真一男性葬送記録(平成17年7月20日)
【極秘】秘匿葬送記録:弐拾肆ノ巻
報告書番号: 平成17-07-20-003
作成日時: 平成17年7月21日 午前2時00分
報告者: 北海道小樽市 慈光院 住職 藤原 泰然(花押)
事案名: 真一男性葬送記録
一、事案発生日時・場所
日時: 平成17年7月19日 午後7時00分頃(通夜開式時)より、翌20日 午後1時00分頃(出棺完了時)まで断続的に発生。
場所: 北海道小樽市 慈光院 本堂。
二、故人情報
氏名: 山崎 真一
享年: 29歳
死因: 植物状態からの衰弱死(奈々子の葬儀後、意識不明のまま入院していた)。
特記事項: 故人である奈々子の恋人。奈々子の葬儀中に奇妙な異変に見舞われ、植物状態に陥った。彼の死後も、奈々子の怨念との関連性が強く疑われている。
三、事案の概要(時系列順)
7月19日 午後3時00分頃: 奈々子の遺族から真一の葬儀の依頼が入る。奈々子の葬儀での異常事態を経験していたため、藤原住職は内心で強い警戒を抱きつつも、自らが担当することを選んだ。葬儀中、小樽の空はどんよりと曇り、冷たい風が吹き荒れていたが、雨は降っていなかった。
7月19日 午後7時00分頃(通夜開式): 慈光院の本堂にて通夜が始まる。真一の棺は静かに安置されていたが、故人の遺影は置かれず、祭壇には奈々子と真一が写った二人の笑顔の写真が供えられていた。読経中、藤原住職の耳元に、微かな水滴が落ちるような音が繰り返し聞こえ始めた。「ポタリ…ポタリ…」と、まるで天井のどこかから水が漏れているかのようだったが、見上げても水滴は見当たらなかった。同時に、本堂全体の空気が、まるで凍てつくような冷たさに変化し、居合わせた奈々子の遺族や参列者数名が震え始めた。
7月19日 午後9時30分頃: 通夜振る舞いの最中、藤原住職の経本が、突然、水に濡れたようにしっとりと湿り始めた。文字が滲み、墨が流れ出す。同時に、本堂の奥、故人の棺が安置されている方角から、何かが水面を叩くような不規則な音が響き始めた。「バシャ…チャポン…」と、まるで大きな水槽の中に何かが潜んでいるかのようだった。その音は、読経の響きを打ち消すほどに増幅し、住職の額には冷たい脂汗が滲み出た。
7月20日 午前0時00分頃: 藤原住職が故人の傍らで夜伽を行う。本堂は暗闇に包まれ、静寂の中に水音が響く。住職が読経を始めると、棺の中から微かに呻き声のような、しかし人間のものではない、水底から響くような「ゴボ…ゴボゴボ…」という音が聞こえてきた。その音は、まるで真一が水中で苦しんでいるかのようでもあり、あるいは別の「何か」が水中で呼吸しているかのようでもあった。住職の喉はカラカラに乾き、読経の声が掠れ始めた。
7月20日 午前8時00分頃(告別式開始): 告別式が始まる。夜伽の間に異変を感じた藤原住職は、体調不良を隠しつつも読経を続けた。しかし、読経の最中、彼の目の焦点が合わなくなり、祭壇の故人の棺が、まるで水面に浮いているかのように、不自然に揺れ動いているのが見えた。棺の表面からは、異常なほどの湿気と、海の底から来たような生臭い磯の匂いが立ち上り、本堂全体に充満していた。住職の視界は水膜がかかったようにぼやけ、読経の声は次第に途切れがちになった。
7月20日 午前10時00分頃(出棺): 棺を霊柩車へ運ぶ際、藤原住職は強烈な目眩に襲われ、一瞬、足元がぐらついた。彼の眼には、棺が水中でぼんやりと浮かぶ、巨大な「何か」の塊に見え、その表面には、奈々子の顔のようなものがいくつも貼り付いている幻覚を見た。彼が棺に触れようと手を伸ばした瞬間、指先が凍るような冷たさに触れた。その冷たさは、まるで死んだばかりの肉塊に触れたかのようであったという。彼は意識を保つのがやっとの状態であった。
