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21.最後の訪問


 夜も半ばに差し掛かるころ、ようやくロミールとネリダは動き出した。人形の体を馴染ませるように数度かくつかせながら曲げ伸ばしする。

 ビェナは図書室から拝借した本を広げたまま置いて、二人を抱き上げた。


「今日はすごくお寝坊だよ、二人とも。そんなに具合が悪いの?」

「疲れただけさ」

「そうそう。いっぱい走ってまわって運動しただけ。ふぁーあ」


 ロミールは短く、ネリダはいつも通りの早口で答える。あやすみたいに二人してビェナを撫でて、腕から抜け出した。

 ネリダが置いた本を見て言う。


「何読ンでたの? ああ……森の伝承の本ねえ」

「うん。ミオさんが選んでくれたの」

「へえ、ミオが」


 ロミールがとことこと机を歩いて、ビェナの正面に腰を下ろす。ネリダは机にごろんと寝そべった。ページの縁をなぞって、頬杖をついている。


「読みやすくて面白い本で、つい読みふけちゃった」

「ビェナが好きそうなものだ」


 小さく笑ったロミールが言う。ネリダも同意なのか、笑いをこぼした。

 いつもの二人に見える。変わりはないが、それでも心配が残る。聞いたところでさっきみたいに誤魔化されてしまうことだろう。


(私に聞いてほしくないんだろうけど、でも)


