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2 帰り道には生霊がいる

 翌朝、営業所に出社するなり、早くから網を張っていたらしい小林さんから

「土曜日、ゴハンに連れて行っていただけませんか? ……ああ、ご飯メインというより、お酒メインで」

と単刀直入に要求された。


 休日メシの誘いとは珍しい。


――これは幽霊事件で何か進展があったな。

とピンときたから

「了解。なにが食べたい?」

と訊いてみると

「ジャンルは何でもOKなんですが、比較的静かめで、かつ小上がりのあるお店で」

との返事だった。


 ふむ。カウンターやテーブル席ではない方が良い、という事か。

「ゲストが来るんだね?」

と確認すると

「今川さんが。それと、もしかするとあと一人」

と打てば響くような返し。


「分った。それじゃガッツリ系定食屋とか居酒屋系より、小座敷のある小料理屋風がいいかな。6時に駅前集合で良い?」


 小林さんの返事は「今川さんに伝えます」というものだった。


「それじゃ、幽霊は幽霊、仕事は仕事。今日の準備にかかろう。午後イチで手術支援ナビシステムのオペ室搬入と説明だからね。業者さんとの搬入口待ち合わせは11時半ピッタリ。中央材料室が12時10分。見落とし・忘れ物が無いよう、ダブルチェックするよ」



 土曜日。


 ラフな恰好にしようかとも思ったが、考え直して堅実地味な白ワイシャツと通勤スーツを選んだ。

 小林さんだけならポロシャツにカーゴパンツでも問題ないだろうが、準お局様の今川さんがどんな服装で現れるかが分からない。

 料亭ではなく小料理屋だから、準お局様の今川さんからドレスコードをアレコレ怒られることは無いと思うが、背広なら略礼服だし、燕尾服が必要な場合以外なら無難な線だろう。


 5時ちょい前に駅に着き、待ち合わせの6時まで時間を潰そうと古くからある純喫茶のドアを開けると、小林さんが居た。

 山吹色の綿シャツに、だぶっとしたジーパン・スニーカーという、気楽な服装をしている。

 こっちに気付いて、手を振ってくる。


 小林さんと向かい合わせに座っていた、ネイビーのロングワンピにウェイビーヘアの美女も会釈してきた。

 黒縁メガネを外して(たぶんコンタクトにして)いるから一瞬誰だかわからなかったが、準お局様の今川さんだった。


 片手を挙げて挨拶を返してから、初老のマスターに「アイスミルクティー、お願いします」とオーダーを入れ、小林さんの横に腰掛けて、今川さんに「お早いですね。まだ1時間前ですよ」と、とりあえずお愛想を振りまいておく。

 さりげなく二人の注文を窺うと、今川さんは水出しブラックで、小林さんはプリンアラモードとメロンソーダを摂取している様子だ。


 今川さんは「少し緊張してしまって」と可愛らしく”はにかみ”笑いをしてきたが、『怪しいのはオマエだよ!』と怒鳴りつけて来た時の鬼の形相が、わずかにほのかにダブって見える。

 やっぱ怖えェ……。

 オレ自身も小一時間前に来たというのに、開口一番『お早いですね』は不味かったか!


 本題に入るのは、アルコールで少し口がほぐれてから、と計画していたが

「アパートを見張っていた幽霊、何か手がかりがつかめたんですか?」

と単刀直入に探りを入れる。


 オレとしては今川さんをこれ以上怒らせないよう、どこに地雷が潜んでいるか見当も付かない下手な世間話で韜晦せずに、むしろ『無難』な共通の関心事である心霊話を振ることで対処したのだ。


 それなんですけど、と応じたのは、生クリームを塗りたくったバナナ半本をガボっと口に押し込んだ小林さんだった。

「ううれいひゃらくて、いひりょらっらにらいで」


 なるほど。『幽霊じゃなくて、生霊だったみたいで』か。

「じゃあ誰の生霊かとかまで、分かったんだ」と頷くと、今川さんが

「よく分かりましたねぇ!」

と感心した。


 小林さんの不明瞭発声から内容を汲み取ったことに驚いたのか、そこから更に生霊の主体が判明したことにまで思い至ったことを評価しての発言なのかは判らない。

 で、「ええ。生霊だったとしたら、幽霊だった場合よりも、より早く動機や対象に辿り着けそうな気がしたもので」と後者を念頭に置いた対応をした。

「あのアパートの、どなたかが狙われていた、という結論だったのだと考えました」


 生霊というモノが仮に実在するのだとしたら、それは生きている人物の念がガッチガチに凝り固まったモノであるのだろうから、生霊が対象としている人物にも、自分が狙われている事にうすうす感じるトコロがあるだろう。

