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時は流れるままに 30

 朝食が終わると居間でお茶を片手にテレビを見て笑っていたアイシャが薫の洗い物を手伝っていてようやくコタツに足を入れようとしたカウラに声をかけた。

「誠ちゃん貸すわよ」 

 はじめ、その言葉の意味がわからず誠も要もただアイシャの顔をしばらく覗き込むばかりだったが、アイシャの呆れた顔にようやく意味がわかったと言うように、要が居間のテーブルの上に茶を置いて頷いた。

「まあ好きに弄り倒してもかまわねえよ……なんなら……」 

 そう言って口を押さえていやらしい目で誠を見つめる要。

「なんですか?それ」 

 誠の言葉にしばらく考えた後、カウラはコタツに入らずにそのまま立ち上がった。

「何時までに帰ればいいんだ?」 

 少し恥ずかしそうにそう言うと腕の時計を兼ねた端末を覗き込む。アイシャはうれしそうに左手にはめた端末を覗き込んでいる。

「今……8時……」 

「8時45分だろ?お前のはアナログか?」 

 要に怒鳴られて舌を出すアイシャ。誠は自分の意思とは関係なく話が進んでいく状況に困惑しながら座っていた。そのおろおろしている姿に大きくため息をつく要。

「エスコートするくらいの気概は……って無理か」 

「無理ってひどいですよ!」 

 誠は抗議するがだ黙ってじっと要に見つめられると次第に自信がなくなって行くのがわかりうつむく。

「まああれよ。誠ちゃんの昔よく行った場所とか、遊んだ場所とか案内するだけで良いと思うわよ。私達みたいな存在には無縁なことだもの」 

 そう言って紺色の髪を掻きあげるアイシャ。彼女の人造人間と言う宿命を思い出し誠は口を噤む。

「ああ、私も見たいな」 

 カウラの言葉に誠は彼女を見つめた。表情が乏しい彼女でも笑顔を浮かべることがある。そんなことを思い出させるような笑顔だった。

「大人の状態になるまで培養ポッドの中で育って知識も直接脳に焼き付けられたものしかない人間にはそう言う経験は貴重だから」 

 珍しく誠にもわかる助言をするアイシャ。要が起き上がって感心した目でアイシャを見つめる。

「おい、アイシャ……何か悪いものでも食べたのか?」 

「何言ってんのよ!今朝の朝食は要ちゃんと同じもの食べたじゃないの!」 

 そう叫ぶアイシャの言葉に納得しながら誠は立ち上がった。カウラは少し頬を赤く染めながら誠を見上げている。

「神前が良いなら私は……」 

 少しばかり動揺したようにカウラは目を伏せた。

「じゃあ、つまらない場所ですけど……」 

 そう言って誠は台所を覗き込む。うれしそうに鶏の腿肉を酒と醤油のタレに漬け込んでいる母、薫が振り返った。

「じゃあ行ってらっしゃい!」 

 誠は苦笑いを浮かべるとそのまま玄関に向かった。カウラも誠にひきつけられるように少し緊張しているような誠についていくことにした。

 誠が靴を履くのを見ながらカウラは庭を見つめていた。マキの生垣の上に広がるのは冬らしい空。風は昨日と同じく冷たい。

「じゃあ、行きましょう」 

 立ち上がった誠の視線の前にはカウラの引きつった笑顔があった。

 そのまま門をくぐって歩き出す誠。つぎはぎだらけの路地のアスファルトの上を所在無げにそんな誠についていくカウラ。下町の細い道を歩きながらカウラはしきりに周りを見回していた。

「やっぱりずいぶんと古い街なんだな、東都は」 

 感慨深げにつぶやいたカウラ。

「まあ、豊川みたいに先の大戦の特需の後に大きくなった都市とは違いますから」 

 自分でも教科書の受け売りのようなことを言っているなあ。そう思いながら苦笑いを浮かべる誠。東和共和国は第二次遼州戦争では、同じ日系文化圏の胡州帝国の参戦要求を最後まで拒否して中立を貫いた。遼州の主要国すべてが参戦した戦いに加わらず、ひたすら各国の発注する物資を提供した姿は『遼州の兵器庫』と勝利した国からも敗北した国からも揶揄されることになった。

