第五話 存在!!
「お、おっとぉ、イツキ君! 夜景ばかり見てないで、ちゃんとご飯も食べようぜ~」
と千絵はテーブルの上にあるドリアをイツキの前に差し出すが、こんなごまかしでは通用しないことくらい分かっていた。
イツキの目線は千絵の映らない窓の鏡に固定されたままだ。
この世界の鏡は真実のみを映す。
千絵はこの世界には存在しない。この世界の物理法則には当てはまらない異質の来訪者である。だから、鏡には映らない。
存在するとは知覚されることである。
たとえば箱の中に指輪が入っていたとして、その箱の蓋が閉じられていたとしたら、その指輪があるかどうか、箱の外にある人間には分からない。一度蓋を開けて、人間がその指輪を知覚することで初めて、そこに指輪が存在するのである。
千絵の時空転移は、こうした人間の知覚と存在の相互関係を利用したものである。
彼女は人間に、この世界には柳田千絵がいると錯覚させることで、いわば箱の中に指輪があると思い込ませることで、この世界に自らの存在を打ち立てることを可能にしている。
柳田千絵は、人々に知覚させて、存在しているのである。
しかし今、イツキは指輪の箱を開けてしまった。そして、そこに指輪がないことを確認してしまった。
「千絵さん。僕は鏡越しにあなたを見ているはずです。でも、僕には見えません。絶対そこにいるはずなのに。あなたは僕の作り出した幻覚……?」
それを聞いて、千絵はプール空間に閉じ込められたときや、時空転移機能の呼び出しに失敗ときとは、比べものにならないほどの恐怖感に苛まれた。
自らが消滅する恐怖。
今のところ、千絵の身には何の異変もないが、このままではいつ消えてもおかしくない。
もし、今ここでイツキが騒いで周囲の注目を集めて、千絵が鏡に映らないことを多くの人に知られたとしたら、状況はもっとひどくなる。
千絵はテーブルの上にあるイツキの手を両手で握りしめた。
「イツキ君。落ち着いて聞いて。君は正気だよ。幻覚も見てない。ほら、私の手、温かいでしょ?」
「……温かい。震えてます」
「そう、幻覚の手が震えるわけないよね。だけど君には理解できないことが今、起ってる。でもそれにはちゃんと理屈がある。私にそれを説明させてほしい。だからまず、ここを出よう」
と彼の手を引いた。