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8.朝市の騒ぎ


 水晶の森を出発して、歩くことしばらく。

 二日、三日と経由してわかったことがある。


「ミオさん、ミオさん! 起きて!」


 ビェナは借りた宿で、シーツにくるまるエミディオン――今となってはただのミオ――を揺さぶった。なかなか起きる様子がない。王子様も形無しの寝坊助にビェナは苦戦していた。

 道中の野宿から解放された安宿のベッドでも、きちんとした寝具で寝られるのだからありがたい。よく眠れるだろう。その気持ちはビェナにもわかる。

 ただ、それを考えてみたとしてもミオは非常に寝起きが悪かった。

 野宿の時でも妙だなとは思ったのだ。よく寝坊してはネリダやロミールがたたき起こしていた。

 長い間眠っていた弊害というわけではなく、単純によく眠る。ここ数日共に過ごしたことでわかったことだった。


「ネリダやロミールに怒られちゃう。ミオさーん!」


 恐る恐る触ってみても反応がない。仕方なしに大胆に揺さぶる。そうしてやっとミオは身を縮こめ、もぞもぞと動き出す。

 ぱっと手を放して距離を取る。ビェナはやきもきと指を動かしながら辺りを見た。座ったまま動かない人形二体が荷物のそばにある。まだ二人は起き出していないようだ。


(今日は朝市に路銀稼ぎに行かなきゃだから、早く支度しないと……!)


 なにせ昨晩にたっぷり言い聞かされていた。

 ここの町役人に交渉してなんとか売り場を確保までしたのだから、損はできない。朝市で元をとろう。そう張り切るネリダの言い分をさんざん聞いて、口上練習に付き合ったのだ。


「ん……う、うん、あさ」

「そう、朝。朝です、ミオさん」


 距離を取ってビェナが囁く。

 ミオはのそのそとベッドから起き上がった。まだ寝ぼけているのか目が完全に開いていない。大変に美しいが容姿で誤魔化されるわけにはいかない。ビェナは「朝の市」と一言添えた。

