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秘匿葬送記録  作者: 月影 朔


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昭雄水死葬送記録(平成10年9月5日)

【極秘】秘匿葬送記録:弐拾陸ノ巻

報告書番号: 平成10-09-05-002

作成日時: 平成10年9月6日 午前1時45分

報告者: 岐阜県美濃市 妙法寺 住職 吉村 覚道(花押)

事案名: 昭雄水死葬送記録


一、事案発生日時・場所

日時: 平成10年9月4日 午後6時30分頃(通夜開式時)より、翌5日 正午頃(出棺完了時)まで断続的に発生。

場所: 岐阜県美濃市 妙法寺 本堂。


二、故人情報

氏名: 佐々木(ささき) 昭雄(あきお)

享年: 48歳

死因: 暴雨による河川の増水事故による溺死(自家用車ごと増水した川に転落。遺体は数日後、下流で発見されたが、水に浸かり損傷が激しかった)。

特記事項: 地元の工場に勤務。妻子があり、ごく平凡な一家であった。遺体発見時、昭雄は車のハンドルを握りしめたままの状態で発見されたという。


三、事案の概要(時系列順)

9月3日 午後4時00分頃: 昭雄の遺族より葬儀の依頼が入る。遺体の損傷が著しく、特に顔面は判別が困難なほどであったため、棺の蓋は閉じられたまま執り行うことになった。連日の雨で、美濃の山々は霧に包まれ、川は茶色く濁流と化していた。


9月4日 午後6時30分頃(通夜開式): 妙法寺本堂にて通夜が始まる。昭雄の棺は静かに安置されていたが、遺影は生前の穏やかな表情のものであった。読経中、吉村住職の視界の端で、棺の表面に微かな「波紋」が広がるのが見えた。同時に、本堂全体の空気が、まるで土砂降りの雨の日のように湿り気を帯び、参列者の衣類が肌に張り付くような不快感を覚えた。


9月4日 午後8時00分頃: 通夜振る舞いの最中、故人の棺が安置されている祭壇の周囲から、微かな「水滴の音」が聞こえ始めた。「ポタ…ポタ…」と、どこからともなく水が滴るようだったが、天井を見上げても水漏れは見当たらなかった。同時に、本堂の床の一部が、まるで濡れた雑巾で拭いたかのように黒ずみ、触れると異常なほど冷たかった。そこからは、生臭い川魚のような匂いが薄く漂っていたという。


9月5日 午前0時00分頃: 吉村住職が故人の傍らで夜伽を行う。本堂は静寂に包まれていたが、不規則な水音が響く。住職が読経を始めると、棺の中から「チャプ…チャプン…」と、まるで水中で何かが揺れ動くような音が聞こえてきた。その音は、昭雄が濁流の中で藻掻くかのようでもあり、あるいは別の「何か」が棺の中で蠢いているかのようでもあった。住職の背筋に冷たいものが走り、読経の声が震え始めた。


9月5日 午前8時00分頃(告別式開始): 告別式が始まる。夜伽の間の異変により、住職は強い倦怠感を覚えていたが、読経を続けた。しかし、読経の最中、彼の目の焦点が合わなくなり、祭壇の故人の棺が、まるで川の中に沈んでいるかのように、ぼんやりと霞んで見えた。棺の表面からは、異常なほどの冷気と、濁流で洗い流された土のような生臭さが立ち上り、本堂全体に充満していた。住職の視界は水膜がかかったようにぼやけ、読経の声は次第に途切れがちになった。参列者の数名が、故人の遺影の目が、まるで水を湛えているかのように、潤んで見えたと証言した。


