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3.心を映す魔法


 ロミールの言葉に、エミディオンはしばらく沈黙した。

 それからゆっくりと息を吐いた。

 ビェナには落ちこむというよりも、ほっとしたような、そんな風に感じてしまった。しかし次の瞬間には、エミディオンは柔和な微笑みを浮かべて穏やかに問いかけた。


「滅びた? それほどの時が経ったと?」

「少なくとも二百年くらいは。僕らの村ができたのも貴方の国から流れてのことだと聞いてます」

「そんなに……では、私をこうした魔法使いもいないのか」

「僕が貴方の話を伝え聞いたくらいの昔ですから。もしいたなら、すぐに飛んでくるでしょう」


 すると、エミディオンは静かに笑い声を漏らした。

 本当に仕草の一つ一つが絵になる人だ。ビェナはあんまり近寄らないようにネリダを前にして縮こまった。あんな美しい人が近くにいると、とてもじゃないが落ち着かない。


「いたとしても、もう飛んで来はしないだろう。彼女は私に興味をなくしたのだから」

「話の通り、つまんない奴って見放されたってこと?」

「ちょ、ちょっと、ネリダ」


 ずけずけと言ったネリダをビェナは慌てて抱えた。女の子人形は腕の中にすっぽりと納まるが、それでも止まらない。口元を手で隠してもおかまいなしだ。


「からっぽが見えるって、さっきのこと? それに何百年も眠るなンて、呪いみたいな魔法じゃないの。災難だね」

「祝福だそうだ。だけど、眠りは貴方がたのおかげで」


 ビリ、と何かが裂ける音がした。

 エミディオンが片手を上げた。立派な装飾が施された袖が襤褸となって千切れている。


「まあ、年数も経てば形を保っているだけ立派だよ。ちょっと待ってちょうだいな、王子」


 もぞもぞとビェナの腕の中からネリダが飛びだす。


「ロミール、ここの草使えるンだろ。うんと立派な糸束と布を作ってやろうじゃない。ビェナ、服を繕っておやり」


 ビェナの返事を待たずに、ネリダは人形から液状の体を出すと生い茂る草むらへと広がった。ロミールも同じようにして、二人して草を刈りだした。

 そして次には、糸車に姿を変化させると、ブーンブーンと滑車を回した。

 あっという間の速さで、草の繊維を溶かして糸が()られていく。それを数度繰り返すと、小山のような糸束が出来上がった。

 ぽかんとエミディオンが見ている。驚き感心するのも無理はない。ビェナは自分のことのように誇らしくなった。


「一ついいか。彼らも魔法をかけられた者だろうか」


 やがて、エミディオンが不思議そうにたずねてきた。

 失礼にならないように、目線を下に頭も少し下げる。


「はい。魔法使いに姿を変えられてしまったそうです」

「それは、私と同じ者……ではないな。長い時が経ったのだったか」

「多分、そうではないかと。すみません、どんな魔法使いだったのか私もそこまで知らないんです」


 答えているところに、ネリダの叱咤が飛んできた。


「ビェナ、布ができたよ! さっさと直してやンな!」

「ついでに多く作っておいたよ。余った布は染色もしたんだ。あー、黒葡萄のジャム色だけど」


 ビェナは思わず背負った荷物袋を見た。いつの間にかカバーが開いて中身が出ている。

 探ってみると、荷物からジャムの小瓶が消えていた。これを使ったのだろう。

 もう一度エミディオンへお辞儀をすると、ビェナは丈夫で質のいい布を掲げる人形たちの元へと向かった。


「ありがとう二人とも。素敵な色だね」


 布は、上品な赤みがかった紫色をしている。少しくすんだ落ち着いた色合いは美しい。

 この新しくできた布で、十分に立派な服ができるかもしれない。

 わくわくしそうになって、いけない、とビェナは頭を軽く振った。


(ううん。服を作るのは後にして、ひとまず王子様の服を直そう。これならすぐできそうだもの)


 ビェナは荷物を下ろして道具を取り出した。

 幼いころから、祖父が作っていた人形たちに服を繕うのがビェナは好きだった。大きくなってからは、繕い物の仕事をしてその日暮らしをしてきた。

 ネリダやロミールも手伝ってくれるので、型紙も布の切り取りも時間短縮が可能だ。なので、仕上がりはずっと早い。待たせることなく出来るだろう。ビェナはエミディオンの元へと進んだ。

 台座で大人しく座っているエミディオンに、なるべく丁寧に声をかけてみる。


「よろしければ、直します。服をお借りできるでしょうか」

「ああ、構わない」


 ビェナが思った以上にあっさりと言うと、エミディオンは目の前でいきなり服をくつろげ始めた。


「えっ」

「うん?」


 不思議そうに瞬く目と合った。

 瞬間。

 はだけた胸元の、ちょうど心臓のあたりから蔦のように黒いモヤが皮膚を這い始めた。


「あっ、え」


 さっきとは違う驚きで、ビェナは驚いた。

 その様子に、エミディオンはサッと視線を外して、「ああ」となんでもないように呟いた。


「私にかけられた魔法は、人と目が合うと発現するものだ。驚かせたな」

「あ、いや、それもあるんですけど、そうでなくて……」


 いきなり目の前で脱ぎ始めたからだ。

 しかしエミディオンは気にせずに、また服に手をかけている。


(わーっ!? 隠すもの、なにか覆うもの!)


