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19.萌芽する


「なんの御用?」


 アベイユが代表してたずねると、青年は後ろをちらちらと見た。それから頬を吊り上げるような無理やり作った笑みを浮かべた。


「すみません、アベイユ婦人。あのう、これも追加でどうか……」


 取りなすように手を揉んで言う。ドアの向こうから、こんもりと衣服が山になった篭がいくつも差し出された。そして同時に男たちの嘆願が響く。


「破れちまいました!」

「ボタンがとれました! ついでに見栄えよくしてほしい!」

「お願いしまっす!」


 それを見たアベイユたちが立ち上がる。


「ちょっと、洗ってすらいないじゃない! 貴方達ねえ! もう臭いったら」


 わざとらしく鼻をつまんでアベイユが言う。眦は上がって今にも追い払ってしまいそうだ。

 しかし男たちはへこたれなかった。立派な髭の紳士が咳ばらいをしながら入って来る。青年の近くに立つと、身振り手振りをまじえて堂々と賛美を始めた。


「おお、麗しのご婦人たち。貴女がたの紡ぐ糸のなんと美しいことか。宝石でさえも、その繊細な指でつけたボタンにはかなわない」

「んふふっ」


 誰かが噴き出した。アベイユが(あご)で促した。くすくすと潜んだ笑い声のなか、紳士は続ける。


「それはわたくしめが収集する最高の金銀財宝よりも、もっと光って見える。いちばん鮮やかな色を持つ宝石も、この刺繡と比べたらくすんでしまう!」


 紳士の背後からやんややんやと囃し立てる声と拍手が鳴り響く。それが収まってから、紳士は茶目っ気たっぷりにアベイユたちを見つめ、芝居がかった仕草でお辞儀をした。


「どうかお願いします」

「よろしい。自分たちで洗ってきなさい」


 アベイユは冷淡に言ってのけた。今度は女たちが喝采をアベイユに贈った。

 紳士は微笑んだまま姿勢を戻すと、背後の男たちに向けて言った。


「諸君、駄目だった! 洗って持ってこよう」


 口々に文句を言いながら男たちは引き返していった。最後に残された青年もまた同じように引き返す。

 すると、その弾みか青年の服袖についていたボタンが落ちてしまった。ころころと転がるボタンを掴まえたのは、セネカだ。

 セネカは席から立つと身軽な動きでボタンを拾い、青年を呼び留めた。


「君、落とし物だよ」

「あっ、すいません」

「完全にとれちゃったようだね」


 その言葉でビェナは腰を浮かせた。それなら自分が役に立てると思ったからだ。


「あの、すぐ済みますからお待ちください」


 針と糸を持って、ビェナは近づいた。やはりここの教会の人たちは誰も彼も大きい。ミオよりも背が高いのではないだろうか。

 ビェナはセネカからボタンを受け取ると、青年に会釈してからその場で取り付け直した。これくらいならほんのわずかな時間で十分だ。

 最後に糸を切って確かめて離れる。


「これで大丈夫そうです。お待たせしました」

「あっ、いや、そんな! ありがとうございます」

「いえ、とんでもないです」


 大仰にありがたがられてしまった。

 役に立てた、認められたと感じられることが嬉しい。緩みそうになる頬を引き締めて返す。すると青年は何やらもごもごと口を動かした。

 隣でセネカが腕を組んで「なんだい」と促す。


「もしっ、よろしければ」


 青年が言いかけた時、控えめにドアが叩かれた。


「どうぞ。開いているよ」


 アベイユが声を張り上げると、ゆっくりとドアは開いた。そこから現れたのは本を手にしたミオだった。ローブを深く被り、遠慮がちにドアから覗いている。そのまま部屋の中を見て、沈黙した。


「……すまない。邪魔をしただろうか。ビェナに用があって」


 なんだろう。青年の言いかけた言葉も気になるが、ミオがビェナを探しに来たのも気になる。本を持っているということは調べもの関連かもしれない。


(何か見つかったのかも!)


