山田敏明厠怪奇記録(平成9年9月5日)
【極秘】秘匿葬送記録:参拾肆ノ巻
報告書番号: 平成09-09-05-001
作成日時: 平成09年9月6日 午前3時00分
報告者: 香川県高松市 浄土院 僧侶 佐藤 慶仁(花押)
事案名: 山田敏明厠怪奇記録
一、事案発生日時・場所
日時: 平成9年9月4日 午後7時00分頃(通夜開式中)より、翌5日 午前11時30分頃(火葬完了後)まで断続的に発生。
場所: 香川県高松市 市立斎場 告別ホール「蓮華」、並びに斎場内共用トイレ。
二、故人情報
氏名: 山田 敏明
享年: 52歳
死因: 心筋梗塞(急死。持病があり、自宅で倒れているのを発見される)。
特記事項: 生前は生真面目で潔癖な性格であったと聞く。特に水回りの清潔さには人一倍気を遣っていたという。彼の死は突然であったため、家族や友人にも動揺が広がっていた。
三、事案の概要(時系列順)
9月3日 午後5時00分頃: 山田敏明氏の訃報と葬儀の依頼を受ける。故人の性格を聞き、清潔好きな故人ならば、斎場も清掃を徹底せねばと心に留めた。依頼の日も、降り続く雨で斎場内は湿気が多かった。
9月4日 午後7時00分頃(通夜開式): 市立斎場告別ホール「蓮華」にて敏明氏の通夜が始まる。故人の棺は厳かに安置され、読経が続く。参列者が続々と焼香を済ませる中、斎場内の共用トイレを使用する者が増えていった。
9月4日 午後8時30分頃: 通夜振る舞いの最中、斎場長から、複数の参列者より共用トイレに関する奇妙な報告があったと聞く。いわく、個室トイレを利用中に「ドンドン」とドアを叩く音が聞こえるという。しかし、ドアを開けても人の気配はなく、足音もしないにも関わらず、床には濡れた「水の足跡」が残されているというのだ。斎場長は、悪戯ではないかと訝しみながらも、私に相談を持ちかけてきた。その時、ホールの窓の外では、雨が激しく降り続けていた。
9月4日 午後10時00分頃: 斎場長から詳細を聞いた私は、故人の生前の潔癖な性格を思い出し、何か関連があるのではと感じた。夜伽を行う前に、斎場内の共用トイレを念のため確認することにした。奥から二番目の個室に入ると、ひんやりとした冷気が漂っていた。ドアを閉め、手を合わせると、どこからともなく「ドンドン」という音が聞こえ始めた。音は徐々に激しくなり、まるで水に濡れた掌で叩かれているかのようだった。意を決してドアを開くと、足元に確かに濡れた「水の足跡」が、個室の入り口から外へ向かって伸びていた。足跡は数歩で途切れており、その先には誰もいない。ぞっとした私は、その場で短く読経をあげた。
9月5日 午前0時00分頃: 私は故人の傍らで夜伽を行う。静寂の中、斎場のどこからともなく、微かな「水の滴る音」と、壁を叩くような「ドンドン」という音が断続的に聞こえてきた。その音は、まるで故人が、何かに苛立っているかのようであり、あるいは自身の死の状況を訴えかけているかのようでもあった。私は読経の声が掠れ始めたが、必死で念仏を唱え続けた。
9月5日 午前8時00分頃(告別式開始): 告別式が始まる。夜伽の間の異変により、私は全身が水を吸ったかのように重く、疲労困憊であったが、読経を続けた。告別式の最中、参列者の中の一人が、再びトイレに行ったまま戻ってこないという報告があった。斎場スタッフが確認に向かうと、その参列者は個室トイレの中で、ドアを必死に叩きながら蹲っていたという。
斎場スタッフが彼を抱きかかえようとした瞬間、彼の体から冷たい水滴が止めどなく流れ落ちたという。斎場は騒然となった。
