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2.うるわし美し様


 ネリダとロミールに引っ張られて、忙しなく旅支度を整えて早数日。

 村はずれの家を出て、馬車を乗り継いで町々を離れ、さらに歩き続けた。


「さて。ここらで一つ、昔話をしようか」


 唐突な旅立ちにまだ気持ちが落ち着かないビェナに対して、ロミールはそう言った。

 幼子を寝かしつけるためのような口調でのんびりと。ロミールの話が好きだったビェナは、思わず耳を傾かせて聞き入った。



 今は昔。

 うるわし美し様と称される、それはそれは美しい王子様がいました。

 誰からも愛される心優しい穏やかな御方。そして、そんなうわさを聞きつけた魔法使いが一人やってきました。

 魔法使いは、王子様を一目見て夢中になってしまいました。誰からも愛される王子様に愛されたなら、自分はなんて幸せなのでしょう。そう考えました。

 そこで災禍を招き入れて、国を混乱に陥れ、王子様を奪いました。そのところで、魔法使いはあることに気づいてしまったのです。


 王子様は、自分と同じでからっぽだったことに。ちっとも理想でなかったことに。

 魔法使いは、それを憐れんで魔法をかけました。

 貴方のからっぽが誰から見てもわかるように、心を映す魔法を。穏やかに過ごせるように、美しい貴方に似合う場所で眠る魔法を。


 耳を澄ませてごらんなさい。

 水晶の葉が擦れる音に紛れて、寝息が聞こえるでしょう。あれは可哀想な、うるわし美し様の幽かな息を吐く音なのです。



 ロミールが語り終わるころには、辺りの景色はすっかり変わっていた。

 目の前には、鬱蒼とした森が広がっている。その入り口で足を止めて、ロミールは「ここだよ」と言った。


「ただの黒い森に見えるけど……ロミール、本当にその水晶の森なンでしょうね」


 ネリダがロミールに問いかけると、ロミールは「さてね」と軽く返した。


「とりあえず、危険がないか見てこよう。ネリダはビェナと待っていておくれ」

「仕方ないね。ほら、ビェナ。待っている間、ご飯にしよう」


 言うが早いか、ロミールの口元の窪みから弾力のある液体がとろりと零れ落ちた。それは意識を持った蛇のように(うごめ)いて、茂みの向こうへと消えていく。

 同時に糸が切れて倒れたロミールの体を、咄嗟にビェナは抱えた。

 あれはロミールの正体だ。昔、魔法使いにかけられてそうなったと聞いている。


「大丈夫かな、ロミール」

「いいンだよ、あたしたちは早々死なないから。アンタは自分のことを心配しなさい。ほら、荷物も置いときな。重たいでしょ」


 ネリダがビェナの背負っている荷物袋を引っ張る。

 辺りに人気がないことをいいことに、ネリダの人形の腕関節からロミールと同じような液体が伸びた。するりとビェナの荷物を預かると、そのまま地面に置いた。


「あーあ、やっぱり自分の体が恋しいねえ」

「やっぱり、窮屈?」

「まあ、ちょっぴりは窮屈だけどさ。爺さんの作った体は上等だよ」


 言いながら、ネリダは草が茂る地面に足を放り出して座った。


「ねえ、ネリダ。お話に出てきた魔法使いって、いると思う?」


 ビェナが言わんとすることがわかったのだろう。滑らかに首を動かして、ネリダは返事をした。


「馬鹿ね。あれは大昔の話。不老不死の魔法使いなンて、いやしない。特別な魔法が使えても、命に限りはあるもンさ」

「でも、長生きのすごい魔法使いがいてもおかしくないよ」


 荷物からパンを出して、小瓶に詰めたジャムを塗る。小さく千切ったパンをネリダに差し出して、残ったものをビェナが口にほおばる。

 ネリダはもらったパンを口元からあの液体を出して取り込むと、やれやれと両手を動かした。


「もしそうだったら、あたしらみたいな化け物だわ」

「化け物じゃないよ! それに、ネリダたちの姿を変えた魔法使いかもしれないし……」

「あいつじゃない」


 きっぱりとネリダは言う。


「そうだったら、ロミールはアンタを連れてくるなンてするもンか。ほら、話をすれば戻ってきた」


