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時は流れるままに 9

「要さん……」 

 青白い顔をして誠はハンガーの前で泣きそうな顔で要を見つめていた。要、カウラ、アイシャとの昨日の飲み会。いつものようにおもちゃにされた誠は泥酔して全裸になっているところをアイシャに写真に撮られて朝その姿を見せ付けられていた。

「何のことかねえ」 

 とぼける要に賛同するように頷くアイシャ。カウラは諦めたように視線をハンガーの中に向けた。

「スミス大尉」 

 気がついたようにカウラが叫んだ。ハンガーで呆然と中に並ぶ05式とM10を見上げている大柄の男、ロナルド・J・スミス特務大尉がぼんやりと立っている。振り向いた彼は少し弱ったような顔で笑いかけてくる。

「やあ、いつも仲がいいんだね……」 

 何か言いたげな瞳に誠達は複雑な気持ちになる。

「今回のことは……」 

 カウラの言葉に力無く笑うロナルド。誠はそのまま近づこうとするが思い切り要に引っ張られてよろける。

「何するんですか!」 

 思わずそう言い掛けて口を要にふさがれた誠。その耳にアイシャが口を寄せる。

「下手に励まそうなんて考えない方がいいわよ!地雷を踏むのは面倒でしょ!」 

 そこまで聞いて誠はロナルドの休暇を切り上げての原隊復帰が婚約を破棄されたことがきっかけだったことを思い出した。そのことを思い出すと二日酔いでぼんやりした意識が次第に回復して背筋に寒いものが走るのを感じた誠。

「いいねえ、君らは……」 

 冷めた笑いを浮かべた後大きくため息をつくロナルド。誠はそのまま要に引きずられて事務所に向かう階段へと連れて行かれる。何か声をかけようとしていたカウラだが、そちらもアイシャに耳打ちされてロナルドとの会話を諦めて誠達のところに連れてこられた。

「きっついわ。マジで。どうするの?」 

 アイシャはそう言うと呆然と勤務服姿で整備の邪魔になっていることにも気づかずにアサルト・モジュールを見上げているロナルドを指差した。

「知るかよ!それよりシャムや楓が怖いな。あいつら空気を読む気はねえからな。絶対地雷踏むぜ」 

「ひどいな!地雷なんか踏まないよ!」 

「わあ!」 

 要の後ろからシャムの大声が響いて驚いた誠がのけぞる。猫耳が揺れる、黒いショートカットがその下で冷たい風になびく。

「声をかけるなら先に知らせろ!」 

 さすがにいきなり声をかけられて驚いたように要がシャムを怒鳴りつけた。

「え?だって私ずっとここにいたよ」 

 すでに勤務服に着替えているシャムの頭には猫耳があるのはいつものことだった。それを見ていた誠の足元で何かが動く。それは小山のようなシャムの愛亀の亀吉だった。魚屋の二階に下宿しているシャムの説明では床が抜けると言われて隊に運んできたと言うことらしい。

 潤んだ瞳で誠を見上げる亀吉。誠はその甲羅に手を伸ばすが何か気に入らないのかゴツンと誠の弁慶の泣き所に体当たりをしてきた。

「うっ!」 

 そのまま打撃を受けた足を押さえてかがみこむ誠。

「ざまあ」 

 要の無情な言葉に誠は痛みを抑えながらタレ目を見つめた。

「じゃあ私は……」 

 アイシャの言葉に手を伸ばす要。

「逃げるなよ!」 

 階段を登ろうとするアイシャを要が羽交い絞めにした。そんな要の気持ちは誠にも予想が出来た。

 アイシャは運行部の所属、保安隊の運用艦『高雄』の副長である。このまま階段を登り、更衣室で勤務服に着替えて一階の運行部の部屋に入れば憂鬱を体現しているロナルドの顔を一日見なくても仕事になる。

 だが、要にカウラ、誠はロナルドと同じ実働部隊である。端末を見ながら時折ため息をついたり、三人で資料の交換のために声をかけるところをじっとうらやむような目で一日中見られるのはたまったものではなかった。

