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そして誰もいなくならなかった

作者: Mr.Might
掲載日:2025/10/11

 嵐の夜だった。

 稲光が古びた館の屋根を照らし、そのたびに壁の絵画や彫像が不気味に浮かび上がった。外界との道は、既に崩れた橋で断たれている。――つまり、今ここにいる七人以外、この館には誰もいない。


 「全員そろってるね」

 淡々とした声でそう言ったのは、刑事の城戸だった。彼は卓上のランプをつけ、名簿を広げる。

 ここは、十年前の殺人事件が起きた“霧ヶ峰館”。当時の関係者たちが「真相を確かめるため」に再び集められた――はずだった。


 「けどおかしいよな」

 軽口を叩くのは、当時の被害者の友人だというフリーライター、堀内。

 「招待状の主が“誰”なのか、誰も知らないなんて」

 彼の冗談に、場の空気がさらに重くなる。


 年老いた元執事の吉村が、震える手でティーポットを持ち上げた。

 「……しかし、確かにこの館を知る者でなければ、ここまで来ることはできません。何者かが意図的に……」

 その言葉を遮るように、雷鳴が轟く。


 「まぁまぁ」

 俳優の如月がグラスを掲げた。

 「せっかくだ。十年前の亡霊が出る前に、乾杯でもしようじゃないか」

 軽い笑いが起こったが、誰の笑いも本物ではなかった。


 ――その時、時計が鳴った。

 午前零時を告げる鈍い鐘の音。

 続けざまに、照明が一瞬だけ明滅し、全てのランプが消えた。


 「停電か!?」

 誰かの叫びと同時に、暗闇の中でガシャンと陶器の割れる音。

 短い悲鳴。

 そして、沈黙。


 やがて非常灯が点いた時、床に倒れていたのは堀内だった。頭を押さえながら起き上がる。

 「……おいおい、誰か押したか?」

 幸いにも怪我はない。だが、全員の顔に緊張が走った。


 ――十年前の事件は、“ひとりずつ消えていく”という恐怖で知られていた。

 そして今夜、また誰かが仕組んだように、あの夜が再現されようとしている。


 だが、このとき誰も知らなかった。

 この中の誰ひとり――“消える”ことなど、最初から起きないということを。



 停電は十五分ほどで復旧した。

 ランプの光が戻ると同時に、全員がほっとしたように息を吐いた――が、その安堵は一瞬だった。

 テーブルの上に置かれていた一枚の紙切れに、全員の視線が吸い寄せられたからだ。


 『十年前の罪人は、今宵ふたたび裁かれる。』


 「誰のいたずらだよ……」

 堀内が呟く。彼の額には、先ほどの転倒でついた血が滲んでいた。

 城戸刑事は黙って紙を取り上げると、ペン先で封筒の縁をなぞった。

 「新しい紙だな。印刷インクのにおいもまだ残ってる。誰かが――今日ここで用意した」


 誰かが、息を呑む音。

 雷鳴が窓を揺らし、古いカーテンが膨らんだ。

 まるでこの館自体が、何かを訴えようとしているようだった。


 「……皆さん、落ち着いてください」

 静かに口を開いたのは、招待客の中で唯一の女性、心理学者の小鳥遊たかなしだ。

 「十年前の事件では、亡くなったのは“ひとり”でした。けれど、世間は噂を広げた。“呪いの館”だとか、“犯人はまだ生きている”だとか……。今夜の招待も、その風評の延長線上にあるのかもしれません」


