15.真心の行方
頼りないほどの細い橋の向こう岸。その高い高い位置の岸もまた山だった。
ただし、普通の自然な山だ。木々に覆われた橋の出口は、足元まで草が伸びている。新たに伸びた草とは別に、地面は踏みしめられた跡がある。
セネカは迷うことなく枝葉を掻き分けてどんどん進んでいく。
つないだままの手も離さずに歩き続け、拓かれた山道に出た。
「もう少し先に集落がある。そこで一休みはどうかな」
ビェナの手を離して、セネカは言った。
もう手を離しても大丈夫なのだ。ビェナはもう片手のつないだ先を見る。ビェナより大きなミオの手だ。
触れていた指の力が緩む。やがてミオの手もするりと離れていった。残る熱をそのまま眺めていそうになって、ビェナは視線を戻してセネカにたずねた。
「集落があるんですか?」
「そうとも。ほら、見えてきた」
セネカが前方を指さした。目を凝らすと、煙が微かに昇っている。
するとビェナの後ろから音がした。
背負った荷物からロミールが落っこちていた。人形の体を拾う前に、半透明の体を滑らせて這い出ている。ネリダが「ドジしたね」と言っていたので、わざとではないようだ。
「僕がついでに見てくるよ」
そう言ったロミールがさっと移動して戻ってくると、「普通の村だよ」と教えてくれた。
「普通ねえ。ちょっとセネカ。どンなところ?」
ネリダが聞くと、セネカは少し顔を後ろに向けて答えた。
「穏やかな村だよ。隣のご領主とは別の管轄だから、捕まる心配もない」
「貴方は何度も来たことがあるのか」
今度はミオがたずねた。セネカは軽くうなずいた。
「まあね」
そう言っている間に、村の入口が現れた。簡単な木の柵に囲われた小さな山村だ。
近づくと村から数人の老人が顔を出した。その中から柔和そうなしわだらけの顔の老人が前に出てくる。先頭のセネカの姿を見ると、その白い眉を嬉しそうに下げた。
「やあ、セネカ。今回はどうした」
「教会へのお土産を買いに行っていたんだよ。それから、人助けをね」
ビェナたちを紹介するように、セネカは体をずらしてみせる。
「ほうほう、ずいぶんと若い人たちだ」
「旅人さんだよ」
ビェナがお辞儀をすると、ミオもそれに倣ってお辞儀した。
「お嬢さんと、そのローブの御方はどうしたね」
「訳ありのお客さんなんだ。大丈夫、人柄は保証しますから。村長、一晩ほど家を借りてもよろしいですかね」
「セネカが言うなら、しょうがない。いいとも。少し前に空き家になった家が向こうにある。使ってくれ」
「どうも。あとで村長たちにも土産を渡しますね」
にこにこ言って、セネカは「こっち」とビェナたちの肩を押して歩き出した。それから声を静かにこう言った。
「この集落の老人たちは、ちょいと偏屈なところがあってね。顔見知りなら多少のことは目をつぶってくれるが、余所者は別だ。魔法のこと、気を付けたまえよ」
ビェナは思わず身を竦めて背中を庇った。ミオもローブの縁をしっかりと握りこんでいる。そんな二人の様子をまたにこにこ眺めて、セネカは明るくビェナたちの肩を叩いた。
「まっ、セネカさんがついているから安心しなさい」
空き家はまだ生活感が残っていた。使い古した家具や、傷がついた壁や柱が目につく。おざなりに掃除しているのか、中に入るとふわりと埃が舞い上がった。
セネカはビェナたちをリビングの椅子に腰掛けるように示した後、入り口のドアを入念に確認して施錠した。
「さて改めて。私はセネカ。さすらいの狩人……と言いたいところだけど、君たちを見るに詳らかにしたほうが良さそうだ」
ビェナとミオの、テーブルを挟んだ対面にセネカが座る。ロミールとネリダも人形の体を動かして机にちょこんと座った。一同が聞く態勢に入ったのを見ると、またセネカは語りだした。
「本当の名は、ファータセネカンドラ・ペンディス。まあ色々あって、狩人として趣味と実益を兼ねて生計を立てている者だ。一応家名は捨てていないよ」
「家名があるってことは、お貴族様?」
ネリダが前のめりになって聞く。セネカは曖昧に笑った。
「そうとも。ゆくゆくは適当な土地をもらって旦那さんと暮らす予定。で、その旦那さんなんだけど、さっきのご領主様の勘当された息子でねえ」
「け、結婚されているんですか?」
思わず口に出してしまって、ビェナは顔を赤くして口を抑えた。