「オメエ、アタシ等と一緒にいろ!な?」 

 哀願するように見上げる要。だが要はアイシャの性格を忘れていた。自分が心理的に優位に立ったとわかるとアイシャの顔が満面の笑みに満たされる。

「私だけでいいの?サラやパーラも連れてきてあげましょうか?」 

 そんな得意げな口調にさすがのカウラも言葉が無かった。明らかに挑戦的なアイシャの言葉。それに要はまんまと乗せられていく。

「出来れば入れ替わりで来てくれれば……」 

 しかたなくカウラもそう言ってしまった。ハンガーの中央に一人で立っているロナルド。技術部の兵士達は気を使ってわざと周りを避けて通っている。

「でも、アイシャは仕事があるんじゃないの?それにいつも要ちゃんはアイシャちゃんが来ると怒るじゃない」 

 まるでわかっていないシャム。要はその頭にチョップをした。

「痛い!」 

 その言葉がきっかけになったように今度は亀吉の甲羅が要を攻撃する。だが、サイボーグの人工筋肉と新素材の骨格のおかげで逆に亀吉が驚いて逃げ始めた。

「あれ?どうしたの?」 

 そのままハンガーを歩いていく亀吉。その後ろをついていくシャム。その先にはぼんやりと今度はグラウンドに目を向けていたロナルドがいた。

「ヤバ!行くぞ」 

 要はそう言うと階段を駆け上る。誠とアイシャもシャムが天然会話でロナルドを苦笑させてさらに落ち込む光景を想像して要のあとに続いた。

「ああ、お姉さま」 

 階段を登りきる。わざとらしく要に声をかける為に待ち構えていた楓を無視して要は更衣室を目指す。ガラス張りの管理部の部屋では経理や総務の女性隊員が囁きあいながらハンガーの中央に立つロナルドを眺めているのが目に入った。

「触らぬ神に祟りなしなのにねえ」 

 アイシャはそう言うと本気で廊下を走っていく。

「こらこら、廊下は走っちゃだめだよー」 

 いつもの抜けた表情の嵯峨の言葉も無視して四人は駆けていく。

「失礼します!」 

 要達にそう言って誠は男子更衣室に飛び込んだ。そこには珍しい組み合わせの面々が着替えを済ませて腕組みをしながら飛び込んでくる誠を迎え入れた。

「どうだった?」 

 ロッカーに挟まれた中央の椅子に腰掛けていたのは、前管理部部長で現在は同盟軍教導部隊の設立に奔走しているはずの人物だった。アブドゥール・シャー・シン大尉。すでに来年度の新部隊開設の時には少佐に昇格するのが確定していた。

「どうって言われても……」 

 そう答える誠をシンの隣で見ているのは背広組で着替える必要の無いはずの現管理部部長高梨渉参事官だった。その隣にはため息をつきながら誠から目をそらす島田。そして彼とは仲が悪いはずの管理部経理課主任の菰田邦弘曹長までもが付き合うようにため息をついている。

「シャムが余計なことしなきゃ良いんだがなあ」 

 シンの言葉に誠は最後にロナルドを見た光景を思い出した。

「ああ、それなら今亀吉を追いかけてハンガーに……」 

「おいおいおい!まずいぞ」 

 誠の言葉に口ひげをひねるシン。同じように腕組みしている菰田の貧乏ゆすりが続く。

「でも大丈夫なんじゃないですか?ナンバルゲニア中尉には人を元気にする力がありますから」 

 そう言ってみて誠は後悔した。絶望的表情を浮かべるシン。彼がシャムとは遼南内戦中からすでに十四年の付き合いがあることを思い出した。

「確かに荒療治としてはそれもありかも知れないがな。実は今回の休暇に入る前に電話を貰ってね。凄い自慢話とか婚約者の写真とか送られて大変だったんだぜ」 

 シンの言葉でロナルドの浮かれぶりが想像できた。めったに私的なことを口にしないロナルドがそれだけ入れ込んでいたと言うことになれば、反動での彼の落ち込み方が想像に余りある。

