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秘匿葬送記録  作者: 月影 朔


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第三十一話:共有される悪夢

 日常を装うこと。


 それは、彼らがこの数日間で、最も熟達した技術だった。

大学の講義ではいつも通りにノートを取り、友人たちとは当たり障りのない話題で笑い合う。

サークルの部室でも、彼らは決して、あの合宿の最後の夜について語り合うことはなかった。


 彼らは、沈黙という、脆く、しかし必死の協定を結んでいたのだ。

あの出来事を語らない。思い出さない。

そうすることで、あの泥と雨と、そして不自然な水音に満ちた異常な一夜を、自分たちの堅固な現実の外側へと押しやり、封じ込めようとしていた。


 しかし、影はすでに、内側にまで深く染み込んでいた。

そしてその影は、彼らが一日の終わりを告げ、最後の砦である意識下の世界へと逃げ込む、その瞬間をじっと待ち構えていたのだ。


 最初にその悪夢を見たのは、佐伯美月だった。

あの廃村から帰ってきて三日目の夜。除湿器が低く唸る、じっとりと湿った自室のベッドの上で、彼女は浅い疲労に満ちた眠りへと落ちていった。


 ――気がつくと、彼女は水の中にいた。


 それはプールや海のような生易しい水ではなかった。

視界は茶色く濁り、無数の泥や砂、そして腐った木の葉のようなものが、轟音と共に渦を巻いている。

四万十川の濁流の、その水底。彼女はなぜかそう直感した。


 全身を凄まじい水圧が圧し潰そうとする。

冷たい。

骨の髄まで凍てつくような絶対的な冷たさ。

そして何よりも、息ができない。

肺が焼けつくように空気を求め、しかし彼女の口から入ってくるのは、ざらついた泥の混じった、生臭い水だけだった。


 死ぬ。

その本能的な恐怖が彼女の麻痺した思考を突き動かした。


 上だ。上へ行かなくては。


 彼女は水面を見上げた。

遥か頭上。そこには、ゆらゆらと歪んだ円形の光が見えた。

月か、あるいは太陽か。

それは、生の世界からの唯一の救いの光。


 彼女は必死に手足をばたつかせた。

濁った水が、まるで粘液のようにまとわりつき、抵抗する。


 だが彼女はもがいた。

あの光へ。あの空気のある世界へ。


 あと少し。

もう少しで指先があの光に届く。


 そう思った、その瞬間だった。


 彼女の右足首を、ぬるりとした、肉のような感触の何かが、強く掴んだ。


「――っ!?」


 見ると、水底の暗い泥の中から、無数の、白い手が伸びてきていた。

それは水にふやけ、ぶよぶよに膨れ上がった、死人の手。

その全ての指が、彼女の足に、脚に、そして腰に、まるで水草のように絡みついてくる。

そして、引きずり込むのだ。圧倒的な力で。より深く、より暗い、水底の闇の中へと。


「――いやあああああっ!」


 美月は絶叫と共にベッドの上で跳ね起きた。


「はっ、はっ、はあっ……!」

彼女は荒い呼吸を繰り返した。


 心臓が破裂しそうなほど激しく脈打っている。

全身はびっしょりと冷たい汗で濡れていた。

そして彼女が身にまとっていたそのシーツ。

それは汗だけでは説明できないほど、じっとりと湿り気を帯び、あの廃寺の土の匂いがした。


 その日、サークルの部室に美月はメンバー全員を緊急に召集した。

集まった四人の顔は皆一様に青ざめ、その目の下には濃い隈が刻まれていた。


「……みんな、昨日の夜、眠れた?」

美月のその問いかけに、誰も答えない。

ただ重い沈黙が、埃っぽい部室の空気を支配した。


「……最悪だった」

最初に口を開いたのは拓也だった。

いつもはおどけているはずの彼の顔から、血の気が完全に失せている。


「……川の底に沈む夢を見た。

すげえリアルなやつ。

息ができなくて……何かに足を引っ張られて……」


 その言葉に、由香がはっと顔を上げた。彼女の目は恐怖に見開かれている。


「……私も」

そのか細い囁きに、カメラマンの宏がこくりと無言で頷いた。


 そして最後に健司が、静かに、そして、全ての望みを断ち切るように、口を開いた。


「……四万十川の濁流の中だ。そうだろ?

水面には光が見えてる。

でも水底から無数の冷たい手が伸びてきて……」


健司の言葉はもはや問いかけではなかった。

それは確認だった。

彼の言葉を証明するかのように、他の三人も皆、絶望的な表情で頷いた。


 五人は互いの顔を見合わせた。

その瞳の奥に、同じ恐怖の色が映っている。


 同じ悪夢。

一字一句違わない、全く同じ悪夢。

それを、この場にいる全員が、昨夜、同時に見ていたのだ。


 もはや偶然などではあり得ない。

集団ヒステリーなどという生易しい言葉で片付けられる現象ではない。

あれはただの夢ではない。

あの廃寺で彼らが呼び覚ましてしまった「何か」。

それが今、彼らの精神の最も無防備な領域にまで、その湿った冷たい指を伸ばしてきているのだ。


 彼らはもはや、個別に怪異に苛まれているのではなかった。

彼らは五人で一つになった、巨大な悪夢の中に、囚われてしまったのだ。


「……どうすれば、いいんだ」

 拓也の震える声が、静まり返った部室の中に虚しく響いた。

誰もその問いに答えることはできなかった。


 彼らの日常と非日常とを隔てていた最後の薄い壁は、今、完全に崩れ落ちようとしていた。

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