 本には、果ての森、という記述があった。

 その文字に指を止めて、ビェナは二人にたずねた。


「ねえ、果ての森ってなあに。今はないってことも、ミオさんとちゃんと調べたの。物知りの賢者様って、魔法使いのことでしょう? それって、二人と関係があるんじゃ」


 ぴた、と二人の動きは止まった。


「さすがに気づいちゃうか」

「そこまで鈍感じゃないわよね。でもねえ」


 互いに見合って、ロミールとネリダは困ったように言った。


「僕たちの都合だから、僕たちだけで終わらせたいことなんだ」

「ビェナやミオが付き合う必要はないよ。たまたま近かっただけの里帰りみたいなもンだもの」

「でも、私は二人の」


 ビェナが言おうとするのを遮って、ロミールが言う。


「ビェナ。君は今、新しい環境に出会えたところだ。ミオも同じ。僕たちがいない時間にも慣れる必要がある」

「何を言うの、ロミール」

「世界一幸せになってほしい僕たちのビェナに、ここはいい場所だと思うよ」

「相手はまだわかンないけどね」


 横から茶化すようにネリダが言う。


「でも、ま、頑張ってるみたいだし。そうでなくても世話役もいそうだし。いいンじゃない」

「ああ、ふふ。そうだね。ネリダの言うとおりだ」

「ネリダ、ロミール。なんでそんなこと言うの。急にどうしたの」


 ビェナは立ち上がって机に手をついた。人形の無機質な目が二対こちらを見ている。でも、ビェナにとっては愛情たっぷりの優しい眼差しだと思えた。

 優しい声が続く。


「ビェナ。わかるんだ」

「何を」


 ロミールに問いかければ、付け足すようにネリダが口添えた。


「わかりたくないけど、わからなきゃいけないンだよ。だから、アンタを連れ出して見てまわったンだ。もともと、そういうつもりだった」

「だから何。わかんないよ」

「あの村に居てアンタが幸せならそれでよかった。でも、そうじゃなかったわよね。辛気臭い顔して、いっつも泣きそうで」


 ネリダが言う。泣きそうなら、今まさにそうだ。ビェナはこみ上げる熱い塊をこらえるのにどうにかなりそうだった。


「わかんないよお……」

「わかりたくない、でしょ。アンタ、本当はよくできた子なンだから」


 机についた腕に、ネリダがそっと寄り添った。


「終わりの時間が見えてきた。でも、それは今すぐじゃないよ」


 ロミールが言い切る。


「残りを悔いなく過ごしたいんだ。だから、好きにさせてくれないかな、ビェナ」


 そして同じように、反対側の腕に木製の腕を添えた。でもズレてしまう。ロミールは半透明の体まで出して、ビェナをぎこちなく撫でた。そのことが、もう、たまらなかった。

 ビェナはどうにか言葉を舌先に集めて吐き出した。


「……頭、冷やしてくる」

「いってらっしゃい」

「体が冷える前に帰ってくるンだよ」


 机から離れて、寝巻のまま部屋を出る。見送る言葉にもうまく返せずに、ビェナはあてもなくふらふらと通路を歩いた。そして徐々に足を速めて、走った。

 夜間に出歩く人はほとんどいない。心身の健康を教義と上げるからか、早寝を主義とする者も多いのだろう。

 普段だったら気にして周囲を見ることができても、今はそうもいかない。当てもなく走って、疲れたら止まって、とぼとぼと足を動かした。



 そうして着いたのは、講堂だった。

 静まり返った広い空間は、ひどく寂しい。自分の心のように、遠くで風が高い音で頼りなく吹いている。

 祭壇まで進んで、ビェナはしゃがみこんだ。くずおれて、そのまま丸まってしまいたくなる。

 泣いてはだめだ。泣いて、泣いて、泣きはらしたら、ロミールとネリダは優しいから、きっとなんだかんだ言いながら気に病んでしまう。


(邪魔はしたくない。でも、嫌だ)


 ずっとビェナのためとやってきてくれた。望まないこともしたし、やりすぎて腹立たしくなることもある。けれど、大事な家族だった。

 その家族の願いを叶えたい気持ちはもちろんある。しかしそこに自分は混じれないことが、怖かった。突き放されて、一人きりになった気がしてならなかった。

 足元が不安定で、何も見えない暗いところに放り出されたみたいだ。


「う、うう」


(泣くな。泣くな。泣くな)


 唇を嚙みしめて、肩を震わせて耐える。


(どうしたら、一番いいの。一番いい、二人のビェナでいられるの)


 駄々をこねて、嫌だと泣いてすがっても、きっと変わらない。待ち受ける結果は見えている。

 でもそれを認めるのが怖かった。

 一人になってしまう。置いてけぼりになるのがこんなに怖いと思わなかった。

 嗚咽をこぼして、震える。滲んだ目元を誤魔化すように寝間着のスカートで顔を乱暴にぬぐった。

 花はこぼれず、小さな水の染みを作っただけだった。


(解けてる……)


 時間が、と言ったロミールの言葉が過った。口を噛み締めてビェナは呻いた。

 そうして。そこに、躊躇いがちに声がかけられた。


「や、やあ。お嬢さん。また会ったね」


 うずくまった体を起こして、振り返る。

 あの黒い魔法使いだった。頭から足先まで真っ黒で、肌が不健康なほど青白い。長く絡まるような癖毛をそのままにしているせいで、顔に張り付いてより不気味だ。


「ご機嫌は……ええと、よくないようだね。ああ、そうだ。飽食の都では心安く過ごせたかい? 塵山は無事越えたんだろう?」

「魔法使いさん。どうしてここに」


 ビェナの質問には下手くそな笑みを浮かべて、魔法使いはしゃがみこんでビェナと目線を合わせた。細長い体が折り畳まれ、背中の骨がぐっと浮き出る。


「夜のここは寒いだろう。待っておいでね、いいものがある」


 そしてわざとらしいほど明るい声で、ごそごそと後ろのほうを手で探った。いぶかしむビェナを前に、魔法使いは「あったぞ」とふかふかの毛織物を見せた。


「なんと燃えない獣の衣だ。まあ、僕がちょっと手を入れたからね、自然ものじゃないんだがまあとにかく温かさは抜群だ」

「あの、私、そんな受け取るわけには」

「いいんだ」


 ビェナの断りを聞かずに、魔法使いは毛織物をぐるぐると魔法でビェナに巻き付けた。頭巾とストールにあっという間に変わったことに、少しだけ先ほどの悲しみも驚きで紛れてしまった。


