第四十話:刑事のメモ
あの合同葬儀は、阿鼻叫喚の地獄と化した。
非常灯の緑がかった不気味な光が、祭壇から溢れ出し床一面に広がる黒く濁った泥水を照らし出す。
遺族たちの絶叫と嗚咽。
そして、その全ての中心で呆然と立ち尽くす老僧、海堂和尚の姿。
葬儀はもはや儀式としての体を成していなかった。
それはパニックと恐怖による中断という、あまりに唐突で暴力的な形でその幕を閉じた。
数日後。
高知市内の郊外にひっそりと佇む禅寺の一室。
あの日、斎場の後方で全てを見届けていた村上警部補は、一人その寺の老僧、海堂和尚と向かい合っていた。
部屋の中は静かだった。
窓の外からは夏の終わりの日差しが差し込み、畳の上に穏やかな光の四角形を描いている。
だが、その静けさとは裏腹に、二人の間に流れる空気はあの葬儀の日の泥水のように重く、冷たく淀んでいた。
「……これが、今回の事件に関する公式の報告書です」
村上はそう言うと、一冊の分厚いファイルを畳の上に置いた。
「そして……」
彼はもう一つ、透明な証拠品保管袋をその隣に置いた。
袋の中には、数枚の泥に汚れ水に濡れて波打った和紙のコピーが入っていた。
佐伯美月の部屋から発見された、あの『秘匿葬送記録』だった。
「……警察としては、この事件はサークルのリーダーであった佐伯美月を中心とした集団自殺、という形で処理されることになるでしょう。
ですが」
村上は一度言葉を切り、海堂和尚の目を真っ直ぐに見つめた。
「私個人としては、到底納得できません。
そして和尚も、そうではありませんか?」
海堂和尚は何も答えなかった。
ただ、深く皺の刻まれた顔で、静かに畳の上の二つの物証を見つめている。
彼の血の気のない唇が微かに震えていた。
「この文書……。
そして、あの葬儀で起きた出来事。
これらは我々警察の手に負えるものではありません。
法では裁けません。
……ですが、このまま蓋をしてしまうわけにはいかない。
そう思いました」
村上は証拠品の袋を指先でそっと老僧の方へと押しやった。
「これは……
我々が持つべきものではない。
おそらく、あなた方のような方々が引き受けるべきものなのでしょう」
その言葉を聞いて、海堂和尚はようやくその重い口を開いた。
声は葬儀の日の荘厳な響きを失い、ただひどくか細く疲れ果てていた。
「…………これは」
老僧は青ざめた顔で、泥にまみれた巻物のコピーを見つめながら呟いた。
「……我々が、引き受けねばならんものですな」
その言葉には「我々」という複数形の主語が使われていた。
村上はその意味を深くは問わなかった。
だが彼は理解した。
この老僧の背後には自分たちの知らない巨大な闇と、その闇と長年対峙し続けてきた者たちの存在があるのだと。
海堂和尚は震える指先で、その証拠品の袋をそっと持ち上げた。
まるでそれが千鈞の重さを持つ何かであるかのように。
「……刑事殿。
この件はもう忘れなされ。
それが、あなたのためじゃ。
そして、この世のためじゃ」
それが海堂和尚が村上に告げた最後の言葉だった。
村上は深々と一礼すると、何も言わずにその部屋を後にした。
寺の山門を出た時、彼は背負っていた重い荷物をようやく下ろせたような奇妙な解放感を覚えていた。
そして同時に、自分は決して触れてはならない深淵の縁をほんの少しだけ覗いてしまったのだという、消えることのない悪寒を感じていた。
さらに数日が過ぎた。
夜。
海堂和尚は自坊の書院で、一人墨を磨っていた。
彼の前には真っ白な和紙の束が置かれている。
あの葬儀以来、彼の元にも差出人不明の指示書が届いていた。
そして、村上刑事が持ってきたあの記録の断片。
それらを読んだ彼は、自らが果たすべき役割を完全に理解していた。
あの若者たちの死。そして、あの葬儀で起きたおぞましい怪異。
それを、次なる悲劇を防ぐための「記録」として残さなければならない。
たとえその行為が、自らの魂を削ることになったとしても。
恐怖に指が震える。
棺から溢れ出してきた泥水の感触。
闇の中で響き渡った若者たちの最後の声。
それが脳裏に焼き付いて離れない。
だが、書かなければならない。
これが、この呪いの網の一端を担うことになってしまった自分に課せられた務めなのだ。
海堂和尚は震える筆を黒々とした墨に浸した。
そして意を決し、真っ白な和紙の最初の行に、その忌まわしい表題を書き記した。
【極秘】秘匿葬送記録:七拾壱ノ巻
事案名:佐伯美月合同葬送記録