 更に、小林さんがかなり具体的に生霊の外見をモンタージュ出来ているので、絞り込みは容易だったに違いない。


糸石いといしさんに『心当たりがある』という結果になりました」と今川さん。

「まだ学生さんです。部活のチームメイトに『似ている人がいる』みたいで」


 バナナをクリアし、リンゴのウサギに取り掛かっていた小林さんが

「お隣さんです」

と付け加えた。

「バトントワリングをやってて」


 なるほど。

 あの夜、武器にバトンを構えていた子か。

 両端にオモリを付けた金属棒だから、手練てだれが使えば特殊警棒に近い戦闘力が見込めるんだろう。……いや、よくは知らないけれども。


 それに小林さんの隣室の子が生霊に狙われていたのなら、生霊の視線が小林さんの部屋”の方”を向いていたのとも辻褄があう。


 生霊が『とおせんぼ』をしたのが、自分を視ることが出来る小林さんを邪魔者だと判断したのか、あるいは小林さんが引き連れているオレを用心棒かカプセル怪獣的脅威と判断して威嚇に出たのかは読めないけれども。


「そうだったんだ」とオレは小林さんに頷き「その……糸石さんのバトン仲間は、糸石さんにどんな含むところが有ったんだ?」と質問を加えた。

「アイドルグループみたいに、センターを巡るポジション争いとか?」


 答えてくれたのは準お局様(今現在はクールビューティ)の今川さんで

「ええっと……争いではなく、恋愛にまつわる感じの」

というものだった。

「お二方とも女性ですが」


 おっと、モテ男を巡っての二人の美女の鞘当てというヤツか!

 だいたいイケメンなんてヤツが存在するから、オレみたいにアブれる非モテが出るんだよ!

――などと反射的に僻んでいたら、今川さんが『争いではなく』と言及していたことに気が付いた。


 ……争いではなく?


「SDGsってヤツですか?」


「先輩、それを言うならLGBTです」



 そこからは言葉少なに三者三様、各々が注文品を腹中に消費する時間に充てた。


 SDGs発言は、意外な成り行きに対するオノレの気持ちを整理する時間稼ぎのための軽いボケ対応だったのだが、小林さんから真正面に訂正されてしまうと、場違いであったかと反省せざるを得ない。

 少々気不味い気分を遣り過ごすには、アイスティーではなく熱いブレンドにしておくほうが多少はマシだったかな、とも思ったが、全くドウデモヨイことだ。


 生霊事件といっても、源氏物語の六条御息所案件のようなオドロオドロしい内容ではなかったし、お医者様でも草津の湯でも、というヤツだとしたら部外者が脇から口を挿めるようなものでもない。

 オレにとっては、小林さんには何の危害も及ばなさそうとなった時点で、まさに『As you like it !』でしかないわけで。


 6時10分前に喫茶店を出て、5分前に駅前に整列したが、バトントワラーの糸石さんは姿を見せなかった。

 それでも6時45分までは待ったが、結局三人連れで7時過ぎに6時半予約の小料理屋の暖簾をくぐることとなった。


 オレは遅刻を女将おかみに詫び、かつ「一人、来られないことになってしまったので、今日は三人で」と更に詫びた。

 女将は「あらぁ、じゃあ今日は両手に花じゃない。女性に縁の無いアンタにしては珍しい」と怒った様子もなく受け入れてくれた。

 時間に厳しい女将にしては珍しいことだ。

 浮いたハナシではない、と咄嗟に判断してくれたのだろう。



 ヅケマグロの山かけ、メヒカリとハタハタの焼物、アボカドとカイワレのサラダなんぞでクールビューティ今川さんはいきなり”ぬる燗”の日本酒を飲み始め、とりあえずの乾杯は無し。

 一方で、ちびっこ美人の小林さんは焼きおにぎりと鶏モモ焼きを両手につかんで中ジョッキ。山賊か、オノレは。

 オレは筑前煮と一文字ぐるぐる、辛子蓮根をつつきつつ麦焼酎お湯割り(梅入り)というスタートとなった。


 オレが辛子蓮根のツーンに目をしばたたかせて

「糸石さんと、そのお相手さんはどうなったんですか?」

と訊ねると、ハタハタを骨ごとボリボリ咀嚼していた小林さんが

「糸石さんは、自分がそこまで好かれていることに気が付いていなかったみたいで。……糸石さんには別にボーイフレンドがいて、性的な意味では女性が好きというわけではなく」

