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秘匿葬送記録  作者: 月影 朔


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比嘉琉生海神怨念記録(昭和49年8月22日)

【極秘】秘匿葬送記録:参拾伍ノ巻

報告書番号: 昭和49-08-22-001

作成日時: 昭和49年8月23日 午前4時10分

報告者: 沖縄県糸満市 竜宮寺 僧侶 金城 秀海(花押)

事案名: 比嘉琉生海神怨念記録


一、事案発生日時・場所

日時: 昭和49年8月20日 午後4時00分頃(遺体発見時)より、翌22日 午後2時00分頃(火葬完了時)まで断続的に発生。

場所: 沖縄県糸満市 総合斎場「美ら海」。


二、故人情報

氏名: 比嘉ひが 琉生りゅうせい

享年: 35歳

死因: 海難事故(漁に出て行方不明となり、数日後に遺体で発見される。死因は溺死とされたが、遺体にはなぜか大量の「人の髪の毛」が足に絡みついていた)。

特記事項: 糸満の海人うみんちゅとして生きてきた男。海をこよなく愛し、誰からも信頼される漁師であった。しかし、彼の遺体が発見された際、足に絡みついていた異様な髪の毛の束は、見る者に強い衝撃を与えた。家族は彼の死を受け入れつつも、深い疑惑と恐怖を抱いていた。


三、事案の概要(時系列順)

8月19日 午後3時00分頃: 比嘉琉生氏の訃報と葬儀の依頼を受ける。故人が海人であったこと、そして遺体に異様なものが付着していたという話を聞き、私、金城秀海はただならぬものを感じた。依頼の日も、沖縄特有の蒸し暑い曇り空で、遠くから海の潮騒が聞こえていた。


8月20日 午後6時00分頃(通夜開式): 糸満市総合斎場「美ら海」にて琉生氏の通夜が始まる。故人の棺は厳かに安置され、読経が続く。斎場内は微かに潮の香りがした。読経の最中、斎場全体に、まるで海底から響くかのような重く低い「水のうねり」のような音が微かに聞こえ始めた。それは潮の満ち引きのような、不規則なざわめきで、参列者の間に微かな不安が広がった。


8月20日 午後8時30分頃: 通夜振る舞いの最中、斎場内が異常なほどにひんやりとした冷気に包まれた。同時に、参列者の何名かが、自分たちの足元に微かな水滴が付着していることに気づき、ざわめきが起こった。水滴は透明ではなく、どことなく粘り気を帯び、微かに潮の匂いがしたという。斎場長は慌てて原因を調べたが、空調や建物の異常は見当たらなかった。


8月21日 午前0時00分頃: 私は故人の傍らで夜伽を行う。静寂の中、斎場のどこからともなく、微かな「水の滴る音」と、壁を叩くような「ドンドン」という音が断続的に聞こえてきた。その音は、まるで故人が、何かに苛立っているかのようであり、あるいは自身の死の状況を訴えかけているかのようでもあった。私は読経の声が掠れ始めたが、必死で念仏を唱え続けた。


8月21日 午前8時00分頃(告別式開始): 告別式が始まる。夜伽の間の異変により、私は全身が水を吸ったかのように重く、疲労困憊であったが、読経を続けた。告別式の最中、参列者が献花のために棺に近づき、花を棺の中に入れようとした、その瞬間だった。故人である比嘉琉生氏の閉じられていた両目が、カッと大きく見開かれた。その瞳は、まるで深い海の底を映し出すかのように澱んでおり、苦悶と怨念に満ちていた。参列者は悲鳴を上げ、花束を落とした。斎場は騒然となり、阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。私は、その目で見た故人の瞳が、まるで私を深く海の底へ引きずり込もうとしているかのように感じた。


8月22日 午前9時00分頃(出棺): 混乱の中、棺を霊柩車へ運ぶ際、斎場長と運搬担当者数名が強烈な吐き気に襲われた。彼らの眼には、棺が藻のようなもので覆われ、そこから無数の「黒い髪の毛」が伸びている幻覚を見たという。その髪の毛は、まるで生きているかのように蠢き、棺の表面に無数の顔が浮かび上がっているように見えた。彼らが棺に触れようと手を伸ばした瞬間、指先が凍るような冷たさと同時に、濡れて張り付く髪の毛の感触に触れた。彼らは意識を保つのがやっとの状態であった。