 ビェナはそう判断すると、青年に向かって軽く頭を下げて言った。


「えっと……あの、すみません。また良かったらお話をしてくださいね」

「あ、は、はい。自分はいつでも構わないので」

「ありがとうございます」


 続けてビェナはアベイユへ顔を向けた。なぜか面白そうな顔をしている。


「アベイユさん、私」

「いいよ。ビェナはよく働いてくれたからね。またおいでなさいな」

「はい! では、失礼します。セネカさんも、また」

「ああ、またね。行ってらっしゃい」


 セネカがにこやかに送り出してくれる。本当にいい人たちばかりだ。

 何度も頭を下げて、ビェナはミオのもとへと歩み寄った。


「ビェナ、こっちに」


 ビェナの袖を控えめにミオが引く。これもまた珍しい。ビェナは引く手を見ながら、大人しく着いていった。




 ミオに連れられて着いた先は、ビェナの部屋だった。

 部屋の前に立って、ミオはようやくビェナの袖から手を離した。それから自分の手を見つめて、数度緩めては開くといった動作をした。


「ミオさん?」

「ああ、いや、なんでもないんだ。働いているところを連れ出して、すまない。ロミールに確認したいことがあって」

「やっぱり、魔法のことですか?」


 ビェナがたずねると、ミオは小さくうなずいて持っていた本を見せてくれた。


「兄が訪ね歩いたという記録の中に、出会った魔法使いについての記述があった」


 そこまでの執念がグリドランにあったのか。

 ビェナは目を瞬かせて本の表紙を見つめた。派手さはないがしっかりとした皮の装丁をした本だ。題名はなく、ただ重厚な臙脂(えんじ)の色合いが目につく。


「それで」

「何そンなとこで話しているンだい。入ってきなさいよ」


 ドアからひょっこりとネリダが覗いた。愛らしいサイズの体がドアノブに乗ってぶらぶらと揺れている。


「ネリダ。おはよう。ロミールも起きてる?」

「おはよう、ビェナ。とっくに起きているよ。ほら、入った入った」


 ネリダに促されて、ビェナはミオを手招いて中へと入った。


「おはよう。おかえりビェナ。それにミオも」


 中では、ロミールが机の上で本を開いて読んでいた。どうやら本を密かに拝借してきたらしい。

 ネリダも当然のようにロミールの隣に移動すると、ビェナたちに座るように言った。といっても、部屋には椅子が一つしかない。


「ミオさん、椅子を使ってください。私はベッドに座るので」

「ありがとう」


 そうして座ったところで、ミオは本を机に置いた。


「その本は?」

「ロミールたちの役に立つと思った」

「ふうん?」


 ロミールが立ち上がると本の表紙をこんこんと叩いた。


「魔法がかかった本ではないね。普通の本だ」

「ロミールは詳しいのか?」

「魔法にかけられてから、ほうぼう走り回って探して、探して、研究したんだ。魔法使い以外で、僕より詳しいやつはいないよ」

「それはすごいな」


 ミオが素直な賞賛をすると、ネリダが自分のことのように「でしょう」と威張った。


「ミオ、アンタがいた森もロミールのおかげで見つかったンだからね」

「そのことについては、すごく感謝している。ありがとうロミール」

「そうそう。よく言えてるよ」

「ネリダったら」


 ミオに対して偉ぶって指導するのを見かねて、ビェナが呼びかける。しかしネリダは構わず続けた。


「それでアンタが起きられたのは、ビェナのおかげ。よく覚えておくンだよ」

「ネリダ! もう、そのことはいいったら」


 眠るミオの前で駄々をこねて泣いていたのを思い出されてはたまらない。ビェナが慌てると、ミオはビェナを制した。


「大丈夫だ。よくわかっている。考えて行動する」

「そうだよ。なら、いいンだ。で、これはどンな本?」


 ネリダが本を指さす。ロミールは首を傾げた。


「革の装丁をした本は図書室ではあまり見なかったね。どこでこれを?」


 ミオはその疑問に、わずかに躊躇をみせてから答えた。


「私の兄の記録だ。ゲールラウグ教会長から借り受けた」

「なるほど」

「渡り歩き、魔法使いと会ったそうだ。私の知る魔法使いではなかったが、ロミールたちならどうだろうか」

「ふむ。どこだい」

「ここだ」


 ミオがページをめくって開く。几帳面な字がびっしりと書かれている。


(神経質そうで、不健康な男。全身喪に服しているような辛気臭さ……なんだか悪口ばかりだわ)