「ごめんなさい、失礼なことを。あの、私はビェナと言います。こちらがミオさんで、その人形二人がロミールとネリダです」
謝るついでに紹介をすると、セネカは鷹揚にうなずいた。気にしていない素振りにほっと胸をなでおろす。随分と気安くて度量の深い人らしい。ビェナは改めて丁寧に礼をした。
「さて、その旦那さんとはね、婚約中に突然追放されたって話を聞いちゃって押しかけて結婚したんだ」
「へーえ。それでその旦那は?」
ネリダが途端興味津々になって聞いた。
「この村を通った先のところにいるよ。飽食の都には買い物に来ていたんだ。そこで、君たちと会ったってわけ」
「本当にそれだけ? 貴女はずいぶんとご領主の不興を買っていたようだけど?」
ロミールは人形の腕を組んでいぶかしんでいる様子だ。顔をセネカに向けると、どうなんだと尋ねるように傾けた。セネカはあっさり肯定した。
「うん。お義父さんには嫌われていてね。それは、旦那さんの意志に賛同したせいかな。塵山に捨てられた人たちや体制に反対する人をこっそり逃がしているんだ」
(……それって、もしかして)
思ったのは、この集落の老人の多さだ。この空き家に移動するまでに見た人はほとんど老人だった。
ビェナが気づいたことは、ミオも同じように理解したらしい。
「逃がした人は、この集落に?」
「そういう人もいれば、そうでない人もいる。大体はこの集落近辺に住んでいるね」
「ほかに住める場所があるのか?」
「教会だよ。多分、ミオくんにはなじみ深そうな気がするんだけど、どう?」
「どう、とは」
戸惑った様子のミオとは反対に、ロミールが呟く。
「この位置で山の先なら、南の慈善の教会? まだあるんだ」
「おや、人形の、ええとロミール殿は物知りだ。その通り」
「ロミール、その教会とミオさんはどんな関係があるの?」
ビェナの疑問に、ロミールはミオを見ながら言った。
「たぶん、ミオの身内が建てた教会だよ。ミオ、知らないのかい」
「今初めて知った。身内とは、誰のことだろう」
「グリドラン・エリン・ラタリア」
その名前を聞いたミオは、しばし固まって考えこんだ。ビェナが横からそうっと伺えば、ローブの下に隠れた目がぱちぱちと何度も瞬いていた。
「……いた、ような、いなかったような……その、本当に申し訳ない。あの時の私はどうかしていたと思う。兄弟姉妹でさえも、ろくに覚えていないんだ」
「ミオの兄弟姉妹、伝え聞くところでは100人いたというけど」
「いや、ロミール。そこまで多くない。私が覚えているのは50人足らずらしいというくらいで」
それでも多すぎる。ビェナが住んでいた村の若者衆より多い。
やがてひどく申し訳なさそうにミオの頭が落ちる。セネカが「ええっ」と予想外だとばかりに声を上げた。
「いやー、そうなのかあ……まあ、そうだとしても」
パン、と手を打ってセネカはミオに笑いかけた。
「ミオくんには居場所があることは確かだよ」
「へえ、じゃあミオが望むならそこで暮らせるンじゃない」
ネリダが何の気なく言うが、ミオはあまりピンと来ていないようだ。曖昧な返事をしている。
「でも、どうしてセネカさんはミオさんがその教会と縁があるってわかったんですか?」
「そりゃあ、像がね……これも見たらわかるかな。あとは」
一つ呼吸を置いて、自慢そうにセネカの唇が動いた。
「実はね、魔法使いと会ったことがあるからさ。いっとき遥か北の魔法使いにお世話になってね。うるわし美し様の眠る森のことは話に聞いていたよ」
「魔法が解けて、ミオさんが目覚めたことも?」
「魔法使いにはわかるそうだ。それに、死んだ同胞から言伝を受けていたから気にしてたらしい。もし見つけたら伝えてくれって頼まれた」
ビェナはミオを見た。ネリダもロミールも同じだ。ミオはローブを深く被って隠すことも忘れて顔を上げていた。
「あなたの行先に幸せを願うそうだ」
ミオの口元が動いた。しかし、どんな動きかわからなかった。すでにミオの顔は、魔法によって夜闇のようなモヤに覆われてしまっていた。
薄い星明かりが心許ない。寂しそうな遠い夜を思い起こさせる、そんな情景に感じた。
だからか、ビェナはミオの名前をそっと呼んだ。
「ミオさん」
ミオは我に返ったように震え、また俯いた。
