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6.夜の出来事


 こまごまとビェナが動く様子は、ゼンマイ仕掛けの人形のようだ。

 エミディオンが記憶にある中でふさわしい物を浮かべてみると、それが当てはまる。与えられた役割や仕事を一目散に取り組むのだ。わき目も振らず同じような動作で繰り返す。

 そう思うのは、現実離れした空間と勝手に動き回る人形たちのせいかもしれない。

 ビェナが働くのを補助したり見守ったりと甲斐甲斐しい二体の人形。それぞれネリダとロミールと名乗った人形たちは、もとは人であるらしい。


(同じ、魔法にかけられた者同士と言ったが)


 魔法使いというものは度し難い存在だ。

 話には聞くが、実際に目にすることは普通ない。伝承やおとぎ話の存在。

 魔法使いは世に稀な存在で、突然世界に現れては留まることなく消えていく。大衆に混じるでもなく、誰も彼もひっそりと浮世離れして暮らすという。

 だからか、人と価値観が異なるのかもしれない。

 ネリダやロミールのように人から外れた生き物にされることもあれば、エミディオンのように眠りと呪いまがいの魔法をかけられることもあるのだろう。


(彼女は、体を拭けば花が出る魔法をかけられたと……)


 どうしようと報告してきたわりに、ビェナはけろりとして働いている。

 初めて出会ったときには、慎重で臆病な人だと思えていたのに。そのことがエミディオンには意外だった。

 今なんて、寝る前にお茶はどうだろうと言って、自分が拭いて出した花は使えるかと真剣に考えているようだった。実はずいぶんと逞しい人なのかもしれない。


(この三人についていけば、残る魔法も解けるだろうか)


 魔法をかけられた者同士、解くことを願って行動を共にするのは悪くない。自分を起こしてくれた恩もある。恩返しをしろと要求されたことには戸惑ったが、何かを作るということはエミディオンが思った以上に興味深かった。


(初めて湯を沸かしたが……本当なら、彼女のようにうまくやるのだな)


 どうやら、ビェナはお茶を淹れることにしたようだ。またこまごまと動いて準備をしている。エミディオンがした時とは比べ物にならないほど手際がいい。

 まず、小さなカップにお茶が注がれた。きっとネリダとロミール用だろう。

 次にビェナは、少し大きめのカップを用意して同じようにお茶を注いだ。そして、湯気の立つカップを手に、ビェナは当たり前のようにエミディオンの元へと運んできた。


「もしよろしければ、どうぞ」


 顔を伏せぎみにして、カップが差し出された。エミディオンの分だったらしい。


(これは……どういうつもりだ)


 こちらに伝わってくるのは、あからさまな欲でもない。ただ少し緊張はしている。でもそれだけだ。エミディオンへ他意もなく差し出している。


(この顔を見た者は、怯え逃げるか遠巻きにするばかりだったのに。彼女は人形二人のせいで慣れているのか?)


 エミディオンが黙って考えていると、ビェナは戸惑ったように付け足した。


「あっ。もしかして、毒見が必要でしょうか。味見は先にしています。それに、ネリダとロミールが」

「いや」


 そんな心配はしていない。

 むしろ毒を盛るなら、眠っていた無防備なところを始末したほうがずっと楽だろう。

 エミディオンは躊躇っていた手を動かして、カップを受け取った。


「ありがとう」


 こういうときの言葉は、今のエミディオンの立場ならこう言うと適切らしい。ロミールに教わったことをそのまま口にすると、ビェナはほっとしたように頭を下げてそのまま戻っていった。


(せめて、私が得意なことで返せるといいのだが)


 生憎、エミディオンは特出した能力に乏しい王子だった。

 ほかに優れた継承者がいて、適当な婿に出すかと言われていたくらいだ。為政者向きの性格でなかったのも良くなかった。


 ただ、容姿だけは誇れた。

 可もなく不可もない自分でも、適当に微笑んでいれば誰もが面白いくらい良いように解釈してくれた。

 やれ、麗しい。やれ、心根の清い。エミディオンはそんなつもりもないのにも関わらず、そうなった。

 ただ、今となっては同じ結果にはならない。


(……何もなくなってしまったな)