とタメ息。

「あの後、小林ちゃんから幽霊の風体を聞いて、思い至ったようです」


 すると肉を食いちぎった小林さんが

「ううい、えんあをあえあいあいあんえうあ」

と続けたが、これは『すぐに、電話を掛けたみたいなんですが』と言いたかったのだろう。

 ごくん、と塊を飲み込んで

「糸石さんのお相手さん――女性の方の――の家は大騒動だったみたいです」

とマトモな発声に戻った。

「夕食後ソファでボーっとしていたお相手さんが、いきなり床に滑り落ちて、殴られたみたいに青痣あおあざだらけになったとかで。救急車を呼ぶ騒ぎに」


 そして遠慮会釈なくオレの一文字ぐるぐるに箸を伸ばして

「馬刺し、追加で。それと球磨焼酎も」

とオレに指示した。

「この万能ネギ料理、初めて食べましたけど美味しいですね」


「万能ネギじゃなくて分葱わけぎだよ」と訂正して、オレは小林さんの命令を遂行するべく「球磨焼酎、好きなの?」と訊いてみた。

 好きなのならお湯割りじゃなく、直燗じゃないと納得せずに怒りだすかも知れぬ。


 小林さんは「いえー、どっちも初体験です」と微笑み

「叩けよさらば開かれん、です。何事も経験してみなければ」

と頷いた。


 すると今川さんが「チャレンジって大事よねぇ」と呼応して

「それじゃ私にも焼酎。それと鯨のオバケと猪豚いのぶた網焼きをお願いしようかな」

とメニューを睨んで唸った。

「それと、蜂の仔の佃煮」


 小座敷から出て、女将に追加品目を連絡すると

「ちょっとお待ち。注文多いのは客単価が上がるから有難いけどさ」

と、しかめっ面をし

「けど、アンタ除けば女の子ばかりじゃない。残しちゃうようなモッタイナイことしたら、出入り禁止にするよ」

と釘を刺されてしまった。


 ぞこでオレは「彼女らが食べ物を残すのはありえません」とタメ息を吐いた。

「ここの料理が絶品なのに加えて、彼女ら、食欲が妖怪二口女なみです」



「イナゴを食べた時には、京佃煮の小エビと一緒だなと思ったけど」

 佃煮を球磨焼酎で流し込んだクールビューティは

「蜂の仔は割りとオイリーな後味がする。ワタクシ的にはイマイチかな」

と自分が注文したにも関わらず、しかめっ面をした。

「どんなに疲れた時でもめちゃくちゃ元気が出る食材で、一部では大人気って聞いたことがあるんだけど」


「今川さんの口に合わないんだったら、残りは先輩が貰ったらよいんですよ」

と小林さんが馬刺しを頬張り

「なんか、さっきから意気消沈してますからね。食もお酒も手が止まってます。だったら蜂の仔で勇気凛々ですよ」

 そして「馬刺し、イケますね。タテガミっていう部位も食べてみようかな?」と言い出した。


「意気消沈してるのは」と、オレはタテガミを注文するべく立ち上がった。

「生霊本体がボコボコになったのは、オレの仕業しわざなのが明白だからだよ。自首するか、と迷ってさ。今まで暴力なんて他人ひとに振るったことも無かったのに、故郷くにのオフクロに顔向けできないと思ってね」


「クニのオフクロとは、また前時代的な。警察に自分の犯行であることを、どう証明するんですか」と今川さんが鼻で嗤った。

「完全無欠の現場不在証明が有るっていうのに。生霊の飛ばし主が自宅でぶっ倒れた時、アナタは確実に私たちと一緒だったんですからね。映像だって残っている」


「そうですよねぇ」と小林さんがオレの筑前煮を貪り食うと

「お巡りさんだって、直ぐにアパートまで到着しましたからねぇ。先輩が電送人間でもない限り、法律上では何も出来ないはずの不可能犯罪です。まあ今回は、先方の方から霊体だけを自分勝手に派遣してきたわけですけど。だから不可抗力ですよ。自首なんて、やったとしても自己満足。『なに訳の分からないこと言ってるんだ。帰れ』って怒られて終わりです」

と断定した。

「と、いう事ですから、私のタテガミを早く注文してください」



 直燗の球磨焼酎をグイグイ飲んで、小林さんはほろ酔い程度だったが今川さんは完全に潰れた。

 オレはタクシーを呼んでもらい、勘定を済ませると二人を後部座席に押し込んだ。

「ずいぶん飲んだねぇ」と女将。

 今川さんの飲み代までオレ持ちになってしまったから、予想以上の出費だ。


 ここで御役御免か、と内心ホッとしていたら

「先輩もついてきて下さいよ。私一人じゃ今川さんを部屋まで運べない」

と小林さんに怒られてしまった。

「私に、ぐにゃぐにゃの今川さんを部屋まで担がせる心算ですか?」


 今川さんは勝手に自爆しただけだし、知らない……いや顔見知り程度の男に身体を触られるのは嫌だろうとは思ったが、確かにちびっ子の小林さん一人では体格的に運搬作業には無理がある。


