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1.泣き虫ビェナ


「いけーッ! そこだ! させ! さすようにキッス! キーッス!」


 外野がやけに(にぎ)やかだ。小声のつもりだろうが、ちっともひそめていない声がする。

 やめてよ、気が早いよ。そんなつもりじゃないったら。


 ビェナがそう言おうと振り向こうとした瞬間。

 目の前にいた年若い男の商人は、「ひい!」と悲鳴をあげた。視線はビェナの奥、自宅の暗がりから覗く二体の木偶(でく)人形を定めている。爽やかな顔つきだわ、と村娘に噂されていたものがすっかり青ざめている。


「出たァ! こ、今回の話は、なかったことに!」


 青年は転びそうになりながら荷物を置き去りにして逃げ出した。


「あっ、ま、待って。あの、忘れ物が」


 慌てて青年の荷物をもってビェナは追いかけた。村はずれの家から出てその背を追うが、間に合わない。


「お助けえ! 化け物が! 動く人形が!」


 騒ぎに、様子を見に現れた村人たちに縋りついてまで必死の様子だ。

 青年が半端に振り向いたまま、こちらを指さす。そんな姿を見て、ビェナは肩を落とした。持ってきた荷物を胸に抱えたまま、思わずうつむいてしまった。


「何さ、とんだ意気地なしじゃないの。駄目駄目だったわね。可愛いアンタにゃ、もったいなかったわ」


 すると、ところどころ鼻にかかったような訛りの早口で、ビェナに慰めが投げかけられた。

 しかし、さっきまで何度も景気よく(はや)し立てていたのはこの声の主である。

 自分のことを棚上げして、逃げた青年へ文句を言うなんて。ビェナは恨めしそうに振り返って目線を下におろした。

 背後からやってきたのは、家にいた二体の木偶人形だ。

 およそ赤子くらいの大きさで、若い男女を模した可愛らしい姿形をしている。

 彼らはひとりでに歩いてビェナのところまでやってくると、それぞれ好き勝手に振る舞いだす。


「ネリダ、ロミール。見守ってるって約束したのに」

「何よ。焦ったいから応援したンじゃない。それに完全な二人きりなんて危ないわよ」


 ネリダは、毛糸でできたお日様色の髪を二つにした、吊り目の女の子の人形だ。

 小さな手をやれやれとした仕草に変えて、また文句を早口で言う。


「もう何度目かしら。あたし達を見て怖がるなンて」


 その隣で、ロミールが笑い声をあげた。つばの狭いフェルトの帽子を被った、垂れ目の男の子の人形がそうだ。


「うん、ネリダの言う通り。ビェナにはもったいない。何より、もう手遅れだもんね」


 小さな人形相手に話し合うビェナにくる、物言いたげな視線たち。村人たちはパニックになった青年を宥めながら、口々に声をかけた。


「驚いたろう。あの子はちょっとね」

「そうそう。動く人形が家族だと思っているのさ」


 そうだろうと説明した村人にふられて、おずおずとビェナはうなずく。


(間違ってはいないけど、それだけじゃないのにな)