「岡部達はあさって東都空港に到着の予定だからな。ともかくそれまでは出来るだけ静かに接することにしよう」 

 高梨の発案に全員が頷く。

「切れる、分かれるは禁止と言うことで」 

「ああ、結婚式、ケーキ、チャペルなんて言葉も危ないな」 

 菰田と島田の言葉に全員が頷く。その様子を見た高梨が腕の端末を起動させた。

「やっぱり向こうでもその話題で持ちきりだな」 

 スクロールしていくテキスト画面にはリアナの司会で対ロナルド対策を立てている隣の女子更衣室の会議の模様が流れている。

「特に……」 

 シンの視線が誠に向けられる。『ベンガルタイガー』の異名のエースパイロットの視線に耐えかねて逸らした先には島田、振り返れば菰田のにらむような視線がある。

「僕ですか?」 

 誠の言葉に全員が大きく頷いた。

「貴様はモテモテオーラが出てるからな」 

 明らかに殺意を込めた視線が菰田から投げかけられて誠は当惑した。それに同調するように島田が頷く。反論したい誠だが、そんなことが出来る雰囲気ではなかった。

「とりあえず、着替えろ」 

 そう言って誠のロッカーの前に立っていた高梨が場所を空ける。誠はすぐに勤務服を取り出してジャンバーを脱いだ。

「実は、これは私のせいでもあるんだが……」 

 そう言って隣に立っている高梨が誠を見上げる。全員の視線に迫られるようにして高梨は言葉を繋げた。

「スミス大尉が帰国する時、出来ればお前が西園寺かベルガー、クラウゼとくっついた時には仲人をしてくれって話題を振ってみたんだよ」 

「あのー高梨部長。それは……」 

 ネクタイを締める手を止めて嵯峨の腹違いの弟の割には小柄な高梨を見下ろした。

「私もこうなるとは思っていないからな」 

 そう言うとネクタイを軽く締めて愛想笑いを浮かべる高梨。その話はすでに聞いていたのだろうか、シン達は深刻そうな顔で誠を見つめる。誠はズボンを脱いで素早く勤務服のスラックスを履いて、ベルトを締めてからため息をつく。

「でも覚えていないんじゃないですか?そんなこと」 

 誠はようやくそう言うのが精一杯だった。悪いことの前に言われたことは意外と忘れないことは誠も身をもって知っている。左肩が壊れる前に野球部の部室に挨拶に来たスコアラーの軽口を今でも完全に再現できるくらいだった。

「それを祈るばかりだな。だが、彼も大人だ。こちらが気を使っているとわかれば安心してくれるだろう」 

 シンはそう言ってみるがまるで自分の言葉に自信を持っていないのは明らかだった。島田も菰田も明らかにしらけた雰囲気の笑顔を浮かべている。

「わかったな!取り合えず刺激するような単語は吐くな。それと西園寺さん達とはできるだけ距離を取れ」 

 菰田の言葉に頷く誠だが、小隊長であるカウラや隣の席の要と会話をしないことなど不可能に近いことだった。

『班長!目標が動きだしました』 

 西の声が島田の端末越しに響く。

「それじゃあ幸運を祈る」 

 着替え終わった誠の肩を叩くと一番先に出て行くシン。高梨や島田、菰田は同情するような視線を投げかけながら出て行った。

「僕が仕切るの?」 

 誠は不安に支配されながら廊下へと出た。

「よう……」 

 そこには要とカウラが立っていた。明らかにぎこちない二人。アイシャはたぶんリアナに連れて行かれたのだろう。誠は廊下の向こうで振り返って彼を観察している先輩達の視線を浴びながら呆然としていた。

「まあとりあえず部屋に行くか」 

 カウラはそう言うと廊下を進んでいく。頭の後ろに手を当ててめんどくさそうにそれに続く要。誠はただ愛想笑いを浮かべて二人から少し距離を置いて続く。

「よう、なんだか忙しそうだな」 

 声をかけてきたのは部隊長の嵯峨。全く無関心を装っているその顔の下で何を考えているのかは誠の理解の範疇を超えていた。

「叔父貴は知ってたのか?」 

「え?何を」 

 要の言葉に首をひねる嵯峨。だが誠もカウラも彼がロナルドの婚約破棄に関して多くの情報を持っているのだろうと想像していた。要もただニヤニヤとした笑みをすぐに回復する叔父の顔を見て諦めて再び歩き出した。