 どうやら昨晩のことはさすがに覚えていたらしい。おぼつかない動作でミオは移動しようとした。

 そしてベッドから降りようとして、落ちた。


「わーっ!? ミオさん!」

「なンだい、騒がしいわねえ」


 その拍子にタイミングよくネリダたちも目覚めたようだ。まずネリダが伸びをして立ち上がった。続けて、ロミールもぴょんと立ち上がる。


「おや、寝坊助が落ちてる。今日は自分で起きられたかい?」


 手を差し伸べようとしたまま固まったビェナをおいて、ロミールはとことこ歩いてエミディオンの傍に行った。人形の体から液と化した体を出すと、ミオの体を引っ張る。

 ビェナは急いで助け起こすのを手伝った。ロミールのおかげでさほど苦労せず起こすことができた。


「ミオさん、大丈夫ですか。お怪我は?」

「あ、ああ。ぶつけただけだ。問題ない」

「言葉」


 ミオにロミールの短い訂正の言葉が飛ぶ。ミオはまだぼんやりとした顔のまま緩く瞬きをすると言い直した。


「ぶつけたけど、大丈夫」

「そうそう。支度をしたら早く出かけよう。ネリダもお待ちかねだ」


 その言葉にビェナはネリダを見た。準備運動のように腕を回している。やる気だ。


「ようし、稼ぐよ!」


 ネリダが両手を上げて言う。ロミールも片手を上げて応える。いつもの姿に、ビェナもつられるように片手を上げた。

 そしてミオは、それを眺めた後で真似をした。




「さあさあ、お立合い! 魔法仕掛けの人形と作った布小物だ!」


 朝市の一角で、ネリダの声が朗々と響く。

 わざと角ばった動きでロミールとネリダが躍る。およそ日常ではお目に掛かれない魔法という単語。そして自在に動く人形たちにつられて衆目が見事に集まっていく。

 好奇の視線の中、ビェナは愛想よく品物を広げた。そこから少し離れた位置に、ミオはローブを深くかぶって佇んでいる。


「腕のいい職人の見事な品だよ! 早い者勝ち、いい値で買っておくれ」

「金払いのいいお客はいい客だ。寄ってらっしゃい、見てらっしゃい」


 華やかなネリダの声と落ち着いたロミールの声に、見に来た客たちはビェナが出していると思ったようだ。人形たちとビェナを交互に驚いたように見比べている。そしてその視線はミオのほうへも向いた。

 ミオはさらに目深にローブを被ってうつむいた。そのことを気にしながらも、ビェナはやってくる客相手に手がけた品を売った。


 売り上げは好調だ。

勝手に動いて話す人形と出来のいい布細工が物珍しくとられたおかげで、さほど時間もかからず盛況のまま店じまいとなった。

 村にいたころは、遠出をすることがほとんどなかった。村内で行商相手に売買はしたが、ここまで景気よく売れることはなかった。


(あまり私たちのことを知らない人ばかりだからかな。それにこんなに人もたくさんいる)


 遠く離れた場所なら、傍目には人形と話すビェナを奇妙に思われないのだろうか。まだそう思われる姿を見られていないというだけかもしれないが。


「思ったより儲かったね。これで買い物をしよう」


 声を潜めてロミールが言う。片付けが終わって、ビェナの背負った荷物から顔だけ覗かせている。ネリダも同じように、ひょこりと顔をのぞかせて言った。


「本当なら、あたしたちも出て買い物したいンだけどねえ」

「僕らが外に出て回ると注目されてしまうよ。さあミオ、君にもお小遣いだ」


 荷物の中に一度引っ込むとロミールはピカピカと光る銅の硬貨を五枚取り出した。

 ミオが、それにそろりと手を伸ばす。受け取ったあと、不思議そうに手のひらを眺めた。


「あまり長居はしないほうがいい」

「そうね。また無遠慮に触られたくないわ」


 注意深くロミールは言う。ネリダも同意するように頷いた。

 その意見はビェナにもわかった。魔法がかかった珍しい人形と世間で見られ、欲しいと奪われそうになったこともある。もっとも、人形二人がやり返して事なきを得た。


「いいかい、世の中は親切な者ばかりじゃない」


 ロミールの言葉に、ミオは耳を傾けている。何か思うところがあるのか、静かに続きを促した。


「なので、取り返しがつかないことになる前には助けてあげよう」

「ビェナのついでにね」


 ネリダが付け足すと、荷物から一輪の花を出す。ビェナがかけられた魔法によって出された花だ。いつの間にか取っていたに違いない。

 その花を握る木製の小さな手から、ネリダの本体である液体がちらりと覗く。茎をするする伝って花弁の中に入り込むと、大きな一滴となって溜まりこんだ。


「これを持っておくンだよ。迷子防止になるからね」

「ありがとう」


 よしとばかりにネリダとロミールは揃ってうなずいて、荷物のなかに引っ込んだ。ミオは花を片手、硬貨を片手に握ってビェナのほうを向いた。


「それで、どうすれば」

「好きなものを買って大丈夫ですよ。お小遣いってそういうものだから」


 ビェナの返答に少し考え込んだ後、ミオはあたりを見回した。そして、気になる店でも見つけたのかふらふらと歩いて行った。店主に話しかけられ、あれよあれよと言いくるめられている。

 やがて、硬貨は色が塗られた卵へと変わった。だいたい十秒くらいの短い間だった。

 ミオはビェナのところに戻ってくると、その卵を見せた。赤いペンキを乱雑に塗ってある。申し訳程度に不可思議な模様が描かれていた。


「立派な馬になる卵だそうだ」

「詐欺です、ミオさん……!」


 赤色を塗った卵一つに、銅硬貨五枚は高値すぎる。せいぜい一枚が普通のはず。

 ビェナが慌ててその店を見ると、いかつい強面の男が意地悪そうに笑っていた。上機嫌で髭を整えて、近くに通りがかった旅人に強引に売りつけている。ああいう人は取り合ってくれない。経験則から諦めて、ミオを問いただした。