 その急激な経済成長以前から東都の下町として栄えている東都浅間界隈の路地裏には古いものが多く残されていた。

「もうすぐ見えますよ」 

 カウラに歴史の講釈をしても逆に教えられるだけだと思いながら、誠は枯れ井戸の脇をすり抜け、人一人がようやく通れると言うような木造家屋の間を抜けて歩いた。

「なるほど、これか」 

 開けた場所に来て、カウラは感心したように目を見開いた。

 そこには公園があった。冬休みが始まったと言うことで少年野球の練習が行われている。

「北町ライガース。僕が野球を始めたときに入ったチームの練習ですよ」 

 誠の言葉に思わず彼を見上げるカウラ。そしてすぐに彼女は黒と白の縞のユニフォームの小学生達が守備練習を続けているのを見た。

「お前にもこう言う時期があったんだな」 

 走り回る少年少女を見ながら感慨深そうなカウラ。誠はカウラの着ているジャンバーが比較的薄手のような気がして自分の首に巻いているマフラーを彼女の首にかけた。

「おい!」 

 驚くカウラ。ここでかっこいい台詞でも言えればと思いながら、誠は何も言え無かった。そのままカウラから目を離して後輩達の練習を見ているふりをした。

「すまない」 

 カウラはそう言うと誠から受け取ったマフラーを自分の首に巻いた。

「でもこんな時期。私は知らないからな」 

 さびしそうなカウラの言葉。そっとカウラを見る誠。

「いや、そんな……お前の昔を教えてくれるのはうれしいんだ。こう言う思い出は私には無いからな。でも……」 

 カウラの言葉が揺らいで聞こえる。誠はそのまま公園のベンチに向かって歩き始める。カウラもぼんやりしていたがそんな誠を見て少し距離を置いて彼について歩いた。

 守備練習をしていた少年達が、ノックをしていた監督らしい女性に呼び集められるのが見える。走って外野からホームへ向かう少年達。その向こうに見えるブランコには中学生か高校生くらいの私服の女子の集団が手にジュースのボトルを持ちながらじゃれあっているのが見える。

「こう言うところで育ったのか、お前は」 

 カウラは誠がベンチに座るのを見ながら立ったまま公園を見回した。隣に見えるのは金属部品のプレス工場。そこの社長の息子が中学生の同級生だったことを思い出して、なんだか懐かしい気分に浸る誠。

「お前もいろいろ思い出すことがあるんだな。そんな顔をしているぞ」 

 そう言うとようやく好奇心を満たされたと言うように、カウラが誠の隣に腰掛けた。

「まあ、あの子供達の輪にいたのは事実ですけど……それでも目立たない子供でしたから」 

 少年野球の子供達がグラウンドに散る。どうやら紅白戦でも始めるらしい。

「目立たないと言う割には高校大学とずいぶんな活躍をしたらしいじゃないか」 

 皮肉るようなカウラの言葉に照れ笑いを浮かべる誠。秋の実業団大会でも優勝候補を相手に粘りのピッチングをして見せた誠を冷やかすような笑いを浮かべながらカウラは見つめていた。

「まあ、左利きだったのが良かったんでしょうね。中学までは控えばかりでしたが、高校だって弱小で知られた高校でしたから。部員が9人しかいなくてサッカー部とかからの助っ人で試合を成立させていたような感じでしたよ」 

「それで四回戦まで勝ち進んだんだろ?凄いじゃないか」 

 カウラに言われて誠は恥ずかしさにうつむいてしまった。正直、誠は褒められることには慣れていなかった。しかも相手はいつも模擬戦での判断ミスや提出書類の不備を指摘されているカウラである。

「まあ運が良かったんですよ」 

 そう言うと誠は立ち上がった。

「もう行くのか?」 

 驚いたようにカウラも立ち上がる。誠はつい考えも無く立ち上がってしまったことを悔いたが、ここでまたベンチに座るのも気が引けるような感じがしていた。

「じゃあ、懐かしい場所に行きましょう」 

 思いつきで誠は歩き始める。カウラは少しばかり不思議そうな顔で誠を見つめながら隣を歩いていく。常緑樹の生垣に囲まれた公園を抜けると、再び古びた家の間の狭い路地が続く。慣れていないカウラはその瞬時に変わる景色を見て誠の後ろをおっかなびっくり歩いてついてくる。