「人間関係は大事だよー。がんばってねー」 

 無責任に手を振って隊長室に戻る嵯峨。その語調がさらに気分を押し下げる。

「叔父貴の野郎。遊んでやがる」 

「まあ、あの人はああいう人だからな」 

 囁きあう要とカウラ。そして二人の前に実働部隊の詰め所の扉が立ちはだかる。二人は振り向くと誠に手招きした。

「え?」 

 不思議そうに二人に近づく誠だが、先ほどのシンの忠告を思い出して少し下がった。

「男だろ?先頭はお前だ」 

「でも近づいていると……」 

 誠の言葉にはたと気づいた要。カウラはドアから離れて誠の後ろにつける。そして二人はハンドサインで誠に部屋への突入を命じた。

「じゃあ、お前が入って3分後に私達が入る。それなら問題ないだろ」 

 そうカウラに言われてしまうと逆らうことは出来ない。頭を掻きながら誠は実働部隊の詰め所に入った。

「おはようございます!」 

 さわやかに。そう自分に言い聞かせて部屋を眺めてみる。実働部隊の部隊長の席にはちょこんとランが座って端末の画面を覗きこんでいる。隣の席に吉田はいなかった。当然シャムも、その机の隣のケージで昼寝をしているはずの亀吉の姿も無い。

 第三小隊の机は空。そしてその隣の第四小隊の小隊長の椅子にはぼんやりと片肘をついて画面を眺めているロナルドの姿があった。

「おせーぞ!」 

 そう言って見上げてくるランだが。その顔は半分泣きが入っていた。そしてちらりと彼女はロナルドの方に目をやってすぐにうつむく。

「すいません……シン大尉に呼ばれてたもので」 

「言い訳にはならねーよ。とっとと端末起動しろ。それとなあ、先日の訓練の報告書。再提出だ」 

 ランの言葉がとりあえず仕事をしろと言う内容なのでほっとしながら誠は自分の席にたどり着く。部屋に入ってから誠が端末の電源を入れるまでの間、ロナルドは三回ため息をついていた。目から上だけを端末の上から見ることが出来る小さなランに目をやると、明らかに疲れきった表情をしていた。

「遅くなりました!」 

 今度はカウラが入ってきた。ランはすぐに早く席に着けというハンドサインを送る。せかせかと急ぎ足で自分の席に着いたカウラも端末を起動させる。そしてまた大きくロナルドがため息をついた。

『おい!神前。男だろ!何とかしろ!』 

 画面にランからのコメントが入る。

『無理ですよ!』 

 誠はセキュリティーを確認した後、ランに限定してコメントを送る。そしてランを見てみると元々にらみつけるような目をしている彼女の目がさらに厳しくなる。

『しょうがないじゃないですか!シン大尉からできるだけ目立つなと言われてるんですから』 

 コメントを送ってランを見てみると納得したように頷いている。

「おあよーんす」 

 いつものだれた調子を装って要が扉を開く。彼女の声に反応してロナルドが顔を上げた。青い瞳に見つめられた要の表情が凍りつくのが誠にも見える。そのまますり足で誠の席の隣の自分のデスクにつくとすぐに端末からコードを伸ばして首の後ろのジャックに差し込む。

『おい!やっぱきついぞ。これ』 

 すぐさま要のコメントが誠の端末の画面に現れる。誠ももう反応するのも億劫になり、とりあえず閉所戦闘訓練の報告書にランから指示された訂正指示にそって書き直す作業に入った。

「おはようございます……あれ、静かですね」 

 現れたのは嵯峨楓。第三小隊の隊長らしく渡辺かなめとアン・ナン・パク。二人を従えて悠々と自分達の席に着いた。

『大丈夫か?楓はああ見えて結構無神経だぞ』 

 今度はカウラのコメントが誠の作業中の画面に浮かんだ。

『あの人は西園寺さんの担当でしょ?』 

『いつアタシがあの僕っ娘の担当になったんだ?』 

 コメントをしながら要の視線が自分に突き立ってくるのを見て誠は頭を掻いた。

「おい!神前曹長!」 

 明らかに冴えない表情の要を見つけた楓は矛先を誠に向けてきた。

「貴様!お姉さまに何かしたんじゃないのか?」 

 楓はそのまま真っ直ぐ誠のところに向かってくる。

「してませんよ!何もしてません!」 

「そんなはずは無い!お姉さまの顔を見てみろ!誰かに振られて傷ついているみたいじゃないか!どうせお姉さまを捨てて尻軽アイシャの……」 

 そこまで言ったところで立ち上がった要の腕が楓の口を押さえつける。瞬時に楓の表情が怒りから恍惚とした甘いものへと変化する。それを見て苦笑しながら要は楓を抱えて部屋から出て行った。

