3 帰り道には通り悪魔とイドの怪物がいる
「お取込み中ですか?」
多少オドオドした調子で小林が声をかけてきた。
女原警部と土御門特別捜査協力者――特に篤子女史――の常人ならざる雰囲気というか無駄な圧に、気圧されたものとみえる。
小林は紙袋と低反発ウレタン素材の座布団、それに洗濯の終わった上着を手にしていて、汚れ物を家庭用クリーニング洗剤で洗った上にアイロンでザっと乾かしてくれてまでいたようだ。
気が利くなぁ。(しかし安物のウォッシャブルスーツで良かった)
「アナタが今回の事件の『観測者』ね」と篤子女史が警部より先に、マウント取る気が滲み出た(と思われる)気取った声で自己紹介した。グィンと胸も反らせちゃってるし。
「私は土御門。県警の特別捜査協力者よ」
小林が自分と同じ若い女性――しかも可愛い――なので、若干の対抗意識が芽生えたのか知らん?
小林は「小林香です。対馬小路主任の部下の」とペコペコ頭を下げ、オレにオズオズと座布団とスーツとを手渡しながらも
「ただ、観測者という単語の意味が、ちょっと分かりませんけれど」
とオレが警部に言ったのとほぼ同じ発言を返した。
見掛け以上に度胸があるんだよ、小林は。ちびっこだけど。
すると警部が「おや? またカオルさんだ」と楽しそうに割り込み
「県警の女原、警部職です。『観測者』『行使者』というのは……」
と解説を始めたので、オレはその隙に座布団を敷き、洗濯済スーツに袖を通した。
ほほう。スーツから小林と同じ好い香りがする。
「なにニヤけているんですか。ツマショウジさん?」
と篤子女史が怖い声を出した。
篤子女史に怒られなきゃいけないような粗相はしてないはずだけど? とオドオドしたら――
「動きがありそうなのに、何も気が付いていないんですか?」
と重ねて叱責されてしまった。
はぁ?
◆
「あ!」と、篤子女史の言葉の意味に気付いたのは小林だった。
「生霊が……分裂していく?!」
そんなこと言われても、そもそも霊体なんか見えないオレ(と警部殿)には、場に相応しいリアクションの採りようもないじゃないか。
え? え? とオレは尻の下を見回したが、当然なにも分からないわけで……。
それにそもそも、幽霊とか生霊って合体・分裂が出来るものなのか?
そこまで考えて、篤子女史の言っていた『悪質な通り悪魔』の意味がようやく分かった。
糸石さんに憑依したのは彼女の友人の生霊だったはずだが、その生霊が、更に通り悪魔に乗っ取られて操られていたとしたら?
コンピュータウィルスにやられたゾンビパソコンかよ?!
しかし――
通り悪魔なるモノの本質が、不平不満で極度にはち切れそうな心の乱れた人物にのみ憑りつき、最後の一押しで狂乱にまで持って行くことが出来る、という存在だったとしたら?
逆に言えば”飲み屋で愚痴る程度の通常レベルのボヤキ”くらいしか持ち合わせない大多数の健全な一般人、には憑りついて操るどころか手を出すことすら叶わないってわけだ。
だとすれば、極限状態でフラフラ表に出歩いている生霊なんかは、既に存在そのものがバグった状態であり、通り悪魔からすれば恰好の憑依対象であるわけで!
「だからと言って何が出来る?」
心の声の心算だったが、口に出してしまっていたらしい。
ふん!と篤子女史が鼻で嗤うと
「こうするんですよ」
とブレザーのポケットから小さな何かをガサッと取り出した。
そしてオレ(と尻に敷いている生霊+α)次々に投げつけてきた!
オブラートか何かに包んだ粉末、小麦粉みたいな微粒子だ。
コレ、何の粉だ? 桜島の火山灰か?
小林が洗濯してくれたばかりの上着も、それにオレ自身も謎の粉を被って、さながら一面の雪景色に――
なるかと思ったら、オレを覆うように3m越えの巨人の輪郭が現れた!
◆
と言っても、巨人に覆われた状況のオレに、今のオレの外観が分るわけはない(アタリマエだが)。
オレ自身に確認出来たのは「粉、ぶつけられたせいで、なんか視界がちょっとモヤったかな」という程度の認識だけ。
巨人の輪郭という情報が認識出来たのは
「あれぇ? 先輩、3mくらいの巨人に取り込まれたみたいになってますよ!」
と小林が、驚き半分・愉快さ半分の口調で教えてくれたからだ。
「なんだかまるで、仁王様みたい」
仁王、またの名を金剛力士は、よくお寺の門に立っている仏敵を退散させる像。
運慶が彫った東大寺南門の国宝のヤツなんかが有名だろう。
小林が仁王様みたいと例えた口ぶりから、謎の巨人が害を為す存在ではなさそうだ、という想像はできたがワケが分らない。
「守護霊、ってヤツですか?」
と非常識事象に精通していそうな特別捜査協力者に問い合わせてみると
「違います」
と秒で否定されてしまった。
「無数の真面目系非モテ男子の無念が凝り固まった集合的無意識。そしてアナタのパーソナリティに共振し、アナタを核に霊的空間密度が極端に増したモノ」
はィィ~???