慰めのために伸ばしたビェナの指先が届くより前に、セネカは感心したように呟いた。
「なんと面白い顔をしているね。夜の顔だ」
ミオの顔を覗くように体を浮かしてセネカが近寄る。ミオは気圧されたように椅子ごと後ろに下がる。じろじろと顔を見て、セネカは満足したようにもとに戻った。
「なるほどね。それでは暮らしにくいことだろう。なら、やっぱり君は教会に行ったほうがいい」
「それはなぜ」
「教会には君のための部屋が用意されている。教会を建てた御方の意向でね」
ミオはますます訳が分からないようで、身構えたままだ。困惑しきりに、躊躇いながらミオは言った。
「行くべきなら、いつかは行こう。ただ、今は、私を目覚めさせてくれた彼女たちの恩返しをしている最中だ」
ビェナは驚いた。行く当てができたのに、まだ恩返しをしようと王子様だった人が考えてくれるとは思わなかったのだ。
「ミオさん、そんな気にしなくても」
そう言うと、ミオはビェナを見てしゅんと肩を落とした。
「至らない私だが、そうしたいと思ったんだ。駄目だろうか」
「駄目ではないんですけど、でも、ええと」
(その恩返しが私の相手探しというのは……! それに、ミオさんにはいらないって前に言ったはずで)
そんなものしなくていい。ビェナはそう言いたい。けれどロミールやネリダも、やれ「殊勝じゃないか」やら「よく言ったね」やらと受け入れている。
セネカはミオの主張を聞くと、ふむ、と口元に手をあててなぞった。
「ビェナくんたちへの恩返しとは、どういう?」
「ビェナにふさわしい相手が見つかるまで、同行をしている」
「あぁああ」
真面目に返したミオに、ビェナは顔を覆った。恥ずかしい。しかしセネカは、特に気にせずに明るく請け負った。
「なるほどなるほど。それなら、ビェナくんも教会に来るかい?」
「えっ、私も?」
「相手はいくらでも……というわけではないが、私が紹介できる相手や旦那さんの伝手も使えるだろう。まあ、君ほどならすぐに見つかるだろうけど」
今度はビェナがミオみたいに困惑してしまった。しかしその代わりに、ネリダが話に乗ってしまった。ぴょんと飛び跳ねて手を上げた。
「お貴族様のお墨付きの相手? いいンじゃない?」
「あの教会なら、ゆっくり休めそうだしね。それもいいかな」
あげくにはロミールまで乗り気だ。ビェナはセネカに頭を下げた。
「すみません、なんだかご迷惑をかけそうです」
「そんなことはないさ。心配しすぎは、君の可愛らしい顔を損ねてしまう。にっこり笑ってみて」
あえておどけて言ってくれたのがわかる。ビェナはますます気恥ずかしくなった。
また頭を下げたところで、自分の腰元についていた革袋が目に入った。あの時魔法使いにもらった魔法の革袋だ。
(そうだ。お礼を。助けてくれたことをちゃんとお礼しなきゃ)
おまけに次の行先まで案内をしてくれるつもりだ。ビェナはさっと腰元の革袋を取り外してセネカに渡した。
「あのう、セネカさん。よかったら、お礼代わりにこれを」
「革袋は間に合っているけど、どうして?」
「魔法使いさんに魔法をかけていただいた革袋です。きれいなお水がいつでも飲めます」
「おや。おやおや、これが?」
セネカが目を丸くして革袋を受け取った。ネリダが視界の横で「なんてもったいない」と文句を言っているが、聞こえないふりをした。
「危険なことをしていらっしゃるセネカさんには、きっとお役に立つと思います。どうぞ、持っていてください」
「確かに携帯できる水は貴重……! それに魔法! いいのかい。ビェナくん、君って子は」
「私には身に余るものです。それくらいセネカさんには助けられたし、いいんです」
「魔法の道具なんだよ? 本当に? 普通、魔法使いだって滅多にくれないのに」
セネカは革袋を試しに使って、本当にビェナの言う通りだったとわかると、目を輝かせて皮袋にキスをした。そして大事に身につけた。
やがて一呼吸置いた後、とてもまじめに言った。
「旦那さんに気に入られたら、第二夫人にしてもいい」
そしてテーブル越しに、ぎゅうとビェナにセネカが抱き着いた。頬にキスまでされた。
「ああなんて、お人よしの良い子だろう! 感謝を!」
ほかの三人に離されるまで、ビェナはなかなか解放されなかった。