 オレは助手席のドアを開けてもらって、運転手さんに今川さん(小林さんのでもあるが)のアパートの住所を告げた。

 オレのタメ息混じりのお願いに、運転手さんは後部座席を一瞬睨むと「シート、汚さないで下さいよ」と仏頂面で頷いた。



 意識を失った女性を抱き上げるのなら、ハマーホラーのポスターに描かれているように、お姫様抱っこが圧倒的様式美であろう。

 けれども本来、お姫様抱っこというヤツは、抱えられる方の協力あってこそ。

 グニャグニャの酔っ払い相手には難しい。


 今川さんは店を出るまではなんとか意識を保とうとしていたが、タクシーに乗って安心したのか、完全に寝る態勢に入ってしまった。

 鬼軍曹の準お局様にクールビューティ、それにベロベロの酔っ払い。

 今川さんの様々な顔を、ここ数日で見せつけられたが、まあ人間誰しも複数のペルソナを被っている。


 アパートに着くと、おんぶで彼女を運ぶことにした。

 消防士さんが火災現場で緊急時にやるような、肩でかつぐ方法より腹部に対する圧迫が少なかろうと考えられるからだ。

 今川さんは小林さんに負けず劣らず大量に飲み食いしてるから、下手に腹を押すことになったら一気に口から吐き出してしまうかもしれない。


 今川さんを背中に載せて「よいしょう!」と立ち上がると

「先輩! 非常にかんばしくない状況のようです」

と小林さんがアラートを発した。

「生霊、懲りてないみたいです」


 小林さんが指差す方に目を遣ると、練習用らしい上下黒タイツを身に纏った糸石さんが、アパート二階の廊下に仁王立ちしていた。

 両手に競技用のバトンを持ち、威嚇するように凄まじい勢いでギュンギュンと回している。


 糸石さんは、こちらを睨み付けるとユラリと歩き出した。

 階段を降りて、襲って来る心算のようだ。


 オレは背中の今川さんの腿を抱え直して

「憑依されてる?」

と小林さんに訊ねた。


 まあ、憑依されてでもいるのでなければ、問答無用でいきなり実力行使に出てくるとは考え難い。

 しかも競技用バトンなんかを武器にして。


「憑依されています」と小林さんは冷静だった。

「糸石さんに、もう一人、女の人が被って視えます。この前の生霊です。案外タチの悪い相手だったみたいですね」


 生霊が、単にオレに復讐したいだけなのか、それとも糸石さんに可愛さ余って憎さ百倍、オレに彼女を殴らせようとしているのかは判断がつかない。


 ただし、このまま後ろを向いて逃げ出しても、たぶん生霊は治まらないだろう。

 その分、糸石さんが生霊から傀儡くぐつ使いされる時間が長くなるだけだ。

 それが糸石さんの身体に、結果どの程度の悪影響を与えることになるのか(あるいは与えないのか)は不明だが、自分の肉体を勝手使いされて問題無しとは考え難い。


「制圧するしか無い感じ?」

と質問しながら背中の今川さんを路上に寝かせると

「それしか無いみたいですねぇ」

と小林さんがしゃがみこんで、今川さんの頭を膝枕に乗せた。

「がんばって下さい。先輩の特異体質ならなんとかなります。草葉の陰から応援してますから」



 階段を下って来る糸石さん(足す生霊)を目で牽制しながら、スーツの上着を脱ぎ左腕に巻き付けた。


 ナイフ・ファイトをする時に、腕内側の動脈をガードするための手法だが、今はバトンで殴られたさいの衝撃を少しでも軽減するための措置だ。


 競技用バトンの攻撃力がどのくらい強力なのかは知らないが、骨にヒビが入るくらいのリスクは覚悟しないといけないかも知れない。


 ただ糸石さんはバトンを二本装備しているから、うち一本を左腕で受け止めたとして、残り一本にどう対処するべきか。


 糸石さんが階段を下り切ると、ヒュンヒュンというバトンの風切り音が一層威圧的になった。


 しかし同時に、彼女の視線がオレに対して向けられてるのではないことに気付いた。

 視ているのは、オレの背後だ。


――生霊の狙いは小林か!