「イドの怪物です」
◆
「けれどアナタが飼っている怪物は、同系統の怪物の中でも『武士は食わねど高楊枝』的な誇り高く非常に善良に育ったモノのようですね。護摩の灰の力で半実体化していますから、ツマショウジさん、貴方一人で通り悪魔を処分できるでしょう」
篤子女史の言うのを聞いて、尻の下を見てみると
『病院パジャマ姿のスレンダーな若い女性』と『アメーバ状のBLOB』と
が今にも分離しようとしているところだった。
”オリジナルのオレ”自身には、こんなもの見えないはずだから、これは”オレの怪物”の目を通して視認しているということだろう。
すごいな! 真面目系非モテ男の無念のカタマリってヤツは。
「力ずくで引っぺがすのと、自然に分離するのを待つのと、どちらが良いんでしょうか?」
もともとは自称霊能力者なんてのは全部アヤシイものだと思っていたが、小林は信頼に値する可愛い後輩だし、この特別捜査協力者もホンモノらしい。
慣れない自分が判断するより、素直にアドバイスを乞うほうが間違いがないだろう。
「貴方の怪物なら、どちらでも。けれど、生霊にとってより安全なのは、自然分離するのを待つことかな。ツマショウジさんに押さえつけられて、生霊よりも悪魔の方が遥かに苦しがっているから」
篤子女史の助言に沿って、しばらくそのまま待つことにした。
だって怪物はオレの怪物なのかも知れないけれど、命令の仕方というか操作方法の見当がつかないんだもの。
……しかし、オレの怪物、女性には甘いようだ。オマエはオレか……。
ただ、生霊の主が生霊を出すほど惑乱しなければ、悪魔に魅入られることも無かっただろうになあ、とも思う。
でもコレ、事情を知らない人が傍から見れば、酔っ払いみたいに道端に座り込んでいるオレを、小林・篤子女史・警部の三人が、「困ったヒトだねぇ」とただ見下ろしているだけ、に見えないか?
野次馬は遥か規制線外に遠ざけられて何も見えないだろうし、逆に至近に寄ればイドの仁王様がいるのが分るんだろうけど。
鑑識の人とか制服警官の人とか、どう思っているんだろうかが、ちょっと気になる。
分離には当初思ったより時間がかかり、ちょっと手持無沙汰になってツマらん事を考えていた時だった。
「先輩、粒あんのバターたっぷりホットサンド食べます? あんこは缶入り茹で小豆で、手抜きですけど」
と小林が、ちょっと恥ずかしそうに紙袋を振った。
洗濯の合間に焼いてくれていたらしい。
優しいじゃないか。
……けれど小林、炊飯器は買わなかったくせに、ホットサンドメーカーなんか持ってんの?
ところがオレが答えるより早く
「あ~食べる食べる。張り込みにはアンパンが必須だよねぇ。牛乳もあれば、なお好しだけど」
と警部が嬉しそうに挙手をし、篤子女史も「右に同じ」と手を差し出した。
◆
袋の中のホットサンドは三枚で、たぶん小林はオレに一切れ、残りの二枚は自分で食う心算だったんだろう。
悲し気な顔で警部と女史に一枚ずつ渡すと、残った一枚を「ハイ、どうぞ」と気丈にも表情を笑顔に作り直してオレの方へ差し出した。
小林お手製の、食べる前から美味しいのが丸わかりな餡バターホットサンドを『実体化した内部』に差し入れられて――オレも嬉しかったがそれ以上に――オレの怪物か歓喜のあまり激しく高揚するのが分った。
なんつっうか、非モテ男がバレンタインディに思わぬ手作りチョコを手渡されたカンジ?
……経験が無いから、想像オンリーですけど!
