episode8.確信
君のことが………
「バカぁあぁああぁあぁぁあぁああぁぁあ!!!」
どこからともなく響き渡る怒号にも似た、叫び声のような、大声。
俺にその爪がとどくすんでのところでヤツの動きが止まる。
声のした方へ目を向ける。
そこにいるのは、イフ。
涙のあとが残る顔でこちらをきっと睨み、歯をくいしばるイフが立っている。
「何カッコつけちゃってんのよ!怖いくせに!」
大きな声で、怒鳴るように言う。
「なんで戻ってきた!はやく逃げろ!」
そう叫びたいが、あいにく途切れ途切れに息をすることで精一杯だ。
「ひとりで勝手に助けて、ダメになったら勝手にあきらめて…」
「だいたい!あんたがいなくても私は大丈夫だった!助けなくてよかった!なのに!!」
「なのに…どうして………」
険しかったイフの顔が影を帯び、うつむく。
何してんだよあの馬鹿!俺が少しでも気を引いてるうちに逃げろよ!せっかく俺が…
「今度は私の番…」
そうつぶやくように言うと、バッと顔を上げヤツを指さし、
「来なさい!デカブツ!あんたなんか私の足元にも及ばないってとこ、思い知らせてやるわ!」
そう言い放ったイフの脚は微かに震えているように見える。
どちらも動かないまま、張り詰めた空気だけが不気味に漂う。
「ど…どうしたのよ…もしかして、こんなか弱い少女を捕まえることすらできな…
イフが2度目の挑発をし終わる前に、ヤツが動く。
速い。少し前に倒れ込んだかと思うと、その瞬間にはもう跳びかかっていた。
間一髪でしゃがんだイフの頭上を飛び越え闇に消える。
すぐに床や壁が崩れ、棚が倒れ物が散乱する大きな音が響く。
それを聞いたイフは即座に立ち上がり「こ…こっちよ!」と、震えた声を出しながら間の通路に走る。
鳴り響く音は止まなかった。おそらく、ヤツは棚を薙ぎ倒しながら直線的にイフに向かっているのだろう。もうおかまいなしといった感じか…
クソっ!なんで戻ってきたんだよ!このままじゃ共倒れじゃないか…
確かに出口らしきものは見当たらなかったが、それでも何かあるかもしれないだろ…なんで出てきたんだよ……
そんなことを思っている間にも破壊音はなり続ける。ヤツが自分で音を出しまくってイフの出す音が聞こえないからなのか、案外逃げれているようだ。
だが、それも長くは続かないだろう。何かこの状況を打開する策は…
まだはっきりとしない頭で考えるが、何一つ策は浮かばない。
突然、突拍子もない、意味不明な、それでもなぜか絶対的確信をもったアイデアが浮かんだ。
自分の頭を疑いたくなるような、そんな馬鹿げたアイデア。
そんなものに成功する確信を持ち、今まさに実行しようとしている時点で、もう俺の頭はどうかしてしまっているのかもしれない。
そんなことを考えながら両腕を床につき、身体を起こそうとする。
が、疲労からか力が入らず、腕にかかる重量はとんでもなく大きいように感じる。
なんとか壁にもたれかかったが、既に限界は超えていた。落ち着かない鼓動を感じながら、ままならない呼吸をしつつ、天を仰ぐ。
ここでふと、おかしなことに気づく。
音がしない。
あれほどまでにうるさく鳴り響いていた音がぴたりと止んでいる。
イフ……まさか………!!
「イフ!」
嫌な想像をした俺は咄嗟に叫ぶ
頼む…イフ……どうかぶ「あぁんもうっ!」
イフを心配する俺の気持ちを打ち破るように、その声は聞こえた。
「なんで人が気を引いてやってるってのに自分から見つかりに行くようなことすんのよ!あのね!今私はようやく撒けたからちょっと休んでたところで…だあぁ!あんた!いつからそこに…
そこまで聞こえたところで、またあの大きな音が鳴る。
「と、とにかく!あんたは早くなんとかしなさい!そろそろまず…うわぁ!!」
よかった…まだイフは元気そうだ…
俺もはやく動かないとな…
けたたましく鳴り響く音が、今の俺には心地よく感じた。
手で体を支えながらゆっくりとうつ伏せになり、震える手を前に伸ばす。つたないほふく前進ですら、全力疾走ほどのきつさを感じた。
転がる瓦礫の破片が皮膚にぐずぐずと刺さり、鋭くも鈍くもある痛みをはしらせる。
クソ………はやくあそこまで行かなきゃいけないのに…………
引きずるただの肉塊のように動かない足は鉄の足枷のように重く、膝下の無い右足からは血が流れ、自身の這った道筋を示しているのが感じ取れる。
あと少し…あと少しだ………
目的の場所が近づいてきた。
両足で立って歩けば数歩といった距離であったが、ひどく長く感じた。
俺の頭に浮かんだ突拍子もない思い込み。
なぜこのような訳の分からない、全くもって意味不明な考えに俺と、イフの命でさえもかけるのか。
わからない…
が、絶対的な自信だけがある。
これはただの思い込みじゃない。あたりまえの事実だ。だから必ず成功する。
目的の壁の前にようやくたどり着いた時には、手の感覚のほとんどは失われていた。血はいまだ流れ続け、貧血からか脳がふらつく感覚があり、吐き気がする。
立たなければならないのに、まるでそんな気力は無い。
不規則な呼吸を整えることも出来ず、息苦しさと脱力感から顔を横にたおし、へばった時...