7月20日 午後1時00分頃(出棺完了): 霊柩車が出発した後、藤原住職は本堂で突然倒れ込んだ。彼の意識は混濁し、口から「奈々子…まだ、そこに…」という、真一が最後に呟いたのと同じ言葉を繰り返した。彼の顔は蒼白で、額からは水滴が止めどなく流れ落ちていたが、それは汗ではなく、まるで眼窩から溢れ出した水のようであった。彼は搬送された病院で、原因不明の高熱と意識障害に陥り、奈々子の葬儀中に倒れた真一と同じく、一時は危険な状態に陥った。医師の診断では、彼の脳内には、微細な出血痕と、原因不明の「水腫」が確認されたという。
四、特異な点と考察
奈々子の死因が雨によるバイクのスリップ事故であり、真一が彼女の葬儀で植物状態に陥ったこと、そして今回の真一の葬儀で藤原住職が倒れたこと。
これら一連の出来事は、「奈々子の怨念」が「水」を媒介として、連鎖的に生者に憑依し、その肉体を侵食していることを強く示唆している。
特に、奈々子の死因と真一の怪異が「右脳の損傷」という身体的特徴で共通していたように、藤原住職の「脳内の水腫」もまた、「水」と「侵食」という共通のテーマで繋がっている。
本堂での「水滴の音」「経本の湿り」「水面を叩く音」「棺からの呻き声」「棺の揺れ」「異常な湿気と磯の匂い」、そして住職自身の体調不良、特に「水滴のような汗」や「脳内の水腫」といった症状は、奈々子の怨念が「水」の形を借りて物理的に顕現し、生者の身体に影響を及ぼしていることを明確に示している。
彼女の未練が、水という媒体を通して、周囲の空間、そして生者の肉体そのものを「濡らし」「浸食」している。
読経という「浄化」の儀式が、かえって怨念を刺激し、住職自身を危険に晒した可能性。
怨念が儀式に抵抗し、それを妨害するために、住職の身体に直接干渉したと考えられる。
「水中でぼんやりと浮かぶ、巨大な『何か』の塊」という住職の幻覚は、奈々子の怨念が、もはや個人の魂という枠を超え、「水の怪異そのもの」へと変質しつつあることを示唆している。
奈々子の顔がいくつも貼り付いているという幻覚は、彼女が水底で取り込んだ、あるいは引き寄せた無数の魂と融合している可能性も示唆する。
この怪異は、単なる精神的な影響に留まらず、肉体的な損傷、特に脳への影響を伴う点で極めて危険であり、その侵食性と伝播性が最も恐るべき点である。
五、対処・対策
藤原住職は奈々子、そして真一の魂の安寧を願って読経を続けたが、奈々子の怨念はすでに彼の理解と力を超えた存在となっていた。
事案後、藤原住職は一命を取り留めたものの、彼の精神状態は不安定となり、慈光院の住職を退いた。
彼は時折、虚空に向かって「まだ、水の中に…」と呟くようになったという。
この事案を重く見た慈光院は、今後、水難事故に関連する葬儀の一切を辞退することを決定した。
六、付記
本件は、「死者の怨念が、特定の死因(水難)と深く結びつき、その媒体(水)を通して生者に連鎖的に憑依し、肉体と精神を侵食していく」という、極めて恐ろしい事例である。
極秘記録中の最重要記録として、今後のあらゆる事例の参考に供する。奈々子の怨念は、真一、そして藤原住職へとその影響を広げた。
次に、この「水」にまつわる怪異は、一体誰に、そしてどのような形で牙を剥くのか。
その終わりなき浸食は、今もなお進行している。