「どこに行くんだ?」 

「ええ、まあついてきてください」 

 誠はカウラの言葉で思い出を探してみようと、目の前の開けた国道に出るとそのまま北風に逆らうように歩き始めた。

「地下鉄か?」 

「ええ、ちょっと離れているんで」 

 狭い入り口の階段を降りながら誠についてくるカウラ。もしかしたら彼女は地下鉄に乗るのが初めてなのかもしれない。そう思いながらエレベータの昇降口の前の改札の機械に腕の端末をかざす。カウラもおっかなびっくり誠の真似をして改札を抜けた。

「ちょうど良いですね」 

「え?……あ!」 

 カウラが目の前に突然現れた銀色の地下鉄の車両に驚いたように反り返る。それを見て思わず誠は微笑んでいる自分に気づいた。

 止まった地下鉄の車両から吐き出される人々。見回してみるが乗り降りする客は明らかに少ない。それは昔からのことだった。

「三駅です」 

 そう言いながら誠はぼんやりと立っているカウラの手を引いた。車内の光景が昔と変わらない。なんとなく安心感のようなものが誠の心を包んでいた。

「かなり狭いんだな」 

 カーブの多い路線の為、豊川の街を走る東都中央線の通勤快速よりは明らかに一回り小さな車両。誠は苦笑いを浮かべながら空いていたシートに腰掛けた。

「まあ地下鉄ですから。他の線への乗り入れも無いですし」 

「そうか」 

 納得したように頷くカウラ。彼女はしばらくシートで揺られる誠の姿を前のつり革に手をかけて見下ろしていた。

「三駅程度なら立っていたほうが良いんじゃないのか?」 

「あ……そうかも知れませんね」 

 そう言うと思わず誠は立ち上がっていた。車両は早速急に右にカーブして加速を続ける。ゆらりと揺られているが、カウラはつり革につかまり緊張した面持ちで揺られていた。

「いいかげんどこに向かおうとしているのか言っても良いんじゃないか?」 

 カウラの言葉に誠はにやりと笑って見せた。

「僕の通ってた高校です。……大学はちょっと田舎にありましたから今日は行けそうに無いんで」 

「そうか」 

 うれしさと寂しさが混じったような表情のカウラ。

 彼女は確かに変わってきている。配属されてから半年。カウラの表情が増えていくのは誠にもうれしいことだった。それまでは単調な喜怒哀楽だけを映していた面差しに、複雑な感情の機微が見えるようになったのが自分のせいなら素敵なことだ。そんなことを思いながら早速減速を始めた地下鉄の外を見てみる。

 止まった電車の扉が開かれるこちらは国有鉄道との乗換駅。ドアが開けばほとんどガラガラの車内に買い物袋を下げた主婦や背広のビジネスマンが次々と乗り込んできては空いている席に腰掛ける。

「一気に混んで来たな」 

「これも昔からですよ」 

 そう言いながら閉まる扉を眺めるカウラの後頭部のエメラルドグリーンの髪を見つめる誠。

 再び電車が加速を始める。そしてまた急カーブに差し掛かる。

「都市計画がむちゃくちゃだったのか?こんなにカーブばかりだと効率が悪いだろうに」 

 つぶやくカウラの言葉にいつもの彼女らしい発想を感じて誠は微笑んでいた。

「でもまあ……」 

 カウラが何か言葉を飲み込むのを見た誠。ただ黙って何かをごまかすように頬を赤らめるカウラのしぐさに心引かれる誠だった。

 次の駅では人の動きは無かった。そしてまた動き出す車両。

「次の駅が神前の通っていた高校の最寄駅か……」 

 感慨深げなカウラ。誠はなぜか彼女を連れてきたことが非常に恥ずかしいことのように思えてうつむいた。

「どうした?」 

 エメラルドグリーンのポニーテールの長身で痩せ型の女性が立っている。誠も東和では大柄で通る体格なので、かなり回りの客の注目を集めていた。誠が先ほど座った席に腰掛けているピンクのカーデガンの上品そうな白髪の女性も、好奇心を抑えられないと言うようにちらちらと二人を見上げてきている。

