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秘匿葬送記録  作者: 月影 朔


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山辺村惨劇胎動記録(大正4年12月15日)

【極秘】秘匿葬送記録:参拾陸ノ巻

報告書番号: 大正04-12-15-001

作成日時: 大正04年12月16日 午前5時00分

報告者: 北海道開拓地 寂光庵 住職 津本 證圓(花押)

事案名: 山辺村惨劇胎動記録

一、事案発生日時・場所

日時: 大正4年12月12日 夜半(最初の被害発生時)より、翌15日 午後3時00分頃(合同葬儀終了時)まで断続的に発生。

場所: 北海道石狩国山辺村 開拓民集会所(臨時安置所、及び合同葬儀会場)。


二、故人情報

氏名: 松野(まつの) ハル(はる)

享年: 32歳

死因: 羆による捕食・損傷(自宅で羆に襲われ死亡。遺体は著しく損壊しており、特に腹部が大きく食い破られ、胎児も失われていた)。

特記事項: 妊娠8ヶ月の身重の女性。山辺村に開拓民として移住してきたばかりであった。羆による最初の犠牲者の一人であり、その惨たらしい死は村人たちに深い恐怖と絶望をもたらした。


三、事案の概要(時系列順)

大正4年12月12日 午後9時00分頃: 山辺村を襲った羆の被害報告を受ける。複数の村人が犠牲になり、特に松野ハルという身重の女性の遺体の惨状は筆舌に尽くしがたいものであったと聞く。私はその報告に胸を締め付けられながらも、合同葬儀の準備に取り掛かった。真冬の北海道は、すでに深い雪に覆われていた。


大正4年12月13日 午前10時00分頃: 臨時安置所とされた開拓民集会所に、損壊の激しい松野ハルの遺体が運び込まれる。検視医は遺体の腹部が深く食い破られ、胎児が失われていることを確認。その痛ましい光景は、集会所に集まった村人たちの顔を蒼白にさせた。私は彼女の遺体を見るなり、体中に走る悪寒を感じた。


大正4年12月14日 午後1時00分頃(合同葬儀開始): 複数犠牲者の合同葬儀が始まる。松野ハルの棺は、他の犠牲者の棺と共に中央に安置された。私が読経を始めると、集会所全体に、奇妙な「微かな泣き声」が響き始めた。「ふぇ…ふぇ…」と、まるでか細い赤子の声のようだった。しかし、この場に赤子はおらず、参列者の間に動揺が走った。私もその声が、松野ハルの棺のあたりから聞こえるように感じ、読経の声が震えた。外は容赦なく雪が降り積もり、集会所は凍てつくような冷気に包まれていた。


大正4年12月14日 午後6時00分頃: 通夜の最中、再び集会所全体に「赤子の泣き声」が響き渡った。今度はよりはっきりと「おぎゃあ、おぎゃあ」と聞こえ、その声はまるで水中でくぐもっているかのようであった。参列者たちは顔を見合わせ、恐怖に震え上がった。中には、あまりの恐怖にその場から逃げ出す者もいた。私は松野ハルの棺に近づき、手を合わせて懸命に経文を唱えた。その時、棺の中から、微かな「胎動」のような振動を感じた。


大正4年12月15日 午前0時00分頃: 私は故人の傍らで夜伽を行う。静寂の中、松野ハルの棺から、断続的に「赤子の泣き声」と、内側から「トントン」と叩くような音が聞こえてきた。その音は、まるで生きている胎児が母親の腹を蹴るかのように、規則的でありながら、どこか助けを求めるような響きがあった。私は全身に冷や汗をかきながら、声を張り上げて読経を続けた。外では、羆の咆哮のような地鳴りが遠くで響いていた。


大正4年12月15日 午前8時00分頃(告別式開始): 告別式が始まる。夜伽の間の異変により、私は精神的にも肉体的にも疲労困憊であったが、読経を続けた。告別式の最中、参列者が献花のために松野ハルの棺に近づき、花を棺の中に入れようとした、その瞬間だった。棺の蓋が「ギシ…」と微かに持ち上がり、同時に「おぎゃあ!」という悲鳴のような赤子の声が響き渡った。参列者は悲鳴を上げ、花束を落とした。棺の中から、まるで「何か」が這い出ようとしているかのような異様な気配がした。斎場は騒然となり、阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。私は、その場で意識を保つのがやっとの状態であった。