9月5日 午前10時00分頃(出棺): 棺を霊柩車へ運ぶ際、吉村住職は強烈な目眩と吐き気に襲われた。彼の眼には、棺が水中でゆらめく巨大な影に見え、その表面には、まるで生きているかのように、昭雄の目がいくつも浮かび上がっている幻覚を見た。彼は、その目が自分をまっすぐに見つめ、「次は、お前だ」と囁いているように感じたという。彼が棺に触れようと手を伸ばした瞬間、指先が凍るような冷たさに触れた。それは、数日間水中に沈んでいた肉塊に触れたかのようであった。彼は意識を保つのがやっとの状態であった。


9月5日 正午頃(出棺完了): 霊柩車が出発した後、吉村住職は本堂で突然倒れ込んだ。彼の意識は混濁し、口からは「水が…満ちる…」と繰り返した。彼の顔は蒼白で、全身から冷たい水滴が止めどなく流れ落ちていたが、それは汗ではなく、まるで全身の毛穴から水が滲み出ているかのようであった。彼は搬送された病院で、原因不明の低体温症と呼吸困難に陥り、数日間意識不明の状態が続いた。医師の診断では、彼の肺には微量の水が確認されたが、溺れた形跡は一切なかったという。


四、特異な点と考察

昭雄の死因が暴雨による河川事故での溺死であり、遺体が水中で発見された点が、今回の怪異に深く関与している。特に、遺体の損傷が激しかったにもかかわらず、棺の蓋を開けなかったことが、かえって故人の未練を強く残した可能性がある。

本堂での「波紋」「水滴の音」「床の黒ずみ」「棺からの水音と冷気、生臭さ」、そして住職自身の体調不良、特に「全身からの水滴」や「肺の微量の水」といった症状は、昭雄の怨念が「水」を媒介とし、自身の死の状況を物理的に顕現させ、生者の肉体、特に水の循環を司る部分に「侵食」していることを強く示唆している。彼の未練が、水という媒体を通して、周囲の空間、そして生者の肉体そのものを「濡らし」「満たし」ている。

読経という「浄化」の儀式が、かえって怨念を刺激し、住職自身を危険に晒した可能性。怨念が儀式に抵抗し、それを妨害するために、住職の身体に直接干渉したと考えられる。特に、住職の体から水が滲み出したのは、昭雄が水中で感じた苦しみを、彼に追体験させたのではないか。

「棺が水中に沈んでいるかのように霞んで見える」という住職の視覚の異変や、「昭雄の目がいくつも浮かび上がり『次は、お前だ』と囁く」という幻覚は、故人が、自身の死の苦しみを他者にも味わせようとする強い怨念を抱いていることを示唆している。これは、遺族や参列者にも「自分自身の死」を予感させる恐怖を体験させたことに繋がる。

この怪異は、単なる精神的な影響に留まらず、肉体的な損傷、特に呼吸器系や体温調節機能への影響を伴う点で極めて危険であり、その侵食性と伝播性が最も恐るべき点である。


五、対処・対策

吉村住職は昭雄の魂の安寧を願って読経を続けたが、昭雄の怨念はすでに彼の理解と力を超えた存在となっていた。

事案後、吉村住職は一命を取り留めたものの、彼の体温は常に低く、わずかな刺激でも全身から水が滲み出るようになったという。彼は寺の住職を退き、人里離れた庵でひっそりと暮らしている。この事案を重く見た妙法寺は、今後、水難事故に関連する葬儀の一切を辞退することを決定した。特に、遺体の損傷が著しい場合、棺の蓋を完全に閉じたまま供養を行うことの危険性を再認識した。


六、付記

本件は、「死者の怨念が、特定の死因(水難)と深く結びつき、その媒体(水)を通して生者に連鎖的に憑依し、肉体と精神を侵食していく」という、極めて恐ろしい事例である。

極秘記録中の最重要記録として、今後のあらゆる事例の参考に供する。

昭雄の怨念は、彼個人の悲劇に留まらず、その恐怖を周囲の人々へと広げた。

次に、この「水」にまつわる怪異は、一体誰に、そしてどのような形で牙を剥くのか。

その終わりなき浸食は、今もなお進行している。

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