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5.これはご馳走


 ビェナが経緯を話した途端、持っていたタオルとバラをロミールに取り上げられてしまった。すぐにネリダも駆け寄ってきて、スカートの裾を引っ張ってくる。


「もうっ、馬鹿! このお馬鹿! なーに知らない相手に親切しているンだい!」

「魔法使いに()うなんて。そんな普通じゃ考えられないのに、まさか」

「しかも魔法をかけられたって。アンタまで、もう、もう!」


 ロミールは考え込み、ネリダはよじよじとビェナの体を登ってきた。さらに頬を両手で包んだ後、パンと叩いた。


「警戒心!」

「うっ、ごめんなさい。でも泣いていたし、相手は魔法使いさんだし、無視もできなくて」

「アンタが無事でよかった」


 抱き着いてきた体を、抱き返す。頭をすり寄せて、ビェナはネリダを地面に下ろした。


「また、と言ったならどこかで会うつもりかもしれない」


 ロミールが唸りながら言った。


「となると、魔法を解ける可能性もあるはずだ。僕らも……ついでに王子も」


 その言葉に、エミディオンが顔を上げた。ローブが後ろにずれて顔が顕わになる。

 ばちりと視線が合ってしまった。ビェナの目の前でまた暗い夜空がエミディオンの肌を覆ってしまった。


(あ、星が流れた)


 ちかっと小さく光った。まるで期待の感情が一瞬湧いたかのように思えた。


「ビェナ、とりあえず寝床の準備を。ここで夜を過ごしてから向かうとしよう」


 思わず見つめてしまっていた。ロミールの言葉に、ハッとしてビェナは視線を外して返事をした。


「うん、わかった」




 しばらくして、空が薄暗くなるころ。

 ちょうどエミディオンが眠っていた台座周りに寝床が完成した。といっても、持ち歩いていたシーツで簡単な帳を作っただけのものである。

 そして今回はビェナ一人ではないため、急きょ即席の寝袋を作ることとなった。さすがに元とはいえ、王子をシーツ一枚で放り出すのは駄目だとビェナが提案したのだ。

 補強のために作り出した糸と布に加え、さらにロミールたちは用意してくれた。それに感謝をして、ビェナは黙々と作業を始めた。

 そして、エミディオンはといえば、ロミールとネリダに文句を言われながら料理の支度をすることとなった。


(い、良いのかな……王子様を使っちゃって)


 ちらっと見ているだけでも、大変そうだ。台座をまな板代わりにして材料を切っている。切るだけならともかく、量や大きさは細々とロミールたちに指示されていた。

 おぼつかない動作は、明らかに慣れていない。

 ただ、エミディオンは粛々と指示を受け入れて真面目に行っているようだった。


(良いのかなあ)


 手元とエミディオンたちを見比べながら、ビェナはせっせと繕い物をすすめた。簡単な縫い物なので、すぐにでも終わりそうだ。

 ほ、と息をついてもう一度エミディオンたちを眺める。

 手伝いに行くべきかと思ったが、こっちに顔を向けたロミールが腕を交差してバツマークをつけていた。駄目らしい。


(あれは甘やかすなの威嚇ポーズ。割って入ったら怒られちゃう)


 ネリダが文句をつけつつ楽しそうに指導しているのを、満足そうにロミールは見守っている。

 手伝いができないとなると、手持無沙汰になってしまう。

 ビェナは作業が終わった寝袋を置くと、近くにある余った布を前に思案した。


(服でも作ろうかな。ネリダとロミール、それから王子様の分。これから街に行くなら浮いちゃうもの)


 一日がかりで上着からズボンまで縫うのは無理でも、シャツの一枚くらいはなんとかできそうだ。少し大きめに作っておけば、あとで調整もしやすいだろう。

 村の人の服を作ったときと同じように、ある程度の目算でビェナはシャツ作りを始めた。

 針先に目を凝らして、すいすいと手を動かす。迷うことなく時々刺繍を凝らしてみたり、ボタンを縫い付けたりして進める。片袖が縫い終わったころに、ビェナは体を揺すられてその手を止めた。