 そして再び電車は減速を始めた。白い壁面照明の光が目に染みながら流れていく。誠は周りの視線を気にしながら出口への進路が開いているのを確認した。

「じゃあ、降りましょう」 

 電車が止まり扉が開く。誠についてカウラがドアを出て行こうとする。周りの男性客は惜しいものを逃したと言うような表情でカウラに視線を向けていた。

「やはり目立つかな。私の髪は」 

 ポツリとさびしそうにカウラは自分の髪を手にしながらそう言った。

「たぶんそれだけじゃ無いと思うんですけど……」 

「じゃあ何があるんだ?」 

 真剣な目つきで見上げてくるカウラ。その教科書で見たギリシャのアテナ像を思わせる面差しに、思わず誠は口を噤んでしまった。

「何でだ?言っても良いぞ。聞くから」 

 何も言えずに改札に向かう誠の後ろから声をかけてくるカウラ。誠は褒められるのも苦手だが、褒めるのも得意ではなかった。

 改札の機械は新しいものに交換されていたが、エレベータと階段の落書きや張り紙を消しては書かれと言う葛藤の末に曇りきってしまった壁面照明が懐かしい高校時代を思い出させる。誠は昔のような感覚で人がすれ違うのがやっとと言う狭い階段を上り始めた。

「これじゃあヨハンは通れないな」 

 部隊一の巨漢の名前を口にしたカウラの言葉に誠は頷いていた。

「この出口を出たらすぐですから」 

 そう言う言葉を口にしながら久しぶりの母校のグラウンドを想像して舞い上がる誠がいた。

 地上に出ると地下鉄の構内の暖かい空気が一瞬で吹き飛んでしまう。思わず襟に手をやる誠。カウラも首のマフラーを巻きなおした。そのしぐさに誠はどこか心引かれながら視線を合わせることも出来ずに歩き続ける。

「ここか……」 

 感慨深げにカウラは目の前のコンクリート製の建造物を見上げた。誠が生まれ育った街での受験可能な公立高校で、一応、最高レベルの高校だった。それなりの歴史を刻んできた建物にカウラは一瞬感動したような声を上げる。

「高校と言うと豊川にはいくつあったかな?」 

 突然そう言い出したカウラ。誠は指を折って数えようとした。

「まあいいか。それよりどこに連れて行きたいんだ?」 

 楽しそうな表情のカウラ。誠はその期待に答えるべく、慣れた足取りで歩き始めた。足は昔の道を覚えていた。学校の横のわき道。あまり人が通らないのか、歩道のブロックからは枯れた雑草が顔を出している。その上を誠は確信を持った足取りで歩く。

「やっているな……どこだ?」 

 カウラがそうつぶやいたのは、ミットでボールを受ける音が響いてきたからだった。うれしそうな表情のカウラに誠は安心したように目をやった。エメラルドグリーンの髪が北風にたなびいている。

「どうした?先に行くんだろ?」 

 立ち止まって見とれていた誠と視線を合わせるカウラ。思わず誠は止まっていた足を再び進める。部活動棟のプレハブの建物が尽きると都心部の学校らしく狭苦しいグラウンドが柵越しに見ることが出来た。

 グラウンドの中央を使って練習をしているのはサッカー部員。センタリングからシュートへつなげる練習を繰り返している。奥でダッシュの練習をしているのはラグビー部員。こちらは全国大会の出場経験もあり、態度が大きかったのを誠も思い出していた。

「あそこか……ずいぶん肩身が狭そうだな」 

 カウラが目をやったのはグラウンドの隅の隅。5、6人の野球のユニフォームを着た選手がキャッチボールをしているのが見えた。

「9人いないんじゃないのか?」 

 呆れているようなカウラの声に昔を思い出す誠がいた。進学校にありがちなことだが、練習の出席率はひどいものだった。誠の時代も予備校に通っていない生徒は誠一人。予備校が優先と言う伝統があって普段は部員の半分は練習を休むのが当たり前だった。

 それ以前にこの狭いグラウンドである。まともに外野の守備練習が出来るのは週に二、三回だった。

「どうだ?注目の後輩とかはいるのか?」 

 笑顔で尋ねてくるカウラ。誠は愛想笑いを浮かべるとそのまま裏門に向けて歩き始めた。

「監督!」 

 誠は裏門から見えた太った白いユニフォームの男に声をかけた。振り向いた男は誠の顔をすぐに思い出したように近づいてくる。

「神前じゃないか!元気そうだな」 

 懐かしそうな瞳の監督。この都立新城高校の物理の教師でもある指導者に頭を下げる誠。そして監督はすぐに誠の隣に明らかに不似合いなエメラルドグリーンの女性を見つけた。

 すぐに表情が困惑したものに変わる。それを見て誠が浮かべた苦笑い。それを見ると監督の目は明らかに誠を冷やかすような色に染まった。

「なんだ?クリスマスイブのデートで母校の後輩の指導でもするのか?そりゃあ助かるな」 

 そう言われてカウラを見る。彼女は完全にやる気である。すぐにそれに気づいて自分の思惑が完全に裏目に出たことがわかった誠に出来ることは頭を掻いて照れることぐらいだった。