 確かに生霊を視認することが出来るのは小林だけで、彼女さえ『排除』してしまえば、生霊はフリーハンドで行動する自由を得る。


 だから狙いが小林だと解った以上、オレは『女性に手をあげない』という自戒を解除する腹を括ることが可能となった。

 生霊と合体しているなら、糸石さん込みで圧倒せざるを得まい。


 オレは左腕を楯にガードを固めると、パンツのポケットに右手を突っ込み、中の10円玉10枚を握り締めた。



 ポケットの10円玉は、所長と小林さん三人でお祓いに行ったとき、手水場ちょうずばで清めておいた硬貨だ。


 オレが小銭入れからジャラジャラと5円硬貨を出したのを見て、所長は

「5円玉は、そもそも”御縁ごえんがある”に掛けとるっちゃろうもん」

と駄目を出してきた。

「悪霊と縁切りするとに使うとなら、”遠縁とおえん”ば選んだほうが良かろうや」


 よもや、こんな場面で取り出すことになろうとは夢にも思わなかったが、使いどころではある。


 棒術使いが腕と手首とで棒を操るのに比べて、バトントワラーは腕・手首の関節に加えて、指関節もバトンを回転運動させるのに動員する。

 糸石さん・生霊のハイブリッド体が攻撃を加えてきた時、バトンによる一発目の殴打を食らう覚悟さえあれば、指のみという不安定な持ち方をされた敵の凶器を弾くのは、棒術家から刺突もしくは殴打攻撃された時よりもまだ難易度は低そうだ。


 加えて飛び道具の10円玉があるから、左腕で一本目の凶器を受けると同時に、10円硬貨をハイブリッド体の顔面に叩き付ければ、敵を一息で無力化するのも可能かもしれない。

――希望的観測、ではあるのだけれど!


 間合いを詰めてくるハイブリッド体に対して左腕を楯にかざし、右手で硬貨の投擲態勢をとった時

「待て待て待てェイ! 何をしている!」

と大声で『待った』がかかった。


 声の主は、いつぞやのお巡りさんだった。

 約束通り、ちゃんとパトロールをしてくれていたらしい。

 高田馬場の堀部安兵衛よろしく、怒涛の勢いで駆け付けて来てくれたのだ。

(ただ尻ッ端折りではなく、自転車に立ち込ぎというスタイルではあるのだが)