「ご飯だよ」


 差し出されたのは木の器に盛られた具入りスープだ。具材の形は不揃いで、火加減が難しかったのかとろけかけたものもある。

 ビェナは器から視線を上げた。その先には、なんだか戸惑った風なエミディオンがいた。その肩にはネリダが移動して上り、頭にはロミールが乗っかっている。


「味は調えておいたから、食べられるはずさ」

「初めてにしては、マシなほうだよ。昔のビェナより上手かもね」


 余計な一言を付け加えたのはネリダだ。普段だったら、「もう」と文句でもいえるが、目の前のエミディオンのせいでそうもいかない。


「ありがとう、ございます」


 思わず固くなった言葉に、エミディオンは伏し目がちでうなずいた。極力こちらを見ないようにしていると、下を向いた鼻先ですぐに分かった。


「お二人とも。やはり、私から渡さないほうがよかったのでは」

「わかってないわねえ。誠意ってのが大事なンだよ。アンタは一度ビェナからの好感度を失ったンだからさ。態度で示さなきゃ」


 ネリダが分かった風に言う。

 そんなことはない。ビェナがそう言うより前に、エミディオンは納得した様子で「なるほど」と言った。


「ねえ王子、その口調はちょっと偉そうだ。世に紛れるなら、もう少し砕けた口調がいいよ」

「わかった。ロミール、指摘感謝する」

「ありがとう、だよ」

「ありがとう」


 今度はロミールの指導を素直に受け取っている。何度か練習させられてから、エミディオンは改めてビェナに器を差し出して言った。


「お詫びになるかは、わからない……けど、受け取ってもらえたら嬉しい」

「あっ、はい。お気遣いをくださいまして、ありがとうございます」

「固い固い固い!」


 不満そうなネリダが口を挟んできた。しかし、相手は王子だと思うと自然にそうなってしまうのだ。


「そんなすぐには無理だよ」

「だろうね。おいおい慣れていこう」


 ビェナが眉尻を下げて抗議すれば、ロミールは宥めるように言った。


「それより、せっかく作ったんだ。冷めたものより温かいほうがいい。食事にしようよ」


 その意見には賛成だ。ビェナだけでなく、ネリダもエミディオンも反対することなく食事の席に着いたのだった。




 布一枚を置いたとはいえ、地べたに座って木の器を持つ王子様がいる。豪華でも何でもない素朴な料理を見つめている。

 ビェナの日常では考えられない状況だ。

 自分で作ったから文句がないのだろうか。それとも、見た目のようにとんでもなく美しい心の王子様なのだろうか。


(もしかして。心が空っぽっていうのは、嬉しいとか悲しいとか……そういう気持ちが出にくいってことなのかしら)


 失礼だと思うが、どうしても気になってしまう。あれこれとつい考えが浮かんでくる。

 観察しようとしたが、ハッと気づいて視線を逸らす。


(かけられた魔法もよく思ってないようだった。見ないようにしなきゃ)


 しばらくビェナが俯いて食事を摂っていると、声をかけられた。


「ビェナ、どう?」


 なんのことだろう。ビェナが隣にいるネリダを向くと、木の器を指さされた。

 味のことを聞かれているのだ。ビェナは口を湿らせて返事をした。


「うん、美味しかったよ」

「そう。じゃあ、アンタちゃんと言わないと」


 今度はネリダの小さな指が、エミディオンを指した。

 エミディオンの隣にはロミールがちょこんと座り、ネリダの指摘にうんうんと頷いている。行儀や振る舞いは、小さいころからこの二人によって嫌というほど教えられてきた。

 反射でビェナは姿勢を正すと、エミディオンのほうを向いて礼をした。


「ごちそうさまでした。とても美味しいご馳走をいただきました」

「……ごちそう?」


 エミディオンは遅れて、不思議そうに言った。


「はい。味がついていて、具もたくさん。素敵なご馳走です」

「これが? 他の料理もないのに?」

「木の根っこをかじるひもじさに比べたら、とても立派なご飯なのですが……ええと」


 言いながら、生活の差があると分かってしまった。ビェナは続けようとして言葉を詰まらせた。

 その代わりに、エミディオンが噛み締めるように呟いた。


「我が国の民も、このような食事を馳走と喜んでいたのか」

「まあ大体は、これよりちょっとだけ上かな」

「ビェナが慎ましい生活をしてるだけだよ」


 ロミールとネリダが付け足すと、エミディオンは自分の器をじっと見下ろした。器の中にはまだ半分もスープが残っていた。


「私は、贅沢な物知らずだったようだ」


 それから木の匙で中身をすくって、一口食べた。

 それが終わると、また一口。黙々と食べ進めたエミディオンは、それきり黙り込んだ。


(どうしよう)


 ビェナは困って、自分の器を見た。もうすでに空だ。

 こういうときに限って、ロミールもネリダも何も言わない。甘やかすなのポーズを二人してとっている。


(でも、落ち込んでる。心が空なんて、そんなことなさそうじゃない)


 知らないのだ。きっとそうだ。

 ビェナは器を置くと、荷物のところへ向かった。

 人形二体の顔がビェナを見ている。咎められるかと思ったが、ビェナの手にした物を見て互いに肩を竦められた。どうやら、いいらしい。

 ほっとしながら、ビェナはエミディオンにそれを差し出した。


「あの、お腹が膨れはしませんが、これ」


 差し出したのは、木の板を組み合わせた玩具のような絵本だ。

 絵と文字が板に彫られ、そこにインクや染料で色を付けた簡単なもの。すっかり色あせてしまっているが、今見ても温かみのある色合いが残っている。


「私の祖父が作ってくれたものです。食べものを記録した図鑑で、これなら王子様が気にしていた民の食事に近いものがあるはずです」

「……なぜ、これを私に?」

「知らないなら、知ればいいと思って。ほかにも絵本があります。たとえば、ほら、今のスープみたいなお話のものとか」


 さらに重ねて絵本を見せる。

 昔、祖父にせがんで物語の絵本を作ってもらったときのものだ。口先三寸でくぎからスープを作る話や、魔法の呪文でおかゆが無限に出てくるお話。

 祖父はビェナが物心つくまえにいなくなってしまったが、皺だらけの手でたくさんの物を残してくれた。


「アンタ、こんなに持ってきてたの?」


 呆れたようなネリダの声がかかる。ビェナはもちろんだと頷いた。


「大事なものだもの。置いていて盗まれたら大変じゃない」

「あんな掘っ立て小屋に押し入る奴なンてそうそうないわよ」


 それはそうだが、大事なのだからいいではないか。ビェナは内心で言い返して、エミディオンの隣に絵本を置いた。


「良かったら、どうぞ」

「あ、ああ」


 なんだか呆気にとられた風に、エミディオンは答えた。


「お人よし」


 ロミールが言う。だが、冷たい声音ではないからかいまじりのものだ。ビェナは顔をしっかりとロミールたちに向けて返した。


「二人の娘だもの。そうなるわ」


 すると、ロミールとネリダは少し黙って互いに顔を見合わせる。

 それを見て、小さく笑う。置いた絵本の代わりに、空になった木の器を集めてビェナは片づけを始めた。



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