 落ちていたシーツを慌てて拾って押しつけると、ビェナは背中を向けた。

 ネリダとロミールが人形に戻って、のんきに一息ついているのが見えた。

 やがて声を掛けられて、脱いだ服が渡された。

 ビェナは急いで用意された布を当てて補強すると、目をつぶって見ないようにして返した。


 衣擦れの音が響く。

 見えるわけではないが、ぎゅうとビェナは目をつぶった。なんだか想像するのも恐れ多い気がしてならない。このまま耳もふさぐべきだろうか。

 顔を覆う手を耳に動かそうとしたところで、エミディオンの続く声を聴いてしまった。


「あれは、私の心を他者に見せる魔法だ。寂しいものだろう」


 その言葉こそ寂しそうだった。目をつぶっていただけに、ビェナの耳によく響いた。

 なんと返していいかわからない。応えあぐねるうちに、地面に降りる音がした。


(あっ、王子様は素足だったわ。えっと、えっと何か)


 ビェナはどうしようと視線を彷徨わせて、荷物のところに駆け出して漁った。


(これなら、まだいいかな)


 大荷物の中を掻き分けて、革靴を取り出す。

 家に置いていた畑作業用の靴だ。大き目を買っていたためビェナにはぶかぶかだったが、エミディオンくらいの男性ならぴったりだろう。

 それからローブも取り出した。少々くたびれて申し訳ないが、それでもないよりはましなはずだとビェナには思えた。

 それらを手にして、ビェナはエミディオンに向き合った。堂々とした佇まいは近寄りがたい。

 うっ、と目をすがめて直視しないようにしながら、ビェナは恐る恐る取り出したものを差し出した。


「これしかないのですが、どうぞ」

「貴方の好意に感謝しよう」


 エミディオンは靴を受け取るとそれを履いた。


「それは?」

「あ、これは」


 ビェナはくたびれたローブをエミディオンの手に渡した。


「その、これを目深にかぶってしまえば、周りの視線も気にならないかと」


 エミディオンはローブを手に、ビェナをじっと見つめた。

 みるみるうちに、暗く静かな夜が広がるように首から上を染めていく。もはや目鼻も口も何もない暗がりの空間を携えて、エミディオンは静かに尋ねた。


「見苦しいから隠せと?」

「そんなことは」


 ビェナは否定した。確かに最初は驚いたが、よく考えればネリダたちを知っている分、魔法のせいならと納得している。

 それに、エミディオンの顔を隠す夜空は何もない真っ暗ではない。遠くに小さな星明かりが灯っていた。


「よく見れば、幽かな光もあります。穏やかで素敵な夜みたいな。でも、びっくりする人もいるでしょうから」

「最初の貴方のように?」

「あっ、それは、その……すみません、驚いちゃって。だから、隠すのは良いんじゃないかと……あの、出すぎたことを言いました」


 じっと見られ続けて、だんだん言葉尻がしぼんでしまう。

 ビェナが俯き加減で答えると、エミディオンはぽつりと言った。


「いや、感謝する。頂戴しよう」


 ローブをくるりと回して目深にかぶる。それだけで、パッと辺りの輝きが減ったように思えた。きらきらしい美貌が隠れるとあたりの明るさにも影響するのだろうか。

 場違いな感想を抱きながら、ビェナはほっとして頷いた。


「しかし、私には貴方がたに礼を用意することもできない。国が残っていれば財の一つや二つは用意できたものを」


 はなからそれを期待していたわけではない。ビェナがとんでもないと首を横に振って示せば、爪先まで美しい長い指が顔に掛かった。

 なんだろうと思ったときには、ビェナの目前に出鱈目に美しい顔があった。伏せた目の睫毛の一本まで芸術品のようで、現実味がない。

 ふっと当たった息で、ようやく何が起こったかわかった。このままでは口から悲鳴が出るより先に塞がれてしまう。ビェナは硬直した体を動かそうとして、視線を動かした。

 すると。


「まだ早い」


 突然、エミディオンが横に吹っ飛んだ。ロミールが残像をともなって蹴り飛ばしていくのが見えた。

 倒れたエミディオンの上にちょこんとロミールが座る。


「ビェナからするのはまだいいとして、許可なくするのは紳士の沽券に関わる。王子、なぜしたのです」


 体の上を容赦なく歩いて、ロミールはエミディオンの肩を叩いた。


「前に、臣下が謝礼は私の口づけ一つで事足りると言っていたから……それに」

「それに?」

「彼女は目が覚めた時、私の目前にいたから。そういうことなのかと、思って」


 戸惑ったように答えたエミディオンに、ロミールは「ふむ」と呟き腕を組んだ。


「ネリダ。無理強いは良くなかったみたいだ。誤解されてる」

「あたしは別にいいと思うけど……ビェナにはまだ無理だったようだね」


 いつの間にかビェナの肩にネリダが乗っかっている。頬を突つかれて、ビェナはようやく震える息を吐きだした。


「まったく。あたしやロミールがいなかったら、アンタってばとっくに悪い狼に食べられちゃうだろうね」

「あ、ありがとうロミール。ネリダも」


 ロミールが手を振って返してくれた。


「あーあー、こんな美形に迫られたってのに酷い顔色して。来る途中に水場があったろ。顔を洗っといで」


 涙がにじんだ目じりに、柔らかな布が当たる。ネリダが着ている服の前掛けだ。


「この辺りは魔法がかかっているから、一人でも安全だ。行っておいで、ビェナ。王子には言って聞かせておくから」


 エミディオンの上にまだ乗ったままのロミールが、来た道を指さした。


「うん、そうする。ネリダは?」

「水は嫌いだから行かない」


 肩から飛び降りてネリダが離れる。

 ロミールのもとへ歩く姿を見送ってから、ビェナは荷物からタオルと革製の水筒を取り出した。ずっと歩き倒して水筒の中身も減ってきていたのだ。水場があるなら補充にちょうどいい。

 その場を離れる前に、ビェナはエミディオンたちに軽くお辞儀をしてから歩き出した。



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