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秘匿葬送記録  作者: 月影 朔


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第四十二話:継承される蔵書

 師、慈恩の葬儀は高野山の深い霧雨の中で静かに執り行われた。


 ネットワークに連なる数名の老僧が素性を隠して遠方より参列したが、彼らもまた慈恩と同じく、その顔に深い疲労と諦念の色を刻みつけているだけだった。


 彼らは快に労いの言葉をかけるでもなく、ただ遠巻きに、次の「墓守」となる若者を値踏みするかのような昏い瞳で見つめていた。


 葬儀が終わると、彼らは誰に言うでもなく山を下り、遍照院には再び、遠山快ただ一人の静寂が戻ってきた。


 師が灰となり、その魂がこの聖域の空気へと溶けていくまでの一週間。

快は淡々と、しかし完璧に全ての法要をこなした。


 悲しみはあった。

物心ついた時から自分を育ててくれた唯一の家族を失ったのだ。


 だが、その悲しみを上回る別の感情が彼の心の大部分を占めていた。

それは新たな役目への厳粛な責任感と、師が生涯をかけて対峙し、そして敗れ続けた得体の知れない「敵」に対する、静かだが燃えるような怒りだった。


「戦うな」


 師の最後の言葉が、読経の合間に、あるいは眠りに落ちる寸前の微睡みの中で、何度も彼の脳裏に木霊する。

だが、その言葉はもはや快の心を縛る枷ではなかった。

それは彼の心に火を灯すための、最初の薪となっていた。


 そして、四十九日の法要を終えた月のない夜。

快はついに、その決意を実行に移した。


 彼は位牌に最後の線香を供えると静かに立ち上がり、寺の最も奥深くへと続く冷たい石の廊下へと足を踏み入れた。


 師が生前、決して彼を近づけようとはしなかった場所。

遍照院の心臓部であり、そして墓場でもある、あの禁断の書庫へ。


 廊下の突き当たりに、その扉はあった。

周囲の木製の壁とは明らかに異質な、分厚い一枚岩をくり抜いて作られたかのような石の扉。

表面にはびっしりと黒い苔が密生し、そこから常に水滴が染み出して床に小さな水たまりを作っている。


 快は師から託された錆びついた巨大な鉄鍵を、その古びた錠前に差し込んだ。


 ぎ、ぎぎぎ……。


 これまで一度も動かされたことがないのではないかと思うほど、鍵は重く固い。

快が全身の体重をかけてそれを回すと、腹の底に響くような鈍い金属音と共に錠が外れた。


 彼は石の扉に両手をかけ、ゆっくりと、しかし力を込めてそれを押す。


 ゴゴゴゴゴ……。


 地面を擦る重い音と共に扉が内側へと開かれていく。

その隙間から冷気と共に、濃密な空気の塊がまるで意思を持った生き物のように這い出してきた。


 それは、快の呼吸を止めるほどの強烈な匂いだった。


 何百年という歳月をかけて封じ込められてきた、古い紙と乾いた墨の匂い。

そして、その二つの匂いのさらに奥深く、底流に澱のように沈殿している、あの、忘れようとしても忘れられない、井戸の底から立ち上るかのような昏く冷たい水の腐臭。


 快は一瞬ためらった。

だが、すぐに迷いを振り払い、意を決してその闇の中へと足を踏み入れた。


 中は、彼の想像を遥かに超えた光景だった。


 石で四方を固められた、窓一つない巨大な空間。

その壁という壁に、床から天井まで巨大な木製の棚が作り付けられていた。


 そして、その棚の一つ一つの区画を、同じ大きさ、同じ形の古びた桐の箱が、まるで巨大な蜂の巣のようにびっしりと埋め尽くしていた。


 数えきれない。

千か、あるいはそれ以上か。


 その一つ一つが、一つの「敗北の記録」を納めた棺なのだ。

これだけの数の僧侶がこの呪いに触れ、心を壊し、あるいは命を落としてきた。

その事実が声なき声となって、書庫の冷たい空気の中を震わせていた。


 快は蝋燭の頼りない光を手に、その墓標の林の中をゆっくりと歩き始めた。

棚には時代を示す小さな木札が掲げられている。

「江戸初期」「宝暦年間」「明治」「大正」。

時代を下るにつれて桐の箱の色は新しくなっていくが、そこから放たれる気配はむしろより濃く、より禍々しくなっていくように感じられた。


 彼は一つの桐の箱に、そっと指先で触れてみた。

ひやりとした冷たさが皮膚を通して魂にまで染み込んでくるようだ。

そして微かに、指先に湿り気を感じた。


 気のせいではない。

この書庫は、物理的に「濡れて」いるのだ。


 彼は最も奥にある棚へと歩を進めた。

そこは「平成」、そして「令和」と記された、最も新しい記録が納められている場所だった。


 他の棚と比べてまだ桐の箱の数は少ない。

だが、一つ一つの箱が放つ存在感は古い時代のものとは比較にならないほど生々しく、そして攻撃的だった。

まるで、まだその記録に記された死者の血が乾ききっていないかのように。


 そして、その棚の一番端。

最も新しい場所に、他の箱とは別に二つの巻物が剥き出しのまま厳かに置かれていた。

師が亡くなる直前に、ネットワークの同胞から送られてきたばかりの最新の記録だった。


 快は、まず一つ目の巻物を手に取った。

金沢の若い僧侶、了慶師によって記された記録。

和紙はまだ新しく墨の匂いも鮮やかだ。だが、その紙に触れた瞬間、快の指先を陶器の破片で切り裂かれるような鋭い冷たさが襲った。


【極秘】秘匿葬送記録:七拾ノ巻

 事案名:橘宗一器物溺死記録


 その文字を読んだだけで、快の脳裏に、古美術品と共に水底へと沈んでいった商人の、金銭欲と恐怖に歪んだ最後の顔がありありと浮かび上がってきた。


 息を整え、彼はもう一つの巻物へと手を伸ばす。


 高知の老僧、海堂和尚からのものだった。

こちらの巻物はまるで豪雨にでも打たれたかのように紙全体が激しく波打ち、泥の染みが文字の上にまで滲んでいた。

それを手にした瞬間、快の耳の奥で、大勢の若い男女の、水中で助けを求めるようなくぐもった悲鳴が一斉に響き渡った。


【極秘】秘匿葬送記録:七拾壱ノ巻

 事案名:佐伯美月合同葬送記録


 二つの、最新の絶望。

 二つの、まだ生々しい傷跡。


 快はその二巻を両手に持ったまま、その場に立ち尽くした。

桐の箱に納められた過去の記録が放つのは、風化しかけた静かな怨念の気配だった。

だが、この二つの巻物が放つ気配は明らかに違う。


 それは、まだ終わっていない物語の、現在進行形の叫びだった。


 橘宗一。佐伯美月。そして、彼女の仲間たち。

彼らの魂はまだ、あの冷たい水の底で、もがき続けているのだ。


 快は二つの巻物をそっと棚に戻した。

そして、壁一面に広がるこの膨大な「敗北の記録」の全てを、ゆっくりと見渡した。


 師は言った。「戦うな」と。


 だが、この光景を前にして、どうして戦わずにいられようか。

この棚を埋め尽くす無数の魂の無念を、そして今まさに水底で苦しみ続けている新しい魂たちの叫びを、ただ「観測」し「記録」するだけで見過ごすことなど、どうしてできようか。


 快の心の中で、師への深い敬愛と、その教えに対する明確な反駁の意志が、一つの硬く冷たい決意へと結晶していった。


 彼は、この呪われた蔵書をただ継承するだけの「墓守」になるつもりはなかった。

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