オレは嬉しがる怪物の気持ちが分からなくもなかったが、夜空を明るく虹色に染めて輝き始めた怪物にちょっとだけ引いた。
――もうチョッと、慎ましやかに喜んでくれぃ。……小林が見てるんだよ。
発光する怪物を目にして、ホットサンドを齧りながら女性二人を背後に庇った警部殿が
「悪魔の虹!」
と楽しそうに叫んだ。
「分子破壊光線だ。イドの怪物がライオンじゃなかったのは残念だったが」
警部は昭和特撮マニアらしい。洋モノだけでなく大映まで守備範囲の。
けれど警部のヲタ心は女史には通じなかったらしく
「光っているのは怪物のほう。悪魔の方は光に焼かれて断末魔の状態よ!」
と腹立たし気に訂正した。
だからオレは警部に助っ人すべく
「悪魔の虹というのは、ニューギニア生まれのトカゲ型冷凍怪獣が出す必殺技で、最期、琵琶湖で断末魔に」
と解説を試みたが
「ニューギニア生まれなのに冷凍怪獣なんですか?」
と小林から不思議そうに問い詰められてしまった。
◆
オレの怪物が平静を取り戻した時、通り悪魔は既に焼き尽くされ、完全に消滅していた。
小林のホットサンドの威力、恐るべし。
余談という事で付け加えておくと、オレの分のホットサンドもオレの口に入ることなく、亜空間か異次元の彼方へか消滅してしまっていた。怪物が食べちゃったのだろう。
一方、生霊女子は無事。
オレの怪物は興奮していても我を忘れることまでは無かったらしく、パワー発動の方向性に相当気を遣ったものと見える。なかなかやるじゃん。
ただ生霊女子(女子生霊と言った方がよいのか?)は、文字通り憑き物が落ちて己を取り戻したようではあるのだが、そのぶん今現在の自分が置かれている状況が掴めないようで、横座りになってオドオドしている。
けれど怪物は――非モテ男の無念が凝り固まったモノだから当然だが――女性との上手なコミュニケーション能力なんぞ欠如しており、優しく手を差し伸べてはあげたいのだろうけど、具体的にはどう対処したものやら心底困り果てているようだ。
オレは社会人だから、仕事としての普通の会話(時候の挨拶とか)程度なら臆することなく無難にこなせるのだが、怪物はオレ以上に奥手なのだと見た。
(まあここで「今年は嫌になるくらい毎日暑いですねぇ」とか言っても仕方がないんだけど)
この非モテ系には如何ともしがたい膠着状態を、易々と打破したのは土御門特別捜査協力者御大だった。
まあ適役。
彼女は両手を腰に当てて上から生霊女子をグワッと見下ろすと
「アナタ、本日のショーの幕は下りたんだから、とっとと帰りなさい」
と、傲然いう表現がピッタリの態度と声で言い放った。
「それとも何。まだ足りないの? アンコール曲でも期待しているってか? アナタ、自分は何も覚えていない・分からないってフリしてるけど、そんなの嘘。悪魔と一体化していた間の記憶、ぜ~んぶ鮮明に持ってるのよね」
生霊女子は頭ごなしに怒鳴り声を浴びせつけられて、雷に打たれたようにビクッと身体を震わせた。
「身体に戻ってからはしばらく酷く痛むでしょうけど、自業自得と反省して我慢することね。それとアナタのバトン仲間――糸石さんといったかしら?――今後アナタの事を絶対に許さないでしょうけど、それは甘んじて受け入れなさい。だいたい男女の中とかLGBTとかに関係無く、愛情なんてのは平等じゃなく偏在しているものなの。石油資源が油田地帯と呼ばれる場所にだけ集中しているみたいにね」
愛情なんて偏在しているもの、というセリフは、生霊女子ばかりでなくオレの怪物にも刺さったようだ。
生霊女子が消えると同時に、仁王じみたオレの怪物も姿を消した。
幽かに聞こえた犬の遠吠えのような音。それが怪物の断末魔だったのに違いない。
さらば、怪物。
◆
「いやあ、何もかも無事に終わったみたいですねぇ」
と警部が初めてサングラスを外した。
黒メガネを外すと意外にも真面目そうな眼が現れ、刑事ドラマの(売り出し中の若手二枚目が演じる)熱血新人刑事みたいな顔になった。
女原さん、人相が悪くなるからサングラスかけない方が良いって。
小林も似たような感想を持ったようで「警部さん。サングラス無しのほうが感じ良いですよ」とコメント。
「第一、暗くなってからのサングラスは、周りが見づらくて危険でしょう」
警部殿は、失礼な! とか腹を立てることなく
「いやぁ……」
と苦笑し、頭を掻いただけだったが
「このヒト、私の連絡係兼警護役なのに役立たずなの」
と篤子女史が、小馬鹿にしたような口ぶりで暴露した。
「ホンットに怖がりで、幽霊見たくないからって色メガネかけてるの」
オレはちょっと驚き、何が怖いかなんて人それぞれだからなぁ、と思いつつも
「イドの怪物見て、メッチャ喜んでいたじゃないですか? あの反応はマニアにしか出せないはず」
と口走ってしまった。
だって怪獣マニアなんて人種は既存の怪獣・SF映画を観尽くしてしまうと、トクサツに対する飢餓感から、戦争映画や怪談・ホラー映画へと食指を伸ばす範囲を広げてゆく傾向にある。(あくまで個人の感想ですが!)
