高橋隆司転落死怨霊記録(令和三年七月二十日)
【極秘】秘匿葬送記録:参拾壱ノ巻
報告書番号: 令和03-07-20-001
作成日時: 令和03年7月21日 午前0時30分
報告者: 東京都新宿区 都会斎場 斎場長 佐久間 悟(花押)
報告者: 東京都新宿区 覚円寺 僧侶 杉山 徹心(花押)
事案名: 高橋隆司転落死怨霊記録
一、事案発生日時・場所
日時: 令和三年7月18日 午後5時00分頃(遺体発見時)より、翌20日 午後2時00分頃(葬儀終了時)まで断続的に発生。
場所: 東京都新宿区 都会斎場 告別ホール「清流」。
二、故人情報
氏名: 高橋 隆司
享年: 38歳
死因: ビル屋上からの転落死(豪雨の中、高層ビルの屋上から転落。死因は頭部強打によるものと断定されたが、全身に打ち身と、奇妙な水泡が多数確認された)。
特記事項: 都心のIT企業に勤務。生前は仕事のストレスに悩んでいたとされ、警察は自殺の可能性が高いと判断。しかし、遺体の状況から、単なる転落では説明できない不自然な点が多く残された。
三、事案の概要(時系列順)
7月17日 午後6時00分頃: 警察より高橋隆司氏の遺体搬送依頼が入る。彼の転落死現場の状況は異様で、屋上には彼のものではない水たまりが広がっていたという。雨が降り続く中での葬儀準備となった。
7月18日 午後7時00分頃(通夜開式): 都会斎場告別ホール「清流」にて高橋氏の通夜が始まる。斎場長である佐久間は、故人の遺体の状態がひどく、棺の蓋を閉める判断をした。しかし、閉められた棺の表面からは、微かに、しかし冷気を伴う水滴が滲み出ているのが見て取れた。読経が始まると、僧侶の杉山徹心師の耳元に、どこからともなく「ザア…ザア…」と、まるで土砂降りの雨が降り注ぐような音が聞こえ始めた。同時に、ホール全体の空気が、異常なほどに重く、湿り気を帯び、参列者の衣類が肌に張り付くような不快感を覚えた。
7月18日 午後9時30分頃: 通夜振る舞いの最中、故人の棺が安置されている祭壇の周囲から、微かな、しかし粘りつくような「水が砕ける音」が繰り返し聞こえ始めた。「バシャ…ドスン…」と、まるで何かが高所から落下し、水面に激突するようだった。見ると、祭壇の下の床に、水たまりが輪郭を広げ、そこからは、下水のような生臭さと、錆びた鉄のような匂いが混じり合い、ホールを満たした。斎場長は、冷や汗を流しながらも、異常を悟られないよう努めたが、参列者の何名かが、自分たちの足元にも、水たまりができていることに気づき、小さな悲鳴が上がった。
7月19日 午前0時00分頃: 杉山僧侶が故人の傍らで夜伽を行う。ホールは静寂に包まれていたが、不規則な衝撃音と水音が響き渡る。僧侶が読経を始めると、棺の中から「ビシャ…!ドボン…!」と、何かが叩きつけられ、水中に沈むような音が聞こえてきた。その音は、まるで高橋氏が転落し、その体が何かに激突するかのようであり、あるいは別の「何か」が棺の中で蠢いているかのようでもあった。僧侶は喉がカラカラに乾き、読経の声が掠れ始めた。斎場長は、監視カメラの映像を何度も確認したが、異常は見当たらなかったという。
7月19日 午前8時00分頃(告別式開始): 告別式が始まる。夜伽の間の異変により、僧侶は全身が水を吸ったかのように重く、疲労困憊であったが、読経を続けた。しかし、読経の最中、彼の目の焦点が合わなくなり、祭壇の故人の棺が、まるで雨に打たれるコンクリートの塊のように、不自然に小刻みに震え始めた。棺の表面からは、どろりとした黒い水が滲み出し、そこから立ち上る蒸気は、鉄臭い血と泥水の混じった、吐き気を催す悪臭を放っていた。僧侶の体は小刻みに震え、読経の声はついに途絶えた。参列者の顔色は一様に青白く、まるで水に浸かったかのようにふやけ、誰もが虚ろな目で故人の棺を見つめていた。
7月20日 午前9時00分頃(出棺): 棺を霊柩車へ運ぶ際、佐久間斎場長は強烈な目眩と吐き気に襲われた。彼の眼には、棺が血と泥水にまみれた巨大な「何か」の塊に見え、その表面には、水に濡れて張り付いた、高橋氏の苦悶の顔のようなものが無数に貼り付いている幻覚を見た。彼は、その顔が自分を嘲笑い、「お前も、落ちるぞ…」と囁いているように感じたという。彼が棺に触れようと手を伸ばした瞬間、指先が凍るような冷たさと同時に、砕け散った骨の感触に触れた。彼は意識を保つのがやっとの状態であった。杉山僧侶は、その場で大量の水を吐き出し、意識を失った。
