18.教会の日常
南の慈善の教会に来て、早くも数日が経過した。
そして今日も、日課となり始めた隣のドアを叩くところからビェナの朝が始まった。
「ミオさん! ミオさーん! 朝です、起きて。起きてください!」
しかし叩いたところで、なかなかミオは起きてこない。近くの部屋で寝泊りしている者が微笑ましそうに見てくるのも、もう何回あっただろうか。数える指が足りなくなりそうだ。
(ロミールもネリダも最近よく眠っちゃうし……ううん、しかたない)
最初こそ、ロミールが体を忍びこませて内鍵を開けてくれた。それが数日も続けば、業を煮やしたネリダがミオに促して部屋鍵をビェナに預けさせたのだ。
ビェナだったら構わないと、ミオがあっさり差し出した鍵を探る。重みはないのにポケットの中で存在を主張している気がした。
一呼吸ついて、ビェナはそっと開錠して部屋に入りこんだ。
「ミオさん」
声をかけながら、ビェナは窓のカーテンを開ける。それから、丸まったまま眠るミオを揺すった。
ミオは小さく呻いて身をよじる。それから長いまつげに縁取られた目が開閉した。紅もさしていないのに艶やかで綺麗な形の唇が、静かな吐息をこぼす。相変わらずの絶世の美しさだ。
綺麗だと思うがそれはそれ。ビェナはこれはまだ起きないなと判断して、さらに揺さぶった。
「ミオさーん」
「んん……びぇな?」
とろんとした声は、まだ眠りの中にいるように響いて溶ける。
ぼんやりとした視線がビェナと合えば、たちまちに顔に魔法がかかりだす。
(魔法で変わった顔まで寝ぼけちゃってる)
朝の光も吸いこむみたいな夜空を映した顔。その顔にふわふわと明るい光が泳いでいる。どうやらミオのまどろみに合わせて輝きは増減しているようだ。
ミオの顔の前で軽く手を振ると、ぱちんと光がはじけた。そしてまた光がどこからともなくふわりふわりと浮かんで夜空を彩る。
なんだか面白い。そう思ってしまった。頭を振って考えを追い出すと、もう一度ミオの名前と起きるよう声をかける。
びく、とミオの体が跳ねた。
「……朝」
「はい、朝です」
「そう、か。朝……ふ、ああ、おはよう」
「おはようございます。私、廊下で待っていますね」
「うん。ありがとう」
のろのろと動き出したミオを少しだけ見守って、ビェナは部屋を後にした。今日はベッドから落ちることなくきちんと準備できていそうだ。
通路の窓からの景色を眺めることしばらく、ミオはいつものようにローブを深く被って現れた。おまけに顔には不格好に包帯が巻かれている。
「ミオさん、不便じゃないですか?」
「いいんだ、これで」
グリドランの話を聞いてから、ミオはこのように顔をさらに隠すようになってしまった。
自分の顔が他人によくない影響を与えることを気に病んでしまったのだろう。
顔を傷つけようとしても無駄だったから。そう言ってのけたミオに、ビェナは巻くのをやめたほうがいいと強く言えなかった。
(ロミールは時間が解決することって言うけど……)
本当にそれでいいのだろうか。ビェナは自分ができることはないのかと思えてしまう。
「ビェナはご飯の後、どうするんだ」
「昨日と同じで繕い物のお手伝いに行きます。素敵な布の寄進があったそうで。ミオさんは?」
「本を読みに行こうと思う」
「いいですね」
南の慈善の教会には図書室もある。
庶民には手の届かない、きちんとした本だ。
これは、建てたグリドランの貢献が大きい。そう説明されたことを、ビェナは思い出した。
そもそも、グリドランについてきた貴族たちから教会運営は始まったため、地位のある者ばかりがいる教会だった。その名残や慣習が一部残り、今もなお遠方から貴族を始めとする裕福な人々が、療養や慰安目的にやってくるそうだ。他にも訳ありで追いやられてくる貴族もいるらしい。
それを聞いて、振る舞いも余裕のある人が多い理由がわかってしまった。村娘であるビェナは、自分は場違いだと考えてしまうくらい、この教会の人々は手の届かない人ばかり。恵まれた教会なのだとつくづく思えた。
(本当に、ここで過ごしていいなんて。魔法使いさんに感謝しないと)
ビェナが差し出した魔法の革袋の礼には足らないと、セネカがすべて手配してくれた。元をただせば、魔法をかけてくれたあの魔法使いのおかげだった。
「そうだ。魔法について、何かわかれば教えてくださいね」
「ああ」
ミオがうなずく。
貴重な本が多くあるのだ。そういった資料もあるに違いない。教会長の勧めもあって、ミオはここしばらく図書館通いをしていた。ビェナが読むよりも、ミオのほうが調べるのには圧倒的に向いている。
ロミールやネリダの助けになる資料もあるかもしれない。ミオが了承してくれたことにほっとしながら、ビェナは喜んで礼を言った。
「ありがとうございます。ミオさんがいてよかったあ」
「ん、うん」
ぎこちなく返したミオは、ふっと前を見た。通路の先から見覚えのある女性が歩いてきている。