大正4年12月15日 午前10時00分頃(出棺): 混乱の中、棺を霊柩車代わりの橇へ運ぶ際、運搬担当者数名が強烈な吐き気に襲われた。彼らの眼には、松野ハルの棺が異常なほどに重く、まるで棺の底から無数の「肉塊」が蠢いている幻覚を見たという。その肉塊は、胎児の未発達な手足のようであり、あるいは羆によって引き裂かれた肉片のようでもあった。彼らが棺に触れようと手を伸ばした瞬間、指先が凍るような冷たさと同時に、濡れて張り付く生肉のような感触に触れた。私は、棺の中から微かに「母を求める赤子の声」が聞こえるように感じ、卒倒寸前であった。


大正4年12月15日 午後3時00分頃(火葬完了後): 全ての遺体の火葬を終え、集会所に戻った私は、斎場長と共に、斎場内に残る異様な気配の確認を行った。斎場内は異常なほどにひんやりとしており、微かな血生臭い匂いが残っていた。異変は止んでいたが、私がその集会所を出た瞬間、私の袈裟の裾が、じっとりと血のような湿り気を帯びていることに気づいた。その後、私は高熱を出して寝込んだ。回復後も、赤子の泣き声のような幻聴に悩まされ、特に妊婦を見ることに異常な恐怖を抱くようになった。山辺村はその後も羆の被害に悩まされ、やがて廃村となったという。


四、特異な点と考察

松野ハル氏の「羆による惨たらしい死」と、その腹部にいた「胎児の喪失」、そして真冬の北海道という「極限の環境」が、今回の怪異に深く関与している。

特に、無慈悲に命を奪われた母親と、この世に生を受けることさえできなかった胎児の「未練」と「怨念」が、その場の空間に強く残留し、現象を引き起こしたと推測される。

集会所全体に響き渡る「微かな泣き声」「赤子の泣き声」、そして棺からの「胎動のような振動」は、失われた胎児が、母親の腹の中で、あるいはこの世に現れようと必死に足掻いている様を再現していることを強く示唆している。さらに、告別式での「棺の蓋の動き」、運搬担当者の「幻覚と触覚」、そして私自身の体調不良、特に「全身からの冷や汗」や「高熱」、そして「赤子の泣き声のような幻聴」といった症状は、故人(母と子)の怨念が、生者の肉体と精神にまで「侵食」していることを強く示唆している。まるで胎児が、自身の存在をこの世に刻みつけようと、母親の身体を媒介として現れようとしているかのようである。

読経や葬儀という「供養」の儀式が、かえって怨念を刺激し、私自身や参列者を危険に晒した可能性。無慈悲に生命を奪われた母子の怨霊が儀式に抵抗し、それを妨害するために、周囲の環境や生者の身体に直接干渉したと考えられる。特に、私の体調不良や袈裟の血のような湿り気は、故人が死の直前に感じたであろう恐怖や、失われた生命の痛みを追体験させたのではないか。

棺から蠢く「無数の肉塊」や、「母を求める赤子の声」という幻覚は、故人の怨念が、彼個人の悲劇を越え、無慈悲に奪われた「生命」そのものの集合体、あるいは羆による暴力という「根源的な恐怖」へと変質しつつあることを示唆している。その幻覚が「母を求める」と囁いたのは、この世に生まれ出ることができなかった胎児の、純粋にして、しかし絶望的な願いの表れであるかのようである。

この怪異は、単なる精神的な影響に留まらず、肉体的な損傷、特に体温調節機能や精神的な恐怖を伴う点で極めて危険であり、その侵食性と、生命の根源に訴えかける点で最も恐るべき点である。人間の居住地に侵入した獣による暴力が、想像を絶する怨念を呼び起こした、極めて稀有な事例である。


五、対処・対策

私は故人の魂の安寧を願って読経を続けたが、彼らの怨念はすでに私の理解と力を超えた存在となっていた。

事案後、私は一命を取り留めたものの、彼の体調は常に優れず、赤子の泣き声のような幻聴に悩まされ、特に妊婦を見ることに異常な恐怖を抱くようになった。

山辺村では、この一件以来、不穏な出来事が頻発し、多くの住民が移住を余儀なくされた。

この事案を重く見た地域の寺院は、獣害による不審死、特に妊婦や子供が犠牲になった場合、最大限の警戒と、より専門的な浄化の儀式、そして土地そのものの鎮魂を推奨する通達を出した。


六、付記

本件は、「人里に現れた獣によって無慈悲に奪われた母子の命が、その深い未練と怨念によって、物理的な現象として現世に顕現した」という、極めて恐ろしい事例である。

極秘記録中の最重要記録として、今後のあらゆる事例の参考に供する。

松野ハル氏とその胎児の怨念は、彼ら個人の悲劇に留まらず、人間が自然の猛威に抗えない無力さ、そして奪われた生命の根源的な嘆きが、終わりなき浸食を続けていることを示している。

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