8月22日 午後2時00分頃(火葬完了後): 火葬を終え、斎場に戻った私は、斎場長と共に、斎場内に残る異様な気配の確認を行った。斎場内は異常なほどにひんやりとしていたが、以前のような水滴や潮の香りは消えていた。しかし、私が斎場を出た瞬間、私の袈裟の裾が、じっとりと湿り気を帯びていることに気づいた。それはまるで、誰かがそこにいた証のように感じられた。その後、私は体調を崩し、高熱を出して寝込んだ。回復後も、水回りの音に敏感になり、特に海辺や潮の香りには異常な恐怖を抱くようになった。斎場長も、この一件以来、海難事故の遺体の葬儀は避けるようになり、斎場内の清掃時には必ず複数人で行うようになったという。


四、特異な点と考察

故人である比嘉琉生氏の「海での行方不明」と「足に絡みついた大量の人の髪の毛」という異様な遺体の状況、そして葬儀が雨模様の中で行われた点が、今回の怪異に深く関与している。特に、髪の毛という「念」が残りやすいとされる媒体と、「水」という根源的な要素が結びつき、故人の怨念を現世に強く顕現させたものと推測される。故人が、海中で何らかの苦しみを味わい、その未練が「髪の毛」と「水」を媒介として現れたのではないか。

斎場全体に広がる「潮の香り」や「水のうねりのような音」、そして「冷たい水滴の付着」は、故人が海から斎場へと「水」を通じて現れたことを強く示唆している。さらに、告別式での「故人の目が見開く怪異」、斎場長や運搬担当者の「幻覚と触覚」、そして私自身の体調不良、特に「冷たい水滴の付着」や「全身からの水分の滲み出し」、そして「海への恐怖」といった症状は、故人の怨念が「水」を媒介とし、自身の死の状況を物理的に顕現させ、生者の肉体、特に体液の循環を司る部分、そして精神にまで「侵食」していることを強く示唆している。まるで故人が、自身の死の苦しみを他者に追体験させ、あるいは自身の死の真相を訴えかけているかのようである。

読経や葬儀という「供養」の儀式が、かえって怨念を刺激し、私自身を危険に晒した可能性。怨霊が儀式に抵抗し、それを妨害するために、私の身体、そして精神に直接干渉したと考えられる。特に、私の体調不良や袈裟の湿り気は、故人が海中で感じたであろう窒息感や、水に溺れる苦しみを追体験させたのではないか。

棺から伸びる「黒い髪の毛」や、棺の表面に浮かび上がる「無数の顔」という幻覚は、故人の怨念が、彼個人の苦しみを越え、過去に海で命を落とした無数の魂の集合体、「海神いずのうなじ」とでも呼ぶべき存在へと変質しつつあることを示唆している。その幻覚が「お前も…」と囁いたのは、海が持つ根源的な恐怖と、そこに取り込まれた魂たちの「道連れ」を求める強い意志の表れであるかのようである。

この怪異は、単なる精神的な影響に留まらず、肉体的な損傷、特に呼吸器系や体液循環機能への影響、さらには精神的な恐怖を伴う点で極めて危険であり、その侵食性と、空間全体への広範な伝播性が最も恐るべき点である。沖縄の海に潜む信仰と、古来からの「水」の恐怖が結びついた、極めて恐ろしい事例である。


五、対処・対策

私は故人の魂の安寧を願って読経を続けたが、彼の怨念はすでに私の理解と力を超えた存在となっていた。

事案後、私は一命を取り留めたものの、彼の体調は常に優れず、海辺や潮の香りに敏感になり、特に海に近づくことを極端に恐れるようになった。

糸満市総合斎場「美ら海」では、その後も海難事故の遺体に関する同様の怪異が報告されるようになり、現在は海難事故の遺体の葬儀は原則として受け付けていない。

この事案を重く見た宗派は、海難事故による遺体の葬儀、特に遺体の状況に不審な点がある場合、最大限の警戒と、より専門的な浄化の儀式、そして海への特別な供養を推奨する通達を出した。


六、付記

本件は、「沖縄の海人の不審な死と、海にまつわる異様な現象が、『水』の怪異と結びつき、海に潜む根源的な恐怖が、現世に顕現した」という、極めて恐ろしい事例である。

極秘記録中の最重要記録として、今後のあらゆる事例の参考に供する。

比嘉琉生氏の怨念は、彼個人の苦しみに留まらず、沖縄の海に語り継がれる深淵な「水の信仰」と、そこに取り込まれた無数の魂たちの未練が結びつき、その終わりなき浸食は、今もなお、美ら海の深き底に深く刻まれている。

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