「どうも、初めまして」 

「え……ええ。ああ……どうも」 

 カウラの圧力すら感じる眼光に怯む監督。

「ええと彼女は今の職場の上司でして……」 

 そう言ってみると監督はようやく誠が見知らぬ不思議な緑の髪の色の美女と歩いていることが腑に落ちたような顔になる。

「ああ、そうか。お前は軍に入ったんだよな。つまりこの人は例のゲルパルトの実験の関係者か何かと言うわけだ……なるほど」 

 納得がいったように頷くが、誠には少しつまらない反応だった。

「どうです?今年のチームは」 

 明らかにカウラの姿に戸惑っている監督を見て声をかける誠。それには今度は監督のほうが参ったと言うように帽子を取って白髪の混じる頭を掻いた。

「どうもこうも……お前がいた頃とはまるで違うチームだよ。あの時よりは守備がしっかりしているのが自慢だが、核となる選手がいない。まあ毎年のことだからな」 

 そう言って苦笑いを浮かべる監督について誠とカウラはグラウンドに足を踏み入れた。

『こら!ぼんやりするな!』 

 グラウンドの中央に立つサッカー部のコーチの檄が飛ぶ。目を向けると突然現れたカウラに目が行ってボールを見失った選手がコーチに頭を下げてボールを拾いに走っている。

「これのせいかな」 

 力の無い声でカウラは自分の後ろにまとめたエメラルドグリーンの髪を見つめる。確かにそれもあるが、明らかにカウラの顔を見つめて黙り込んでいる野球部の生徒を見ればそればかりではないことがわかった。

「全員注目!」 

 監督は叫ぶとキャッチボールをしていた野球部員達が誠達を見る。そしてその視線が都立新城高校最高のエースと呼ばれた誠ではなく、見知らぬ美女と言うようなカウラに向いていることがわかって誠は苦笑いを浮かべた。

「今日は君達の先輩であの六年前の準々決勝進出の立役者が挨拶にみえた」 

 昔ながらの野太い声を聞いて懐かしさを感じる誠。だが、部員達は誰一人として自分ではなくカウラが気になっているのは見るまでも無くわかっていたことだった。

「すみません。ピッチャーは……」 

 声をかけてきたのが誠でなくカウラだったことを意外に思ったのか、ぽかんと口を開けていた監督。だがしばらくしてなぜか一人納得したように頷いていた。

「ああ、彼女はうちの実業団のチームのリリーフピッチャーもやっているんです」 

「ほう?まあ軍の方なら鍛えているでしょうからな……新見!」 

 カウラについての一言を聞くと監督は一番前にいた丸刈りの小柄な生徒を呼んだ。新見と呼ばれた生徒はカウラをちらちらと見ながら近づいてくる。明らかにカウラよりも小さい身長だが、肩幅が広く筋肉質な体型は他の生徒よりも迫力があった。

「君がエースか。ちょっと私が打席に立つから投げてみてくれないかな」 

 カウラに声をかけられて頬を染めながら監督を見上げる新見少年。

「いい機会だ。見てもらえ」 

 そう言うと一番奥のどちらかと言うよ細身のレガースとミットですぐにキャッチャーとわかる少年に新見少年は目をやった。

「別に良いですよ、打っても……木島!バット持って来い!」 

 自信があるような調子で後輩に指示を出す新見少年。その初々しい自信に笑顔を浮かべながらグラウンドの端に作られたマウンドに走る少年を見送るカウラ。

「手加減してやってくださいよ」 

 誠の声に聞き耳を立てていた監督が不愉快だと言うような顔をしている。カウラはそのまま色黒の一年生ぐらいに見える生徒からバットを受け取ると静かにそのまま少年達について行った。

 新見少年はすぐにキャッチャーに座るように指示を出すとカウラが到着するのを待たずに投球練習を始める。

「結構速いな」 

 カウラはそう言って頷く。彼女の指摘通り、小柄な全身を使って投げるスタイルは無駄が無く、もしも体格に恵まれていたなら注目を集めるような球を投げれるような素質があるように見えた。