 手に持ったカップは温かい。

 視線をお茶の表面に移す。映る自分の視線と合う。それだけで、エミディオンにかかった魔法は発動する。

 自分の顔がぼやけて、モヤによって覆われて見えなくなる。暗く寂しい夜闇の色は、かつての記憶に残った魔法使いの様子を想い起こさせた。


(寂しいという感覚は、こういうものなのだろう)


 そろ、とビェナの行方をうかがう。

 ビェナはネリダとロミールに囲まれて自分の分を淹れなおしている。どうやらエミディオンに渡した分で、お茶が無くなってしまったようだ。

 ビェナにとって自分のことを後回しにするのは、いつも通りなのだろう。ネリダの文句がこちらにまで聞こえてくる。小さな笑い声が耳朶をくすぐる。誰かを慈しむ優しい声とは、こういう声なのだろうか。

 それを聞きながら、エミディオンはゆっくりとカップに口を付けた。

 ほのかに花の芳香がする。じんわりと喉を通って落ちる温さが、どうしてか無性に気になってしまった。




 しんと物静かな夜中。

 エミディオンは就寝の挨拶に来てから、ビェナが寝ずに何かしているのに気づいた。

 月明かりが降りる場所に腰かけて、黙々と手を動かしている。繕い物をまたしているのだとすぐわかった。

 ビェナの近くには畳んだシャツがある。小さなものと、大きなもの。

 眠気がくるのか、時折、ビェナは目元を擦って作業の手を止めている。一体いつからやっているのだろう。


(眠らずに仕事をするのが、普通なのか?)


 エミディオンは、興味深くなって体を起こした。なるべく静かに起き上がったので、ビェナはこちらに気づいていない。

 それに、あの人形夫婦もどうやら眠っているらしい。大荷物が入ったカバンに背中を預けて、足を投げ出して座ったままだ。ぴくりとも動かない。


(よく動く手だ)


 ビェナとは距離が開いている。ネリダとロミールによって強制的に離されたともいう。ちょうど、大荷物カバンを挟んで寝袋を敷いているのだ。

 エミディオンは慎重ににじり寄った。近寄ると、ビェナの手元がよく見える。

 まるで見えない何かに操られているかのように、巧みに動く。それこそ魔法みたいだった。加えて、小さな声で囁いているのも聞こえた。


「針よ、針。縫っておくれ。色美しく、眩く立派。すばしこい貴方」


 エミディオンの聞いたことがない歌だ。眠気まじりのまどろんだ声音は、ところどころ節が外れているが心地良い穏やかさがあった。


「わたしのいい人、つれて……あっ」


 針が止まる。ビェナのひざ元から糸巻きが落ちた。ころりころりと転がって、ひとすじの糸を残してこちらまで踊るようにやってきた。月明かりに照らされた糸は金や銀に輝く美しさがある。

