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秘匿葬送記録  作者: 月影 朔


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第一話:第一の波紋

 最後の記録、【中村家囁き出棺記録(令和元年11月18日)】の末尾を読み終えた時、久坂理人(くさかりひと)の指先は氷のように冷え切っていた。


 生乾きのシャツが背中に張り付く不快感は、もはや単なる湿度のせいではない。

部屋そのものが、見えざる水に飽和しているかのような、重く粘ついた空気が肺を圧迫していた。


「……ありえない」


 絞り出した声は、ひどく掠れていた。

 

 民俗学者としての理性が、警鐘を乱れ打っている。偶然だ。すべては偶然の産物だ。

記録者の主観、時代背景、地域特有の伝承――

それらが混ざり合い、あたかも一貫した法則があるかのように見せかけているに過ぎない。


 そうだ、そうに違いない。


【斉藤家水葬記録(昭和55年6月29日)】で記録された怪異と、【遠藤老人参列記録(昭和55年7月5日)】での「伝播」を思わせる記述。

これとて、同じ時期に同じ地域を襲った集団ヒステリーの一種と解釈できるはずだ。

あるいは、報告者である僧侶たちが、同じ師の下で学んだがゆえに、怪異の解釈に似通ったバイアスがかかっていた可能性もある。


【清水晃不詳死記録(平成27年4月1日)】で、十年以上前の【園部男児葬送記録(平成17年3月24日)】の怪異が再発したとされる一件も、清水僧侶自身が過去のトラウマに苛まれ、同様の幻覚を見たのではないか。


 久坂は、震える手で机の上に散らばったA4用紙の束をかき集めた。

恩師の遺品の中から見つけた、この呪われた写本の群れ。

一枚一枚が、死の匂いを吸い込んだ海綿のように、じっとりと重い。


 もうこれ以上、関わるべきではない。

これは学術研究の対象などではない。

触れてはならない種類の、穢れそのものだ。


 彼は近くにあった段ボール箱に、記録の写しを叩き込むように投げ入れた。

それだけでは足りない気がして、ガムテープを掴むと、まるで悪霊を封じ込めるかのように、箱の蓋に幾重にも貼り付けていく。


「これで、終わりだ」

自分に言い聞かせる。


 汗ばんだ額を手の甲で拭い、大きく息を吐いた。時刻は深夜二時を回っていた。

外は静かだ。

雨音は聞こえない。


 少しでいい、日常に戻らなくては。

久坂は思考を強制的に切り替えるため、ポケットからスマートフォンを取り出した。


 無意味にニュースサイトを眺め、SNSのタイムラインをスクロールする。

友人たちの、平和で、乾いた日常の断片。

それが、今の彼には眩しく、ひどく遠い世界のように思えた。


 その時だった。


 ブッ、と短いバイブレーションと共に、画面上部に一件の通知が表示された。

見慣れない、黒い円だけのアイコン。送信者の名前はない。


 胸騒ぎがした。


 無視すればいい。

指をスライドさせて、通知を消去すれば、それだけのことだ。


 だというのに、彼の親指は、まるで自身の意思とは無関係に、その通知をタップしていた。


 画面が切り替わる。


 動画配信アプリが強制的に起動し、一つのライブストリーミングが始まった。


「――っ!」


 息を呑む。

そこに映し出されていたのは、小さな地方都市の、ありふれた斎場のロビーだった。


 数人の黒い喪服の人々が、悄然とした面持ちで椅子に座っている。

カメラは、まるで物陰から盗み撮りをしているかのように、不安定に揺れている。


 そして、ガラス窓の向こうは、凄まじい土砂降りだった。

ワイパーが追いつかないほどの雨粒が、そこに停車している黒い霊柩車のボディを、激しく叩きつけている。


 ――雨。


 久坂の背筋を、氷の指がなぞった。

なんだ、これは。誰が、何のために。


 彼は画面の片隅に表示された視聴者数に目をやった。

十三人。ライブが始まって、まだ数分のようだった。


 そして、その下にあったコメント欄を見て、呼吸が止まった。

 ・

 ・・

 ・

 ・・・・

 ・・

 ・


 そこに並んでいたのは、ただの黒い点。中黒だった。


 意味をなさない、無数の点が、凄まじい速さで流れ続けていた。

それは、人間の手で打ち込まれている速度ではない。

まるで、システムそのものが、この光景を報告するかのように、無感情な黒い点を、雨粒のように画面に叩きつけているのだ。


 これは、偶然ではない。


 警告でもない。


 久坂は、凍りついた指でスマートフォンを握りしめたまま、動けなくなった。


 記録を読んでいたのは、自分だけではなかった。


 窓の向こうから、ただ一方的に覗き込んでいるつもりでいた。だが、違ったのだ。


 あの深淵もまた、こちらを覗き返していた。

ずっと、見ていたのだ。


 そして今、語りかけてきている。

「次は、ここだ」と。

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