「すごい……ありがとうございます」

「もっと僕がすごかったら、宝石で出来た珊瑚に、金やダイヤの葉をつける木の枝、蛇の額から取れる宝珠を君に渡せたろうに間に合わなかったよ。すまないね」

「どうしてそこまで親切にしてくれるんですか? 私、魔法使いさんにそれほどのことをした覚えはないのに」

「ううん。とっくにしているのさ。君が知らないだけでね」


 魔法使いが立ち上がると同時に、こちらに駆け寄る音がした。


「えっ、ミオさん」

「ビェナ、やっと見つけた」


 ミオが駆け寄ってくる。魔法使いの姿を捉えると、警戒を顕わにしてビェナの近くに立った。

 急いできたのか、ローブはちゃんと着ることができていない。それに包帯もする暇も惜しんだのか何もない。


「誰だ」

「あ、えーと、通りすがりの魔法使いです。怪しい者じゃ……怪しいね、うん、とっても。でも怪しくないんだ。ねっ、お嬢さん、ね!」


 焦ったように両手を振って魔法使いはビェナに助けを求めてきた。

 ストールを手繰って握り、ビェナは戸惑いながらうなずいた。横から手が差し出された。


「ビェナ、そこに座っていては冷える。手を」

「ありがとうございます」


 恐縮して立とうとすると、手で支えられて丁重に立たせられた。もういちど礼を言えば、ミオは気にするなとでも言うように小さくうなずいて、優しく手を外した。


「ええーと、や、やあ。王子様。いや違うな元王子様だ。うん、君が魔法にかけられている人だね。話は聞いているよ」

「それは誰から?」

「いろいろな人からさ。君はけっこう有名だ。僕たち魔法使いに聞いて回ったって話と、お節介な北の魔法使いが……ああいや、そんなことはいいんだ。その魔法は、いつか解ける日がくるのはわかっていたし」

「何を言っている?」

「魔法は万能じゃない。有限だ。永遠でもない。だからそう。そういうこと。それに」


 魔法使いはビェナを見て、ミオを見た。


「魔法は些細で偉大な力に、ちっとも適わないんだ。昔々から、ずっとそうだよ。だから気に病まないでおくれ。ああ、僕には君の魔法を解くのは無理だから聞かないでくれよ。実は結構ぎりぎりなんだ僕は」


 訳が分からない。

 敵意を顕わに警戒していたミオも、明らかに気勢がそがれている。


「とてもすごい魔法だよ。君にかかった魔法はさ。どうにも難しくなるのは、余計なものが邪魔しているからかな。しかしそれもいつか解ける。何、解法はすぐ近くだ」


 ミオはすっかり目を丸くして魔法使いを見ている。


(あれ……? ミオさんの顔が変わらない?)


 視線が明らかに魔法使いとちらちらあっているのに変化がない。もしかして解けたのだろうか。それらしきことを魔法使いも言っている。

 ビェナがそっとミオの袖を引くと、どうしたのかとすぐにミオは振り向いた。ばちりと視線が重なると、たちまち変化した。暗い講堂のなかで、ミオの夜空を映すようなモヤはちかちかと星が明滅し、明るく照らしている。


「どうしたんだ、ビェナ」

「え、あ、ごめんなさい。ちょっと、驚いて」

「そうか。大丈夫か?」


 労わる言葉とともに、パッと優しく星がはじけた。暗い景色かと思えばそんなことはない。ミオの今のモヤはちっとも寂しくなさそうだと感じた。


「さて。うん、ええとだね」


 まごまごとした魔法使いの声で、ビェナは我に返った。袖から手を離して、魔法使いへと顔を向ける。


「もし。もしもだ。君の嘆く理由が……その、人形だったなら」


 ビェナは口元を抑えた。そんなことを口にしたはずはなかった。しかしその様子に、また下手くそに笑った魔法使いは言った。


「東の向こうに広がる森を進みなさい」

「……そこが果ての森? あなたがその賢者なのか?」


 ミオがたずねる。魔法使いは下手な笑みの余韻を残した、そんな引きつった顔で別れを告げた。


「じゃあね。人形を、彼らを大事にね」


 そしてミオやビェナの返事も待たずに、すっかり消え去ってしまった。



「そう。そこか」


 不意にロミールの声が聞こえた気がした。

 それきり静まった空間が、やけに空恐ろしく感じてビェナは身震いした。





補足

最後、なんでロミール? →8話のお花渡しの要領です。

次回。例によってとても筆が乗ったのと区切りの都合上、ちょっと長いです。

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