 「そう言うけどな、小鳥遊先生」

 如月が苦笑する。

 「十年前、俺たちはそれぞれ何かを隠してた。あの夜の真実を語り合おうって話だったのに、結局誰も何も言わなかった。だから今でも、俺たちは“被疑者”のままだ」


 重たい沈黙。

 城戸は煙草に火をつけ、ゆっくりと煙を吐いた。

 「俺は捜査を担当していたが、当時の捜査資料は途中で消えた。誰かが持ち出した形跡がある」

 その言葉に、全員の顔色が変わる。


 「つまり……」

 堀内が唾を飲み込む。

 「その“誰か”が、今夜ここにいるってことか?」


 その時、館の奥から小さな物音がした。

 階段を軋ませるような、かすかな足音。

 全員が一斉に振り向く。――そこには誰もいない。


 しかし次の瞬間、廊下の奥で一枚のドアがゆっくりと開いた。

 古い客間。

 そこに吊るされた額縁の裏から、一枚の古びた写真が落ちる。


 拾い上げた小鳥遊が息を呑んだ。

 「これ……十年前の集合写真……!」

 写真には、今ここにいる全員と――もう一人、見覚えのない人物が写っていた。


 「誰だ、こいつ……?」

 誰も答えられない。

 ただ、その見知らぬ男の顔が、どこか“今の誰か”に似ているように見えた。


 ざわめきが広がる中、城戸は冷静に言った。

 「ひとつずつ確認しよう。今夜の目的は、“犯人探し”じゃない。“生き残ること”だ」


 堀内が鼻で笑った。

 「おいおい、まるで誰か死ぬみたいな言い方だな」

 「そう言ったつもりはないさ。ただ……“もし誰も死ななかったら”――それはそれで、面白いと思わないか?」


 誰も笑わなかった。

 ただ、館の時計が再び鳴った。午前一時。

 まるで、次の幕が上がる合図のように。



 午前一時を過ぎ、嵐はいっそう激しくなった。

 外は土砂降り、電話も圏外、車も道もすべて孤立。まさに“閉ざされた館”という状況が完成していた。

 「なあ、本当に全員……人間、だよな?」

 堀内の冗談に誰も反応しなかった。


 そのとき、館の奥から鈍い金属音が響いた。

 皆が顔を見合わせる。

 「厨房だ」

 城戸刑事が懐中電灯を手に取り、先頭に立つ。

 他の五人も、ためらいながら続いた。


 厨房のドアを開けた瞬間、ひやりとした空気が流れ込んだ。

 ガスの匂い。

 そして、床に転がる包丁。


 「誰かいた形跡がある……!」

 如月が声を上げる。

 城戸が床を調べると、泥の足跡があった。しかも、六人分ではない。七つ目の足跡――。


 「……やはり、誰かいる」

 その言葉に空気が一気に凍りついた。

 「ま、待ってくれよ!」

 堀内が声を上げる。

 「七つ目の足跡って……俺たちは六人しか――」


 「いいえ、七人です」

 静かに訂正したのは、小鳥遊だった。

 「あなた、数え間違えてます。ほら――私たち、最初に“七人”と紹介されたじゃないですか」


 確かに。

 けれど、誰ももうひとりの“顔”を思い出せなかった。

 ――まるで最初から存在していなかったように。


 「待て……誰がいた?」

 城戸が名簿をめくる。そこには確かに七名の名前が記されている。だが、最後のひとつ――“空欄”。

 書かれていたはずの名前が、黒いインクで塗りつぶされていた。


 雷鳴が轟く。

 その瞬間、廊下の奥から影が走り抜けた。

 「おい、誰だ!」

 城戸が駆け出す。ほかの者たちも慌てて後を追う。


 だが、そこにいたのは――鏡だった。

 大きな姿見の中に、七つの人影。

 そして、ひとつだけ、ゆっくりと笑う顔。


 「……鏡の中?」

 堀内が言葉を失う。

 鏡の中の“七人目”は、外の自分たちとまったく同じ姿をしていた。

 いや、同じ“誰か”に見えるように、歪んでいた。


 「……やっぱり出たか」

 城戸の声が低く響く。

 「十年前の事件、被害者は鏡の間で見つかった。死ぬ前に、同じ顔を見たと証言してな」


 如月が苦笑した。

 「まるで芝居だな……犯人も被害者も、同じ役者が演じてる」


 小鳥遊が、ふと鏡に近づいた。

 「でも、不思議ですね。もしこれが幻覚なら、誰が“見せている”んでしょう」


 返事の代わりに、館全体が軋んだ。

 ――ミシ、ミシ、と。

 まるで何か巨大なものが、壁の中で呼吸しているような音。


 堀内が震える声で言った。

 「なあ、もう帰ろう。十年前のことなんか、どうでもいい。誰も死んでないなら、それで――」


 「いや、死んでるさ」

 城戸がゆっくりと振り返る。

 「十年前に、一度“みんな死んでる”。だから、今ここにいるのは――」


 雷鳴が館を貫いた。

 鏡が割れる。

 そして、暗転。



 眩い閃光のあと、館は静寂に包まれていた。

 雷の音も、雨の音も、すべて遠くへ消えたかのように。

 ――ただ、割れた鏡の前で、六人が立ち尽くしていた。


 「……生きてる?」

 堀内が息を詰めて周囲を見回す。

 誰も倒れていない。血も、傷も、何もない。

 ただ、鏡の破片だけが床一面に散らばっていた。


 「いまの、なんだったんだ……?」

 如月が額を押さえる。

 すると、小鳥遊が静かに鏡の破片を拾い上げた。

 破片の中には、それぞれの顔が映っている――だが、どれも“少し違う”。

 年を取っていたり、笑っていたり、泣いていたり。

 「……これ、“あのとき”の私たち」

 彼女の声が震えた。

 「十年前、この館で、私たちはもう――」


 「そうだ」

 城戸が低く呟いた。

 「十年前の事件。記録が消えたのは、俺たち自身が“消した”からだ。あの夜、俺たちは全員、事故で死んだ」


 堀内が笑い飛ばそうとしたが、声が出なかった。

 彼の胸元には、いつの間にか濡れた血の跡が滲んでいた。

 「じゃあ……俺たちは、幽霊ってことか?」

 「いや、違う」城戸が首を振る。

 「死んだことを、誰も認めなかった。だから、こうして“集まった”んだよ」


 雷鳴の代わりに、館の時計が鳴った。

 午前二時。

 鐘の音が響くたびに、誰かの輪郭が少しずつ透けていく。


 如月が笑った。

 「なるほどな……“そして誰もいなくならなかった”ってのは、そういう意味か」

 「え?」堀内が目を見開く。

 如月は、消えかけた自分の手を見つめながら言った。

 「俺たちは“死ななかった”と思い込んでた。だから、ここにいる。でも本当は――とっくにいなくなってる」


 小鳥遊が頷いた。

 「誰も殺されなかった夜。誰も生き残っていなかった夜。

 けれど、それでも誰も“いなくならなかった”。

 心が、この場所に残ったから」


 館の灯りが、ひとつ、またひとつと消えていく。

 皆の姿も、それに合わせて淡くなっていった。

 最後まで残ったのは、城戸刑事だった。

 彼は破片の一つを拾い上げ、微笑んだ。


 「霧ヶ峰館事件・最終報告書。――全員、無事生還」


 その言葉を残して、彼の姿も霧のように溶けた。


 翌朝、嵐が去った館には、何の異常も見つからなかった。

 ただ一つ、机の上に置かれた一枚の紙。


 『そして誰もいなくならなかった』


 その文字は、誰の筆跡にも似ていなかった。

 彼らは事件の真相を探すために集まったわけではなく、“もう一度だけ自分たちの存在を確かめるため”に集まったのかもしれません。

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