 ネリダのちんまりとした手が藪を指さす。草を掻き分けて、粘性生物が這い寄ってきた。ロミールだ。


「やあ、見つけたよ。案内するから、ついておいで」


 口のあたりを震わせてそう言うと、ロミールは座った状態の男の子の人形にするりと入り込んだ。


「よし来た! さあ行くわよ、ビェナ。王子様のお顔を拝みに行こうじゃない」

「ええ、本当にいたの?」


 おざなりに片づけて、荷物をビェナは背負い直した。ずしんと重たいのは、荷物のせいだけではない。

 ぴょんっと跳ねるように飛び起きたネリダが、ビェナのスカートを引っ張る。森の踏みならされた道ではなく、獣道すらない木々の間を進むらしい。

 こっちと手を振って、ロミールが歩いていく。姿を見失わないように、ビェナは息をひそめて後をつけた。







 黒い森はじわじわと姿を変えていく。

 歩く道は徐々にひらけていき、ぽっかりとした丸い空間が現れた。

 あんぐりと口を開けて、ビェナは見回した。

 木々はぐるりと空間を囲むように生え、不自然な曲線を描いて天蓋となるべく枝葉を伸ばしている。

 光る梯子(はしご)が天蓋の隙間から漏れて、辺りを照らす。光に反射すると、青々とした葉が虹彩を伴って変化する。しゃらしゃらと軽やかな音が響くのは、普通の木ではないのかもしれない。


「魔法がかけられた場所だよ。いざって時のために、魔法の研究をしていてよかった」


 ロミールが先を歩きながら、中心へと進んでいく。

 草も柔らかいというより、上等な絹みたいな肌触りがする。ビェナは思わず屈んで草葉を撫でた。


「見たことない草」

「特別製かもね」


 ネリダはそう言うと、早くといわんばかりにスカートをまた引っ張った。

 中心部には、木々の根が盛り上がった台座ができている。その上には白い石板が敷かれ、場違いなほど真っ白なシーツが掛けられていた。

 まるで誰かがそこで包まって眠っているように、こんもりとした形がある。

 ロミールは傍らに立って、ビェナを手招きした。


「きっとこれだよ」

「どれどれ」


 ネリダが駆け出して、ビェナが近づくより先にシーツをはぐった。


「ちょ、ちょっと、ネリダ!」


 はらりとシーツが舞う。

 その瞬間、あたりがパッと明るく輝いた。魔法がかけられた空間だからか、光がシーツの下にいた人物に集ったのだ。


「おンやまあ」

「へえ」


 二人の感心する声をよそに、ビェナは喉を上ってきた悲鳴の塊を飲みこんだ。

 息を呑むような美貌がそこにあった。

 きめ細やかで滑らかな白磁の肌。星々の輝きを集めた金と銀のあわいのような髪。完ぺきなバランスをもって誂えた、どんな特別製の人形でもかなわない美しい顔。

 淡く色づいた頬、麗しい唇の形は、触れただけでお砂糖のように甘いのではと思わずにはいられない。

 ビェナは思わず一歩下がった。


(む、無理。無理、無理無理)


 こんなに美しい人がいるとは思わなかった。

 もはや同じ人間ではないのでは。

 しかし、そのまま距離を取ろうとすることは許されなかった。まずはロミールがビェナの片方の足を掴んだ。


「ひいっ」


 そしてそのまま、ずるずると美貌の眠る王子へとビェナは引きずられた。

 お次は背中にネリダが乗っかる。器用に背負う荷物をよじ登って肩から上に移動すると、力を入れて前に倒そうとし始めた。


「ま、ままま、待って! 待って!」

「こういう魔法には万国共通のキスよ、キス!」


 ネリダが言いながらビエナの頭を下げていく。下がろうにも、ロミールが抑える足はびくともしない。


「嫌だよお! 無理、無理だって!」

「キーッス! キッス! 応援するから、気張りな!」

「ヤダーッ!」


 ビェナは恥も外聞もなく喚いた。


「いくらっ、綺麗でも、知らない人じゃない! 好きでも何でもない人とキスとかできないよお!」


 容赦なく寄せられる顔を、懸命に抵抗して距離を取る。

 こんなものは横暴だ。ビェナの自由意志ではない。


(キスする相手くらい、自分で決めたいのに)