 エミディオンは近くで止まった糸巻きに、そっと手を伸ばした。すると、腰を上げて糸巻きの行方を捜したビェナと目があった。


「あ、あっ、ああ」


 ビェナはエミディオンに気づくと、さっと顔を赤くした。夜でもわかる赤面だ。


「お、おお、お耳汚し……! いえ、えっと、あの、起こしてすみません。できれば、その、聞かなかったことに」

「そこまで悪い歌ではなかったと思うが」


 早口で弁明するビェナに糸巻きを拾って差し出す。ビェナはうつむいてしまった。耳まで赤い。


「今はそんな歌が流行りなのか」

「いいえ。村で仕事するときに、ネリダたちと歌っていた歌なんです」


 なので知らないとビェナが首を小さく横に振る。それからエミディオンから糸巻きを受け取ると、まだ赤い顔のままお礼を言った。


「糸巻きを拾ってくださって、ありがとうございます。もう静かにしていますから」

「君はまだ起きて仕事をするのか」


 うつむいていた顔が上がる。エミディオンを見返すビェナの丸い瞳が、ぱちりと瞬いた。わずかに潤んだ瞳が印象的だと思えた。

 なんのことかわからないという表情だ。考えていることがありありとわかる。そして、エミディオンの変化した顔を見てもそれに怯んだ様子もない。

 不思議な気持ちになりながら、改めて問いかけた。


「何か仕事をしていたのでは?」

「あれは仕事というか」


 言葉を探すようにビェナは言葉を区切った。


「ただ私がやりたかっただけで。確かに、売ればお金になるけれど」


 ビェナの視線が座っていた場所に向かう。そこにあるのは畳まれたシャツだ。


「ネリダとロミールは、私を自慢とうるさく言っていませんでしたか」

「ああ。世界一の相手を見つけるにふさわしい子だと」


 今度は視線が眠る人形たちに向かった。


「王子様に仰っていただけるほど、私、全然すごくないんです。いたって普通の村娘です。でも二人は私にとても優しいから」


 確かに、面識もなかったエミディオンでさえも彼らのビェナに対する贔屓ぶりはよくわかった。ビェナは恥じらうように目を伏せてはにかんだ。


「だから少しでもそうなれるように努めたいし、良くありたいなって思うんです」

「それでこんな夜まで?」

「つい夢中になってしまって。時間を圧せばいくつか作れるし……それで、ええと」


 ビェナは小走りにその場を動くと、シャツを一つ取って戻ってきた。


「これ、差し上げます。大きな町では今の御召し物だと目立つかもしれません」

「私に?」

「はい。王子様には粗末な代物かもしれませんが、丈夫で汚しても大丈夫なものは必要かと思います」

「どうも、ありがとう」


 シャツを受け取ると、ビェナは「はい」と言って嬉しそうにした。視線がエミディオンの顔をさ迷っている。


「私の顔に、何か」

「あっ、いえ。ただ、王子様は喜んでいただけたと見てわかったので」

「喜んでいた……」


 確かに、ありがたいと思った。夜通し繕ってくれたのだ。誰も彼も遠ざけるような魔法をかけられたエミディオンに、わざわざプレゼントをしてくれた。

 そして顔を合わせて恐れることなく、エミディオンの感情を読み取ろうとした。

 思わずエミディオンは自分の頬に触れた。感触自体は、普通の肌だ。だが、見た目にはモヤに手を突っ込んだように見えるだろう。

 そのまま触って黙りこんでいると、ビェナはそっと声をかけてきた。


「疲れたなら、休んだほうがいいですよ」


 そして、こう付け足した。


「あのう、それと王子様。私の相手探しにお手伝いをとのことですが、どうか気にしないでください」


 エミディオンは背を向けようとして立ち止まった。ビェナへと振り向けば、困ったような笑みを浮かべていた。


「私、相手は別にいらないんです。今でもこんなに思ってくれる二人がいるから」


 ビェナが再び眠る人形二人へと優しい顔を向けた。だがそれもエミディオンへ戻るときには、申し訳なさそうに眉を下げている。いくら鈍いエミディオンでもビェナに気遣われているのだと理解できた。


(彼女は、一人きりのようでそうではない)


 それがほんの少し、羨ましいと思えた。


「ネリダとロミールが楽しそうだから、しばらく付き合うつもりです。だから、王子様もそっと流してくださいね」

「わかった。善処しよう」

「では、おやすみなさい。良い夢を」

「ああ……貴方も、早く休むといい」


 ぎこちなく労いの言葉を言う。今までなら飛び上がって色めいた相手と同じ反応は返ってこない。

 ただ、穏やかにビェナは微笑んだ。まだほのかに赤い耳元が、なぜだか目について仕方なかった。



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