 お巡りさんはガシャンと自転車を乗り捨てると「落ち着けェ! 離れなさい」と両手を広げ、一触即発のオレとハイブリッド体との間に割って入った。



 しかしお巡りさんは、ハイブリッド体から視線を外してしまう、という問題行動を採った。


 無理もない。

 一見しただけでは『女の子』の狂乱ハイブリッド体よりも、オレのほうが凶暴そうに見えるハズだから。

 ハイブリッド体がバトントワリングの自主練をしていた女学生としてしか認識できないのに対し、オレは明らかに襲撃態勢を取っている暴漢だ。


 しかも路上には既に倒れた女性(酔い潰れた今川さん)が居り、もう一人の女の子(オレに糸石さん対応を丸投げにした小林さん)がしゃがみ込んで介抱しているわけだし。


 とは言うものの、オレは善良な市民の義務として「お巡りさん、危ない!」と、すかさず注意喚起はした。

 小林も今川さんの頭を抱えたまま「お巡りさん、後ろ後ろ!」と大声を上げた。


 ドリフのギャグなら、「え?」とお巡りさんが振り向いた時、ハイブリッド体は素早く姿を隠しておかねばならないところ。

 けれどハイブリッド体は、そんなお約束を無視して、お巡りさんに高速回転バトンを叩き付けた。


 小林が「うぉわッ!」と女の子らしくない悲鳴を漏らし、オレは「やば……」と息を呑んだ。


 しかしお巡りさんは、常日頃から鍛えているプロである。

 待ったの姿勢に広げていた両腕を、ハイブリッド体側の右腕だけ”くの字”に畳むと、瞬時に二の腕で首と頭部をガードし、迫るバトンを弾き返した。

 弾かれたバトンはハイブリッド体の手を離れ、高く弧を描いてアスファルトに落ち、乾いた金属音を響かせた。


 ただ厚めの制服であったとしても、機動隊の防護服とはワケが違うから、お巡りさんは「ぐッ」と呻くと打たれた腕を押さえた。


 一方でハイブリッド体も無傷では済まなかったようで、叩き付けたバトンを操っていた右手の指が変な方向に曲がっている。

 明らかに折れているのだ。


 痛みで糸石さんが正気に戻るか、と一瞬だけ期待したが

「終わってません。生霊、そのまま」と冷静さを取り戻した小林が冷徹に告げた。

「第二撃、来ます」


「オマエは作戦室のオペレーターか!」

 オレは叫びつつ、10円硬貨をハイブリッド体の顔面目掛けて投げつけた。


 ハイブリッド体が両腕をクロスしてガードしたため、10円玉がハイブリッド体の顔面を捉えることはなかった。

 けれど彼女が咄嗟に顔面をかばった結果、凶器のバトンの動きが止まった。

 しかもお清め済み10円硬貨には、それなりの攻撃力が備わっていたらしい。

 ハイブリッド体は痺れたように両手をダラリと下げた。


 一瞬の事ではあったが、オレにはそれで充分だ。

 ツツッと歩を進めてハイブリッド体の左腕を掴むと、一度大きく振ってから、力任せに後ろ手に捻り上げた。


 一応10円玉は効いたようだが、糸石さんの指が折れても平然としているくらいだから、生霊の方は糸石さんへの物理攻撃では痛みを感じない(あるいは感じ難い)可能性が捨てきれない。顔面や腹にパンチを叩き込んでも、無反応だったら困るのだ。

 『俺の』パンチだったら生霊もまとめてブッ飛ばすことが出来るのかも、という考えが一瞬頭をよぎったが、ハイブリッド体の動きを『込み込み』で制約するチャンスは今。

 賭けに出るより、確実性が高い線を狙ったのだ。


 凶器を握った腕を極められてハイブリッド体が咆哮を上げ、バトンが地面に落ちる。


 お巡りさんもダメージ状態から復活し、落ちたバトンを手の届かない距離まで蹴り飛ばすと、オレと二人掛かりでハイブリッド体を地面に押し倒した。

 ただ殴られた右腕は、まだ痺れているようで痛みに顔が歪んでいる。


「一体、なにが起きている?」


 お巡りさんの、絞り出すような声での問い掛けに、オレは「心身喪失状態です」と辛うじて返答した。

 大男が二人がかりでうつぶせに地面に押さえつけていても、ハイブリッド体は全身を蛇のようにくねらせ、激しい抵抗を見せていたのだ。


「薬物か?」

 お巡りさんも、今は遠慮会釈なく糸石さんの腰に乗り、バタつく両足をアスファルトに押し付けている。

 相手の姿が女であろうと、手加減ができるような状況ではない。


「信じてもらないでしょうが」

 オレはハイブリッド体の両腕を掴み、背中にし掛かってなんとか動きを封じていた。

「生霊憑きですッ」


「生霊?!」

 お巡りさんが頓狂な声をあげた。

「今の時代に、そんなモノが……キミ」


 その瞬間、封じていたハイブリッド体の腕の力が、微妙に緩んだ。


「逃げる!」と小林が叫んだが、オレは手を放して既に立ち上がっていた。


 両腕を水平に広げ、バレエダンサーのイメージで、爪先を軸に全身を回転させる。

 オレの指先一本、爪一枚だけでも生霊を捉えることが出来れば――物理的質量を持たない相手だ――逃げ腰の敵に追い打ちをかけることが出来る……はず!


「お見事」と小林が拍手した。

「生霊、自転車の手前まで殴り飛ばされました。のびてます」



 お巡りさんが警察無線で応援と救急車を呼び、オレは腕に巻いていたスーツの上着を広げると、倒れたままの糸石さんの下半身に被せた。


 彼女、生霊から解放されると同時に失神状態になり、失禁してしまっていたからだ。

 クリーニングから戻って来たばかりのスーツが、いきなり他人の尿まみれになってしまって泣きたくなるが、紳士の嗜みとして見て見ぬふりも出来まい。


 小林は、と見ると、ようよう目を覚ました今川さんと一緒に、自転車の近くにしゃがんでいた。

「ここ、に倒れているの?」

と何も無い路上を、今川さんが喰い付き気味に指先で突っつき

「今、今川さんが指を差し込んでいるのが、ちょうど生霊の下乳あたりですねぇ」

と小林が、妙に真面目な声で解説しているのが聞こえた。


 連絡を終えたお巡りさんが「上には、見たまま・聞いたまま・体験したままの報告を上げるが」と帽子を脱いで頭を掻き

「信じてもらえるかどうか。書き直しを命じられるかも知れん」

とタメ息を吐いた。

「指が折れても顔色ひとつ変えず、平然と向かって来るなど……薬物でもヤッてない限り有り得ないが」


「血液検査か尿検査を、彼女、受けることになるんでしょうけど」

とオレもタメ息で返す。

「次のボーナス、全額賭けてもいいです。何も出ないでしょうね」


「その賭けには乗らないよ」とお巡りさん。

「負け確実な勝負をする馬鹿なんていないだろ。……その上、公務員だし賭け事は御法度だ」

 そして”そこに伸びているはず”の生霊の方向をアゴで指し

「どうしたものかね?」

とオレに訊いてきた。

「手錠をかける事も出来んし、な」


 オレとしても「出来ることは何も無いでしょうねぇ」と答えるしか無かった。

「視る事が出来るのは小林だけ。そして物理的影響を与えられるのが私だけ、みたいですから。未来永劫、上に乗っかって押さえてろ、なんて言われても無理です。一介のサラリーマンには」