7月20日 午後2時00分頃(葬儀終了時): 葬儀を終え、斎場に戻った佐久間斎場長は、突如として激しい呼吸困難に陥った。彼の全身は異常なほどに冷え切り、口からは大量の生臭い水が吐き出された。それは汗とは異なり、まるで体内の水分が全て濁った水に置き換わったかのようであった。彼は搬送された病院で、原因不明の肺水腫と診断され、数日間意識不明の重体となった。彼の意識が回復した後も、彼は常に雨音と、何かが地面に叩きつけられる幻聴に悩まされ、高所への異常な恐怖を抱くようになった。杉山僧侶もまた、肺に微量の水が確認され、回復後も水を見ると強い動悸を覚えるようになったという。
四、特異な点と考察
高橋隆司氏のビル屋上からの転落死と、その死因に不明瞭な点が多いこと、そして葬儀が雨の日に行われた点が、今回の怪異に深く関与している。
特に、遺体に多数の水泡が確認されたことから、転落の衝撃だけでなく、「水」にまつわる何らかの要因が死に影響を与えた、あるいは彼の怨念が水と結びついたと推測される。
斎場での「棺からの水滴と冷気」「雨音の幻聴」「床からの水たまりと異臭」「棺からの転落音と衝撃音」、そして斎場長と僧侶の体調不良、特に「全身からの異常な水滴」や「肺水腫」といった症状は、高橋氏の怨念が「水」を媒介とし、自身の死の状況、すなわち「高所からの落下」と「水への激突」を物理的に顕現させ、生者の肉体、特に体液の循環を司る部分を「侵食」していることを強く示唆している。
まるで彼の苦しみが、水という媒体を通して、周囲を「転落の恐怖」へと引きずり込んでいるかのようである。
読経や葬儀という「供養」の儀式が、かえって怨念を刺激し、斎場長や僧侶を危険に晒した可能性。怨霊が儀式に抵抗し、それを妨害するために、彼らの身体に直接干渉したと考えられる。
特に、彼らの体から濁った水が噴き出したのは、高橋氏が転落時に受けた衝撃と、水に打ち付けられた苦しみを、彼らに追体験させたのではないか。
「棺が血と泥水にまみれた『何か』に見え、苦悶の顔が無数に貼り付いている」という斎場長の幻覚は、高橋氏の怨念が、彼個人の苦しみを越え、過去に同様の転落死を遂げた者たちの怨念と融合し、「都市の闇に潜む水難の怪異」へと変質しつつあることを示唆している。
その幻覚が「お前も、落ちるぞ…」と囁いたのは、彼らの身にも同じ恐怖が訪れることを予見しているかのようである。
この怪異は、単なる精神的な影響に留まらず、肉体的な損傷、特に呼吸器系や体液循環機能への影響を伴う点で極めて危険であり、その侵食性と、都市という環境における伝播性が最も恐るべき点である。
現代社会のストレスと、古来からの「水」の恐怖が結びついた、新たな形の怪異である。
五、対処・対策
斎場長と僧侶は高橋氏の魂の安寧を願って葬儀を執り行ったが、彼の怨念はすでに彼らの理解と力を超えた存在となっていた。
事案後、佐久間斎場長と杉山僧侶は一命を取り留めたものの、彼らの体調は常に優れず、雨音や水の音に敏感になり、高所への異常な恐怖を抱くようになった。特に、雨の日の斎場勤務を避けるようになったという。
都会斎場告別ホール「清流」は、その後も雨の日に不規則な水音が聞こえるという噂が絶えず、使用頻度が激減した。
この事案を重く見た斎場運営側は、転落死や水死など、遺体の損傷が激しい場合の葬儀について、特に雨天時には厳重な警戒態勢を敷くよう通達した。
六、付記
本件は、「都市の高層ビルからの転落死という現代的な悲劇が、雨という自然現象と結びつき、『水』を媒介とした怨霊として現世に顕現した」という、極めて恐ろしい事例である。
極秘記録中の最重要記録として、今後のあらゆる事例の参考に供する。
故人の怨念は、彼個人の苦しみに留まらず、都市のコンクリートジャングルに潜む、見えない水の恐怖と結びつき、その終わりなき浸食は、今もなお、都会の雨音の中に深く刻まれている。




