第1話 転職スカウトは異世界から
「お前はクビだ、クビ!」
「ちょっと待ってください、私が何をしたっておっしゃるんですか?」
会議室に呼び出された神崎雄太は、100キロ以上はあるだろう肥満体型の社長に怒鳴りつけられる。
「今月の売上、どうなってんだ!?」
「昨年比で120%成長です……」
鼻息荒くバンと机を叩く社長に事実を報告する。
会議室には他の役員陣も座っているが、みな一様に目を伏せ、嵐が過ぎ去るのをじっと耐えているようだ。
「目標は200%だろ! 120%など何もしていないに等しい、だからクビ!」
景気も悪く、業界も苦境にある中、メンバーたちの頑張りがありなんとか昨年より売上も利益も上げることができた。
本来なら誇っていいはずの数字だが、何の根拠もなく社長が決めた目標には到達していない。そもそも目標設定がバグっているのだ。
「それともお前が生命保険をかけて受取人を会社にして、海に沈むか?」
脂肪でたるみきった醜い顎をさすりながら社長は恫喝する。まるっきり反社の台詞じゃないか。実際はそんなことをする勇気もないくせに。
成功は自分のおかげ、失敗は部下のせい。これまで何十人もの同僚たちが社長の気分でクビになったのを見てきた。
ここまで頑張ってきたけど、限界かなぁ……。激しく貧乏ゆすりをする社長を見て、神崎雄太は嫌悪感と虚無感でいっぱいになる。
唐突に頭が割れるような痛みが走り、一瞬目の前が真っ白になる。
「つっ……」
手で眉間を抑え、痛みに耐える雄太。社長はなお喚いているが、何を言っているか聞き取れない。
「……雄太様……雄太様!」
突然、若い女性の声がすっと耳に入ってくる。しかしこの会社には若い女性なんていないはずだ。
どれだけ採用しても、社長のセクハラ、パワハラに耐えかねてすぐ辞めてしまう。
やっと頭痛が治ってきて、雄太は目を開ける。ぼやけた視界に女性の顔が大写しになる。
雄太は仰け反り、目をしばたかせると、徐々に視界がクリアになっていく。
会議室の机の上に四つん這いになり、こちらを凝視している女性。艶やかな金色の髪は立てば腰あたりまでありそうで、透け感のある白いネグリジェのような服を着ている。
四つん這いになっているから胸元がチラリどころか、かなり見えており、深々とした谷間が顔を覗かせている。
「は?」
胸元に気を取られた雄太だが、すぐに冷静になる。この人はどこから現れた? 幻覚? それとも自分は死んでしまったのだろうか。
「雄太様、私たちの世界を救ってください!」
必死の形相で訴えかける女性。よく見ると頭には角が生えている。コスプレだろうか?
雄太が周囲を見渡すと、さっきまで唾を飛ばして喚いていた社長は時が止まったように静止し、他の役員も同様に全く動かない。
突然目の前の机にこんな女性が出現したのに、誰も瞬き一つしないなんてあり得ない。
「私、ひょっとして死にました?」
「いいえ、貴方とお話しするため、今は時を止めています」
死んでいないとしても、自分は頭がおかしくなったに違いない。
「私たちの世界を救えるのはあなたしかいません。どうかお力をお貸しくださいませんか?」
女性は四つん這いの姿のまま、雄太に更に顔を近づけてくる。上品な甘さがふっと香る、なんだかいい匂いがする。
「ちょっと意味が分からないんですが……」
「混乱されるのも仕方ありませんね。ただ、このままでは貴方は過労死する運命です。私の世界に来てくだされば、その運命も変わります」
さらっと酷い宣告を受けた雄太だったが、この生活を続けていたら死にかねないという実感はあった。
雄太は自分の身に起こっている異常事態を正確に理解するのを放棄し、とりあえず質問をしてみる。
「世界を救うとおっしゃいましたが、具体的には何をすればいいんです?」
「詳しくは場所を移してしてご説明します」
「分かりました。ちなみに、この人たちってどうなります?」
雄太は固まっている社長たちを示す。
「時間停止を解きますので、何も起こりません。彼らには貴方が突然消えたようには見えるでしょうが……」
「なるほど」
おもむろに社長の方へ歩み寄る雄太。
「こんのクソ野郎ッ!!」
一般人の1.5倍はありそうな肥大化した社長の顔面を思い切り殴りつける。肉が食い込む感触と、痛みが雄太の拳に返ってくる。
時間が止まっているからか社長に反動はないが、大いに気は晴れた。人生で初めて人を本気で殴ったが、後悔は一切ない。
少なくとももうここには戻らない。雄太は拳をさすりながら、女性に向けて頷く。女性が何か呟くと、視界が暗転する。
「ぐわあっ!!」
雄太が女性と共に会議室から消えた瞬間、巨漢の社長が椅子ごと後方にぶっ倒れる。
「!? 社長!?」
役員たちが走り寄ると、顔面を真っ赤に腫らした社長が涙目で転がっている。