「ふう」 

 大きなロナルドのため息が沈黙した部屋にこだまする。

『やばいですよ!クバルカ中佐!』 

 誠はすぐにランにコメントを送る。だがランは頭を抱えてじっとしているだけだった。取残された渡辺とアンは、すぐにどんよりとした空気を感じ取った。ロナルドがうつむいてため息の準備をしている。それを察したように二人はすぐに自分の席へと向かう。

「ああ、神前。この前の豊北線の脱線事故の時の現場写真はどのフォルダーに入っているんだ?」 

 気分を変えようとカウラが誠に言葉をかけてきた。ぼんやりと正面を見つめて脱力しているロナルドをちらりと見た誠。

「ええ、確か……ケーキの形のアイコンを付けて……」 

 誠は口をつぐむ。そして自分を悲しそうな目で見ているロナルドと視線が合うのを感じた。

『馬鹿!ケーキなんて言ったら』 

『大丈夫ですよ、スミスさんはアメリカの方ですから結婚とケーキが頭の中でつながるなんてことはたぶんないですから』 

 渡辺からのコメント。だが、明らかにカウラに目をやるロナルドの視線は死んだようなうつろな光を放っている。

『じゃあ、あの視線はなんなんだよ!』 

 ランの怒りのコメント。渡辺とアンは頭を掻いて上官を見つめる。

「戻りました……」 

 要が落ち込んでいる楓をつれて部屋に戻ってくる。楓はあからさまに哀れむような視線でロナルドを見た。

『わかってないんじゃないですか!楓さんは!』 

『そんなこと私に言わないでください!』 

 渡辺の弁明もむなしく楓はそのまま真っ直ぐにロナルドのところに歩いていった。

「今回は……ご愁傷様です」 

「馬鹿野郎!」 

 楓の言葉を聞くとさすがのランも慌てて持っていたペンを楓の後頭部に投げつけた。

 急に立ち上がったロナルドの表情の死んだ顔に、思わず誠はのけぞりそうになった。要の頬がひくついている。カウラは目を逸らして端末の画面を凝視している。そしてこの場を収める責任のあるランは泣きそうな顔でロナルドを見つめていた。

「みんな。いいんだよ、そんなに気を使わなくても。人生いろんなことがあるものさ」 

 そう言って笑うロナルド。どう見ても気を使わなくて良いと言うようには見えないその顔に全員が引きつったような笑みを浮かべていた。

「すみません!」 

「お邪魔します!」 

 そう言って現れたのは島田と小火器管理主任のキム・ジュンヒ少尉だった。キムの手には紙箱が握られている。

「スミス大尉」 

「私は特務大尉だ」 

 こめかみを引きつらしてキムの言葉を訂正するスミス。それを軽い笑顔で耐え切ったキムはそのままロナルドの机に箱を置いて蓋を開いた。

「頼まれていたナインティーイレブンのロングセフティーの組みつけが終わったんで届けに来たんですけど」 

 そう言うとキムは箱の中からロナルドの愛銃を取り出した。ゴツイ大型拳銃ガバメントのクローン。それを見るとロナルドは口元に少しだけの笑みを浮かべて受け取った。何度かかざしてみた後、マガジンを抜いて重さを確かめるようなしぐさをしてみせる。

「バランスが変わったね」 

 ようやく死んだ目に光が入った。

「まあレールにライトを付けると若干前が重くなると言ってたじゃないですか。そこでスライドの前の部分の肉を取って若干バランスを後ろに持っていったんですよ。どうです?」 