 だが誠は不安があった。カウラは手加減が出来ない性質である。バットを持たされたと言うことは打ってもいいと言われたと同じだと思っているだろう。確かに誠達がバッターボックスの手前にたどり着くまでに投げた速球はそれなりの威力があるように見えた。それを見ればまじめなカウラが思い切りスイングしてくることは分かっている。

 新見少年も相手が女性。しかもかなり細身で華奢に見えるというところで安心しているのだろう。しかし、それが完全に間違いであることに誠は気づいていたが、後輩への贈り物としてカウラとの対戦をさせてやりたいと思うようになった。

 カウラは私服の時にはスニーカーにパンツと言うことが多いので、手渡されたバットを握ると首に巻いたマフラーを取って誠に渡した。

「教育してくるな」 

 明らかに模擬戦の時のぎらぎらした緑の瞳。完全に誠は彼女が戦闘状態に入ったことを理解していた。

 静かにカウラが右のバッターボックスに入る。

「よろしくお願いします!」 

 元気良く新見少年が怒鳴るように叫ぶのを満足げに頷きながら、カウラはじっと相手投手を見つめた。そしてそのままいつものようにホームベースぎりぎりのところに立って、ゆっくりと静かにバットを構える。

「ぶつけたりしないでくださいね!」 

 野次馬と化した野球部員の一人が叫んだ。周りの少年達も頷きながらじっと見つめる。だが誠はカウラの実力を知っているだけにただ苦笑いを浮かべるだけだった。明らかに新見少年は投げづらそうに、誠がいたころと同じようにかなり荒れた状態のマウンドの上で、眉を寄せてカウラを見下ろしていた。

 誠が周りが静かになったのに気づいてグラウンドを振り返れば、シュート練習をしていたサッカー部員も、サンドバッグにタックルの練習をしていたラグビー部員も、野球部に飛び入りでやってきた緑の髪の女性の姿に目を向けているのがわかった。

 新見少年はようやく自分の置かれている状況を理解したと言うようにマウンドの上で大きくため息を付く。そしてそのままゆっくりと振りかぶった。

 明らかに動きが先ほどの投球練習より硬く見えた。新見少年の手を離れたボールはキャッチャーが飛びついたミットの先を抜ける外角へ大きく外れた暴投になった。

「おい!新見!いつもどおり投げろ!」 

 監督の檄が飛んで、ようやく吹っ切れたように野次馬の野球部員から新しいボールを受け取る。

「カウラさん。もう少し離れて立ってあげれば……」 

 誠の言葉にカウラの真剣そうな視線がやってきたので黙りこむしかなかった。肩を何度かまわすような動きの後、新見少年は再び振りかぶる。明らかにカウラはバットを握る手に力をこめていた。おそらくは初見の女性のバッターを相手にして緊張しているのだろう。それを読んでいたかのように先ほどとは雰囲気の違う構えのカウラがそこにいた。

 ピッチャーは先ほどの力みすぎての暴投から学んで、今度はスピードを殺したような変化球をストラークゾーンに投げ込んだ。当然そのような球を見逃すカウラではない。

 その華奢な外見からは想像も付かない速さのスイングで、内角低めに落ちていくボールをバットで捉えた。打球は新見少年の額の上を強烈な勢いで通り抜けていく。そしてそのままフェンスに激突したボールが大きな音を立てる。

 グラウンド中が静まり返った。誠は予想していたこととはいえさすがにバツが悪そうに監督の目を見た。

「彼女は何者だ?」 

 呆れたような調子で監督は誠につぶやいた。

「いちおう僕の前はエースナンバーを背負ってましたから。他にも勝負どころでは右の代打に出ることもあります」 

 誠の言葉に監督は頷いた。

「おい!遊びはそれくらいで今度はランニングに行け!坂東!」 

 叫んだ先には長身の落ち着いた印象の選手が立っている。

「それじゃあスパイクを履きかえるぞ!」 

 その言葉からして坂東少年がキャプテンを勤めているらしい。そんな光景を笑いながら見つめる誠。カウラは物足りなそうに手を差し伸べている小柄な部員にバットを渡すとそのまま誠の方に歩いてきた。