 その魔法使いについての評価と、けんもほろろに断られた苛立ちが書かれている。そして次には別の魔法使いのことも書いてある。そちらもまた容赦のない辛口評価ばかりだ。


「当てはまるようなそうでないような。果ての森に悩みを聞いてくれる賢者がいる、ねえ。結局会えないまま終わってるみたいだね」


 ロミールが腕を組む。思案でもするように頭が上を向く。


「役に立たなかっただろうか」

「いや、ありがとう。果ての森には心当たりがある」

「あたしも知ってるかも」


 ネリダが口を挟む。しかし口調はいつものような早口の威勢の良さはない。


「あれから、どれくらい? ずっと遠ざかっていたわ」

「戻ってきたんだ。気づかなかったけど、そうか。もう、それほど」


 人形夫婦は互いに見合って、黙りこんだ。


「二人とも、どうしたの」

「散策してくる」

「あたしも。ミオ、ビェナをよろしく」


 ビェナの言葉にそう返すと、ロミールとネリダは揃って人形から体を抜け出した。止める暇もなく、するすると窓から外に向かっていった。


「すぐ帰ってくる?」


 思わずそんな言葉が口をついてでた。

 ロミールは先に降りてしまったが、ネリダは半分窓から出た状態でとどまって答えてくれた。


「眠くなる前に帰るわよ。いってきます」

「うん……いってらっしゃい。気を付けてね」


 それから器用に半透明の液体状の体から腕を作って手を振ると、ネリダも出て行ってしまった。

 窓に寄って見下ろしてみても、もう姿はない。あっという間に消えてしまった。


「余計なことを言っただろうか」

「そんなことないですよ」


 気遣われた言葉に、ビェナは笑って返した。


「あの、ところで。ミオさんの魔法が解けるようなことは、書いていましたか?」

「まだわからない」


 それは、ミオは真っ先にロミールたちのことを思って、自分を後回しにしてくれたということか。

 ビェナは驚いて、ミオを見つめた。ミオは不思議そうにビェナを見返した。


「なにかあったのか」

「いえ、ミオさんは優しいと思って」

「そう、だろうか」


 ミオは自分の包帯だらけの顔に触れた。緩んだ箇所を指先でつまんで、弄る。


「私は、ビェナの真似をしただけだ。貴方だったらそうするだろうと。だから、そう感じたのなら、ビェナが優しいのだと……そう思う」

「私を?」


 聞き返すと、わずかに怯んでミオは顔を伏せる。ミオの傍まで歩くと、言葉を選ぶようにたどたどしくミオは言った。


「魔法使いに言われたように、きっとからっぽなんだ。どうしたらいいか、私はこれまで何も考えられなかった。だから真似をした。それで反応を見て、学ぶだけで」

「学んでそうしたのはミオさんだから、それはミオさんが考えて選んだことじゃないんですか?」

「それはそうかもしれないが」


 とうとう弄っていた包帯が緩んで端が落ちてしまった。代わりにミオはローブの縁を掴んで深く下げた。いつもそうしてきたからか、ローブはすっかりよれができている。


(あ、ほつれもできてる)


 このままではほつれが大きくなって損なってしまう。それに、この話題を続けてもミオが納得する様子はなさそうだ。そう考えてビェナは提案した。


「ミオさん、ローブ直しましょうか」

「……ビェナはたまに唐突なことを言う。ネリダみたいだ」


 ローブを掴む手を緩めて、ミオが頭を上げる。それからローブを外してビェナに渡した。

 ビェナは受け取りながら、ついでに包帯の緩んだ箇所に手を添える。ぱち、と固まったミオの視線がビェナと真っ直ぐ合う。

 包帯の下で夜色のモヤが広がって埋まる。隙間からしか見えないが、淡く霞のように色がついていた。


(これは、どんな気持ちなのかしら)


 丁寧に直してから、手を離すと、ミオはぎこちなく礼を言った。次第に戻る肌が顕わになった部分、とくに耳の辺りを見て、ビェナは「あっ」と声を上げそうになるのを堪えた。

 赤くなっている。

 そうして、ビェナは自分が勝手に人の顔に触れたことに気づいた。気恥ずかしさが感染したみたいに、指先がじんと温くなった。


「ごめんなさい。すぐ、直しますから」


 道具を取り出してベッドに腰かける。作業を始めたビェナに、静かなミオの声がかかった。


「べつに急がなくていい。ビェナの作業を見るのは、好ましいから」


 その言葉に、ビェナは顔を上げられず、ただうなずいて返した。



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