 キムの説明を聞いてロナルドは銃を何度か握りなおした後、静かに箱に戻した。

『駄目か?やっぱり駄目か?』 

 要のコメントが誠の端末の画面に表示されたとき、キムの後ろから島田がロナルドの前に顔を出す。

「特務大尉。それと例のブツ。到着しているんですけど……」 

 その言葉はまるで魔法だった。キムの銃を受け取って少し落ち着いたロナルドの表情がぱっと明るく変わる。

「例のブツってオリジナルのシリンダーヘッドか?」 

 シリンダーヘッド。ロナルドはガソリン車の規制の少ない東和勤務になってすっかりクラシカルなガソリン車改造の趣味にはまり込んでいた。二輪車で同じガソリン車マニアの島田とは良いコンビと言え、ロナルドが配属数週間後には手に入れていた初代ランサーエボリューションのレストアをしたのも島田だった。

「オリジナルじゃあ無いんですが、無理なボアアップ改造されてたこれまでのとはかなり違いますよ。エンジンも無茶が無くなって良い感じに吹き上がりますし」 

 島田のこの言葉が決定打だった。ロナルドはそのまま島田の肩を叩く。

「じゃあ、行こう。クバルカ中佐!ちょっと駐車場まで行って来ますから!」 

 導かれるようにして島田についていくロナルド。彼の姿がドアに隠れたとき、全員が大きなため息を着いた。

「キム。お手柄だな」 

 ランはそう言いながら隊長の椅子に座りなおした。軽く手を上げてキムが出て行く。

「助かったー」 

 要は大きく安堵の息をつく。カウラもようやく肩の荷が下りたというように伸びをしてみせた。

 安堵の空気が室内を包む。要は思わずポケットからタバコを取り出している。楓はぼんやりと正面を見つめ、渡辺とアンは顔を見合わせて微笑んでいた。

「ああ、ちょっと待ってください……カウラ!」 

 先ほどまでの沈痛な面持ちがすっかり明るい少女のものとなったランが、カウラに向かって声をかけた。

 椅子に浅く座ってノンビリとしていたカウラがそんなランに目を向ける。

「私ですか?」 

「おう!東都警察の第三機動隊の隊長さんからご指名の通信だ」 

 そう言ってランは画面を切り替える。誠は思わず隣のカウラの画面を覗き見ていた。見覚えのあるライトブルーのショートカットの女性が映っていた。

「カウラ、先日は久しぶりだったな」 

 艶のある声に誠の耳に響いた。彼の目の先に要のタレ目が浮かんでいたのですぐに誠は下を向く。

「ああ、エルマも元気そうだな」 

 あまりにあっさりとした挨拶に茶々を入れようと顔を出していた要は毒気が抜かれたように呆然のカウラを見つめていた。

「同期で現在稼働中の連中にはなかなか出会えなくて……誰か仕切る奴が居れば会合でも持ちたいとは思うんだが」 

「難しいな。それぞれ忙しいだろうし」 

 どうにも硬い言葉が飛び交う様に誠もさすがに首を傾げたくなっていた。人造人間でも稼働時間の長いアイシャ達と比べると確かにぎこちなさが見て取れた。特に同じ境遇だからなのだろう。カウラは誠達と接するときよりもさらに堅苦しい会話を展開していた。

「そうだ、実はこれから豊川の交通機動隊に用事があって近くまで行くんだが……例の貴様の部下達。面白そうだから紹介してくれないだろうか?」 

 誠と要がエルマの一言に顔を見合わせる。

「ああ」 

「隊長命令ならば!」 

 がちがちとロボットがするような敬礼をしておどけてみせる要。誠も笑顔で頷いた。

「どうやら大丈夫なようだ。それともしかするとおまけがついてくるかも知れないから店は私の指定したところでいいか?」 

 そう言うとエルマに初めて自然な笑顔が浮かんだ。

「そうしてくれ。どうしてもそちらの地理は疎いからな、では後で」 

 敬礼をしたエルマの姿が消える。要は口を押さえて噴出すのを必死でこらえている。ランは困ったような笑みを浮かべてカウラを覗き見ている。

「カウラの知り合いか。今の時間に私用の電話……オメー等がやることじゃないな。何かあったと考えるべきだろうな」 

 そんなランの言葉に誠も少しばかりエルマと言う女性警察官の存在が気になり始めた。

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