第三十五話:連鎖の終わり
拓也の死をきっかけに、彼らの間に結ばれていたか細い最後の絆は、完全に断ち切られた。
佐伯美月、健司、由香、宏。
残された四人は、もはや互いを仲間としてではなく、自分を死へと引きずり込むかもしれない不吉な感染源としてしか、見ることができなくなっていた。
彼らは、完全にそれぞれの孤独な殻の中へと閉じこもった。
だが、その殻は彼らを外敵から守るためのものではなかった。
それは彼ら自身の内側から溢れ出してくる恐怖と狂気を、ただその中に淀ませ、濃縮させていくだけの脆弱な檻でしかなかったのだ。
そして、限界まで高められた狂気は、
やがてその脆い檻を食い破り、彼らを一人、また一人と破滅へと導いていく。
次にその連鎖の餌食となったのは、由香だった。
拓也の葬儀から二日後の深夜。
彼女のマンションの同じ階に住む住人が、彼女の部屋の玄関ドアの下から大量の水が廊下に溢れ出しているのを発見した。
通報を受けて駆けつけた警察官がドアを破った時、そこに広がっていたのは、拓也の部屋と酷似した異様な光景だった。
部屋は完全に水浸しになっており、全ての家具が水に浮かんでいた。
そして、その中央で由香は冷たくなって浮いていた。
彼女の部屋の蛇口もまた、全て固く閉められていた。
そしてその手には、なぜか切り裂かれた自分の衣服の切れ端が、強く握りしめられていた。
彼女の死は「精神的な動揺による入水自殺の可能性が高い」として処理された。
その翌日。
今度は宏が消えた。
彼はその日、大学の講義に出席するはずだったが、現れることはなかった。
心配した両親からの捜索願を受け、警察が捜査を開始した数時間後。
彼は、大学の屋内プールの底に沈んでいるのが発見された。
深夜、何者かがプールに侵入した形跡はなく、彼が自らそこへ入っていったとしか考えられなかった。
彼の最後の足取りを追った刑事は、ロッカーの中に一枚のメモが残されているのを見つけた。
そこには、ただ一言。
『レンズの向こう側が、呼んでいる』とだけ記されていた。
残されたのは、美月と健司の二人だけとなった。
健司はその日、美月に一度だけ電話をかけてきた。
その声はもはや彼のものではなかった。
恐怖に完全に理性を失った、獣の呻き声のようだった。
「……美月。お前のせいだ。
お前が俺たちをここに連れてきた。
お前が、『雨濡』なんだ。そうだろ……?」
「健司……違う……!」
美月は必死に否定した。
だが、健司の耳にはもう何も届いていない。
「……俺は、お前からは逃げる。
水からは逃げる。
絶対に、お前の仲間にはならない……」
その言葉を最後に電話は切れた。
そして、その二日後。
健司は死体となって発見された。
彼が見つかったのは、意外な場所だった。
都心にある大きな公園の、その中央に設置された巨大な噴水の中だった。
彼は、その浅い水盤の中でうつ伏せに倒れていた。
死因は、溺死。
彼の肺は、完全に水で満たされていた。
だが、その噴水の水深はわずか二十センチにも満たなかったのだ。
そして残されたのは、佐伯美月、ただ一人となった。
仲間たちの死の知らせは、警察を通じて断片的に彼女の耳にも届いていた。
由香が死んだ。
宏が死んだ。
そして、健司も死んだ。
その事実一つ一つが、彼女の心を巨大な金槌で打ち砕いていく。
私のせいだ。
私がみんなを殺した。
私が、あの呪いを呼び覚ました。
私が、あの巻物を読んでしまったから。
罪悪感と恐怖は、もはや彼女の精神を支える最後の一本の柱さえもへし折ってしまった。
彼女は狂ったように笑い出した。
そして、泣き続けた。
彼女の部屋の中では、もはや幻聴と現実の区別さえつかなくなっていた。
天井からは絶えず黒い泥水が滴り落ち、壁には無数の溺死者たちの顔が浮かび上がり、彼女を嘲笑っている。
そして耳元では、拓也と健司と由香と宏の四人の声が、代わる代わる彼女を水底へと誘い続けていた。
『……美月。こっちへ、おいでよ』
『……もう、楽になろうよ』
彼女の狂乱は数日間続いた。
そして、ある静かな夜。
彼女はふと、全ての動きを止めた。
そして、まるで何かに導かれるかのように、机の上に放置されていたノートパソコンを開いた。
彼女は震える指でパスワードを打ち込み、そして、あの沈黙して久しいサークルのグループチャットを開いた。
そこには彼らの罵詈雑言と、そして拓也の死をきっかけに途絶えた最後の会話が、墓標のように残されていた。
美月は、その画面をしばらく無言で見つめていた。
そして、ゆっくりとキーボードに指を置いた。
彼女は、そこにたった一言だけ打ち込んだ。
『ごめんなさい』
送信ボタンが押される。
その短い謝罪の言葉が、グループチャットの最後の発言となった。
彼女は静かにパソコンを閉じると、ふらりと立ち上がった。
そして、まるで夢遊病者のように一度も振り返ることなく部屋のドアを開け、その湿った暗闇の中へと、その身を吸い込ませるように消えていった。
それが、佐伯美月という一人の女子大生がこの世で見せた、最後の姿だった。




