨です。料理は別ですがね」


 自慢そうに夫人が首を後ろへ動かす。向いた先は厨房のようで、真っ赤な唇を吊り上げてウインクをしてみせる。

 一階のカウンター裏に石造りのかまどを構える立派な調理場がある。ごうごうとかまどの天井を舐めるような赤々とした火が上り、薪をくべて汗を流す料理人たちの姿が見える。

 また一方では調理台で盛り付けが終わった皿を右側へと続く通路から忙しなく運び出している。数々の料理はビェナがこれまで見たことないくらい贅沢な山盛りだった。


「料理の値段は?」

「朝食のサービスで、さらに一人二銅貨。昼はなしで、夕食は一人三銅貨だよ」

「そうか」

「自慢の料理を提供しますよ」


 たずねてからミオはビェナをちらりと見た。ここでいいかという判断を仰いでいるのだろう。ビェナはこくこくとうなずいた。


(二人で十二銅貨。思ったよりすごく安い!)


 驚きに目を大きく開いてしまう。

 ミオはビェナの反応を確認してから記帳へ名前を書いた。鞄から銀貨を一つ出して言った。銀貨は銅貨五十枚分の価値がある。


「ひとまず、三日。朝と夜、食事を付けてほしい」

「はいはい」

「構わない。あまりは取ってくれ」


 やり取りのどさくさに紛れて、ロミールが液体の体を器用に動かし、ミオの荷物から素早く銅貨を五枚出した。ミオは増えた銅貨に気づくと、それもまとめて婦人に渡した。

 婦人は愛想良く微笑むと銀貨と銅貨を握る。


「あらまあまあ、どうもどうもぉ。さあさ、ようこそ良いお客さん。お部屋に案内しましょ。お荷物は? お運びしましょうか」


 親切そうな顔で婦人がビェナを覗きこむ。咄嗟にのけぞって、荷物を庇うように手を添えて曖昧に笑ってしまった。


「あっ、いえ、ご親切にありがとうございます。自分で運びます」

「あら、そうですか。ではこちらですよ」


 婦人の先導に従って、ミオとビェナはカウンター横から上へと伸びる階段を進んだ。

 二階は完全な客室ばかりの間取りらしい。通路を挟んで左右にドアが並んでいる。木製のドアにはマークが掘られていた。間違えるようなことがないようにという配慮だろうか。

 ドアを鍵で開けると、婦人はその鍵を渡して「それでは」と階下へ降りて行った。

 中を覗いて、その安さの訳がわかった。縦に細長く手狭。ベッドで眠れたらそれでよしというような広さだった。


「とりあえず中に入ろうじゃない」


 絶句したらしいミオの背を押したのは、荷物から出てきたネリダだ。ネリダはミオに飛びついて「早く」と急かしたあと、ビェナに向かって入るように小さな手を動かした。




 施錠をしっかりした後で、荷物を並んだベッドの隙間に下ろす。

 荷物の上にネリダとロミールがちょこんと腰掛けると、それに見合うようにビェナとミオもベッドに腰かけた。

 全員が席に着いたのを確認してから、ネリダが言った。


「じゃあ、これからビェナの相手を探すわけだけど」


 唐突な発言に、ビェナは何を言っているのか理解するのに時間がかかった。


「ネリダ?」

「このくらい広いところならさ、いいところの坊ちゃんが一人や二人うろついているかもしれないわ」


 ネリダは、ねえ、と隣のロミールに話を振った。


「そうだね。元々そのつもりだったし、三日もあれば一人は見つかるかもね」


 うん、とロミールは当然のように言った。


「ロミールまで。ねえ、せっかくだから観光して終わるとか」


 ビェナが慌てて提案するが人形夫婦はすっかり乗り気だ。


「やっぱり財力なンじゃない」

「いや、知性も重要だ」

「もてなし上手は?」

「話のうまさも必要かも」


 ネリダとロミールは互いに好き勝手に条件をあげつらう。しまいには、ミオに矛先を向けた。


「ミオはどう思う?」


 ミオは話を向けられてしばらく沈黙した。ビェナのほうをちらとうかがうようにして、また元の位置に戻る。形のいい鼻先が下を向き、赤みのある感情を抑えた口元が動く。


「彼女にふさわしい人が、どのような人かはわからない。ただ」

「なンだい」


 せっかちなネリダが跳ねて続きを促した。


「私の過去の経験からの話になると……その、ただ美しい見目は難を退けても成長を阻害するようだ」

「見事な客観視だね」


 冷静なロミールの言葉に、ミオは恥じ入るようにうなずいた。


「それと、話し上手は聞き上手とも限らない。もてなし上手は素晴らしいが……全員を同じように接することができる者は稀だろう。少なくとも、私は見たことがない」

「そうねえ。おしゃべりで誠実じゃないなンて最悪じゃない。もっとロミールみたいに賢くなきゃ」

「人を知的に楽しませる者も得難い才能だろう。けれど、相手にも同じものを求めてしまうのではないだろうか」

「昔にあったの?」


 ネリダが相槌を打ちながら問いかける。ミオはまたゆっくりと肯定した。


「今思えば、私にはもったいないほどの相手が揃えられていた」

「へーえ。例えば?」


 荷物の上にネリダが転がって頬杖をつく。ロミールが片手を振る。


「そりゃあ、他国の姫や要職のご令嬢のはずさ。あの国の王子は数多くいたはずだけど、ミオは特別綺麗だから使い道は多かったろうね」

「ロミールの言う通り、多くの者と会った。頭の良い知恵者、陽気な道化、華やかな姫君。今となってはすべて過去だ」

「僕らの祖先は、伝え聞くにその知恵者臣下らしいよ、ミオ」

「そうだったのか。後の世まで苦労をかける」

「本当かはわからないけどね」


 うん、と軽く流してロミールは言う。


「もしかしたらビェナは、きっと姫君の末かもしれないし」

「ロミールそれは絶対違うから」

「それくらい僕らにとっては可愛らしいんだってことさ」


 表情は変わらないが、あえて陽気にロミールが言い切った。そして不意に人形の体から液状の本体を現した。


「まあ、ひとまず。いつもどおり見てくるよ」

「じゃあ、あたしも」


 ネリダも同じように人形から抜け出すと、二人そろって部屋の窓からするりと隙間を縫って行ってしまった。窓の向こうは日が当たり、明るい様子がよく見える。


「……はあ。あの、ミオさん、すみませんが荷物番がてら休んでいてください」

「それはいいが、君は」

「二人が出ている間に、昼ご飯でも探してきます。宿を取ってくれたのはミオさんなので、ここは私が」


 腰を浮かしかけたミオをとどめる。ビェナは荷物から硬貨数枚と蔓草で編んだ袋を取って、部屋を後にするのだった。


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