 気味が悪いから捨てなさいと何度言われてきたことか。もう子どもでないのだから、人形は卒業しなさいとも言われた。

 この世界で、魔法がかけられた品はそうないのだ。

 一般的に勝手に動きまわって話す人形は、やはり気味が悪いと受け取られる。ビェナがどんなに村仕事を手伝っても、親切にしても、どうしても線引きされてしまう。


「ビェナ。荷物は私らが預かろう。お前はお帰り」


 やがて困ったように近づいてきた村人の一人に言われて、ビェナは小さく頭を下げて荷物を差し出した。

 そうして、言われるがまま踵を返した。近寄ってきた人形たちを抱えて、とぼとぼと家路へと戻る。

 後ろでひそひそと声がする。身寄りなしの変わり者。悪い子ではないがと言いながらの、遠巻きの拒絶。


 ビェナは、うう、と呻き声をあげた。情けなくて視界がにじんでしまいそうだった。


「泣くンじゃないよ。ビェナは泣き虫だねえ」

「昔から変わらないのは、そう悪くはないさ。ビェナ、大丈夫。君の良さを僕らは知っているよ」


 ビェナは鼻をすすり、二体の人形を抱きしめた。ほっと胸が落ち着く。

 昔と変わらない、祖父が作った人形に宿った大事な家族。表情に変化がなくても優しさは伝わる。

 だが同時に、物申したい気持ちも湧いてきた。ひとしきり抱きしめた後で、ビェナは呟いた。


「そもそも、二人とも。私、結婚とかはいいって言ったのに」


 あの商人を家に引き入れる羽目になったのは、言葉巧みに姿を見せずお見合いを仕組んだ二人の仕業である。突然、旅途中で見かけてお話でもとやってきたのだ。

 商品も見せるからと言われて、それならと受け入れたビェナだったが、この始末である。


「だってね、アンタもう十六じゃない」

「僕らのビェナはこんなに可愛いのに、どうしてだろうね。あの男も最初は、まあ、まだマシだったけどな」


 確かにロミールの言う通り、いい感じだった。挨拶をしたビェナを見て、「君、可愛いね」と上機嫌で褒めてくれた。

 けれど、ビェナにそんな気はなかった。あまりにあまりのこれまでを思い返して、拳を握りしめて溜息を吐く。


「ビェナにも、ロミールみたいに素晴らしい相手がいるはずなンだよ。だって、あたしたちの娘は世界一なンだから」

「うん。ネリダに賛成。ビェナは世界一可愛い僕たち自慢の子だ」

「ここらの村連中は全部駄目だったから、旅人ならって思ったけど……次はどうしようね」

「さすがに、こんなにお見合いが駄目になるとは思わなかったよ」


 ビェナは胸にひやりと鋭いつららが刺さったかと思った。しかしそんなビェナにかまわず、二人はのんきに相談をしている。


「回数がなにさ。相手なんて、まだたくさンいるに決まってるわよ」

「どうせなら、もっと広い目で見てもいいかもね。村を飛び出してもいい」


 ネリダとロミールの好意は嬉しい。嬉しいが、すでに住んでいる村はおろか、近隣の村の男からも交際対象外の烙印をビェナは押されている。


「領主様の息子とか?」

「貴族……ううん、しがらみがありそうなのはビェナによくない」

「じゃあどンな? 裕福で自由なお坊ちゃま? 亡国の王子様とか?」


 なんだか無謀なことを呟かれている。ビェナは二人を抱えながら見慣れた家路を歩き進む。

 ふっと黙ったロミールが、「あっ」と声を上げた。ビェナの腕の中からぴょんっと飛び降りると、ロミールは小さい人差し指を立てて振った。


「いるかもしれない。王子様」


 そして次にネリダが降りると、元気よくビェナに言った。


「あらやだ。じゃあ、次はその人だわ」


 二人の中で決まったらしい。代わり映えしない人形の顔が、きらきらと期待に輝いているようにビェナには見えた。


「目指せ、世界一の婿探し!」


 両手を上げた人形たちに挟まれる。

 言ったって、この二人には通じない。やってみなきゃわからないと押し切られるだけだ。ビェナは過保護な家族に合わせて、そろそろと片手を上げて真似をした。




 行くとなったらと早速に荷物が出来上がってしまった。大きな背負い鞄が、ビェナのベッド横に鎮座している。

 明日は早くに出るのだ。ベッドに潜りこんで鼻先までシーツを上げる。しかし、眠れない。


(やっぱり、やめたほうが)


 そんな気持ちがもたげたが、居間で幽かな明かりが漏れているのに気づいた。小さな話し声がする。

 わくわくと自分のことのように、ネリダとロミールが旅程を話していた。


「今のうちに、あの子に広い世界を見せてあげなきゃ」


 ネリダの優しい声だ。それに穏やかに笑いながらロミールが肯定している。

 ビェナはそれを聞くと、やめようという気持ちがみるみる萎んでいった。自分のためにという言葉と、人形二人の気持ちが嬉しかった。あの二人はいつだってそうだ。

 じわ、とまた涙が出そうになって堪える。


(荷物、もうちょっと考えて持っていこう)


 二人に任せきりでないように。二人の気持ちに応えるためなら。そうっとベッドから這い出て、ビェナは腕をまくって荷造りをし始めた。

 いるもの、いらないもの。

 もう一度最初から、ネリダやロミールが決めたものを自分で入れ直す。こうなったら、とことんやろう。

 ビェナは気付けば荷物にもたれかかったまま眠り落ちていた。



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