「少しぐらい手を抜いてあげればよかったのに……」 

 部活棟のプレハブの建物に向かってダッシュする誠の後輩達だが、明らかに落ち込んだように最後尾を走っている新見少年を見ながらの誠はそうつぶやいていた。

「加減をしたら失礼だろ?私くらいのスイングをする高校生の打者はたぶん五万といるぞ」 

「それは……確かに、そうなんですけどねえ」 

 ようやく興奮が収まってきたと言うように静かに誠から受け取ったマフラーを首に巻くカウラ。

「そう言えば……実業団とか言ってたな。あれか?お前の所属は軍の体育学校か何かか?」 

 監督の質問ももっともだと思った誠に笑みがこぼれる。実際、誠も幹部候補生過程修了の際には希望すれば体育学校の野球部への編入をすると教官から言われたのを断った前例がある。

「いえ、保安隊ですよ、僕は」 

 その一言で監督の目が驚きに変わった。

「あれか?この前、都心部でアサルト・モジュールを起動して格闘戦をやったあの……」 

「その部隊です」 

 きっぱりと言い切るカウラの言葉が響く。監督の驚きはしばらくして唖然とした表情に変わる。大体が司法実働部隊と言う性格上、公表される活動はどれも保安隊の一般市民からの評価を下げるものばかりなのは十分知っていた。

「もしかして……パイロットとかをやっているわけじゃ無いだろうな」 

「ええ、彼は優秀なパイロットですよ。隊長の私が保証します。現にスコアーは8機撃破。エースとして認定されています」 

 カウラの言葉にしばらく黙って考え事をしていた監督がぽんと手を打った。

「ああ、だからあんなふざけた塗装をしていたわけだな」 

『ああ、やっぱりそうなるか』 

 誠は自分の機体の魔法少女のデザインで統一された塗装を思い出して苦笑いを浮かべた。あの派手を通り越してカオスだと自分でも思う痛い塗装は、全宇宙の注目を集めていた。

「そうだよなあ。お前は確かアニメ研究会にも所属して……なんだっけ?あの人形」 

「フィギュアです」 

「ああ、それをたくさん作って文化祭で飾ってたよな」 

 すべてを思い出した。そんな表情の監督を見てさすがのカウラまでも苦笑いを浮かべる状況となっていた。そして誠は悟った。このまま高校時代のネガティブな印象をカウラに植え付けることは得策とはいえないことを。

「じゃあ……僕達はこれで」 

「いいのか?他の先生とかもいるんじゃないのか?」 

 明らかに誠の考えを読んだように要を挑発するときのように目を細めてカウラがそう言った。

「いいんです!また来ますから!その時は……」 

「おう!あいつ等にアドバイスとかしてくれよ!」 

 監督もさすがにわかっているようで部員時代は見なかったような明るい表情で立ち去ろうとする誠を見送った。

「急いでどうするんだ?そんなに」 

 早足で裏門から出た誠はそのまま駅の反対側に向かってそのままの勢いで歩く。後ろから先ほどの後輩達がランニングシューズに履き替えたらしく元気に走って二人を抜いていく。

「そうか……」 

 カウラはうれしそうに誠を見上げる。

「ランニングコースなんかの思い出を教えてくれるんだな」 

「ええ……まあ、そんなところです」 

 実は特に理由は無かったのだが、カウラに言われてそのとおりと言うことにしておくことに決めてようやく誠の足は普通の歩く速度に落ち着いた。

 常緑樹の街路樹。両脇に広がる公営団地に子供達の笑い声が響いている。カウラは安心したと言うように誠のそばについて歩いている。

「この先に川があって、そこの堤防の上を国営鉄道と私鉄の線路の間を三往復してから帰るんですよ」 

 誠はそう言いながら昔を思い出した。考えればいつもそう言うランニングだけは高校時代から続けてきたことが思い出される。現在も勤務時には三キロ前後のランニングを課せられており、昔と特に変わることは無い。