「そうだよなあ」とお巡りさんが制帽を被り直した。

 そして携帯を取り出し

「毎年署員一同が、年始の参拝に行く神社の禰宜ねぎに、電話してみるか」

とアドレス帳を調べはじめた。

「緊急事態だと協力要請しても、応じてくれるかどうかは分からんが」



 救急車が到着し、糸石さんがストレッチャーに載せられた。

 救急病院への付き添いには、今川さんが行ってくれることになった。


 小林はオレの汚れ上着を手にして

「”脱塩”しておきますね」

と一旦、自室に戻った。


 どうせ土汚れになった下も含めて水洗いクリーニングに出すから、と言ったのだが

「まあまあ」

と押し切られてしまったのだ。


 一方オレは、小林から指示された位置に体育座りをして、路上の生霊を封じていた。

 パトカーや野次馬が集まって来ている中、なかなかにバツの悪い恰好である。

 深刻そうな表情をするのもアレだし、逆に注目を集めてヘラヘラしているのも変なので、少しだけネクタイを緩めてから鑑識作業を出来るだけ無表情に眺めているように努める。


 ただ一応、生霊なら尻に敷いているはずなのだが、『霊体』なるモノを介していたとしても実体は何も無いわけだから、当然のように地面は硬く、そして痛い。

 小林に「スーツの洗濯はいいから、クッションか座布団、せめて厚手のタオルを貸してくれ」と頼んでおけば良かった。


 一緒にハイブリッド体を制圧したお巡りさんは、交通規制で忙しくなる前に、一度は神社に電話を入れたのだけれども、留守電だった。

 ただ警察のほうで、特別捜査協力者なる人物を現場に急派してくれる事になったのだとか。

『特別』とか『協力者』だとか、胡乱うろんかつ謎めいた響きで、あまりお近付きに成りたくはない感じではあるのだけれど、この体育座りでの晒し者状況から解放してもらえるのなら、来てくれるのがリトル・グレイなり安倍晴明なりでも大歓迎せざるを得まい。


 警官隊によって規制線が張られ、野次馬が遠ざけられたタイミングで、赤色灯を灯しただけでサイレンは鳴らさず……なんと言うか……妙にヒッソリとした雰囲気の覆面パト(黒セダン)が到着し、後部座席から黒のビジネススーツ姿のヒョロリとした優男やさおとこが、無駄の無い身のこなしで降りて来た。


 170㎝弱くらいと決して大柄ではないし、威圧的な態度でもないが、存在感がある。

 夜なのにサングラス着用、というのが場違いな空気感をもたらしているせいか。

 この人物が特別協力者なのだろうか?


 優男は「ツマショウジさんですね? 対馬小路つましょうじかおるさん」と見た目通りの優し気な声で、オレに確認を取ってきた。

「私は女原みょうばるかおる。警部職を奉職しています」


 県警の警部さんだったのか!

