加藤茂孤独死記録(昭和58年7月13日)
【極秘】秘匿葬送記録:弐ノ巻
報告書番号: 昭和58-07-12-003
作成日時: 昭和58年7月13日 午前2時05分
報告者: 東京都桜木町 明光院 住職 田中 宗啓(花押)
事案名: 加藤茂孤独死記録
一、事案発生日時・場所
日時: 昭和58年7月11日 午後10時30分頃(通夜後)より、翌12日 午前9時00分頃(出棺完了時)まで断続的に発生。
場所: 加藤茂自宅マンション(故人安置場所)、並びに葬儀会場となった桜木町地域会館。
二、故人情報
氏名: 加藤 茂
享年: 72歳 死因: 老衰による孤独死(発見まで数日を要す)。
特記事項: 生前は典型的な独居老人で、近隣住民との交流は皆無。部屋には大量の私物が堆積し、いわゆる「ゴミ屋敷」状態であった。身寄りは遠方に住む甥が一人。
三、事案の概要(時系列順)
7月11日 午後3時00分頃: 遠方から駆けつけた甥より葬儀の依頼。孤独死という事情もあり、可能な限り簡素な形で執り行いたいとの意向。当寺より担当僧侶 古林 佑を派遣。
7月11日 午後5時00分頃: 故人の遺体がマンションから搬出される。部屋は強烈な腐敗臭が残り、立ち入りが困難な状態。古林僧侶は玄関先で読経をあげた。この際、部屋の中から微かに「生活音」のようなものが聞こえたと報告。テレビの砂嵐音や、食器がぶつかるような音。しかし、部屋は電気も通っておらず、無人であった。
7月11日 午後10時30分頃(通夜後): 斎場での通夜が終わり、古林僧侶が加藤茂のマンションに戻り、遺品の整理を手伝うことに。部屋に入ると、腐敗臭とは異なる、奇妙な湿気と生温かい空気を感じたという。壁には、何かを引っ掻いたような無数の手形が付着していた。手形はどれも小さく、大人のものではなかった。
7月12日 午前0時00分頃: 遺品の整理中、故人が生前つけていたと思われるノートを発見。内容は、まるで意味をなさないような奇妙な文字の羅列や、壁の手形に酷似した歪んだ図形が繰り返し描かれていた。ノートをめくるたびに、部屋の奥から「カリカリ」と何かを引っ掻くような音が響いた。
7月12日 午前3時00分頃: 古林僧侶が供養のために読経を始めると、部屋の奥から囁き声のようなものが聞こえ始める。声は次第に大きくなり、いくつもの声が重なり合って、聞き取れない言葉を繰り返し発する。頭痛と吐き気に襲われ、読経を続けることが困難になる。
7月12日 午前6時00分頃(告別式開始): 斎場での告別式。読経中、故人の遺影が、時折、微かに歪んで見えたと参列者が証言。遺影の顔が、怒りや苦痛に満ちた表情に変化したようにも見えたという。
7月12日 午前9時00分頃(出棺完了): 出棺後、故人のマンションの部屋に戻った甥が、壁に描かれた奇妙な文字の羅列が、一夜にして増えていることを発見。さらに、故人の部屋から隣の部屋へと続く廊下にも、小さな手形が無数に付着していた。
四、特異な点と考察
故人の孤独死という状況が、怪異を強く引き起こした可能性。
「誰にも看取られずに逝く」ことへの強い怨嗟、あるいは寂しさが形になったものか。
部屋に残された「生活音」「手形」「奇妙な文字」は、故人が生前、密室で何らかの異常な体験をしていたことを示唆。
あるいは、故人以外の「何か」が、その部屋にずっと存在していたのか。
読経を阻害するほどの「反響」や「囁き声」は、単なる霊現象を超えた、物理的な影響を及ぼす強い「負のエネルギー」が部屋に満ちていたことを示す。
手形が大人ではなく「小さい」という点は、故人の未練が、別の存在(例えば、過去に故人が何かを失った子供など)と結びついている可能性。
怪異が、故人の死後も部屋に残存し、増幅している点。
これは、単なる供養だけでは解決しきれない、より根深い問題があることを示唆している。
五、対処・対策
事案発生中、古林僧侶は、自身の体調の異変を感じながらも、供養を中断することなく遂行。
事案後、故人の部屋には強力な浄めの儀式を複数回執り行った。
壁の手形や文字は、専門業者に依頼して除去。
甥には、故人の遺品を速やかに整理し、部屋を封印するよう助言。 孤独死の現場での葬儀においては、事前に部屋の状況を詳細に確認し、必要に応じて複数の僧侶で対応する体制を検討する。
六、付記
本件は、故人の死後も残存し、拡大した怪異であり、通常の供養では鎮まらない「怨念」の類であると判断。
極秘記録とし、他の寺院との情報共有の必要性を感じる。
特に、密閉された空間で育まれた「負の感情」が、物理的な形を伴う事例として、今後の参考に供する。
【検閲追記】
故人の怨念のみでは「小さな手形」の出現と怪異の「増幅」は説明不能。
外部要因、特に"水気"を伴う穢れの流入の可能性を調査すべし。