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秘匿葬送記録  作者: 月影 朔


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第ニ話:記録者の轍

 夜が明けても、久坂の部屋には深夜の闇が澱のように沈殿していた。


 眠れなかった。

いや、眠るという行為そのものが、意識のどこかで冒涜のように感じられたのだ。


 スマートフォンの画面は黒いままだ。

バッテリーが切れたのか、あるいはあの黒い通知を最後に沈黙を選んだのか、確かめる気にもなれなかった。


 あれは呪詛だ。


 現代のテクノロジーを介して送りつけられた、最も原始的な呪い。


 恐怖は一夜を経て、形を変えていた。

全身を麻痺させるようなパニックは、今はもうない。

その代わり、腹の底に氷のように冷たく、硬い塊が居座っていた。


 それは「覚悟」と呼ぶにはあまりに悲観的で、「諦観」と呼ぶにはあまりに足掻こうとしている、奇妙な感情の結晶だった。


 逃げられない。


 昨夜、段ボールに封印した記録は、もはや単なる紙の束ではなかった。

あれは座標だ。

あの「何か」が、自分という人間を特定するためのビーコン。


 捨てることも、燃やすことも、おそらく意味はない。

一度読んでしまった以上、自分はもう、向こう側の地図に書き込まれてしまったのだ。


 ならば、どうする。


 久坂は、封をしたばかりの段ボール箱のテープを、爪で引き剥がした。

震えは、もう止まっている。


 民俗学者としての、彼の本質が頭をもたげていた。

恐怖の対象を分析し、分類し、その構造を理解しようとする習性。

それが今、唯一彼に残された武器だった。


 彼は再び、写しの束を机いっぱいに広げた。

だが、今彼が追っているのは怪異の現象ではない。

その背後にいる、記録者たちの痕跡だった。


 一枚一枚、報告者の署名と花押を確認していく。

異なる寺院、異なる僧侶の名が並ぶ。


 だが、【検閲追記】の筆致は、明らかに少数、おそらくは数名の人間によって書かれている。

冷静に、分析的に、しかしどこか焦燥を滲ませた文字。


 彼らは、この怪異をただ記録していただけではない。

理解しようと、あるいは、何かと戦おうとしていた。


 久坂は壁に貼り付けた日本地図に、怪異の発生地点をマークし始めた。


 点が、線で結ばれていく。

【斉藤家水葬記録(昭和55年6月29日)】と【遠藤老人参列記録(昭和55年7月5日)】を結ぶ線は、「伝播」というおぞましい可能性を可視化する。


 神奈川で起きた【園部男児葬送記録(平成17年3月24日)】の怪異が、十年後に同じ担当僧侶の死という形で繰り返される【清水晃不詳死記録(平成27年4月1日)】。

その繋がりは、もはや偶然では片付けられない。


 そして、特に凶事の記録――

とりわけ「雨」と「伝播」が明確に記された記録のいくつかが、ある特定の地域を指し示していることに、久坂は気づいた。


 鳥取、島根。

山陰の、雨と霧に閉ざされた土地だ。


 彼は自身の蔵書と、恩師が遺した膨大な民俗学データベースを照合し始めた。

追記に現れる仏教用語、寺院の宗派、僧侶たちの法名……。


 パズルのピースが、ゆっくりと嵌っていく。

そして、一つの名が浮かび上がった。


 水観寺すいかんじ


 かつて山陰地方に存在した、今はもう地図にはない古寺。

表向きは寂れた真言宗の寺だが、裏では古くから、水にまつわる土着信仰や禁忌を管理・封印してきた特殊な寺院だったという。

そして、記録の中で最も凄惨な「伝播」の被害者となった、あの僧侶の名前に辿り着く。


 ――藤原泰然。


【真一男性葬送記録(平成17年7月20日)】の報告者。

怪異に直接汚染され、脳に水腫をきたし、廃人同様になったとされる僧侶。


 彼は、記録者でありながら、怪異の「轍」そのものだ。

もし、彼がまだ生きているのなら。あの怪異の正体について、何かを知っているはずだ。


 久坂は、キーボードを叩く指を止めた。

画面には、水観寺があったとされる鳥取県の、深い緑に覆われた衛星写真が映し出されている。


 ここに行くしかない。


 もはや学術的探求心ではなかった。

これは、生き残るための調査だ。

呪いを解く方法など期待していない。

だが、せめて知らなければならない。


 自分を蝕み始めた、この正体不明の恐怖が、一体何なのかを。


 彼は静かに立ち上がり、旅行鞄をクローゼットの奥から引きずり出した。


 窓の外は、いつの間にか厚い雲に覆われている。

まだ降ってはいない。

だが、空気は、あの記録の写しと同じ、じっとりとした湿り気を帯び始めていた。

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