 まだ若い(オレなんかより若く見える)から、ドラマでよく観る『キャリア組エリート』って立場なんだろう。


 女原警部は右手を差し出し「同じカオル仲間ということで、どうぞ宜しく」と握手を求めてきた。

「対馬小路さんが『行使者こうししゃ』の能力をお持ちなんですね」


 オレは体育座りのまま握手に応じ「対馬小路です」と返答した。

「ただ、その……単語の意味が分からなくて。行使者っていうのは」


『なんなのでしょうか?』というオレの質問の後半に被せるように(あるいは先回りするように)、警部は

「霊体に対して、物理的チカラで対処できるスキル保持者の総称と、申し上げたら分かっていただけますでしょうか?」

と教えてくれた。

 第一印象とは異なり、割と”せっかち”な性格のようだ。

 その上、スキル保持者とか! ラノベ、読みすぎなんじゃあ……。


 オレの表情を読んだのか、警部は「ああ、せっかちなのは私ではありません」と弁解した。

「車で待っている特別捜査協力者が、たぶん痺れを切らしていると思いましてね」


 そして覆面パトに向かって

「見た目と違って、至極しごく穏やかそうなヒトですよ!」

と朗らかに呼びかけた。



 出て来たのは尼削ぎの黒髪に紺のブレザー、グレーのパンツという女子高校生。

 いや、女子高校生と決まったわけではないから、制服女子高校生風の人物だった。

 スカートではなくズボンというのは、近年の流行りなんだろう。


 美形と言って良い整った顔立ちなんだが、ぐわっとまなこを見開いて睨み付けてくる表情が怖い。


 尼削ぎ女子は腕を組み、見下すようにオレとオレの尻の下をしげしげと観察すると

「昨日今日に悪霊化したモノではないですね」

と見た目とは裏腹の渋いハスキーボイスで女原警部に告げた。

「きわめて性質たちの悪い、通り悪魔、です」


 通り悪魔。あるいは通り魔。

 街を漂いながら獲物を探し、心に隙の有る人間を見つけると憑りついて、凶悪犯罪を起こさせるという悪霊。


 ただ、確かに糸石さんは霊に憑りつかれて凶暴化はしたが、それは匿名の通り悪魔ではなく、氏素性のハッキリとした生霊のせるところだったはず。


 事の経緯を知るオレとしては、この特別捜査協力者らしい尼削ぎ女子の解釈より、小林の見立ての方を信じる。


 すると尼削ぎ女子から

「御不満そうですね、行使者さん?」

と鼻で嗤われてしまった。

「事件の裏側まで全てを見抜けなかったのは、お仲間の『観測者』さんが、スキル保持者としてまだまだ未熟だから、なんですよ」



「私は”相棒”の見立ての方を信じます。特別捜査協力者さん」とオレは、慇懃無礼いんぎんぶれいとは受け取られない程度に丁寧な口調で、怖い顔の尼削ぎ女子に告げた。

「その方が、一連の平仄ひょうそくが合っているように思えるからです。どの程度、貴女あなたが事件の流れに通暁つうぎょうされているのかは存じませんが」


 口答くちごたえをされて怒り狂うか、と警戒したが、尼削ぎ女子は

篤子あつこ、と呼んで下さい。堅苦しい肩書ではなく」

と硬い表情を崩し、破顔一笑、まるで修学旅行中の女子中学生のような良い笑顔になった。

「心を許した方へは、信頼のお厚いこと」


土御門つちみかど篤子様だ」と女原警部が、さりげなく教えてくれたが、オレは土御門家が何たるかを知らない。

 ただ、安倍晴明の子孫を名乗る系譜だったかな? という伝奇小説的ボンヤリとした聞きかじりの記憶が有ったような無いような……。


 しかしここで「知らんです」と言うのも角が立つだろうから

「たしか御先祖に、有名な陰陽師がおられる土御門御一門の?」

と記憶の古池を総ざらいして驚いてみせた。

「特撮映画で観た記憶があります。帝都物語だったか陰陽師だったか」


「どちらもエンタメ作品じゃないですか」と篤子女史は顔の前で小さく手を振ったが、まんざらでもないという得意気な表情。

「もっとも、女原警部も初めてお会いした時、ちょうど同じことをおっしゃってましたけど」


 ……ふむ。

 キャリア組のエリート警部殿も、当初はオレと同程度の認識しか無かったってことか。

 だったら別に、無知を恥ずかしがらなくても良い程度の非常識的基礎知識ってことだ。機械屋であるオレの専門外の世界の事案なんだし。


「こういった特殊な案件に造詣ぞうけいが深く、幼いころから特殊な訓練を受けておられる方で」

と『特殊』連発で警部の説明が続く。

「警察としても、科学的に説明のつかない不可能犯罪事案に、特殊助言者としてご協力いただいているんですよ」


 この場合の『特殊』っていう接頭語は、……ほら、アレだ。

 怪獣図鑑の怪獣解剖図にある、火を吐いたり毒ガスを噴射するための原料が詰まっている特殊ナントカ袋とか特殊ナントカ嚢と同じ括りであろう。


「今回、透明人間による殴打暴行としか思えない不可解な事件が起きまして」

と篤子女史が警部の説明を聞き継ぐ。

「不可能犯罪として、協力の要請があったんです」


 なるほど。

 オレがアパートの前で、生霊を突破した時の出来事か。

 篤子女史は、生霊の発出主のほうから、事件に関わったというわけだ。


「やったのは私です」とオレは素直に白状した。今さら隠し立てをしても仕方があるまい。

 自首しておいたほうがマシだったか。


 けれど警部が「対馬小路さん。アナタ、透明人間になる能力スキルもお持ちなんですか?」と苦笑した。

「しかも現場不在証明アリバイを証明する複数の証言・証拠があるというのに。事件の起きた部屋から遠く離れた場所を歩いた”だけ”の善意の第三者に罪を問うたりしたら、それこそ現在の犯罪捜査や裁判が完全に破綻してしまうんですよ。社会維持と法体系にとって、極めて身勝手で迷惑な自白ですね。混乱状態における目撃者の世迷い事として、受け取っておきます。しからず」


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