すると警部は「怪獣は好きなんですよ、怪獣は」とタメ息。
「けれど和風の怪談モノは全く駄目で、新東宝の幽霊映画はもちろん、大映の妖怪映画すら怖くて見れないんですよ。名画座とかでたまにある特撮映画マラソン上映でも、怪談モノの間はロビーに逃げちゃうくらいで」
「モンスター好きってことでアタシ担当に抜擢されたっていうのに、急場では逃げ隠れするだけでホンっとお荷物」
と篤子女史が鼻を鳴らした。
そして女史はオレを指差すと
「対馬小路さん、アナタ今の仕事辞めて、私の付き人に成りなさい。給料なら今の倍……いや三倍出すから」
と勝手なことを言い出した。
「こう見えて、土御門一族は資産家なの」
オレは「結構です。今の仕事にやりがいを感じていますから」とリクルートを断り
「それに怪物が消滅した以上、私には既に特殊能力はありません。女原警部より役立たずですよ」
と付け加えた。
そして「なあ?」と小林に同意を求めたのだが、豈図らんや、小林は微妙な表情を返して来た。
◆
「先輩、たぶんチカラなら強くなってると思いますよ?」
小林の発言に、篤子女史が「あらぁ? アナタ、一皮むけたみたいね」とコメントした。
「対馬小路さんのオーラが見えるようになったの?」
悪魔に怪物まで見てしまった以上、オーラなる科学的に観測されない現象を持ち出されても、もはや驚きもしないが――
「オレの怪物……いや、イドの怪物、土御門さんからの流れ弾を食らって、昇天したんじゃなかったんですか?」
すると「とんでもない!」と特別捜査協力者は腹を抱えて大笑い。
「非モテ男の無念が、そんな柔なモノじゃないのはツマショウジさん、アナタ自身も長年の経験からよくご存じでしょうに」
そして「非モテ男の無念というのは、怒りや呪いといった一時的・爆発的な負の感情とは違って、諦観、つまり負の感情をアウフヘーベンした諦めの極致であるフラットな感覚。激情ではなく悟りに近いもの、なのではありませんか?」と笑いを無理やり押し殺して続けた。
「瞬発力は有っても持久力に欠ける激情なんかより、諦観ははるかに強固で強大、しかも圧倒的に長期間保存可能な精神エネルギーなのです」
確かに生霊を追い払った女史のセリフは、怪物にも刺さったのだろうけれども、オレも同じく被弾しているわけで。
だからと言ってオレは別段、ダメージを食らったという感覚は無かった。
だって、そんな事くらい『ずっと前から百も承知』なんだもん。
すると……オレの怪物は断末魔どころか……全くの無傷?
「しかもですよ、先輩」
と小林が追い打ちをかけてくる。
「先輩の怪物は、ホットサンドを食べちゃってます。あんことバターてんこ盛りの」
エネルギー体が物質を同化したのか!
質量がエネルギーに変換される時の交換式は E=mC^2
わんぱくホットサンド一枚とはいえ、文字通り爆発的に強大化されとるやんけ!
ケチな悪魔一匹を焼き尽くすのに必要なエネルギーなんかより以上に。
愕然としたオレに
「それだけでは済みませんよ」
と篤子女史が勝ち誇ったように宣言。
「怪物が歓喜の波動を空間中に放射したんですからね」
なにが起きた?
喜びの叫びが何を起こしたんだ?
「『モンスターは仲間を呼んだ』現象が起きているようですよ?」
と周囲を見回したのは小林。
「もっとも、先輩の怪物が援軍を召喚したのではなく、歓喜の雄叫びに勝手に寄ってきたみたいですけど」
そして小林はオレの目を見て頷いた。
「ものすごいパワーの奔流です。先輩の怪物はむしろ『ちょっとオマエら、勝手に引っ付いてくるんじゃネエ!』って、ガード固めてる状態ですね」
それで怪物の姿が消えたように見えたのか!
だとするとオレがさっき聞いたのは、”オレの”怪物の断末魔ではなく、居場所を見つけた”他所の”非モテエネルギー体たちの喜びのざわめき……?
「非モテ男の無念の海は、果てしなく広大よ」
このクソ茶番を締めくくったのは篤子女史だった。
「この世界は、非モテの無念に満ち満ちているの」
おしまい