「そうなのか」 

 しばらく考えた後カウラは納得したように頷く。そしてそんな二人の前に大きな土の壁が目に入ってきた。

「あれがその堤防か?」 

 カウラが興味深そうに目の前の枯れた雑草が山になったような土手を指差した。誠は頷くとなぜか走り出したい気分になっていた。

「それじゃああそこまで競争しましょう」 

 突然の提案。元々こう言うことを言い出すことの少ない誠の言葉にうれしそうに頷いたカウラが走り出す。すぐに誠も続く。

 およそ百メートルくらいだろう。追い上げようとした誠が少し体勢を崩したこともあり、カウラがすばやく土手を駆け上がっていくのが見えた。

「これが……お前の見てきた景色か」 

 息も切らさずに向こうを見つめているカウラに追いついた誠。そしてその目の前には東都の町の姿があった。

 ガスタンクや煙突など。おそらく他の惑星系では見ることの出来ない化石エネルギーに依存する割合の高い遼州らしい建物が見える。そしてその周りには高層マンションと小さな古い民家が混在している奇妙な景色。

「まあ、こうしてみると懐かしいですね」 

 誠は思わずそう口にしていた。

「懐かしい……か」 

 カウラの表情が曇った。彼女は姿こそ大人の女性だがその背後には8年と言う実感しか存在しない。彼女は生まれたときから今の姿。軍人としての知識と感情を刷り込まれて今まで生きてきた。誠のように子供時代から記憶を続けて今に至るわけではない。

「すいません」 

「何で謝る……まあいいか」 

 そう言うとカウラはうれしそうに思い切り両手を挙げて伸びをした。

「それにしても素敵な景色だな」 

 川原の広がりのおかげで、対岸の町並みが一望できる堤の上。カウラは伸びの次は大きく深呼吸していた。満足げにそれに見とれる誠。

「お前等もそう思うだろ!」 

 突然カウラが後ろを向いて怒鳴るのを聞いて誠は驚いて振り向く。しばらくして枯れた雑草の根元から要とアイシャが顔を出した。

「なんだよ……ばれてたのかよ」 

 頭を掻く要。アイシャはそのままニコニコしながら誠に向かって走り寄ってくる。

「大丈夫?誠ちゃん。怖くなかった?襲われたりしなかった?」 

「私は西園寺じゃないんだ」 

「カウラ言うじゃねえか……それに誰がこいつを襲うんだ?」 

 突然の二人の登場に困惑している誠を尻目に勝手に話を進めるカウラ、要、アイシャ。

「そりゃあ襲うと言えば要ちゃんでしょ?」 

 アイシャは誠が困惑するのと要が切れるのが面白いと言うように挑発的な視線を要に向ける。

「人を色魔みたいに言いやがって……」 

「怖い!誠ちゃん助けて!」 

 抱きついてくるアイシャ。誠はただ呆然と立ち尽くしてまとわりついてくるアイシャを受け止めるしかなかった。わざと胸の当たりを押し付けてくる感覚に苦笑いを浮かべながらカウラを見る誠。

「もしかしてカウラさん気づいてました。?」 

 さらに胸を押し付けてくるアイシャを引き剥がそうとしながら誠はカウラに声をかけた。

「駅を出たときにはすでに尾行されていたのがわかった。さっき走ったときにはかなりあわてて飛び出していたから神前もわかっていると思ったんだが……」 

 そう言うと不満そうな顔を向けるカウラ。相変わらずアイシャは誠にしがみついている。

「いい加減離れろ!」 

 アイシャの首根っこをつかんだ要が引っ張るのでようやくアイシャは誠から離れた。

「勝手に尾行したのは悪かったけどな……」 

 そう言うと要はカウラの首のマフラーの先を手に取った。

「うわ!」 

 思い切りその端の縫い取りに向けて怒鳴った要。突然の出来事にアイシャが思わず誠から手を離した。そしてそれを見て要は満足げに頷く。

「あれ見て」 

 すぐに我に返ったアイシャが指をさす対岸の遊歩道に、耳を押さえて座り込む男女の姿があった。

「島田先輩……」 

 さすがに目立つ赤い髪の色のサラをつれている島田が耳を押さえて立ちすくむ姿は百メートル以上離れていても良くわかった。

「あの馬鹿。暇なのか?姐御に言いつけるぞ?」 

 要が舌打ちをする。そして耳を押さえながら土手をあがってくるのは菰田と警備部の面々だった。

「ばれてたんですか……」 

 お手上げと言うように頭を掻く菰田をにらみつけるカウラ。

「隊長だな。こう言うことを仕込む悪趣味な人は」 

 そう言って菰田が手にしている小さなケースを取り上げるカウラ。

「悪趣味はよしてもらいたいですね」 

 カウラは一言ケースにそう言うとそのケースを握りつぶした。

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