9月5日 午前9時30分頃: 私は、参列者が異変に見舞われた個室トイレに入った。湿気が異常に高く、床には常に水が染み出しているような錯覚を覚える。私は般若心経を唱え始めた。読経が進むにつれて、室内の冷気が増し、目の前で「ドンドン」というドアを叩く音が激しさを増した。そして、目の前のドアの下から、黒ずんだ泥水が滲み出し、同時に強烈な下水のような悪臭が漂い始めた。私は恐怖を感じながらも読経を止めなかった。
9月5日 午前11時30分頃(火葬完了後): 火葬を終え、斎場に戻った私は、斎場長と共に、問題の個室トイレに改めて向かった。ドアを開けると、室内は異常なほどにひんやりとしていたが、泥水の滲み出しも、足跡も、叩く音も、一切の異変は止んでいた。しかし、私がその個室を出た瞬間、私の袈裟の裾が、じっとりと湿り気を帯びていることに気づいた。それはまるで、誰かがそこにいた証のように感じられた。その後、私は体調を崩し、高熱を出して寝込んだ。回復後も、水回りの音に敏感になり、特にトイレのドアを叩く音に異常な恐怖を抱くようになった。斎場長も、この一件以来、トイレの清掃時には必ず誰かと同行するようになったという。
四、特異な点と考察
故人である山田敏明氏の「水回りへの潔癖なまでのこだわり」と「不審な溺死」、そして葬儀が雨の日に行われた点が、今回の怪異に深く関与している。特に、浴槽に水がない状況での溺死という不可解な死因から、故人が何らかの「見えない水」によって苦しめられた可能性、あるいは自身の「死の苦しみ」を「水」と結びつけて現世に顕現させようとしたと推測される。
斎場内の個室トイレでの「ドアを叩く音」と「水の足跡」、そして斎場長や参列者、そして私自身の体調不良、特に「冷たい水滴の付着」や「全身からの水分の滲み出し」といった症状は、故人の怨念が「水」を媒介とし、自身の死の苦しみを物理的に顕現させ、生者の肉体、特に体液の循環を司る部分、そして「清潔」に対する故人の執着が、「不浄な水」という形で現世に干渉していることを強く示唆している。まるで故人が、自身の死の苦しみを他者に追体験させ、あるいは自身の死の真相を訴えかけているかのようである。
読経という「浄化」の儀式が、かえって怨念を刺激し、私自身を危険に晒した可能性。怨霊が儀式に抵抗し、それを妨害するために、私の身体、そして精神に直接干渉したと考えられる。特に、私の体調不良や袈裟の湿り気は、故人が死の直前に感じたであろう窒息感や、水に溺れる苦しみを追体験させたのではないか。
この怪異は、単なる精神的な影響に留まらず、肉体的な損傷、特に呼吸器系や体液循環機能への影響、さらには精神的な恐怖を伴う点で極めて危険であり、その侵食性と、生活に密着した空間での伝播性が最も恐るべき点である。故人の個人的な「執着」が、根源的な「水」の恐怖と結びついた、極めて恐ろしい事例である。
五、対処・対策
私は故人の魂の安寧を願って読経を続けたが、彼の怨念はすでに私の理解と力を超えた存在となっていた。
事案後、私は一命を取り留めたものの、体調は常に優れず、水回りの音に敏感になり、特にトイレのドアを叩く音に異常な恐怖を抱くようになった。
市立斎場告別ホール「蓮華」の共用トイレは、その後も同様の怪異が報告されるようになり、現在は使用禁止となっている。
この事案を重く見た宗派は、故人の生前の性格や死因に不自然な点がある場合、特に水にまつわる因縁が疑われる際には、最大限の警戒と、より専門的な浄化の儀式を推奨する通達を出した。
六、付記
本件は、「故人の生前の潔癖な性格と不審な死因が、『水』の怪異と結びつき、生活空間、特に水回りの『不浄』を訴えかける怨霊として現世に顕現した」という、極めて恐ろしい事例である。
極秘記録中の最重要記録として、今後のあらゆる事例の参考に供する。
山田敏明氏の怨念は、彼個人の苦しみに留まらず、人間が抱く「潔癖」という執着が、根源的な「水」の恐怖と結びつき、その終わりなき浸食は、今もなお、湿気の多いトイレのドアの向こうに深く刻まれている。




