西村家羽音報告(昭和57年8月1日)
【極秘】秘匿葬送記録:拾玖ノ巻
報告書番号: 昭和57-08-01-019
作成日時: 昭和57年8月2日 午前1時50分
報告者: 宮崎県都城市 寂静院 住職 森本 泰然(花押)
事案名: 西村家羽音報告
一、事案発生日時・場所
日時: 昭和57年7月31日 午後7時00分頃(通夜開式時)より、翌8月1日 午後1時00分頃(火葬完了時)まで断続的に発生。
場所: 寂静院本堂(通夜・告別式会場)。
二、故人情報
氏名: 西村 隆
享年: 58歳
死因: 癌による病死。
特記事項: 生前は昆虫研究家として知られ、特に鱗翅目の昆虫、とりわけ蛾の収集と研究に生涯を捧げていた。自宅には夥しい数の標本と、珍しい種の育成ケースが置かれていたという。
三、事案の概要(時系列順)
7月31日 午後3時00分頃: 西村家より葬儀の依頼を受ける。故人の業績を讃え、多くの研究仲間が参列する予定と聞く。当寺より住職 森本 泰然が担当。故人の自宅に遺体を引き取りに伺った際、部屋中に奇妙な土のような匂いと、微かな粉っぽい臭気が漂っていた。
7月31日 午後7時00分頃(通夜開式): 寂静院本堂にて通夜開始。読経中、本堂の天井裏から、微かな羽ばたくような「ブーン」という羽音が聞こえ始めたと、複数の参列者が証言。当初は外部の虫の音かと思われたが、本堂は厳重に閉め切られており、音源は見当たらなかった。羽音は次第に数を増し、まるで無数の虫が飛び交っているかのように響いた。
7月31日 午後9時00分頃: 通夜振る舞いの最中、故人の遺影が飾られた祭壇の献花が、突如として異常な速度で枯れ始め、花びらの表面に黒い斑点が現れた。まるで微細な虫が群がって養分を吸い取っているかのような変化であった。同時に、祭壇の周囲を舞うように、白い燐粉のようなものが微かに視認された。
8月1日 午前0時00分頃: 森本住職が故人の傍らで夜伽を行う。静寂の中、故人の棺の蓋から、微かに「ザワザワ」と何かが擦れるような音が聞こえ始めた。それはまるで、棺の中で無数の小さな体が蠢いているかのようであり、時折、棺の表面が内側から微かに膨らんだり凹んだりするのが見て取れた。恐怖を感じながらも読経を続けると、音はさらに大きくなり、棺の隙間から微かな腐敗臭と、カビのような匂いが漂い始めた。
8月1日 午前8時00分頃(告別式開始): 告別式が始まる。読経中、参列者の間で、皮膚に何かが這うような「むず痒さ」を訴える者が続出した。目に見える虫はいないにもかかわらず、その不快感は増し、一部の参列者は体を掻きむしり始めた。同時に、本堂全体の空気が妙に生温かく、淀んでいるように感じられた。
8月1日 午前10時00分頃(出棺): 棺を霊柩車へ運ぶ際、棺全体が異常に軽く感じられたと、運搬担当者数名が証言。しかし、棺の表面からは、無数の小さな擦り傷のような痕跡が確認された。それらの痕跡は、まるで内部から何か鋭いもので引っ掻かれたかのように見えた。霊柩車へ収める直前、棺の表面に、蛾の翅のような模様が瞬間的に浮かび上がり、すぐに消え去った。
8月1日 午後1時00分頃(火葬完了): 火葬が完了し、骨上げを終える際、故人の遺骨の一部が、異様なほど脆く、まるで粉塵のように崩れてしまった。また、残された骨の一部には、微細な虫食いのような穴がいくつも開いていた。火葬場の職員は首を傾げ、通常では考えられない現象だと述べた。
四、特異な点と考察
故人が生前、昆虫、特に蛾に深い執着と愛情を抱いていた点が、今回の怪異の性質に強く影響を与えている。故人の魂が、「虫」という特定の存在、あるいは「変態」という概念に強く結びついていると考えられる。
「羽音」「献花の枯れ方」「燐粉」「棺の中の蠢きと異音」「皮膚のむず痒さ」「棺の擦り傷と軽さ」「蛾の翅のような模様」「遺骨の脆さ」など、怪異のすべてが「虫」に関連する現象として現れている。これは、故人の魂が、まるで無数の虫と一体化しているかのように、自身の存在を物理的に顕現させたものと考えられる。
特に、棺が異常に軽かった点は、故人の遺体が「虫」によって内部から喰い荒らされ、形骸化していた可能性を示唆している。遺骨の脆さや虫食いのような穴も、この考察を裏付ける。故人の魂が、愛着の対象であった虫に「還っていった」、あるいは「取り込まれてしまった」かのようである。
参列者が感じた「むず痒さ」や、本堂の「生温かく淀んだ空気」は、単なる幻覚ではなく、物理的な、あるいは精神的な「浸食」を受けていたことを示す。これは、故人の「虫」への執着が、周囲の人間にも影響を及ぼし始めた証拠である。
故人の自宅に残っていた「土のような匂い」や「粉っぽい臭気」は、故人が生前すでに、「虫」によって変質させられていたことを暗示している。
五、対処・対策
事案発生中、森本住職は、故人の昆虫への強い執着が怪異の根源にあると察し、読経と共に故人の魂が安らかに変態を終え、執着から解き放たれるよう、鎮魂の祈りを強く行った。特に、生物の生と死、変容に関する経典を重点的に読誦した。
事案後、西村家に対し、故人の遺品である昆虫標本の適切な処分と、自宅の徹底的な浄化を促した。また、寺として、生物の死と再生に関する特別な供養を行うことを提案した。
特定の生物や、その「変態」「腐敗」「循環」といった概念に強い愛着や執着を持っていた故人の葬儀においては、その生物そのものが怪異の媒介となる可能性を考慮し、より専門的な知識と、丁寧な対処が求められることを再認識した。特に、「形を伴う変質」を伴う怪異への警戒を強める。
六、付記
本件は、故人の生前の「生物への執着」が、死後に「虫」という物理的な怪異として発現した極めて稀有な事例である。
特に、故人の魂が愛着の対象と「一体化」していくような現象は、生命の根源的な摂理と、それが歪んだ時の深淵の闇を示す、重要な資料として今後の参考に供する。
この「秘匿葬送記録」は、人間の精神が、時に死後も異形の「生命」として現世に干渉し続ける可能性を示唆する。
【検閲追記】
棺からカビのような匂い。
斎場内は生温かく淀んだ空気。
虫の異常発生は、高湿度環境が引き金となった可能性が高い。