血を見た
俺のじゃない
純白を伝う赤
イフの血だ
目の前にずらっと並ぶ棚と棚の間から、走るイフの白い細腕を流れる血が見えた。
よく見れば走り去ったあとの床にも血が見える。
それより奥の通路にも血が見える。
俺がその光景に絶句した直後、イフが来た方向から高速でその間を横切る黒いものが見えた。
やつだ
動きに全く衰えが見えない。依然、目で追うことが困難なほどの速度で移動している。
俺はイフにあんなものの相手をさせていたのだ。
わかっていたつもりだ。やつがどれほど危険かを。
しかし、俺は心のどこかで安心してしまっていたのかもしれない。
あの飄々としたイフなら大丈夫だ、音が聞こえなくなって焦った時もあったが、その時もただ隠れていただけだった、結局は大丈夫だった。だからなんだかんだ大丈夫だろう。と
力なく寝かせた足に今一度、力をいれる。
疲労が蓄積した左足はガクガクと震え、切断された右足には耐え難い激痛が走り、血が溢れる。
立つことなく、このまま崩れてしまいたくなるほどきつい…意識が飛びそうだ………
食いしばった歯のギリギリという音が脳に響き、壁伝いに上体を上へと持っていこうとする手は壁についているのかもわからないほどに感覚が鈍っている。
だめだ…立てない……………
いや、立つんだ。
立たなきゃいけないんだ。
こうしている間にもイフの限界は近づいている。俺がここで諦めれば、俺自身だけでなくイフも諦めることになる。それはだめだ。絶対に。
どこから湧き出ているのかわからない力と勇気、そして根性が俺を奮い立たせる。
「ぐっ………が…ぁ………!」
壁についた手をずりずりと上へ押し上げ、ジリジリと足を壁際に近づけ、なんとか壁にもたれかかることができた。
あとは、イフに伝えるだけ。
忙しなく呼吸を求める心臓を無視し、ボロボロの肺いっぱいに空気を取り込み、かすれた声帯に鞭を打ち、叫んだ。
「イィイイィイィイィィィフ!!!!!」
「おれに!!!」
「つっこめぇぇぇ!!!!!!!!」
やれることはやった
あとはイフ次第だ
出会ったばかりの俺の意味不明な戯言を信じ、聞いてくれるか。
あれほどのバケモノからずっと逃げ続けているイフに余力はあるのか。
あったとしてここまでたどり着けるのか。
頼む...イフ.......どうか...........
「何か考えがあるんでしょうね!頭がおかしくなっただけとは言わせないわよ!」
顔を上げると、一直線に走ってくるイフが見えた。
その顔に迷いは無く、真っ直ぐに俺を見ている。
「あんたに突っ込めばいいのよね!?どうなっても知らないわよ!」
想像以上にイフは俺のことを信頼してくれているようだ。他になにも打開策が見つからないためにこんなことでも実行するしかないだけという気もするが、今はそんなことどうだっていい。
安心したのもつかの間、突然イフがしゃがんだかと思うと、その上をやつが高速で横切って行った。
まだ最大の脅威は消えていない。
立ち上がったイフはまた走り出すが、かなり限界が近いようだ。グラグラと体を揺らし、時々ふらつきながら走るイフの顔には苦悶の表情がうかんでいた。今のを避けることができたのも偶然に近いだろう。
一息つく間もなくやつは再び姿を現し、イフの後ろから追い始める。
間に合わない
直感的に悟った。このままじゃ追いつかれる。
もうなにもできない。体は動かない。声を出すことすら無理だ。イフが来るのを待つしかできないが、このままではイフがたどり着くことは無い。
ちくしょう...ここまできて終わりなのか......
あと少しなんだ...イフがここにたどり着けばいい......ただそれだけなのに........!
もう既にイフのすぐ後ろにやつはいる
止まれ...止まってくれ...少しだけでいい.....
あと少しなんだ...あと...ほんの少し.......
やつが腕を振り上げる
止まれ...止まれよ.......
鋭い爪が空を切り、鋭い音が鳴る。
止まれ...
爪が、イフの首に──────
とまれ
やつの手がイフの首に届くことはなかった
...なんだ?なにが起きた?
イフは走ることで精一杯で、避けるような動作ひとつしていない。やつが空振るとも思えない。確実にイフの首をとらえていた。
すんでのところで、動きがほんの一瞬、止まったように見えた。
いや、考えるのはあとだ。
この距離なら...届く!
イフはキッと力強く俺を見ると
「おらあぁぁ!!!!!!!!」
残る全ての力を振り絞って俺に身を投げた。
さっきまで走り回り、クタクタになっていたとは思えないほどの力が俺の体に伝わる。
後ろは壁、このままイフと壁に挟まれ、大きな衝撃を全身で受ける......
ことはなく、壁は崩壊した。
壊れるでもなく、大小様々なキューブ状の物質に変わり、崩れた。
崩れた壁と共に空間の外に出た俺とイフはそのまま落ちる。
やつも外へ出ようとしていたが、それを阻むようにキューブ状の物質は集約し、また壁を成していった。
うまくいった
ありがとう、イフ。
おつかれさま