「仔馬が牝馬から産み落とされるのはご存知ですよね?」

「ああ。だが店主が言うには、魔法の特別な馬なので、そういうものだと」

「あああ」


 ミオの額面通りに受け取ることが裏目に出てしまった。背後から「もったいない」というネリダの文句が聞こえる。


「これは魔法の馬ではないのか」

「どう見ても」


 ビェナが肯定すると、高い位置にあるミオの頭が下がった。

 落ちこんだのかもしれない。フォローをするべきかとビェナが「あの」と声をかけたと同時にミオは歩き出した。

 向かう先は、あの店主のところだった。店主はローブを深くかぶったままのミオに、怪訝そうに表情を動かして睨んだ。


「先の対価に見合うだけのものがほしい」


 おもむろにローブに手をかけ、自身の目を閉じたままその美しい容貌を顕わにした。

 途端、店主は固まった。ついで、その周りの人々も。

 まるで無音の世界に行ったかのように周囲の音が遅れて止まり、徐々に熱気を取り戻した。


「どうぞ!!」

「私のこれを!」

「いやこれを! どうか!」


 店主がまず並べた卵を割れるのも構わずかき集め差し出した。続けて買い物袋から女が野菜を取り出した。それに伝播したかのように、ミオに見惚れた人々が進んで物を差し出した。誰もが嬉々として、ミオへと献上している。

 そこからミオは目を閉じたまま静かに呟いた。


「ありがとう。いただこう」

「光栄です!」

「ああ、どうかその御顔をどうか! もっと!」

「御目を開けてはくださいませんか」


 懇願する声が続く。

 ビェナは呆気にとられていたのを、荷物袋の中から人形二人に小突かれて我に返った。


「み、ミオさん! ミオさん!」


 呼びかけに、ミオは振り返ってローブを被った。それから献上されたままの品々を取ろうとして、失敗した。多くのミオの美貌を求める手が、ローブに掛かる。

 まずいと思ってビェナが駆け出したころにはもう遅い。


「早く行かなきゃ!」


 人垣を押しのけて、どうにかミオの手を掴む。ミオのローブが抵抗むなしく外れて、顔が顕わになる。不意に開いた目が衆目と合ってしまった。

 顔が変わってしまう。徐々にモヤに覆われる顔に、誰かが悲鳴をあげた。

 驚く人々の隙を縫って、ビェナはミオの腕を強引に取って走り出した。


「ば、化け物!」

「人を騙す化け物だ!」


 叫び声が上がる。飛んでくる物を腕で庇いながら、ビェナはミオを引っ張って懸命に逃げ出した。


(もうここにはいられない。どうしよう)


 のそのそと荷物からロミールが出てくると、ビェナの肩でくるりと方向転換して後ろを覗いた。つられてビェナも見ると、追いかけてくる人が数人見える。


「どうやらこのまままっすぐ都に行ったほうがよさそうだ」


 のんびりと言うと、ロミールはぴょんと後ろのミオのほうへと飛んだ。


「しばらくは狩りと節約生活だ。反省しようね」


 そのままミオの頭によじ登ると、ぽんぽんと頭を叩いた。


「まったく! しょうがないわねえ」


 今度はネリダが出てくると、ビェナの肩を撫でた。


「根性出したじゃない。さすがあたしたちの可愛い娘。その調子だよ!」


 息をきらせながら、ビェナはうなずく。

 そうしてそのまま、ミオを引っ張りながら町の外へと連れ出す。走って、走って、町をさらに一つ二つ越えて、ようやく一息つけたのだった。



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