第六話 消滅!!
「えっと……まずはお金を払ってくれてありがとう。そして、私が奢ってあげるなんて息巻いていたけど、結果として嘘になりました。ごめんなさい」
二人は、夜の鴨川べりに並んで腰を下ろす。月明かりに照らされる水面には、イツキの姿しか映らない。
千絵は自分の膝を抱きしめるように抱えて、隣に座るイツキに語りかけた。
「ねえ、イツキ君。私はね、この世界の人間じゃない。こことよく似た世界から来たの」
そうして、自分がこの世界にやってきた経緯、元の世界に戻れずにいる現状、そして自分が消滅の危機にあることを全て打ち明けた。イツキは時折小さく相づちを打ちながら、真剣に千絵の話を聞いてくれた。
「つまり、この世界を司るのは物理法則なんかじゃなくて、人間の認識。私はこの世界の人間の認識を錯乱させて、ここの物理法則にそぐわないはずの存在を認めさせているわけ。そうしてはじめて、私はこの世界に存在できる。ただ、君の認識では私は異質な存在のはず。それなのにどうして私がまだ消えていないのかはわからないけれど、ただ私の存在は安定していない。だから、ひとつお願い」
顔を上げたイツキと視線が交わる。千絵は彼の目を見据えて言った。
「私のことを誰にも言わないでほしい」
イツキもまっすぐに千絵を見返す。
「もちろん、言いません」
「そっか、ありがとう」
「ただ……千絵さんはこれからどうするつもりなんですか?」
実のところ千絵にはこれからのことを考える余裕がなかった。元の世界にいつ戻れるようになるかも分からないし、そもそもどうして時空転移が出来なくなったのか、その原因が分からなければ対処のしようが無かった。千絵には今夜を安全に過ごす場所さえも確保できていないのである。
「だったら」
と、イツキ。
「僕の家に来ませんか。両親には適当な事情を説明すれば納得してもらえると思います」
「ありがとう。でも、これ以上君に迷惑を掛けたくないから」
せめて今夜だけでもとイツキは言ったが、千絵は断った。
それから二人は、川辺でしばらくとりとめの無い話をした。
古めかしい造りの京都市役所が一端にそびえる三条河原町交差点にて、イツキは別れ際、なにかを言った。
ここは市街地に近く、そのため夜でも交通量は激しい。イツキの言葉は目の前を通り過ぎる車の音でかき消されて、よく聞こえない。千絵が聞き返すと、イツキは心持ち大きな声で、「どうして、僕と関わったんですか?」
時空転移にはある程度にリスクが伴うが、そのリスクを小さくするためにも、転移した世界の人間との交流はできる限り避けるべきだった。だから、千絵がイツキと接触を保とうとしたのは、時空旅行者としては明らかな愚行であった。
千絵はその理由を自分の中でも見つけられずにいる。
世界に一人取り残された孤独感からか、単にパニックを起こした結果なのか、それとも……。
「恋をしたんだよ。たぶん」
今度はイツキが聞き返した。千絵は
「なんでもないよ」
と言った。
「それじゃ、イツキ君。またどこかで」
「うん。またどこかで」
手を振る二人の身体を明るい光が包み込む。突然、静寂が訪れて世界が千絵とイツキの二人だけのもののように感じた。
そして、その光が交差点に乗り上げたトラックのヘッドライトだと千絵が気づいた時には、目の前のイツキの身体は巨大なトラックに跳ね飛ばされ、宙に浮かんでいた。
やがて、静寂が途切れると同時に、投げ出されたイツキの身体がどさりと鈍い音を立てて地面とぶつかった。
千絵の視界がぐるぐると回転し始め、ひどく耳鳴りがする。次第に立っていられなくなり、膝から崩れ落ちて頭を抱えた。
どうしてこんなことに!?……どうして?……どうして?…………。
気がつくと千絵はプール空間にいた。まるで、全てが振り出しに戻ったように。