 見合いは散々付き合ってきたのだから、この主張だけは通させてほしい。


「意識がないのに、無理やりなんて駄目! あと、やっぱり私が、嫌ッ! いやったら、嫌!」


 懸命にビェナが叫ぶと、ふっと重さが遠のいた。


「なンだい。そこまで言うほど?」

「初心に育てすぎちゃったのかな」


 ネリダとロミールの呆れたような声がビェナへとかかる。困った子だと言わんばかりだ。でも、それでもいい。

 ほっとしながら、ビェナは息を吐いた。緊張のあまり潤んだ瞳から、ぽろぽろと涙が落ちる。


「うぅ、う゛ーっ」

「泣くほどかい。アンタのためを思って、こんな綺麗な王子ならって……ああ、もう、悪かったってば」

「男の人、ロミールみたいな、なら、私だって。私だって」

「仕方ないね、ネリダ。やめとこう。ほらビェナ、ハンカチがあるよ。これで拭こう」


 ロミールがネリダを宥める。これならもう無理強いはないだろう。

 あふれる涙を手で拭う。ビェナは身を起そうとしたところで、あっと気づいた。

 美しい王子の頬から口にかけて、ビェナが流した涙が落ちてしまっているのだ。そして恐れ多いことに、その雫が一つ、静かに唇へと辿り着いた。

 すると、王子のまぶたが震えた。やがて、ゆっくりと目が開く。冴え冴えとした煌めく宝石もかくやの太陽色の瞳だった。


「え」

「……君、は」


 至近距離で見合ったのはわずかな間。

 すぐに、王子に異変が起きた。


「えっ?」


 ビェナの目の前で、王子の美しい顔はみるみるうちに変り始める。首の付け根から夜闇のような暗がりが侵食し、顔を覆う。

 あまりの予想外な光景は、理解を遠ざけた。

 先の見えない暗い夜が王子の顔いっぱいに広がって、とうとうその美しい容貌をすべて覆い隠す。


「わ、わあ!」


 飛びのいて尻もちをついたビェナを横に、人形たちは王子だったその姿を見上げた。


「あーあー、半端に解けちゃったのかしらね」

「まあ、そういうこともあるさ」


 驚いたままのビェナを置いて、ネリダとロミールは王子に向かって声をかけた。


「人形が、しゃべっ……げほ! あー、ああー……すまない。久しぶりに声を出したもので」


 数度の咳払いのあと、王子は緩やかに寝返りを打って起き上がった。不思議なことに、ビェナから視線が外れたらあの輝かしい美貌は元通りになっている。

 王子は白い石板のベッドの上で、さっと礼をした。


「私は、エミディオン・アロウ・ラタリアという。助けてくれたのは、貴方がたか?」


 ビェナの両脇に人形たちがすっと移動した。そしていけしゃあしゃあとこう言った。


「いいえ、王子。貴方を起こしたのはこの子」

「ええ、王子。僕たち自慢の、この娘が起こしたんだ」

「ちょ、まっ」


 心なしかネリダたちが胸を張っている。そして、ビェナは「自己紹介!」と両側から囁かれて突かれた。


「えー、あ、あの。ビェナと申します、王子様。それで、この人形が私の家族のネリダとロミールです」

「人形が家族」


 エミディオンはぱちぱちと目を瞬かせた。しかし、気を取り直したように微笑んだ。


「いや、そういうこともあるのだろう。私が魔法にかかり眠り落ちたように。ところで、ここは? 私の国は」


 ビェナは言葉に詰まって目を伏せた。代わりに、ロミールが一歩前に出た。


「国はとうに滅びましたよ、王子。民草は流れ、今は違う国に生きています」


 目を見開いたエミディオンに、容赦なくロミールは続けた。


「嘘ではありません。なぜなら貴方の国の民の一人が、僕とこのネリダなのだから」


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