誰も手を貸そうとはせず、冷ややかな視線を浴びせる一同。
「ん? 神崎はどこにいった?」
雄太の姿が消えていることに気づく役員。
「逃げたんじゃないか」
「俺たちも逃げるか……」
痛い痛いと情けなく泣き叫ぶ社長を皆が見下していた。
―――――
真っ白な空間が果てもなく広がる中、ぽつりと雄太と女性が立っている。
「改めてまして、私はマリアーナ、いくつもの世界を管理する神の一人です」
腰まである金色の髪を耳にかけながら女性は言う。
透け感のある服だとは思ったが、なんなら半透明で、綺麗な白い肌が透けて見える。
マリアーナと名乗った女性は基本的に人間と変わりない容姿をしているが、一点だけ明確に違うのは、頭から角が生えていることだ。
しかもその角は可愛らしいものではなく、美人には不釣り合いなほど禍々しい黒で、やや内向きに曲がっている。
「神様、ですか」
角へと向けられた雄太の訝る目線を感じたのか、マリアーナは微笑みを返す。
「神にもいろいろな種族がいるのです。私は魔を司る神。分かりやすく言うと、魔神なのです」
またしてもさらりと恐ろしい事を言う自称魔神に、雄太は情けない声を返す。
「へ、へー。それで、ただの人間の私にいったい何をしろと?」
「貴方には私が管理する世界で、ある魔王を助けて欲しいのです」
またしても不穏な単語が出てきた。
「私の認識では魔王や魔神は人間の敵なのではないですか?」
マリアーナに害意はなさそうだが、恐る恐る確認する。
「ごもっともな疑問です。ですが、それは私たちの一面でしかありません。私の司る世界では人間と魔族は共存している場合が多いんですよ」
「ですか……でも、やっぱり人選間違ってませんか? 私はただの人間だし、世界をどうこうできる力なんてないですよ。しかも魔王となんて……」
「いいえ、私は自分の目には自信があります。あの魔王を、あの世界を助けられるのは、貴方しかいない」
これはいわゆる異世界移転というやつだろうか。雄太はそこまでファンタジーに詳しいわけではないが、たしなむ程度の知識はある。
異世界では無双できるようなスキルを使える素養が自分にあるとでもいうのだろうか。
「繰り返しになって申し訳ないんですけど、私は人を殺したりするのは嫌ですよ、普通に」
「確かに邪悪な魔王も数多の世界には存在します。しかし、貴方にサポートをお願いしたい魔王は良き心を持っている。だからこそ、私も助けたいと思ったのです。」
すがるような目で雄太を見つめるマリアーナ。絶世の美女に泣きそうな顔でお願い事をされると、なかなか断りづらいものがある。
「ちなみに、拒否権ってあります?」
「もちろん強制はしません。まず一度、魔王にお会いいただき、どうしても無理なようでしたら、元の世界にお戻しいたします」
まるで転職のカジュアル面談のテンションだ。
異世界行きという異様な打診にもかかわらず、雄太は自身の警戒心が意外にもほぐれていくのを感じる。
この奇想天外な展開に頭がついていかないというのもあるのだろうが。
新卒で入社した会社、そして今の会社と、雄太はいわゆるブラック企業に勤めてきた。
このご時世にパワハラ、セクハラは当たり前。オーナー社長や権力を握った上層部の暴走を誰も止めることができない会社。
もう今の会社には戻れないし、転職をするにしても、どうせガチャのようなものだ。
入社前は良い会社、良い人に見えても、実際に働いてみれば地獄が待っている可能性は捨てきれない。
30歳になりもう一度ガチャを引く気も起きない。実家には優秀な兄がいるし、別れが惜しい彼女もいない。
残していく部下たちには申し訳なさはあるが、転職すると思えば同じことだ。
「分かりました、前向きに検討します。ぜひその魔王様に会わせてください」
「本当ですか!?」
マリアーナの反応は予想外といった驚きに満ちており、返答をした雄太の方が面食らう。
「もしかして、結構断られてます?」
「はい……やはり異世界に行くというのは並大抵の決断ではありませんから」
「魔神さんも大変ですね。まあこれもご縁ということで」
「ありがとうございます! では早速、転移していただきます」
クロージングの早さに彼女のこれまでの苦労を感じる。
顧客の意思が変わらない内にさっさと契約を済ませる、魔神というよりこれじゃあ営業職だ。
「転移先は魔王の所にしますので、詳しくは彼女から聞いてくださいね」
「彼女って、魔王は女性なんですか?」
てっきり恐ろしい魔導士みたいな魔物や、下手したら骸骨ぐらい異形の存在さえも覚悟していたが、女性とは。
いや、魔王の性別なんて外見に何も意味をなさないかもしれないが。
「ええ。すぐに分かります。それでは、世界を、魔王をよろしくお願いします」
マリアーナが微笑むと、再び雄太の視界は暗転する。