「セネカさん、おはようございます」
「やあ、おはよう。いい朝じゃないか。今日のごきげんはいかが? 良いなら大変結構」
陽気に笑ったセネカは、片手を振った。
「ビェナくん、今日の昼はよろしく」
「はい、よろしくお願いします」
「外回り連中の繕い物もあるから大変かもしれないが、頼りにしているからね」
繕い物の手伝いに混じれるのも、セネカが口利きしてくれたからだ。
感謝をこめてビェナはきっちり頭を下げた。セネカは軽い調子で「いいよいいよ」と返すと、今度はミオのほうを見た。
「ミオくんは、たまには旦那さんと一緒に狩りや伐採作業はどうだい?」
「いや、今日は……今日も調べたいことがあって」
ミオが首を横に振る。しかしセネカは拒否に気分を害すことなくにこやかに返した。
「ふむ、無理強いはしないとも。気が向いたらいつでも混じりに来いって、旦那さんが言っていたからね。覚えておいてくれたまえ」
「わかった」
「たまには体を動かすことも、気が紛れていいよ! じゃあ、また後で」
ウインクをすると、セネカはそのまま通路を颯爽と歩き去っていった。教会の中でもそれなりの地位にいるらしいセネカは、朝のこんな時間からも忙しいようだ。
「行っちゃった。ミオさん、私たちも行きましょうか。美味しい朝ごはんが待っています」
「ああ。ネリダとロミールの分も取っておかないと」
「忘れて怒られたくないですもんね。今日はヴァンスさんが取れ立ての野菜をご馳走にしてくれるそうですから、ちゃんとしないと」
「そうか、楽しみだ」
話しながら、ビェナたちはまたゆっくり歩き出した。
*
昼下がりの、とある広い部屋。
その中で、女たちが楽しそうに囀るように話しあっていた。
誰も彼もビェナより年上で、立派だ。体つきも、ずっとしっかりしていて大きい。単純に上背がある者もいれば、異性と見間違うほどたくましい体つきをしている者もいた。
「こんな華奢で若い子が僻地の寂しいところに来るだなんて、どんな訳ありかと思ったら。とんだ拾い物じゃないのセネカ!」
「でっしょう。セネカさんの目はいいんだ。逸材だろう。もっと褒めてくれたまえ」
「やーだねえ、セネカったら。忘れたの? 前はどこかのご令嬢を舌先三寸でだまくらかして寄進をあおっていたじゃない」
「そんなこともあったねえ」
きゃははと甲高い笑いがどこからともなく湧く。ここに来たのは三回目くらいだが、まだまだ圧倒されてしまう。
ビェナも場に馴染むようにどうにか微笑んでいると、隣に座ったセネカが肩を抱いて言った。
「ああ、栄養が足りないほっそりちんまり加減。とっても胸が痛む。ということでお食べ。あーん」
口元に菓子が運ばれる。拒否することもできずに、ビェナはただただ雛のように受け取った。食べかすがこぼれ落ちて繕い物の邪魔にならないよう、一生懸命ほおばる。
「こら! ビェナの邪魔してんじゃないわよ。セネカ、邪魔するならあっち行って! 貴女ったら繕い物一つ上手くできないんだから」
「狩りは得意だもの。許してよ。今度いい毛皮見つけてくるからさ」
「いい毛皮ぁ? うーん、許す!」
また、ドッと笑いが噴き出した。
(やっぱりこんな人たち、初めてだわ)
村の人々とも、道中で会った人たちとも違う。みんなしっかりした人で、明るい。
まるでネリダが何人もいるみたいだ。
とくにこの繕い物の奉仕作業を取り仕切っているアベイユという婦人は、気性も似ている気がした。元気で気も強く、それでいて情に厚い。
最初会ったときは試すようにじろじろと刺すように見てきたが、しばらくすればビェナを快く受け入れてくれた。
「平民って聞いていたけど、行儀も良いし大人しくて本当によく働くわ。ずっといてもいいのよ。助かるもの」
アベイユがにこにこと言う。誉め言葉が照れくさい。縮こまりそうになるが、肩を組んだセネカのせいでそれもならない。
熱くなった頬のまま、ビェナは「ありがとうございます」とできる限り礼儀正しく言うのが精いっぱいだ。
話にはなかなか混じれないが、聞いているだけでも賑やかで楽しい。こんなことは初めてだ。ビェナは心なしか軽く感じる指先を動かして繕い物をした。
しばらく作業を続けていると、にわかに騒がしいガチャガチャとした足音が部屋のドアの前まで響いてきた。
ビェナも、他の者も顔を上げる。揃ってドアを見ると、こちらを覗き見ている男たちと目が合った。
きゃあ、と誰かの声が上がる。ビェナも上げそうになって、どうにか堪えて飲みこんだ。
すると気まずそうに先頭に立たされた青年が一人やってきた。
(あっ。最初にここに来た時、見かけた人だわ)
確かこの青年が、力こぶを作って笑いかけてきた。その時の姿が頭に浮かぶ。何の用だろう。ビェナは作業の手を止めて膝に置いた。
次話、ちょっと筆がのってしまったのでちょびっとだけ長めです。ご了承ください。




